目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~
第36話 ただいま、星
「一ノ瀬さん」
撮影が終わったあと。
星に。
呼び止められた。
「ん?」
振り返る。
いつものように。
笑っている。
でも。
今日は。
少し違った。
何かを。
決めたような顔。
「今日」
星が。
少しだけ。
周りを気にする。
「このあと」
「時間ありますか?」
「……あるよ」
「二人で」
一度。
唇を噛む。
「話したいことがあるんです」
胸が。
ざわついた。
「分かった」
私は。
頷いた。
◇◇◇
スタジオ近くの。
個室のあるカフェ。
向かい側に。
星が座っている。
私の前には。
ブラックコーヒー。
星の前には。
ミルクたっぷりの。
カフェラテ。
「……」
「……」
さっきから。
星は。
何も言わない。
ストローを。
触ったり。
スマートフォンを。
伏せたり。
また。
私を見たり。
「星ちゃん?」
呼ぶと。
びくっと。
肩が揺れた。
「はい」
「話したいことって?」
「……」
星が。
私を見る。
まっすぐ。
その目。
何度も。
見てきた。
嘘をついているとき。
迷っているとき。
言いたいことがあるのに。
言えないとき。
昔から。
分かりやすい。
私は。
思わず。
言ってしまう。
「ゆっくりでいいよ」
「……っ」
星の目が。
大きくなった。
「急がなくていいから」
「……」
「言えるところからでいいよ」
星が。
俯いた。
そして。
小さく。
笑った。
「まただ」
「え?」
「それ」
胸が。
跳ねる。
「ママも」
星が。
顔を上げる。
「私が言いにくそうにしてると」
「同じこと言ってました」
「……」
私は。
何も言えなかった。
星は。
バッグから。
スマートフォンを取り出す。
そして。
一枚の写真を。
私に見せた。
前に。
三人で撮った写真。
陽向。
星。
私。
「これ」
「うん」
「家で」
「何回も見たんです」
「……」
「それで」
星は。
画面を。
指で動かす。
今度は。
古い写真。
高瀬美月。
前の私。
星と。
並んでいる。
「ママです」
「……うん」
初めて見るふりを。
するべきなのに。
できなかった。
懐かしい。
その写真。
覚えている。
星が。
何度も。
撮り直した日。
『ママ、目つぶってる!』
『もう一回!』
そう言われて。
三回くらい。
撮った。
「似てないですよね」
星が。
言った。
「顔」
「……うん」
「一ノ瀬さんと」
「ママ」
「全然違う」
「うん」
「なのに」
星の声が。
震える。
「なんで」
「……」
「なんでこんなに」
涙が。
星の目に。
溜まっていく。
「同じなんですか?」
「……星ちゃん」
「笑うとき」
「ちょっと右向くのも」
「……」
「考えてるとき」
「唇触るのも」
「……」
「私がちゃんとご飯食べたか」
「すぐ聞くのも」
全部。
私。
「陽向くんを見てるときの顔も」
「……」
「私が困ってると」
「先に気づくのも」
涙が。
星の頬を。
伝った。
「それに」
声が。
崩れる。
「一ノ瀬さん」
「私のこと」
「初めて会った人みたいに」
「見てない」
「……」
もう。
何も。
言えなかった。
「ずっと」
星が。
自分の胸を押さえる。
「ずっと変なんです」
「紗良さんといると」
「ここが」
「ママだって」
「言ってるみたいで」
胸が。
苦しい。
嬉しい。
怖い。
全部。
一緒に。
押し寄せる。
「でも」
星が。
泣きながら。
首を振る。
「そんなわけないし」
「ママは死んだし」
「一ノ瀬さんは」
「一ノ瀬さんだし」
「……」
「だから」
何度も。
涙を拭う。
「こんなこと言ったら」
「変な子だと思われるって」
「ずっと」
「言わないようにしてた」
「……うん」
「でも」
星が。
私を見る。
「もう」
真っ直ぐ。
私を見る。
「聞いてもいいですか?」
心臓が。
痛いほど。
鳴る。
「……うん」
声が。
ほとんど。
出なかった。
星は。
震える唇で。
言った。
「あなた」
「……」
「本当に」
一度。
息を吸う。
「誰なんですか?」
◇◇◇
言えない。
ずっと。
そう思っていた。
信じてもらえるわけがない。
混乱させるだけ。
星の人生を。
壊すかもしれない。
私は。
母親として。
黙っていたほうがいい。
また。
それ。
私は。
星のためにと。
勝手に。
決めようとしている。
陽向の声が。
頭に浮かんだ。
――なんで一人で全部決めんだよ。
――美月がどうしたいかは?
私は。
どうしたい?
「……」
言いたい。
ずっと。
言いたかった。
星に。
抱きしめて。
伝えたかった。
ママだよ。
ここにいるよ。
ずっと。
大好きだよ。
でも。
怖い。
もし。
拒絶されたら?
そんなわけないって。
言われたら?
私は。
もう一度。
娘を。
失うことになる。
「紗良さん?」
星が。
不安そうに。
私を見る。
その顔を見て。
気づいた。
この子も。
怖いんだ。
私だけじゃない。
なら。
逃げちゃいけない。
私は。
震える手を。
テーブルの上に置いた。
「星ちゃん」
「……はい」
「信じられないと思う」
星が。
息を止める。
「私自身」
「今でも」
「全部説明できるわけじゃない」
「……」
「でも」
胸に。
手を置く。
「一ノ瀬紗良さんが」
「事故に遭った日」
「……はい」
「同じ日に」
「高瀬美月も」
「事故に遭った」
星の顔が。
固まる。
「……」
「そして」
涙が。
溢れる。
「私は」
言う。
言ってしまったら。
もう。
戻れない。
それでも。
「病院で」
「一ノ瀬紗良の身体で」
「目を覚ました」
「……え?」
星の顔から。
表情が消える。
「中にいたのは」
声が。
震える。
「紗良さんじゃなくて」
「……」
私は。
星を見る。
娘を見る。
「高瀬美月だった」
「……」
長い。
沈黙。
星は。
瞬きも。
しなかった。
「……何」
やっと。
声が出る。
「言ってるんですか?」
「うん」
「だって」
星の声が。
大きくなる。
「そんなの」
「うん」
「ありえないじゃないですか」
「うん」
「ママは」
涙が。
次々。
落ちる。
「ママは死んだんです」
「……うん」
「お葬式も」
「……」
「ちゃんと」
「……うん」
「私」
星が。
口元を押さえる。
「見たんですよ」
胸が。
引き裂かれそうになる。
「……ごめんね」
「謝らないで!」
星が。
初めて。
強い声を出した。
私は。
口を閉じる。
「じゃあ」
星が。
泣きながら。
私を見る。
「証拠は?」
「……」
「あなたが」
「ママだって」
「どうやって信じればいいの?」
当然。
だと思う。
私は。
少し考える。
何を言えば。
証明できる?
家族しか。
知らないこと。
いや。
誰かから聞いたと。
思われるかもしれない。
私は。
星を見る。
そして。
ふと。
思い出した。
「……星」
初めて。
ちゃんと。
呼び捨てで。
呼んだ。
星の肩が。
揺れる。
「覚えてる?」
「……何を」
「小さい頃」
「眠れない夜」
「ママの布団に」
「よく入ってきたでしょ」
星の目が。
少し。
揺れる。
「そのとき」
「私が」
声が。
震える。
「星の背中」
「三回」
「トントントンってして」
「……」
「『おやすみ、私のお星さま』って」
星が。
固まった。
「……」
「言ってた」
星の口が。
少し開く。
「それ……」
「うん」
「誰にも」
「言ってない」
「知ってる」
「パパにも」
「うん」
「弟たちにも」
「言ってない」
「うん」
星の呼吸が。
速くなる。
「だって」
私は。
泣きながら。
笑う。
「二人だけの」
「おやすみの合図だったから」
「……」
星。
幼い頃。
夜中。
怖い夢を見て。
私の布団へ。
入ってきた。
私は。
背中を。
三回。
優しく叩いた。
『おやすみ、私のお星さま』
そうすると。
星は。
いつも。
安心したように。
目を閉じた。
「……ママ」
小さな声。
私の呼吸が。
止まった。
星が。
震える。
「もう一回」
「……え?」
「もう一回」
泣きながら。
言った。
「言って」
私は。
椅子から。
立ち上がった。
星のそばへ。
行く。
でも。
勝手に。
触れない。
「……触ってもいい?」
星が。
泣きながら。
何度も。
頷いた。
私は。
震える手で。
星の背中へ。
触れた。
一回。
トン。
二回。
トン。
三回。
トン。
そして。
言う。
「おやすみ」
涙が。
止まらない。
「私のお星さま」
「……っ!」
次の瞬間。
星が。
私に。
抱きついた。
「ママ……!」
「……星」
「ママ!」
私は。
娘を。
抱きしめた。
ずっと。
ずっと。
したかった。
強く。
抱きしめる。
「ママ!」
「うん」
「ママなの?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
泣いて。
笑って。
何度も。
頷く。
「ママだよ」
「星」
「ママだよ」
「……っ」
星の手が。
私の服を。
強く掴む。
「どこにいたの!」
胸が。
痛い。
「ごめん」
「ずっと」
「会いたかった!」
「うん」
「私も」
「何で」
「何で言ってくれなかったの!」
「怖かった」
正直に。
言った。
「星を」
「混乱させるのが」
「怖かった」
「……」
「信じてもらえないのも」
「怖かった」
「でも」
私は。
娘の髪を。
撫でる。
今度は。
我慢しない。
何度も。
何度も。
「ずっと」
「会いたかった」
「……」
「抱きしめたかった」
「……」
「大好きって」
涙が。
落ちる。
「言いたかった」
星が。
声を上げて。
泣いた。
私も。
泣いた。
周りなんて。
もう。
どうでもよかった。
失ったと思っていた。
娘。
戻れないと思っていた。
母親と娘の時間。
全部が。
元に戻るわけじゃない。
私は。
高瀬美月の顔には。
戻れない。
あの家にも。
以前と同じようには。
戻れない。
でも。
「……ただいま」
私は。
星の耳元で。
言った。
星の身体が。
ぴくっと揺れる。
そして。
泣きながら。
笑った。
「……おかえり」
その言葉を。
聞いた瞬間。
私は。
もう。
何も。
いらないと思った。
◇◇◇
それから。
私は。
星に。
話せることを。
少しずつ話した。
事故。
紗良の身体で。
目覚めたこと。
陽向が。
最初に。
そばにいたこと。
自分が。
高瀬美月だと。
信じてもらえるまでのこと。
紗良の記憶。
そして。
星を。
遠くから。
一度見たこと。
「……あの日」
星が。
目を見開く。
「やっぱり」
「え?」
「ママだったんだ」
「分かったの?」
「分かんなかった」
星は。
首を振る。
「でも」
胸を押さえる。
「何か」
「見られてるって思った」
「……」
「すごく」
少し。
笑う。
「懐かしい目だった」
涙が。
また。
滲んだ。
親子って。
すごい。
本当に。
顔だけじゃないんだ。
◇◇◇
「じゃあ」
星が。
少しして。
急に。
真顔になる。
「陽向くんは?」
「え?」
「知ってるの?」
「うん」
「いつから?」
「最初から」
「えっ!?」
「いや」
私は。
慌てて訂正する。
「美月だって信じてくれたのは」
「途中から」
「……」
星が。
じっと。
私を見る。
嫌な予感。
「で」
「何?」
「ママ」
「うん」
「陽向くんと」
「……」
「付き合ってる?」
「……」
沈黙。
星の目が。
どんどん。
大きくなる。
「ママ?」
「……はい」
「えええええええええ!?」
個室。
とはいえ。
さすがに。
声が大きい。
「星! 声!」
「だって!」
「ちょっと!」
「ママ!」
「はい!」
「陽向くんと付き合ってるの!?」
「……うん」
「最推しと!?」
「……うん」
「何それ!」
「私もそう思う!」
星が。
頭を抱える。
「待って!」
「うん」
「じゃあ」
「この前」
「三人で写真撮ったとき」
「うん」
「ママと」
「ママの彼氏と」
「私!?」
「……そうなります」
「無理!」
「何が!?」
「情報量!」
どこかで。
聞いた言葉。
思わず。
笑ってしまう。
陽向も。
同じこと言ってた。
「何笑ってるの!」
「陽向も」
「同じ反応したから」
「……」
星が。
固まる。
「陽向くん」
「うん」
「私のこと」
「何て?」
私は。
少し笑う。
「会いたいって」
「え?」
「美月の大事な娘だから」
「ちゃんと知りたいって」
「……」
星の顔が。
一瞬で。
真っ赤になる。
「無理」
「また?」
「今度会えない」
「何で?」
「推しが」
「ママの彼氏として来るんでしょ!?」
「……まあ」
「無理!」
私は。
とうとう。
声を上げて。
笑った。
◇◇◇
夜。
陽向が。
私の部屋へ来た。
玄関を開けた瞬間。
私の顔を見て。
気づく。
「何かあった?」
「……うん」
「悪いこと?」
私は。
首を振った。
「いいこと」
陽向が。
少し。
安心したように。
笑う。
「何?」
私は。
言った。
「星に」
「うん」
一度。
息を吸う。
「本当のこと」
陽向の目が。
大きくなる。
「……言った」
「……」
「星」
「分かってくれた」
「……マジ?」
「うん」
「私のこと」
涙が。
また。
少し。
滲む。
「ママって」
「呼んでくれた」
陽向が。
何も言わない。
ただ。
ゆっくり。
私のところへ来て。
腕を。
広げた。
私は。
その胸へ。
飛び込んだ。
「よかったな」
「……うん」
「本当に」
「うん」
「よかった」
陽向の声も。
少し。
震えている。
「ただいまって」
「言えた」
「……うん」
「おかえりって」
「言ってくれた」
陽向の腕が。
強くなる。
「美月」
「何?」
「よく頑張ったな」
その言葉に。
涙が。
また。
溢れた。
「……頑張った」
「うん」
「怖かった」
「うん」
「でも」
顔を上げる。
「言ってよかった」
陽向が。
笑う。
「うん」
◇◇◇
少しして。
私は。
陽向へ。
笑いながら言った。
「星」
「うん」
「陽向が私の彼氏だって知った」
「……」
陽向。
固まる。
「……え?」
「言った」
「美月」
「何?」
「俺」
顔を覆う。
「次会えない」
「星と同じこと言ってる」
「何で!?」
「星も」
「推しがママの彼氏として来るの無理って」
陽向が。
顔を上げる。
「待って」
「うん」
「俺も」
「彼女の娘で」
「俺のファンの子に」
「彼氏として会うの」
「だいぶ無理」
「情報量?」
「多すぎる!」
二人で。
笑った。
こんな日が。
来るなんて。
本当に。
思わなかった。
◇◇◇
陽向が。
帰る前。
玄関。
私は。
その手を。
握った。
「陽向」
「ん?」
「私ね」
「うん」
「一回目の人生」
少し。
笑う。
「幸せじゃなかったわけじゃない」
「うん」
「子どもたちがいて」
「家族がいて」
「楽しいことも」
「いっぱいあった」
「……うん」
「でも」
ずっと。
足りなかった。
自分自身を。
大切にすること。
自分の気持ちを。
誰かに。
聞いてもらうこと。
「二回目は」
私は。
陽向を見る。
「自分も」
「ちゃんと大切にしたい」
陽向が。
笑う。
「うん」
「星のママで」
「うん」
「五人の子どものママで」
「うん」
「一ノ瀬紗良として仕事して」
「うん」
「陽向の彼女で」
「それ重要」
「はいはい」
「あと」
陽向が。
私の手を。
恋人繋ぎにする。
「高瀬美月」
「……うん」
「それが一番最初」
胸が。
温かくなる。
「うん」
私は。
頷いた。
「高瀬美月」
もう。
迷わない。
この顔が。
誰のものだったとしても。
過去に。
どんな人生があったとしても。
今。
選んで。
生きているのは。
私。
「陽向」
「何?」
「これからも」
「うん」
「よろしくお願いします」
「急に何」
笑いながら。
陽向が。
少し考える。
そして。
私の額に。
軽く。
キスをした。
「こちらこそ」
「……」
「これから」
少し笑う。
「同じ時間」
「いっぱい作ろ」
胸が。
きゅっとなる。
「うん」
「今までの三十四年は」
陽向が。
言った。
「全然違う人生だったけど」
「……うん」
「これからは」
指を。
強く絡める。
「一緒に生きよ」
涙が。
滲む。
でも。
今度は。
悲しくない。
「うん」
私は。
笑った。
「一緒に生きたい」
◇◇◇
私は。
一度。
人生を終えた。
妻で。
母親で。
誰かの嫁で。
いつの間にか。
『私』を。
小さくしていた人生。
そして。
目を覚ましたら。
最推しアイドルの。
腕の中だった。
最初は。
夢だと思った。
次に。
罰だと思った。
誰かの身体を。
奪ってしまったのだと。
でも。
違った。
これは。
誰かになるための。
二度目の人生じゃない。
高瀬美月が。
高瀬美月として。
もう一度。
生きるための人生だった。
子どもを。
愛していい。
過去を。
忘れなくていい。
紗良を。
大切にしていい。
陽向を。
好きでいていい。
そして。
私自身も。
幸せになっていい。
スマートフォンが。
震える。
星から。
メッセージ。
『ママ』
その二文字だけで。
涙が。
出そうになる。
続けて。
『今度、陽向くんと3人でご飯行きたい』
私は。
笑った。
すぐに。
陽向へ転送する。
数秒後。
『無理緊張する』
トップアイドルなのに。
『星も同じこと言ってるよ』
『じゃあお互い様だな』
『いつにする?』
少しして。
『美月が決めて』
私は。
指を止める。
以前なら。
みんなの都合を。
先に考えた。
誰かが嫌じゃないかな。
迷惑じゃないかな。
そう考えて。
自分の希望を。
後回しにした。
でも。
今は。
まず。
自分に聞く。
私は。
いつがいい?
どうしたい?
答えは。
すぐに出た。
『早く会いたいから、今週がいい』
送信。
陽向から。
『了解』
星から。
『やった!』
二つの返信を見て。
私は。
笑った。
これでいい。
誰かのためだけじゃなく。
私も。
ちゃんと。
この人生を。
楽しんでいい。
「……幸せ」
声に出してみる。
今度は。
何の罪悪感もなかった。
私は。
高瀬美月。
五人の子どもの母親で。
人気女優・一ノ瀬紗良の身体で生きていて。
そして。
世界で一番大好きな人に。
愛されている。
二度目の人生。
今度こそ。
私は。
私を。
置いていかない。
撮影が終わったあと。
星に。
呼び止められた。
「ん?」
振り返る。
いつものように。
笑っている。
でも。
今日は。
少し違った。
何かを。
決めたような顔。
「今日」
星が。
少しだけ。
周りを気にする。
「このあと」
「時間ありますか?」
「……あるよ」
「二人で」
一度。
唇を噛む。
「話したいことがあるんです」
胸が。
ざわついた。
「分かった」
私は。
頷いた。
◇◇◇
スタジオ近くの。
個室のあるカフェ。
向かい側に。
星が座っている。
私の前には。
ブラックコーヒー。
星の前には。
ミルクたっぷりの。
カフェラテ。
「……」
「……」
さっきから。
星は。
何も言わない。
ストローを。
触ったり。
スマートフォンを。
伏せたり。
また。
私を見たり。
「星ちゃん?」
呼ぶと。
びくっと。
肩が揺れた。
「はい」
「話したいことって?」
「……」
星が。
私を見る。
まっすぐ。
その目。
何度も。
見てきた。
嘘をついているとき。
迷っているとき。
言いたいことがあるのに。
言えないとき。
昔から。
分かりやすい。
私は。
思わず。
言ってしまう。
「ゆっくりでいいよ」
「……っ」
星の目が。
大きくなった。
「急がなくていいから」
「……」
「言えるところからでいいよ」
星が。
俯いた。
そして。
小さく。
笑った。
「まただ」
「え?」
「それ」
胸が。
跳ねる。
「ママも」
星が。
顔を上げる。
「私が言いにくそうにしてると」
「同じこと言ってました」
「……」
私は。
何も言えなかった。
星は。
バッグから。
スマートフォンを取り出す。
そして。
一枚の写真を。
私に見せた。
前に。
三人で撮った写真。
陽向。
星。
私。
「これ」
「うん」
「家で」
「何回も見たんです」
「……」
「それで」
星は。
画面を。
指で動かす。
今度は。
古い写真。
高瀬美月。
前の私。
星と。
並んでいる。
「ママです」
「……うん」
初めて見るふりを。
するべきなのに。
できなかった。
懐かしい。
その写真。
覚えている。
星が。
何度も。
撮り直した日。
『ママ、目つぶってる!』
『もう一回!』
そう言われて。
三回くらい。
撮った。
「似てないですよね」
星が。
言った。
「顔」
「……うん」
「一ノ瀬さんと」
「ママ」
「全然違う」
「うん」
「なのに」
星の声が。
震える。
「なんで」
「……」
「なんでこんなに」
涙が。
星の目に。
溜まっていく。
「同じなんですか?」
「……星ちゃん」
「笑うとき」
「ちょっと右向くのも」
「……」
「考えてるとき」
「唇触るのも」
「……」
「私がちゃんとご飯食べたか」
「すぐ聞くのも」
全部。
私。
「陽向くんを見てるときの顔も」
「……」
「私が困ってると」
「先に気づくのも」
涙が。
星の頬を。
伝った。
「それに」
声が。
崩れる。
「一ノ瀬さん」
「私のこと」
「初めて会った人みたいに」
「見てない」
「……」
もう。
何も。
言えなかった。
「ずっと」
星が。
自分の胸を押さえる。
「ずっと変なんです」
「紗良さんといると」
「ここが」
「ママだって」
「言ってるみたいで」
胸が。
苦しい。
嬉しい。
怖い。
全部。
一緒に。
押し寄せる。
「でも」
星が。
泣きながら。
首を振る。
「そんなわけないし」
「ママは死んだし」
「一ノ瀬さんは」
「一ノ瀬さんだし」
「……」
「だから」
何度も。
涙を拭う。
「こんなこと言ったら」
「変な子だと思われるって」
「ずっと」
「言わないようにしてた」
「……うん」
「でも」
星が。
私を見る。
「もう」
真っ直ぐ。
私を見る。
「聞いてもいいですか?」
心臓が。
痛いほど。
鳴る。
「……うん」
声が。
ほとんど。
出なかった。
星は。
震える唇で。
言った。
「あなた」
「……」
「本当に」
一度。
息を吸う。
「誰なんですか?」
◇◇◇
言えない。
ずっと。
そう思っていた。
信じてもらえるわけがない。
混乱させるだけ。
星の人生を。
壊すかもしれない。
私は。
母親として。
黙っていたほうがいい。
また。
それ。
私は。
星のためにと。
勝手に。
決めようとしている。
陽向の声が。
頭に浮かんだ。
――なんで一人で全部決めんだよ。
――美月がどうしたいかは?
私は。
どうしたい?
「……」
言いたい。
ずっと。
言いたかった。
星に。
抱きしめて。
伝えたかった。
ママだよ。
ここにいるよ。
ずっと。
大好きだよ。
でも。
怖い。
もし。
拒絶されたら?
そんなわけないって。
言われたら?
私は。
もう一度。
娘を。
失うことになる。
「紗良さん?」
星が。
不安そうに。
私を見る。
その顔を見て。
気づいた。
この子も。
怖いんだ。
私だけじゃない。
なら。
逃げちゃいけない。
私は。
震える手を。
テーブルの上に置いた。
「星ちゃん」
「……はい」
「信じられないと思う」
星が。
息を止める。
「私自身」
「今でも」
「全部説明できるわけじゃない」
「……」
「でも」
胸に。
手を置く。
「一ノ瀬紗良さんが」
「事故に遭った日」
「……はい」
「同じ日に」
「高瀬美月も」
「事故に遭った」
星の顔が。
固まる。
「……」
「そして」
涙が。
溢れる。
「私は」
言う。
言ってしまったら。
もう。
戻れない。
それでも。
「病院で」
「一ノ瀬紗良の身体で」
「目を覚ました」
「……え?」
星の顔から。
表情が消える。
「中にいたのは」
声が。
震える。
「紗良さんじゃなくて」
「……」
私は。
星を見る。
娘を見る。
「高瀬美月だった」
「……」
長い。
沈黙。
星は。
瞬きも。
しなかった。
「……何」
やっと。
声が出る。
「言ってるんですか?」
「うん」
「だって」
星の声が。
大きくなる。
「そんなの」
「うん」
「ありえないじゃないですか」
「うん」
「ママは」
涙が。
次々。
落ちる。
「ママは死んだんです」
「……うん」
「お葬式も」
「……」
「ちゃんと」
「……うん」
「私」
星が。
口元を押さえる。
「見たんですよ」
胸が。
引き裂かれそうになる。
「……ごめんね」
「謝らないで!」
星が。
初めて。
強い声を出した。
私は。
口を閉じる。
「じゃあ」
星が。
泣きながら。
私を見る。
「証拠は?」
「……」
「あなたが」
「ママだって」
「どうやって信じればいいの?」
当然。
だと思う。
私は。
少し考える。
何を言えば。
証明できる?
家族しか。
知らないこと。
いや。
誰かから聞いたと。
思われるかもしれない。
私は。
星を見る。
そして。
ふと。
思い出した。
「……星」
初めて。
ちゃんと。
呼び捨てで。
呼んだ。
星の肩が。
揺れる。
「覚えてる?」
「……何を」
「小さい頃」
「眠れない夜」
「ママの布団に」
「よく入ってきたでしょ」
星の目が。
少し。
揺れる。
「そのとき」
「私が」
声が。
震える。
「星の背中」
「三回」
「トントントンってして」
「……」
「『おやすみ、私のお星さま』って」
星が。
固まった。
「……」
「言ってた」
星の口が。
少し開く。
「それ……」
「うん」
「誰にも」
「言ってない」
「知ってる」
「パパにも」
「うん」
「弟たちにも」
「言ってない」
「うん」
星の呼吸が。
速くなる。
「だって」
私は。
泣きながら。
笑う。
「二人だけの」
「おやすみの合図だったから」
「……」
星。
幼い頃。
夜中。
怖い夢を見て。
私の布団へ。
入ってきた。
私は。
背中を。
三回。
優しく叩いた。
『おやすみ、私のお星さま』
そうすると。
星は。
いつも。
安心したように。
目を閉じた。
「……ママ」
小さな声。
私の呼吸が。
止まった。
星が。
震える。
「もう一回」
「……え?」
「もう一回」
泣きながら。
言った。
「言って」
私は。
椅子から。
立ち上がった。
星のそばへ。
行く。
でも。
勝手に。
触れない。
「……触ってもいい?」
星が。
泣きながら。
何度も。
頷いた。
私は。
震える手で。
星の背中へ。
触れた。
一回。
トン。
二回。
トン。
三回。
トン。
そして。
言う。
「おやすみ」
涙が。
止まらない。
「私のお星さま」
「……っ!」
次の瞬間。
星が。
私に。
抱きついた。
「ママ……!」
「……星」
「ママ!」
私は。
娘を。
抱きしめた。
ずっと。
ずっと。
したかった。
強く。
抱きしめる。
「ママ!」
「うん」
「ママなの?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
泣いて。
笑って。
何度も。
頷く。
「ママだよ」
「星」
「ママだよ」
「……っ」
星の手が。
私の服を。
強く掴む。
「どこにいたの!」
胸が。
痛い。
「ごめん」
「ずっと」
「会いたかった!」
「うん」
「私も」
「何で」
「何で言ってくれなかったの!」
「怖かった」
正直に。
言った。
「星を」
「混乱させるのが」
「怖かった」
「……」
「信じてもらえないのも」
「怖かった」
「でも」
私は。
娘の髪を。
撫でる。
今度は。
我慢しない。
何度も。
何度も。
「ずっと」
「会いたかった」
「……」
「抱きしめたかった」
「……」
「大好きって」
涙が。
落ちる。
「言いたかった」
星が。
声を上げて。
泣いた。
私も。
泣いた。
周りなんて。
もう。
どうでもよかった。
失ったと思っていた。
娘。
戻れないと思っていた。
母親と娘の時間。
全部が。
元に戻るわけじゃない。
私は。
高瀬美月の顔には。
戻れない。
あの家にも。
以前と同じようには。
戻れない。
でも。
「……ただいま」
私は。
星の耳元で。
言った。
星の身体が。
ぴくっと揺れる。
そして。
泣きながら。
笑った。
「……おかえり」
その言葉を。
聞いた瞬間。
私は。
もう。
何も。
いらないと思った。
◇◇◇
それから。
私は。
星に。
話せることを。
少しずつ話した。
事故。
紗良の身体で。
目覚めたこと。
陽向が。
最初に。
そばにいたこと。
自分が。
高瀬美月だと。
信じてもらえるまでのこと。
紗良の記憶。
そして。
星を。
遠くから。
一度見たこと。
「……あの日」
星が。
目を見開く。
「やっぱり」
「え?」
「ママだったんだ」
「分かったの?」
「分かんなかった」
星は。
首を振る。
「でも」
胸を押さえる。
「何か」
「見られてるって思った」
「……」
「すごく」
少し。
笑う。
「懐かしい目だった」
涙が。
また。
滲んだ。
親子って。
すごい。
本当に。
顔だけじゃないんだ。
◇◇◇
「じゃあ」
星が。
少しして。
急に。
真顔になる。
「陽向くんは?」
「え?」
「知ってるの?」
「うん」
「いつから?」
「最初から」
「えっ!?」
「いや」
私は。
慌てて訂正する。
「美月だって信じてくれたのは」
「途中から」
「……」
星が。
じっと。
私を見る。
嫌な予感。
「で」
「何?」
「ママ」
「うん」
「陽向くんと」
「……」
「付き合ってる?」
「……」
沈黙。
星の目が。
どんどん。
大きくなる。
「ママ?」
「……はい」
「えええええええええ!?」
個室。
とはいえ。
さすがに。
声が大きい。
「星! 声!」
「だって!」
「ちょっと!」
「ママ!」
「はい!」
「陽向くんと付き合ってるの!?」
「……うん」
「最推しと!?」
「……うん」
「何それ!」
「私もそう思う!」
星が。
頭を抱える。
「待って!」
「うん」
「じゃあ」
「この前」
「三人で写真撮ったとき」
「うん」
「ママと」
「ママの彼氏と」
「私!?」
「……そうなります」
「無理!」
「何が!?」
「情報量!」
どこかで。
聞いた言葉。
思わず。
笑ってしまう。
陽向も。
同じこと言ってた。
「何笑ってるの!」
「陽向も」
「同じ反応したから」
「……」
星が。
固まる。
「陽向くん」
「うん」
「私のこと」
「何て?」
私は。
少し笑う。
「会いたいって」
「え?」
「美月の大事な娘だから」
「ちゃんと知りたいって」
「……」
星の顔が。
一瞬で。
真っ赤になる。
「無理」
「また?」
「今度会えない」
「何で?」
「推しが」
「ママの彼氏として来るんでしょ!?」
「……まあ」
「無理!」
私は。
とうとう。
声を上げて。
笑った。
◇◇◇
夜。
陽向が。
私の部屋へ来た。
玄関を開けた瞬間。
私の顔を見て。
気づく。
「何かあった?」
「……うん」
「悪いこと?」
私は。
首を振った。
「いいこと」
陽向が。
少し。
安心したように。
笑う。
「何?」
私は。
言った。
「星に」
「うん」
一度。
息を吸う。
「本当のこと」
陽向の目が。
大きくなる。
「……言った」
「……」
「星」
「分かってくれた」
「……マジ?」
「うん」
「私のこと」
涙が。
また。
少し。
滲む。
「ママって」
「呼んでくれた」
陽向が。
何も言わない。
ただ。
ゆっくり。
私のところへ来て。
腕を。
広げた。
私は。
その胸へ。
飛び込んだ。
「よかったな」
「……うん」
「本当に」
「うん」
「よかった」
陽向の声も。
少し。
震えている。
「ただいまって」
「言えた」
「……うん」
「おかえりって」
「言ってくれた」
陽向の腕が。
強くなる。
「美月」
「何?」
「よく頑張ったな」
その言葉に。
涙が。
また。
溢れた。
「……頑張った」
「うん」
「怖かった」
「うん」
「でも」
顔を上げる。
「言ってよかった」
陽向が。
笑う。
「うん」
◇◇◇
少しして。
私は。
陽向へ。
笑いながら言った。
「星」
「うん」
「陽向が私の彼氏だって知った」
「……」
陽向。
固まる。
「……え?」
「言った」
「美月」
「何?」
「俺」
顔を覆う。
「次会えない」
「星と同じこと言ってる」
「何で!?」
「星も」
「推しがママの彼氏として来るの無理って」
陽向が。
顔を上げる。
「待って」
「うん」
「俺も」
「彼女の娘で」
「俺のファンの子に」
「彼氏として会うの」
「だいぶ無理」
「情報量?」
「多すぎる!」
二人で。
笑った。
こんな日が。
来るなんて。
本当に。
思わなかった。
◇◇◇
陽向が。
帰る前。
玄関。
私は。
その手を。
握った。
「陽向」
「ん?」
「私ね」
「うん」
「一回目の人生」
少し。
笑う。
「幸せじゃなかったわけじゃない」
「うん」
「子どもたちがいて」
「家族がいて」
「楽しいことも」
「いっぱいあった」
「……うん」
「でも」
ずっと。
足りなかった。
自分自身を。
大切にすること。
自分の気持ちを。
誰かに。
聞いてもらうこと。
「二回目は」
私は。
陽向を見る。
「自分も」
「ちゃんと大切にしたい」
陽向が。
笑う。
「うん」
「星のママで」
「うん」
「五人の子どものママで」
「うん」
「一ノ瀬紗良として仕事して」
「うん」
「陽向の彼女で」
「それ重要」
「はいはい」
「あと」
陽向が。
私の手を。
恋人繋ぎにする。
「高瀬美月」
「……うん」
「それが一番最初」
胸が。
温かくなる。
「うん」
私は。
頷いた。
「高瀬美月」
もう。
迷わない。
この顔が。
誰のものだったとしても。
過去に。
どんな人生があったとしても。
今。
選んで。
生きているのは。
私。
「陽向」
「何?」
「これからも」
「うん」
「よろしくお願いします」
「急に何」
笑いながら。
陽向が。
少し考える。
そして。
私の額に。
軽く。
キスをした。
「こちらこそ」
「……」
「これから」
少し笑う。
「同じ時間」
「いっぱい作ろ」
胸が。
きゅっとなる。
「うん」
「今までの三十四年は」
陽向が。
言った。
「全然違う人生だったけど」
「……うん」
「これからは」
指を。
強く絡める。
「一緒に生きよ」
涙が。
滲む。
でも。
今度は。
悲しくない。
「うん」
私は。
笑った。
「一緒に生きたい」
◇◇◇
私は。
一度。
人生を終えた。
妻で。
母親で。
誰かの嫁で。
いつの間にか。
『私』を。
小さくしていた人生。
そして。
目を覚ましたら。
最推しアイドルの。
腕の中だった。
最初は。
夢だと思った。
次に。
罰だと思った。
誰かの身体を。
奪ってしまったのだと。
でも。
違った。
これは。
誰かになるための。
二度目の人生じゃない。
高瀬美月が。
高瀬美月として。
もう一度。
生きるための人生だった。
子どもを。
愛していい。
過去を。
忘れなくていい。
紗良を。
大切にしていい。
陽向を。
好きでいていい。
そして。
私自身も。
幸せになっていい。
スマートフォンが。
震える。
星から。
メッセージ。
『ママ』
その二文字だけで。
涙が。
出そうになる。
続けて。
『今度、陽向くんと3人でご飯行きたい』
私は。
笑った。
すぐに。
陽向へ転送する。
数秒後。
『無理緊張する』
トップアイドルなのに。
『星も同じこと言ってるよ』
『じゃあお互い様だな』
『いつにする?』
少しして。
『美月が決めて』
私は。
指を止める。
以前なら。
みんなの都合を。
先に考えた。
誰かが嫌じゃないかな。
迷惑じゃないかな。
そう考えて。
自分の希望を。
後回しにした。
でも。
今は。
まず。
自分に聞く。
私は。
いつがいい?
どうしたい?
答えは。
すぐに出た。
『早く会いたいから、今週がいい』
送信。
陽向から。
『了解』
星から。
『やった!』
二つの返信を見て。
私は。
笑った。
これでいい。
誰かのためだけじゃなく。
私も。
ちゃんと。
この人生を。
楽しんでいい。
「……幸せ」
声に出してみる。
今度は。
何の罪悪感もなかった。
私は。
高瀬美月。
五人の子どもの母親で。
人気女優・一ノ瀬紗良の身体で生きていて。
そして。
世界で一番大好きな人に。
愛されている。
二度目の人生。
今度こそ。
私は。
私を。
置いていかない。