目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~

第35話 全部、美月だから

それから。

数週間が経った。

紗良の記憶は。

少しずつ。

戻ってきていた。

でも。

以前のように。

突然。

意識を持っていかれることは。

ほとんどなくなった。

道を歩いていて。

「あ、この店」

と思う。

入ったことなんて。

私はないのに。

紗良が。

何度も来ていた場所だと分かる。

台本を読むと。

昔共演した俳優の。

癖が分かる。

クローゼットを開けば。

どの服を。

どの仕事で着たのか。

ふっと。

思い出す。

それは。

誰かの記憶を。

外から見せられる感覚ではなく。

自分の中に。

少しずつ。

引き出しが増えていくような。

不思議な感覚だった。

「……」

私は。

鏡を見る。

一ノ瀬紗良。

高瀬美月。

以前なら。

どちらかを。

選ばなければいけないと思っていた。

でも。

今は。

少し違う。

私は。

高瀬美月。

それは。

変わらない。

だけど。

一ノ瀬紗良が。

生きてきた三十四年も。

私の中に。

確かに残っている。

「……おはよう」

鏡の中の自分に。

笑いかけた。

もう。

紗良さん。

とは。

呼ばなかった。

◇◇◇

その日は。

ドラマの撮影だった。

復帰後。

初めて。

大きな役を任された作品。

事故前。

紗良が。

出演を決めていたドラマだった。

役は。

家族にも。

恋人にも。

弱音を吐けず。

何でも一人で抱えてしまう女性。

そして。

物語の終盤。

初めて。

好きな人に。

本音をぶつける。

そんな役。

「本番いきます!」

スタッフの声。

私は。

相手役の俳優と。

向かい合う。

カメラが。

回る。

相手役が。

台詞を言う。

「俺のためだって言って」

「勝手にいなくなるなよ」

胸が。

少し。

揺れた。

陽向。

あの日。

私に。

同じようなことを言った。

――なんで一人で全部決めんだよ。

私は。

役として。

答える。

「だって」

「私がいないほうが」

「あなたは幸せになれると思ったから」

「そんなの」

相手役が。

一歩近づく。

「お前が決めることじゃない」

「……」

「俺が誰といたいか」

「俺が決める」

その瞬間。

目の奥が。

熱くなった。

台詞。

これは。

台本。

なのに。

陽向の声に。

聞こえる。

「……私は」

声が。

震える。

でも。

それすら。

役の感情になる。

「怖かったの」

「何が?」

「好きって言って」

「嫌われるのが」

紗良。

そして。

美月。

二人の感情が。

胸の中で。

重なった。

紗良は。

言えなかった。

好き。

寂しい。

そばにいて。

全部。

飲み込んだ。

美月も。

ずっと。

大丈夫。

気にしてない。

私が我慢すれば。

そうやって。

本当の気持ちを。

隠してきた。

二人とも。

似ていた。

だから。

私は。

今。

この身体で。

この台詞を。

言えるのかもしれない。

「でも」

涙が。

頬を伝う。

「本当は」

相手を見る。

「私も」

「あなたに」

「選んでほしかった」

監督は。

止めない。

カメラが。

回り続ける。

「誰かのためじゃなく」

「何かができるからでもなく」

「ただ」

私は。

胸に手を置いた。

「私だから」

「好きだって」

言ってほしかった。

その言葉が。

台本を越えて。

自分自身の心から。

出た。

「……カット!」

静まり返った。

スタジオ。

数秒。

誰も。

動かなかった。

そして。

監督が。

小さく息を吐く。

「……一ノ瀬さん」

「はい」

「すごくよかったです」

「……ありがとうございます」

「事故前より」

監督は。

少し考えて。

「芝居が変わりましたね」

胸が。

小さく鳴る。

「変わりました?」

「ええ」

「前のあなたは」

「もっと綺麗に演じる人だった」

「……」

「でも今は」

監督が笑う。

「痛いくらい」

「本音が伝わってくる」

私は。

何も言えなかった。

だって。

今の私は。

前の紗良だけではないから。

紗良が。

積み重ねてきた技術。

私が。

生きてきた感情。

二つが。

今。

一つの芝居になっている。

「……ありがとうございます」

私は。

今度は。

笑って言った。

◇◇◇

撮影を終えると。

スマートフォンに。

陽向から。

メッセージが来ていた。

『終わった?』

『終わったよ』

『迎え行く』

思わず。

笑う。

『毎回じゃなくていいよ』

すぐに。

返信。

『俺が行きたい』

「……もう」

以前の私なら。

遠慮した。

でも。

今は。

違う。

『じゃあお願い』

それだけ。

送った。

◇◇◇

車に乗ると。

陽向が。

すぐに聞いてきた。

「どうだった?」

「今日?」

「うん」

「監督に」

少し。

笑う。

「事故前より芝居変わったって言われた」

陽向が。

一瞬。

表情を変える。

「……そっか」

「うん」

「嫌だった?」

「ううん」

私は。

首を振る。

「前だったら」

「紗良さんじゃなくなってるって」

「怖かったかもしれない」

「……」

「でも今は」

窓の外を見る。

「違っていいのかなって」

「うん」

「紗良さんが」

「積み重ねてきたものも」

「私が生きてきたものも」

「どっちも」

胸に。

手を置く。

「ここにあるから」

陽向が。

静かに聞いている。

「だから」

私は。

少し笑った。

「今の芝居は」

「今の私にしかできないものなんだって」

「思えた」

信号。

赤。

車が止まる。

陽向が。

私を見る。

「……美月」

「何?」

「強くなったな」

「え?」

「最初」

少し笑う。

「ずっと」

「私なんかがここにいていいのかなって」

「言ってたじゃん」

「……言ってた」

「紗良の身体だから」

「子どものところに帰れないから」

「俺にも」

「紗良じゃないって言い続けて」

「……うん」

「でも今」

陽向が。

私を見る。

「ちゃんと」

「ここにいる」

胸が。

温かくなる。

「陽向のおかげもあるよ」

「俺?」

「うん」

「美月って」

「ずっと呼んでくれたから」

「……」

「私が分からなくなっても」

「陽向が」

「美月を覚えててくれた」

陽向は。

少し照れたように。

前を向いた。

「当たり前」

「うん」

「彼氏なんで」

「それ毎回使うね」

「便利だから」

二人で。

笑った。

◇◇◇

その夜。

陽向は。

私の部屋で。

いつものように。

夕食を食べていた。

「うまっ!」

「今日カレーだよ?」

「カレーはうまいだろ」

「誰が作っても?」

「美月が作ったから」

「……」

最近。

こういう言葉に。

少しは慣れた。

でも。

やっぱり。

嬉しい。

「何?」

陽向が。

私を見る。

「嬉しそう」

「……嬉しいよ」

「お」

「何?」

「素直」

「最近はね」

「成長した」

「上から目線」

「あははっ」

笑い合う。

平和。

本当に。

何でもない。

幸せな時間。

でも。

食事の途中。

陽向が。

ふと。

箸を置いた。

「美月」

「何?」

「今日」

少し。

真面目な顔。

「俺も」

「話したいことある」

胸が。

少し。

ざわつく。

「何?」

「病院のこと」

「……?」

「この前」

「先生に」

陽向が。

一人で。

話を聞きに行っていたらしい。

「俺が?」

「うん」

「何て?」

「記憶が戻ってきてても」

「今の美月の人格が」

「突然全部消えるみたいな可能性は」

「今の状態を見る限り」

「かなり低いって」

「……」

私は。

箸を止めた。

「もちろん」

陽向が続ける。

「絶対ってことは」

「誰にも言えない」

「でも」

「記憶が戻ることと」

「今までの記憶が消えることは」

「別だって」

胸の奥が。

じわっと。

温かくなる。

「……そっか」

「うん」

「先生が」

陽向は。

少し笑った。

「人って」

「昨日までの自分に」

「今日の経験が足されて」

「少しずつ変わってくものでしょって」

「……うん」

「だから」

「事故前の記憶が戻ったとしても」

「事故後に」

「美月が経験したことは」

「なかったことにならないって」

私は。

自分の手を見る。

陽向と。

出会った。

星に。

再び会えた。

歌った。

笑った。

泣いた。

好きになった。

全部。

私が。

生きた時間。

「……よかった」

気づけば。

涙が。

一滴。

落ちていた。

「美月」

「うん」

「怖かったから」

「……」

「ずっと」

「朝起きたら」

「私じゃなくなってるかもって」

「うん」

「でも」

涙を拭う。

「もう」

「大丈夫かもしれない」

「大丈夫じゃなくても」

陽向が。

すぐに。

言い直す。

「俺いるけどな」

私は。

笑った。

「うん」

「いるね」

◇◇◇

食事を片づけ。

二人で。

ソファに座る。

私は。

陽向の肩へ。

頭を預けた。

「……ねえ」

「ん?」

「陽向は」

「うん」

「今の私」

「どう見えてる?」

「どうって?」

「紗良さんの記憶が」

「かなり戻ってきてる」

「……うん」

「昔より」

「話し方とか」

「癖とか」

「紗良さんに」

「近くなることもあると思う」

「……」

「それでも」

少し。

怖い。

「ちゃんと」

「美月に見える?」

陽向は。

しばらく。

答えなかった。

そして。

「美月」

「うん」

「俺さ」

私の手を。

取る。

「最初」

「紗良の顔してるから」

「紗良だと思った」

「……うん」

「あれは」

「仕方なかったと思う」

「うん」

「それから」

「美月が」

「全然違うことして」

「違うこと言って」

「俺の知らない顔して」

少し笑う。

「紗良じゃないって」

「分かってった」

「……」

「でも今は」

陽向が。

私を。

まっすぐ見る。

「逆」

「逆?」

「美月が」

「紗良っぽいことしても」

「美月にしか見えない」

胸が。

大きく。

鳴った。

「どうして?」

「だって」

陽向が。

少し笑う。

「紗良の記憶があるのも」

「今の美月じゃん」

「……」

「芝居が上手いのも」

「紗良が積み重ねたものが」

「美月の中にあるから」

「うん」

「星ちゃん見ると」

「母親の顔になるのも」

「……」

「俺がキスしたら」

「真っ赤になるのも」

「それは言わなくていい」

陽向が。

笑う。

「全部」

手を。

少し強く握る。

「美月だから」

「……」

涙が。

溢れた。

欲しかった。

この言葉。

ずっと。

ずっと。

私は。

誰かの役割だった。

母親。

妻。

嫁。

そして今は。

一ノ瀬紗良。

でも。

陽向は。

全部まとめて。

美月だと言ってくれる。

「……もう一回」

「え?」

「言って」

「何を?」

「今の」

「全部美月?」

私は。

頷く。

陽向が。

少しだけ。

笑う。

「全部」

私の頬に。

手を触れる。

「美月」

「……」

「泣くとこも」

「笑うとこも」

「星ちゃんのママなとこも」

「紗良の記憶持ってるとこも」

「俺の彼女なとこも」

胸が。

いっぱいになる。

「全部」

「高瀬美月」

私は。

陽向の胸へ。

顔を埋めた。

「……好き」

小さく。

言う。

陽向の腕が。

私を。

優しく抱きしめる。

「俺も」

「……」

「大好き」

◇◇◇

少しして。

私は。

顔を上げた。

陽向と。

目が合う。

何となく。

分かる。

キス。

する。

そう思った。

でも。

今回は。

陽向が。

近づく前に。

私は。

ほんの少し。

自分から。

顔を寄せた。

「……」

陽向が。

固まる。

「美月?」

「何?」

「今」

「うん」

「自分から来た?」

「……」

恥ずかしい。

「やっぱなし」

離れようとすると。

「なしにしない!」

陽向が。

私の腰に。

腕を回す。

「ちょっと!」

「今のは逃がさない」

「陽向!」

「美月から来た!」

嬉しそう。

本当に。

子どもみたい。

「そんな喜ばなくても」

「喜ぶ!」

「もう」

でも。

私も。

笑っていた。

陽向が。

今度は。

ゆっくり。

近づく。

「していい?」

「……うん」

唇が。

重なる。

最初のキスより。

少し。

長い。

でも。

優しい。

怖くない。

離れたあと。

私は。

陽向の肩に。

額をつけた。

「……ねえ」

「何?」

「私」

「うん」

「今」

少し。

笑う。

「すごく幸せ」

陽向が。

一瞬。

息を止めた。

それから。

私の頭を。

抱き寄せる。

「……そっか」

「うん」

「よかった」

「陽向は?」

聞く。

陽向が。

少し笑った。

「俺も」

「本当に?」

「うん」

そして。

耳元で。

囁く。

「美月といる今が」

「今までで」

少し。

間を置いて。

「一番幸せかも」

胸が。

痛いほど。

温かくなった。

◇◇◇

その夜。

陽向が帰ったあと。

私は。

鏡の前に立った。

一ノ瀬紗良の顔。

でも。

もう。

名前を。

確認しなくてもいい。

私は。

高瀬美月。

紗良の記憶を持っていて。

五人の子どもの母親で。

女優として。

新しい仕事をして。

歌が好きで。

チーズケーキが好きで。

そして。

天城陽向を。

好きな人。

全部。

私。

「……美月」

鏡の中の自分へ。

呼びかける。

違和感は。

なかった。

むしろ。

初めて。

この顔で。

自分の名前を呼ぶことが。

自然に思えた。

そして。

私は。

鏡に映る自分へ。

少し笑った。

「おやすみ」

高瀬美月。

明日も。

私として。

生きていこう。

もう。

誰かになるのではなく。

誰かの代わりでもなく。

私が。

私として。

選んだ人生を。

歩いていくために。
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