目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~
第41話 顔は違っても、抱っこはママ
夫から。
『一人、会ってみたいって言い出した』
そう連絡が来た。
その翌日。
私は。
朝から。
落ち着かなかった。
前に会った子は。
自分から。
確かめたいと。
来てくれた。
でも。
今度の子は。
少し違うらしい。
『ママかもしれないなら会いたい』
そう言ったあと。
すぐに。
『でも怖い』
とも。
言ったという。
その気持ち。
当たり前だと思う。
私だって。
鏡の中に。
知らない顔が映ったとき。
怖かった。
その知らない顔の人が。
突然。
『ママだよ』
なんて。
現れる。
子どもからすれば。
もっと。
怖いかもしれない。
「……無理させたくないな」
スマートフォンを。
握りながら呟く。
すると。
陽向から。
メッセージが届いた。
『今日だよな?』
『うん』
『緊張してる?』
私は。
少し考えて。
『してる』
と送る。
すぐ。
『そっか』
それだけ。
以前なら。
『大丈夫』
とか。
『絶対うまくいく』
とか。
言ってほしかったかもしれない。
でも。
今は。
分かる。
陽向が。
簡単に。
大丈夫と言わない理由。
まだ。
分からないから。
代わりに。
少しして。
もう一通。
『終わったら話聞く』
胸が。
温かくなった。
『うん』
私は。
そう返した。
◇◇◇
待ち合わせは。
前と同じように。
人目の少ない場所。
夫から。
『着いた』
と連絡が来る。
私は。
大きく。
息を吸った。
そして。
扉を開けた。
「……」
夫の隣。
小さな身体が。
ぴったりと。
夫にくっついている。
私を見るなり。
一歩。
後ろへ。
下がった。
胸が。
痛む。
でも。
私は。
近づかなかった。
「こんにちは」
なるべく。
優しく。
声をかける。
返事は。
ない。
夫が。
小さく。
「大丈夫」
と。
声をかける。
その子は。
私を。
じっと見たまま。
「……ママじゃない」
小さく。
言った。
「うん」
私は。
頷いた。
夫が。
私を見る。
でも。
私は。
続けた。
「顔はね」
「ママじゃないよね」
その子の目が。
少し。
揺れる。
「ママの顔」
「違うもん」
「うん」
「声も」
「違う」
「うん」
「だから」
私は。
しゃがんだ。
少しでも。
目線を。
近くする。
でも。
距離は。
縮めない。
「怖かったら」
「近くに来なくていいよ」
「……」
「今日は」
「見るだけでもいい」
「……」
「帰りたくなったら」
「帰っていいよ」
夫が。
少し。
驚いた顔をした。
きっと。
以前の私なら。
ここまで来たんだから。
少しは。
話してほしい。
そんなふうに。
焦ったかもしれない。
でも。
今は。
この子の気持ちを。
先にしたい。
その子は。
しばらく。
私を見ていた。
そして。
「……ほんまに?」
「うん」
「帰っても?」
「うん」
私は。
笑った。
「ママは」
一瞬。
その言葉を。
使っていいのか。
迷う。
でも。
続けた。
「会いに来てくれただけで」
「嬉しいから」
「……」
その子が。
夫の服を。
ぎゅっと掴んだ。
◇◇◇
三人で。
少し離れて。
座った。
私は。
何も。
聞かなかった。
学校どう?
元気だった?
ご飯食べた?
聞きたいことは。
いっぱいある。
でも。
今は。
質問される側でいい。
しばらくして。
その子が。
小さく。
口を開いた。
「……ほんまに」
「うん?」
「ママなら」
「うん」
「僕の」
少し。
考える。
「好きな食べ物」
「知っとる?」
胸が。
きゅっとする。
「知ってるよ」
答えると。
すぐ。
警戒するような顔。
「何?」
私は。
少しだけ。
笑った。
「一番って」
「そのときによって」
「変わるでしょ」
「……」
「前は」
私は。
思い出す。
「これが一番って言ってたのに」
「次の週には」
「違うのが一番になってた」
夫が。
吹き出す。
「それはそう」
「パパ笑わんといて!」
少しだけ。
空気が。
柔らかくなる。
私は。
続ける。
「でも」
「ママが最後に覚えてるのは」
その子の。
好きだったものを。
答える。
目が。
少し。
大きくなった。
「……当たり」
「うん」
「でも」
すぐに。
首を振る。
「それくらい」
「パパでも知っとる」
「そうだね」
私は。
頷いた。
「じゃあ」
「もっと」
「難しいの聞いていいよ」
その子が。
眉を寄せる。
本気で。
考えている。
そして。
「僕が」
「うん」
「夜」
「怖くて寝れんかったとき」
胸が。
大きく鳴った。
「ママ」
「何してくれた?」
「……」
覚えてる。
あの日。
怖い夢を見たと。
泣きながら。
私のところへ来た。
抱っこできるくらいの。
まだ。
小さかった頃。
「最初」
私は。
ゆっくり。
話す。
「ママの布団に」
「入ってきた」
その子が。
少し。
息を止める。
「それで」
「ぎゅーって」
私は。
両腕を。
自分の身体に。
回す。
「抱っこみたいにして」
「……」
「背中」
「ずっと」
「さすってた」
「……」
「でも」
私は。
少し笑う。
「寝たと思って」
「手止めたら」
「まだやってって」
「言った」
その子の目が。
大きくなる。
「……」
「だから」
私は。
もう一度。
自分の腕を。
ぎゅっとする。
「寝るまで」
「ずっと」
「よしよししてた」
沈黙。
その子は。
夫を見る。
夫は。
首を振った。
「俺」
「それ知らん」
「……」
その子が。
また。
私を見る。
今度は。
さっきより。
少しだけ。
近い目。
「……何で知っとるん」
「ママだから」
私は。
それだけ。
言った。
◇◇◇
「……でも」
しばらくして。
その子が。
唇を尖らせる。
「ママなら」
「うん」
「なんで」
声が。
震える。
「こんな顔なん」
胸が。
痛い。
「分からない」
私は。
正直に答えた。
「ママも」
「分からない」
「……」
「事故にあって」
「目が覚めたら」
「この顔だった」
「怖くなかったん?」
「怖かったよ」
「……」
「鏡見て」
私は。
小さく笑う。
「誰これって」
「思った」
その子が。
少しだけ。
こちらを見る。
「ママも?」
「うん」
「ママも」
胸に。
手を置く。
「ずっと」
「元の顔に」
「戻りたいって」
「思ってた」
「……」
「だって」
涙が。
少し。
滲む。
「この顔じゃ」
「みんなに」
「ママって」
「分かってもらえないと思ったから」
その子の。
目も。
少し赤くなる。
「でも」
私は。
涙を拭う。
「星も」
「前に会った子も」
「ちゃんと」
「見つけてくれた」
「……」
「だから」
「あなたも」
無理には。
言わない。
「今日」
「ママって思えなくても」
「大丈夫」
その子の顔が。
くしゃっと。
歪んだ。
「……ずるい」
「え?」
「そんなこと」
「……」
「ママも」
「言っとった」
「……」
胸が。
止まりそうになる。
「何て?」
「できんくても」
「今日はできんかっただけって」
「……」
「次できたらいいって」
涙が。
溢れた。
ああ。
言ってた。
子どもが。
何かできなくて。
落ち込んだとき。
何度も。
「できなかったんじゃなくて」
「今日はできなかっただけ」
そう。
言っていた。
「……覚えてたんだ」
「うん」
「そっか」
もう。
泣きそう。
でも。
その子は。
もっと。
泣きそうな顔をしていた。
◇◇◇
「……一個」
その子が。
小さく言う。
「お願いしていい?」
「うん」
何でも。
と言いそうになって。
止める。
「できることなら」
そう。
言い直す。
その子は。
しばらく。
迷った。
そして。
両腕を。
ほんの少し。
広げた。
「……抱っこ」
息が。
止まった。
「え?」
「ママなら」
声が。
震える。
「抱っこ」
「してほしい」
涙が。
一気に。
溢れた。
私は。
すぐに。
駆け寄りたかった。
でも。
聞く。
「今?」
その子が。
頷く。
「うん」
「本当に?」
もう一度。
頷く。
「……うん」
私は。
ゆっくり。
近づいた。
そして。
両腕を。
広げる。
一瞬。
迷ったように。
立ち止まる。
でも。
次の瞬間。
小さな身体が。
私の胸に。
飛び込んできた。
「……っ」
抱きしめる。
懐かしい。
身体の。
大きさは。
変わった。
前より。
重い。
前より。
背が高い。
でも。
抱きしめたときの。
感覚。
「……」
腕の中に。
すっぽり。
入ってくる感じ。
頭を。
胸に。
押しつける感じ。
全部。
覚えている。
私は。
背中を。
ゆっくり。
撫でた。
一回。
二回。
何度も。
「……これ」
腕の中から。
声がする。
「うん?」
「ママの抱っこ」
「……」
涙で。
視界が。
ぼやける。
「分かる?」
「うん」
服を。
ぎゅっと。
掴まれる。
「顔」
「違うのに」
「うん」
「声も」
「違うのに」
「うん」
「抱っこ」
声が。
泣き声に。
変わる。
「ママや」
もう。
我慢できなかった。
「うん」
私は。
強く。
抱きしめた。
「ママだよ」
「……」
「ずっと」
「会いたかったよ」
「……ママ」
「うん」
「ほんまに」
「ママなん?」
「うん」
「ほんまに?」
「うん」
何回でも。
答える。
「ママ」
「うん」
「ママ!」
「うん」
そのたび。
腕に。
力が入る。
夫が。
少し離れたところで。
顔を。
手で覆っていた。
◇◇◇
しばらくして。
その子は。
私の腕の中から。
顔を上げた。
涙で。
ぐしゃぐしゃ。
「ママ」
「何?」
「なんで」
「うん」
「もっと早く」
「来てくれんかったん」
胸が。
痛む。
「怖かった」
私は。
正直に答える。
「信じてもらえないのが」
「……」
「みんなを」
「怖がらせるのも」
「嫌だった」
「……」
「でも」
私は。
頬の涙を。
親指で。
そっと拭う。
「会いたかった」
「毎日」
「……」
「みんなのこと」
「考えてた」
「ほんま?」
「ほんと」
「僕も?」
「当たり前でしょ」
私は。
少し笑う。
「一人も」
「忘れたことないよ」
その子が。
また。
泣く。
「……僕」
「うん」
「ママのこと」
「忘れそうで」
胸が。
ぎゅっと。
締めつけられた。
「顔とか」
「うん」
「声とか」
「少しずつ」
「……」
「思い出せんくなったら」
「どうしようって」
私は。
その子を。
もう一度。
抱きしめた。
「忘れてもいいよ」
身体が。
ぴくっと。
動く。
「え?」
「顔」
「忘れてもいい」
「声も」
「……」
「だって」
私は。
背中を。
撫でる。
「今」
「こうして」
「また会えたから」
「……」
「昔のママを」
「全部覚えてなくても」
「ママが」
「あなたのこと」
「覚えてる」
「……」
「それで」
「いいよ」
その子が。
私の胸に。
顔を埋めた。
「……やっぱり」
「何?」
「ママや」
私は。
泣きながら。
笑った。
「うん」
◇◇◇
少し。
落ち着いてから。
三人で。
ジュースを飲んだ。
その子は。
さっきまでの。
警戒が。
嘘みたいに。
私の隣に。
ぴったり。
座っている。
「近いね」
私が笑うと。
「ダメ?」
「ダメじゃない」
「じゃあいいやん」
「ふふっ」
夫が。
向かいから。
その様子を見る。
「……ほんま」
「何?」
「すごいな」
「何が?」
「顔」
「全然違うのに」
「うん」
「子どもら」
「分かるんやな」
私も。
不思議だった。
でも。
星が言っていた。
――ここが、ママだって言ってる。
きっと。
記憶って。
顔だけじゃない。
抱きしめ方。
手の温度。
言葉をかける順番。
心配するときの顔。
間の取り方。
そういう。
何でもないものを。
子どもは。
思っている以上に。
覚えているのかもしれない。
「パパ」
隣から。
声。
「何?」
「他の子にも」
「うん」
「ママやったって」
「言っていい?」
私は。
すぐに。
口を挟まなかった。
夫も。
少し考える。
「お前が」
「言いたいなら」
「ええよ」
「でも」
私は。
優しく言う。
「信じろって」
「言わなくていいよ」
「……」
「怖いって思う子も」
「いるから」
「うん」
「自分が会って」
「どう思ったかだけ」
「話してあげて」
その子が。
考える。
「じゃあ」
「うん」
「抱っこしたら」
「ママやったって言う」
私は。
思わず笑った。
「それでいいの?」
「うん」
そして。
少し。
得意そうな顔。
「ママの抱っこ」
「分かるもん」
また。
泣きそうになった。
◇◇◇
帰り際。
「ママ」
「うん」
その子が。
私の袖を。
掴む。
「次」
「いつ会える?」
胸が。
大きく鳴る。
「会いたいとき」
「え?」
「言って」
私は。
笑った。
「ママ」
「予定合わせるから」
「仕事あっても?」
「仕事ある日は」
「別の日にする」
「……」
「ちゃんと」
「会える日」
「作るよ」
その子が。
嬉しそうに。
頷いた。
そして。
もう一度。
ぎゅっと。
抱きついてくる。
私も。
抱きしめる。
「じゃあね」
「うん」
「ママ」
「またね」
その言葉。
またね。
今度が。
ある。
それだけで。
こんなにも。
嬉しい。
◇◇◇
夜。
陽向が。
私の部屋へ来た。
「どうだった?」
「……」
私は。
何も言わず。
陽向へ。
両腕を広げた。
「え?」
「抱っこ」
「……」
陽向が。
一瞬。
固まる。
「今?」
「うん」
「いいの?」
「うん」
次の瞬間。
優しく。
抱きしめられる。
私は。
その胸に。
顔を埋めた。
「今日ね」
「うん」
「抱っこしてって」
「言われた」
陽向の腕が。
少し。
強くなる。
「そっか」
「それで」
涙が。
出る。
「抱っこしたら」
「……」
「ママの抱っこだって」
「言ってくれた」
陽向が。
大きく。
息を吐いた。
「よかったな」
「うん」
「顔違うのに」
「うん」
「声も違うのに」
「うん」
私は。
陽向の服を。
握る。
「分かってくれた」
「そっか」
「私ね」
「うん」
「ずっと」
少し。
泣きながら笑う。
「ママって」
「顔とか」
「名前とか」
「そういうものだと」
「思ってたのかも」
「うん」
「でも」
「今日」
「違うんだって」
「思った」
陽向が。
背中を。
ゆっくり撫でてくれる。
「何が?」
「抱きしめ方も」
「声のかけ方も」
「その子を」
「ずっと見てきた時間も」
「……」
「全部」
胸に。
手を置く。
「ママなんだね」
陽向が。
少し笑った。
「うん」
「美月」
「何?」
「俺」
「星ちゃんに会ったときから」
「思ってたけど」
「うん」
「子どもたちの前の美月」
少し。
間。
「すげえ好き」
私は。
顔を上げる。
「急に何?」
「だって」
陽向が。
笑う。
「ちゃんと」
「ママなんだよ」
「……」
「俺が知らなかった」
「美月の三十四年が」
「見える感じする」
胸が。
温かくなる。
「そっか」
「うん」
「じゃあ」
「?」
私は。
少し。
意地悪く笑う。
「もっと」
「子どもたちの話」
「聞く?」
陽向の顔が。
ぱっと。
明るくなる。
「聞く!」
「食いつきすごい」
「だって」
「俺」
少し。
照れながら。
「美月のこと」
「全部知りたいし」
また。
胸が。
鳴った。
◇◇◇
その夜。
夫から。
新しいメッセージ。
『今日会った子が、帰ってからずっとママの話しとる』
私は。
思わず。
笑った。
続けて。
『それ聞いて、もう一人が会ってみたいって言っとる』
「……」
また。
一人。
私を。
見つけようとしてくれている。
でも。
その下に。
もう一文。
『ただ、一番小さい子はまだ難しいかもしれん』
指が。
止まった。
一番小さい子。
私がいなくなったとき。
まだ。
あまりにも。
幼かった。
私の顔を。
どれくらい。
覚えているんだろう。
声を。
抱っこを。
覚えているんだろうか。
もしかしたら。
私を。
母親だと。
分からないかもしれない。
胸が。
少し。
痛む。
でも。
今は。
先に。
結論を出さない。
私は。
夫へ。
返信した。
『うん。無理に会わせなくていいよ』
そして。
少し考えて。
もう一文。
『会いたいって思ってくれたときまで待つ』
送信。
陽向が。
隣から。
画面を見る。
「待てる?」
「……うん」
私は。
少し笑った。
「会いたいけど」
「うん」
「すごく」
「うん」
「でも」
スマートフォンを。
胸に抱く。
「ママだから」
今度は。
その言葉に。
迷いはなかった。
「待つよ」
顔が違っても。
声が違っても。
抱きしめれば。
分かってくれる子がいる。
でも。
分からない子がいても。
それでいい。
私は。
何度でも。
待つ。
何度でも。
会いに行く。
この子たちが。
自分の気持ちで。
もう一度。
私を。
『ママ』と呼べる日まで。
『一人、会ってみたいって言い出した』
そう連絡が来た。
その翌日。
私は。
朝から。
落ち着かなかった。
前に会った子は。
自分から。
確かめたいと。
来てくれた。
でも。
今度の子は。
少し違うらしい。
『ママかもしれないなら会いたい』
そう言ったあと。
すぐに。
『でも怖い』
とも。
言ったという。
その気持ち。
当たり前だと思う。
私だって。
鏡の中に。
知らない顔が映ったとき。
怖かった。
その知らない顔の人が。
突然。
『ママだよ』
なんて。
現れる。
子どもからすれば。
もっと。
怖いかもしれない。
「……無理させたくないな」
スマートフォンを。
握りながら呟く。
すると。
陽向から。
メッセージが届いた。
『今日だよな?』
『うん』
『緊張してる?』
私は。
少し考えて。
『してる』
と送る。
すぐ。
『そっか』
それだけ。
以前なら。
『大丈夫』
とか。
『絶対うまくいく』
とか。
言ってほしかったかもしれない。
でも。
今は。
分かる。
陽向が。
簡単に。
大丈夫と言わない理由。
まだ。
分からないから。
代わりに。
少しして。
もう一通。
『終わったら話聞く』
胸が。
温かくなった。
『うん』
私は。
そう返した。
◇◇◇
待ち合わせは。
前と同じように。
人目の少ない場所。
夫から。
『着いた』
と連絡が来る。
私は。
大きく。
息を吸った。
そして。
扉を開けた。
「……」
夫の隣。
小さな身体が。
ぴったりと。
夫にくっついている。
私を見るなり。
一歩。
後ろへ。
下がった。
胸が。
痛む。
でも。
私は。
近づかなかった。
「こんにちは」
なるべく。
優しく。
声をかける。
返事は。
ない。
夫が。
小さく。
「大丈夫」
と。
声をかける。
その子は。
私を。
じっと見たまま。
「……ママじゃない」
小さく。
言った。
「うん」
私は。
頷いた。
夫が。
私を見る。
でも。
私は。
続けた。
「顔はね」
「ママじゃないよね」
その子の目が。
少し。
揺れる。
「ママの顔」
「違うもん」
「うん」
「声も」
「違う」
「うん」
「だから」
私は。
しゃがんだ。
少しでも。
目線を。
近くする。
でも。
距離は。
縮めない。
「怖かったら」
「近くに来なくていいよ」
「……」
「今日は」
「見るだけでもいい」
「……」
「帰りたくなったら」
「帰っていいよ」
夫が。
少し。
驚いた顔をした。
きっと。
以前の私なら。
ここまで来たんだから。
少しは。
話してほしい。
そんなふうに。
焦ったかもしれない。
でも。
今は。
この子の気持ちを。
先にしたい。
その子は。
しばらく。
私を見ていた。
そして。
「……ほんまに?」
「うん」
「帰っても?」
「うん」
私は。
笑った。
「ママは」
一瞬。
その言葉を。
使っていいのか。
迷う。
でも。
続けた。
「会いに来てくれただけで」
「嬉しいから」
「……」
その子が。
夫の服を。
ぎゅっと掴んだ。
◇◇◇
三人で。
少し離れて。
座った。
私は。
何も。
聞かなかった。
学校どう?
元気だった?
ご飯食べた?
聞きたいことは。
いっぱいある。
でも。
今は。
質問される側でいい。
しばらくして。
その子が。
小さく。
口を開いた。
「……ほんまに」
「うん?」
「ママなら」
「うん」
「僕の」
少し。
考える。
「好きな食べ物」
「知っとる?」
胸が。
きゅっとする。
「知ってるよ」
答えると。
すぐ。
警戒するような顔。
「何?」
私は。
少しだけ。
笑った。
「一番って」
「そのときによって」
「変わるでしょ」
「……」
「前は」
私は。
思い出す。
「これが一番って言ってたのに」
「次の週には」
「違うのが一番になってた」
夫が。
吹き出す。
「それはそう」
「パパ笑わんといて!」
少しだけ。
空気が。
柔らかくなる。
私は。
続ける。
「でも」
「ママが最後に覚えてるのは」
その子の。
好きだったものを。
答える。
目が。
少し。
大きくなった。
「……当たり」
「うん」
「でも」
すぐに。
首を振る。
「それくらい」
「パパでも知っとる」
「そうだね」
私は。
頷いた。
「じゃあ」
「もっと」
「難しいの聞いていいよ」
その子が。
眉を寄せる。
本気で。
考えている。
そして。
「僕が」
「うん」
「夜」
「怖くて寝れんかったとき」
胸が。
大きく鳴った。
「ママ」
「何してくれた?」
「……」
覚えてる。
あの日。
怖い夢を見たと。
泣きながら。
私のところへ来た。
抱っこできるくらいの。
まだ。
小さかった頃。
「最初」
私は。
ゆっくり。
話す。
「ママの布団に」
「入ってきた」
その子が。
少し。
息を止める。
「それで」
「ぎゅーって」
私は。
両腕を。
自分の身体に。
回す。
「抱っこみたいにして」
「……」
「背中」
「ずっと」
「さすってた」
「……」
「でも」
私は。
少し笑う。
「寝たと思って」
「手止めたら」
「まだやってって」
「言った」
その子の目が。
大きくなる。
「……」
「だから」
私は。
もう一度。
自分の腕を。
ぎゅっとする。
「寝るまで」
「ずっと」
「よしよししてた」
沈黙。
その子は。
夫を見る。
夫は。
首を振った。
「俺」
「それ知らん」
「……」
その子が。
また。
私を見る。
今度は。
さっきより。
少しだけ。
近い目。
「……何で知っとるん」
「ママだから」
私は。
それだけ。
言った。
◇◇◇
「……でも」
しばらくして。
その子が。
唇を尖らせる。
「ママなら」
「うん」
「なんで」
声が。
震える。
「こんな顔なん」
胸が。
痛い。
「分からない」
私は。
正直に答えた。
「ママも」
「分からない」
「……」
「事故にあって」
「目が覚めたら」
「この顔だった」
「怖くなかったん?」
「怖かったよ」
「……」
「鏡見て」
私は。
小さく笑う。
「誰これって」
「思った」
その子が。
少しだけ。
こちらを見る。
「ママも?」
「うん」
「ママも」
胸に。
手を置く。
「ずっと」
「元の顔に」
「戻りたいって」
「思ってた」
「……」
「だって」
涙が。
少し。
滲む。
「この顔じゃ」
「みんなに」
「ママって」
「分かってもらえないと思ったから」
その子の。
目も。
少し赤くなる。
「でも」
私は。
涙を拭う。
「星も」
「前に会った子も」
「ちゃんと」
「見つけてくれた」
「……」
「だから」
「あなたも」
無理には。
言わない。
「今日」
「ママって思えなくても」
「大丈夫」
その子の顔が。
くしゃっと。
歪んだ。
「……ずるい」
「え?」
「そんなこと」
「……」
「ママも」
「言っとった」
「……」
胸が。
止まりそうになる。
「何て?」
「できんくても」
「今日はできんかっただけって」
「……」
「次できたらいいって」
涙が。
溢れた。
ああ。
言ってた。
子どもが。
何かできなくて。
落ち込んだとき。
何度も。
「できなかったんじゃなくて」
「今日はできなかっただけ」
そう。
言っていた。
「……覚えてたんだ」
「うん」
「そっか」
もう。
泣きそう。
でも。
その子は。
もっと。
泣きそうな顔をしていた。
◇◇◇
「……一個」
その子が。
小さく言う。
「お願いしていい?」
「うん」
何でも。
と言いそうになって。
止める。
「できることなら」
そう。
言い直す。
その子は。
しばらく。
迷った。
そして。
両腕を。
ほんの少し。
広げた。
「……抱っこ」
息が。
止まった。
「え?」
「ママなら」
声が。
震える。
「抱っこ」
「してほしい」
涙が。
一気に。
溢れた。
私は。
すぐに。
駆け寄りたかった。
でも。
聞く。
「今?」
その子が。
頷く。
「うん」
「本当に?」
もう一度。
頷く。
「……うん」
私は。
ゆっくり。
近づいた。
そして。
両腕を。
広げる。
一瞬。
迷ったように。
立ち止まる。
でも。
次の瞬間。
小さな身体が。
私の胸に。
飛び込んできた。
「……っ」
抱きしめる。
懐かしい。
身体の。
大きさは。
変わった。
前より。
重い。
前より。
背が高い。
でも。
抱きしめたときの。
感覚。
「……」
腕の中に。
すっぽり。
入ってくる感じ。
頭を。
胸に。
押しつける感じ。
全部。
覚えている。
私は。
背中を。
ゆっくり。
撫でた。
一回。
二回。
何度も。
「……これ」
腕の中から。
声がする。
「うん?」
「ママの抱っこ」
「……」
涙で。
視界が。
ぼやける。
「分かる?」
「うん」
服を。
ぎゅっと。
掴まれる。
「顔」
「違うのに」
「うん」
「声も」
「違うのに」
「うん」
「抱っこ」
声が。
泣き声に。
変わる。
「ママや」
もう。
我慢できなかった。
「うん」
私は。
強く。
抱きしめた。
「ママだよ」
「……」
「ずっと」
「会いたかったよ」
「……ママ」
「うん」
「ほんまに」
「ママなん?」
「うん」
「ほんまに?」
「うん」
何回でも。
答える。
「ママ」
「うん」
「ママ!」
「うん」
そのたび。
腕に。
力が入る。
夫が。
少し離れたところで。
顔を。
手で覆っていた。
◇◇◇
しばらくして。
その子は。
私の腕の中から。
顔を上げた。
涙で。
ぐしゃぐしゃ。
「ママ」
「何?」
「なんで」
「うん」
「もっと早く」
「来てくれんかったん」
胸が。
痛む。
「怖かった」
私は。
正直に答える。
「信じてもらえないのが」
「……」
「みんなを」
「怖がらせるのも」
「嫌だった」
「……」
「でも」
私は。
頬の涙を。
親指で。
そっと拭う。
「会いたかった」
「毎日」
「……」
「みんなのこと」
「考えてた」
「ほんま?」
「ほんと」
「僕も?」
「当たり前でしょ」
私は。
少し笑う。
「一人も」
「忘れたことないよ」
その子が。
また。
泣く。
「……僕」
「うん」
「ママのこと」
「忘れそうで」
胸が。
ぎゅっと。
締めつけられた。
「顔とか」
「うん」
「声とか」
「少しずつ」
「……」
「思い出せんくなったら」
「どうしようって」
私は。
その子を。
もう一度。
抱きしめた。
「忘れてもいいよ」
身体が。
ぴくっと。
動く。
「え?」
「顔」
「忘れてもいい」
「声も」
「……」
「だって」
私は。
背中を。
撫でる。
「今」
「こうして」
「また会えたから」
「……」
「昔のママを」
「全部覚えてなくても」
「ママが」
「あなたのこと」
「覚えてる」
「……」
「それで」
「いいよ」
その子が。
私の胸に。
顔を埋めた。
「……やっぱり」
「何?」
「ママや」
私は。
泣きながら。
笑った。
「うん」
◇◇◇
少し。
落ち着いてから。
三人で。
ジュースを飲んだ。
その子は。
さっきまでの。
警戒が。
嘘みたいに。
私の隣に。
ぴったり。
座っている。
「近いね」
私が笑うと。
「ダメ?」
「ダメじゃない」
「じゃあいいやん」
「ふふっ」
夫が。
向かいから。
その様子を見る。
「……ほんま」
「何?」
「すごいな」
「何が?」
「顔」
「全然違うのに」
「うん」
「子どもら」
「分かるんやな」
私も。
不思議だった。
でも。
星が言っていた。
――ここが、ママだって言ってる。
きっと。
記憶って。
顔だけじゃない。
抱きしめ方。
手の温度。
言葉をかける順番。
心配するときの顔。
間の取り方。
そういう。
何でもないものを。
子どもは。
思っている以上に。
覚えているのかもしれない。
「パパ」
隣から。
声。
「何?」
「他の子にも」
「うん」
「ママやったって」
「言っていい?」
私は。
すぐに。
口を挟まなかった。
夫も。
少し考える。
「お前が」
「言いたいなら」
「ええよ」
「でも」
私は。
優しく言う。
「信じろって」
「言わなくていいよ」
「……」
「怖いって思う子も」
「いるから」
「うん」
「自分が会って」
「どう思ったかだけ」
「話してあげて」
その子が。
考える。
「じゃあ」
「うん」
「抱っこしたら」
「ママやったって言う」
私は。
思わず笑った。
「それでいいの?」
「うん」
そして。
少し。
得意そうな顔。
「ママの抱っこ」
「分かるもん」
また。
泣きそうになった。
◇◇◇
帰り際。
「ママ」
「うん」
その子が。
私の袖を。
掴む。
「次」
「いつ会える?」
胸が。
大きく鳴る。
「会いたいとき」
「え?」
「言って」
私は。
笑った。
「ママ」
「予定合わせるから」
「仕事あっても?」
「仕事ある日は」
「別の日にする」
「……」
「ちゃんと」
「会える日」
「作るよ」
その子が。
嬉しそうに。
頷いた。
そして。
もう一度。
ぎゅっと。
抱きついてくる。
私も。
抱きしめる。
「じゃあね」
「うん」
「ママ」
「またね」
その言葉。
またね。
今度が。
ある。
それだけで。
こんなにも。
嬉しい。
◇◇◇
夜。
陽向が。
私の部屋へ来た。
「どうだった?」
「……」
私は。
何も言わず。
陽向へ。
両腕を広げた。
「え?」
「抱っこ」
「……」
陽向が。
一瞬。
固まる。
「今?」
「うん」
「いいの?」
「うん」
次の瞬間。
優しく。
抱きしめられる。
私は。
その胸に。
顔を埋めた。
「今日ね」
「うん」
「抱っこしてって」
「言われた」
陽向の腕が。
少し。
強くなる。
「そっか」
「それで」
涙が。
出る。
「抱っこしたら」
「……」
「ママの抱っこだって」
「言ってくれた」
陽向が。
大きく。
息を吐いた。
「よかったな」
「うん」
「顔違うのに」
「うん」
「声も違うのに」
「うん」
私は。
陽向の服を。
握る。
「分かってくれた」
「そっか」
「私ね」
「うん」
「ずっと」
少し。
泣きながら笑う。
「ママって」
「顔とか」
「名前とか」
「そういうものだと」
「思ってたのかも」
「うん」
「でも」
「今日」
「違うんだって」
「思った」
陽向が。
背中を。
ゆっくり撫でてくれる。
「何が?」
「抱きしめ方も」
「声のかけ方も」
「その子を」
「ずっと見てきた時間も」
「……」
「全部」
胸に。
手を置く。
「ママなんだね」
陽向が。
少し笑った。
「うん」
「美月」
「何?」
「俺」
「星ちゃんに会ったときから」
「思ってたけど」
「うん」
「子どもたちの前の美月」
少し。
間。
「すげえ好き」
私は。
顔を上げる。
「急に何?」
「だって」
陽向が。
笑う。
「ちゃんと」
「ママなんだよ」
「……」
「俺が知らなかった」
「美月の三十四年が」
「見える感じする」
胸が。
温かくなる。
「そっか」
「うん」
「じゃあ」
「?」
私は。
少し。
意地悪く笑う。
「もっと」
「子どもたちの話」
「聞く?」
陽向の顔が。
ぱっと。
明るくなる。
「聞く!」
「食いつきすごい」
「だって」
「俺」
少し。
照れながら。
「美月のこと」
「全部知りたいし」
また。
胸が。
鳴った。
◇◇◇
その夜。
夫から。
新しいメッセージ。
『今日会った子が、帰ってからずっとママの話しとる』
私は。
思わず。
笑った。
続けて。
『それ聞いて、もう一人が会ってみたいって言っとる』
「……」
また。
一人。
私を。
見つけようとしてくれている。
でも。
その下に。
もう一文。
『ただ、一番小さい子はまだ難しいかもしれん』
指が。
止まった。
一番小さい子。
私がいなくなったとき。
まだ。
あまりにも。
幼かった。
私の顔を。
どれくらい。
覚えているんだろう。
声を。
抱っこを。
覚えているんだろうか。
もしかしたら。
私を。
母親だと。
分からないかもしれない。
胸が。
少し。
痛む。
でも。
今は。
先に。
結論を出さない。
私は。
夫へ。
返信した。
『うん。無理に会わせなくていいよ』
そして。
少し考えて。
もう一文。
『会いたいって思ってくれたときまで待つ』
送信。
陽向が。
隣から。
画面を見る。
「待てる?」
「……うん」
私は。
少し笑った。
「会いたいけど」
「うん」
「すごく」
「うん」
「でも」
スマートフォンを。
胸に抱く。
「ママだから」
今度は。
その言葉に。
迷いはなかった。
「待つよ」
顔が違っても。
声が違っても。
抱きしめれば。
分かってくれる子がいる。
でも。
分からない子がいても。
それでいい。
私は。
何度でも。
待つ。
何度でも。
会いに行く。
この子たちが。
自分の気持ちで。
もう一度。
私を。
『ママ』と呼べる日まで。