目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~
第43話 はじめまして、ママだよ
『ママってなに?』
夫から届いた。
その一文が。
翌朝になっても。
頭から。
離れなかった。
「……」
目を覚まして。
最初に。
思い出す。
一番小さい子。
私が。
いなくなったとき。
まだ。
あまりにも幼かった。
毎日。
抱っこして。
ご飯を食べさせて。
眠くなったら。
胸に顔を埋めてきて。
泣いたら。
私のところへ。
来てくれていた。
私にとっては。
全部。
はっきり。
覚えている。
でも。
あの子にとっては。
違う。
幼い子どもの。
数年は。
あまりにも大きい。
私が。
いない時間のほうが。
少しずつ。
当たり前になっていった。
だから。
『ママってなに?』
悪気なんて。
ない。
私を。
忘れたかったわけでもない。
ただ。
覚えていない。
「……分かってる」
私は。
自分に言った。
分かってる。
でも。
「……寂しい」
涙が。
一滴。
落ちた。
◇◇◇
その日の昼。
陽向から。
電話が来た。
『起きてた?』
「もうお昼だよ」
『いや』
少し。
言いにくそうな声。
『ちゃんと寝れたかなって』
「……寝たよ」
『そっか』
「うん」
沈黙。
陽向は。
きっと。
私から。
話すのを待っている。
だから。
私は。
言った。
「朝も」
『うん』
「やっぱり」
「考えちゃった」
『昨日の?』
「うん」
私は。
ソファの上で。
膝を抱える。
「忘れられてるんだなって」
『……うん』
「私ね」
「頭では」
「仕方ないって分かってる」
『うん』
「小さかったし」
「私がいなくなってから」
「時間も経ってるし」
『うん』
「でも」
声が。
震える。
「私は」
「全部覚えてるから」
『……』
「初めて抱っこしたときも」
「寝かしつけたときも」
「泣き止まなくて」
「一緒に泣きたくなった日も」
「全部」
涙が。
落ちる。
「私の中には」
「ちゃんとあるのに」
『うん』
「向こうには」
「ないんだって思ったら」
「……」
「寂しい」
陽向は。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
『美月』
「うん」
『思い出してもらわなくても』
「……え?」
『いいんじゃない?』
胸が。
少し。
ざわつく。
「どういうこと?」
『だって』
陽向が。
ゆっくり。
言葉を選ぶ。
『その子にとって』
『昔の美月を思い出すのが難しいなら』
「……」
『今の美月を』
『新しく知ってもらえばいいじゃん』
私は。
何も言えなかった。
『美月は』
『前と同じママに戻らなきゃって』
『思ってない?』
「……」
思っていた。
あの子が。
私の抱き方を。
思い出して。
ママ。
って。
呼んでくれる。
そんな。
再会を。
どこかで。
期待していた。
「……思ってた」
『そっか』
「うん」
『でも』
陽向が。
少し笑う。
『初対面でも』
『これから好きになってもらえるじゃん』
「……」
『ママとして』
「でも」
思わず。
言う。
「覚えてないのに」
『覚えてなくても』
陽向は。
すぐに返した。
『美月がその子のママだったことは』
『消えないでしょ』
胸が。
止まりそうになる。
「……うん」
『で』
『これからまた』
『ママになってけばいい』
涙が。
また。
溢れた。
「……陽向」
『何?』
「それ」
「すごいね」
『俺が?』
「うん」
『もっと褒めて』
「今ので終わり」
『短っ!』
思わず。
笑った。
でも。
胸の中。
昨日までとは。
少し。
違っていた。
思い出してもらう。
じゃない。
これから。
知ってもらう。
私は。
もう一度。
この子の。
ママになればいい。
◇◇◇
数日後。
夫から。
連絡が来た。
『一番下の子やけど』
胸が。
大きく鳴る。
『一ノ瀬紗良さんの写真見せた』
「……」
どうだった?
聞くのが。
怖い。
続けて。
メッセージ。
『「この人がママ?」って聞いとった』
私は。
スマートフォンを。
握りしめた。
そして。
さらに。
『会ってみる?って聞いたら』
一度。
息を止める。
『「お菓子くれる?」って』
「……」
数秒。
固まった。
そして。
「ふふっ」
笑ってしまった。
涙まで。
出てくる。
もう。
なんだろう。
こんなに。
怖がっていたのに。
本人は。
お菓子。
「……そうだよね」
まだ。
小さいんだもん。
ママが。
どうとか。
魂が。
どうとか。
そんな。
複雑なことより。
『知らない人に会う』
くらいの。
感覚なのかもしれない。
私は。
夫へ。
返した。
『あげるよ(笑)』
しばらくして。
『じゃあ会うって』
「……」
会える。
とうとう。
一番小さい子に。
会える。
嬉しい。
でも。
今度は。
少しだけ。
考え方を変える。
ママって。
分かってもらおうとしなくていい。
抱きしめてもらおうと。
しなくていい。
まず。
会う。
それでいい。
◇◇◇
当日。
私は。
小さな。
焼き菓子の袋を持って。
待ち合わせ場所へ向かった。
本当は。
好きだったお菓子を。
買いたかった。
でも。
やめた。
昔。
好きだったものと。
今。
好きなものが。
同じとは限らない。
私は。
あの子が。
今。
何を好きなのか。
知らない。
その事実も。
少し。
寂しい。
でも。
これから。
知ればいい。
「……よし」
私は。
扉の前で。
深呼吸した。
そして。
中へ入る。
「……」
夫がいる。
その隣。
小さな子。
私を見た。
じーっと。
見ている。
警戒しているというより。
不思議そう。
私は。
足を止めた。
大きくなった。
本当に。
大きくなった。
私の中では。
まだ。
抱き上げれば。
腕の中に収まっていた。
あの子。
でも。
今は。
自分の足で立って。
私を。
知らない人を見る目で。
見ている。
涙が。
出そうになる。
でも。
私は。
笑った。
「こんにちは」
その子は。
少し。
夫の後ろへ。
隠れた。
そして。
小さな声で。
「……こんにちは」
「うん」
それだけで。
十分。
「これ」
私は。
持っていた袋を見せる。
「約束のお菓子」
目が。
少し。
輝いた。
「ぼくの?」
「うん」
「全部?」
「全部は今日食べないよ」
反射的に。
言った。
「……」
夫が。
私を見る。
私も。
気づく。
初対面なのに。
もう。
母親。
してしまった。
その子は。
少し。
眉を寄せた。
「なんで?」
「お腹痛くなるから」
「ならん」
「なります」
「ならんもん」
「なったら困るでしょ」
「……」
夫が。
とうとう。
小さく笑った。
「何?」
私が。
見ると。
首を振る。
「いや」
「もう」
少し。
笑う。
「美月やなと思って」
「……」
その子が。
私を見る。
「みづき?」
心臓が。
大きく鳴った。
「うん」
私は。
しゃがむ。
「美月」
自分の胸に。
手を当てる。
「私の名前」
「さらじゃないの?」
「……」
夫から。
聞いていたんだ。
「今は」
少し迷う。
どう説明する?
難しい話は。
まだいらない。
「みんなには」
「紗良って呼ばれてる」
「ふーん」
「でも」
私は。
笑う。
「本当の名前は」
「美月」
その子が。
じっと。
私を見る。
「ママ?」
胸が。
締めつけられた。
でも。
私は。
すぐに。
『そうだよ』
とは。
言わなかった。
「うん」
少し。
間を置く。
「あなたを」
「産んだママ」
その子が。
首を傾げる。
「うんだ?」
「お腹の中に」
私は。
自分のお腹を。
指差す。
「ずっといたの」
「ぼくが?」
「うん」
「ここに?」
「うん」
「せまい」
思わず。
笑ってしまった。
「狭かったと思うよ」
「ぼく」
「おおきかった?」
「生まれたときは」
両手で。
大きさを。
作る。
「これくらい」
「ちっちゃ!」
「ちっちゃかったよ」
「ほんと?」
「ほんと」
その子が。
少し。
笑った。
それを見た瞬間。
胸が。
いっぱいになる。
ああ。
笑う顔。
こんなふうに。
なったんだ。
◇◇◇
三人で。
席に座った。
お菓子を。
一つだけ。
渡す。
「これ好き?」
「うん」
「そっか」
私は。
嬉しくなる。
一つ。
分かった。
今。
好きなもの。
「他に」
聞きたくなる。
でも。
質問攻めに。
しない。
その子が。
お菓子を食べる。
私は。
ただ。
見ていた。
すると。
「なに?」
「え?」
「なんで」
「ぼく見とるん?」
「……」
また。
やってしまった。
ずっと。
子どもを。
見てしまう。
「可愛いなって」
「……」
その子が。
きょとんとする。
「ぼくが?」
「うん」
「なんで?」
「なんでって」
私は。
少し笑う。
「可愛いから」
「……」
その子は。
照れたのか。
お菓子へ。
視線を戻した。
その仕草まで。
愛しい。
「ねえ」
今度は。
向こうから。
聞かれた。
「うん?」
「ママって」
胸が。
鳴る。
「なにするひと?」
私は。
すぐには。
答えられなかった。
何をする人。
ご飯を作る人?
抱っこする人?
お世話する人?
叱る人?
どれも。
そう。
でも。
どれも。
全部じゃない。
私は。
少し考えて。
言った。
「あなたのこと」
「?」
「ずっと」
胸に。
手を当てる。
「大好きな人」
その子が。
不思議そうな顔。
「ぼくのこと?」
「うん」
「ずっと?」
「ずっと」
「いまも?」
「今も」
「なんで?」
涙が。
出そうになる。
理由なんて。
ない。
「ママだから」
「……」
その子が。
また。
首を傾げる。
きっと。
まだ。
分からない。
それでいい。
私は。
笑った。
「でもね」
「うん」
「今は」
「ママって呼ばなくてもいいよ」
夫が。
少し。
私を見る。
「なんで?」
「だって」
私は。
その子を見る。
「まだ」
「私のこと」
「よく知らないでしょ?」
「うん」
迷いのない。
返事。
ちょっと。
胸に刺さる。
でも。
笑える。
「だから」
「これから」
「いっぱい」
「知ってくれたらいい」
「……」
「私も」
少し。
声が震える。
「今のあなたのこと」
「いっぱい知りたい」
その子が。
お菓子を。
一口。
食べる。
「いいよ」
「……いいの?」
「うん」
「じゃあ」
私は。
笑う。
「今」
「何が一番好き?」
「ゲーム」
即答。
「食べ物は?」
「からあげ」
「色は?」
少し考える。
答えてくれる。
一つ。
また一つ。
私の知らない。
今のこの子が。
増えていく。
それが。
寂しいんじゃなく。
嬉しかった。
◇◇◇
しばらくして。
その子が。
私のバッグを。
指差した。
「それなに?」
「これ?」
小さな。
キーホルダー。
陽向が。
前に。
買ってくれたもの。
「可愛いでしょ」
「うん」
「好き?」
「さわっていい?」
「いいよ」
私は。
バッグを。
少し近くへ。
寄せた。
その子が。
キーホルダーに。
手を伸ばす。
その拍子に。
私との距離が。
ほんの少し。
縮まる。
「……」
近い。
触れたい。
頭を。
撫でたい。
でも。
我慢する。
まだ。
私からは。
触らない。
すると。
突然。
その子が。
私の手を。
掴んだ。
「……っ」
身体が。
固まる。
本人は。
何も。
気にしていない。
キーホルダーを。
見やすくするため。
ただ。
私の手を。
動かしただけ。
それでも。
私は。
泣きそうになった。
久しぶりに。
触れた。
小さな手。
「どうしたん?」
その子が。
私を見る。
「……ううん」
私は。
笑った。
「何でもない」
「泣いとる?」
「ちょっと」
「なんで?」
「嬉しかったから」
「なんで?」
本当に。
なんでばっかり。
でも。
それも。
可愛い。
「手」
「?」
「繋いでくれたから」
その子は。
自分の手を見る。
それから。
私を見る。
「これ?」
もう一度。
ぎゅっと。
私の手を。
握った。
「……うん」
涙が。
落ちた。
「これ」
「嬉しい?」
「すごく」
その子が。
少し。
面白そうに。
笑う。
そして。
何度も。
私の手を。
ぎゅっ。
ぎゅっ。
と。
握る。
「いっぱい嬉しい?」
「ふふっ」
私は。
涙を拭う。
「いっぱい嬉しい」
「じゃあ」
ぎゅっ。
「これで?」
「うん」
ぎゅっ。
「これも?」
「うん」
「ふふっ」
楽しそうに。
笑っている。
ただ。
それだけ。
ママを。
思い出したわけじゃない。
抱きしめてくれたわけでも。
ない。
でも。
今。
この子は。
私と。
遊んでいる。
それで。
いい。
◇◇◇
帰る時間になった。
「じゃあ」
私は。
立ち上がる。
「今日は」
「会ってくれてありがとう」
その子も。
夫の隣に。
立つ。
「おかし」
「うん?」
「またくれる?」
「会うたびに」
「お菓子目当て?」
「うん」
即答。
夫が。
笑う。
私も。
笑った。
「じゃあ」
「お菓子なくても」
「会いたいって」
「思ってもらえるように」
「ママ頑張る」
その子が。
また。
首を傾げる。
「ママ?」
「あ」
私は。
少し笑う。
「美月」
「みづき」
「うん」
「みづき」
その名前。
子どもの口から。
呼ばれる。
胸が。
少し。
痛くて。
でも。
嬉しい。
「なに?」
「またね」
「……」
私は。
笑った。
「うん」
「またね」
夫と。
その子が。
歩いていく。
そして。
数歩。
行ったところで。
その子が。
急に。
振り返った。
「みづき!」
「何?」
「こんど」
少し考えて。
「ゲームしよ!」
胸が。
いっぱいになる。
「うん!」
私は。
大きく。
頷いた。
「しよう!」
「やった!」
そのまま。
走って。
夫のところへ。
戻る。
私は。
見えなくなるまで。
ずっと。
手を振った。
◇◇◇
帰宅して。
陽向に。
電話をした。
『どうだった?』
「ママって」
『うん』
「呼ばれなかった」
『そっか』
「美月って」
「呼ばれた」
『……うん』
「でもね」
私は。
笑う。
「手」
「繋いでくれた」
『マジ?』
「うん」
「何回も」
『そっか』
陽向の声が。
嬉しそう。
「それから」
「次」
「ゲームしようって」
『いいじゃん!』
「うん」
私は。
ソファに。
座る。
「私ね」
「今日」
「分かった」
『何が?』
「ママって」
「呼んでもらうことが」
「ゴールじゃないんだね」
『うん』
「この子は」
「私を覚えてない」
「……」
「だから」
少し。
涙が滲む。
「思い出させようとするんじゃなくて」
「今から」
「関係作ればいいんだって」
『うん』
「美月から始まっても」
『うん』
「いつか」
私は。
少し笑う。
「この人」
「好きだなって」
「思ってくれたら」
「それでいい」
陽向が。
静かに。
言った。
『それ』
『もうママじゃん』
「え?」
『自分をママって呼ばせることより』
『その子が安心して近づけること』
『考えてる』
「……」
『めっちゃママ』
涙が。
溢れた。
「……そっか」
『うん』
「じゃあ」
私は。
涙を拭う。
「急がない」
『うん』
「何回でも」
「会う」
『うん』
「遊んで」
「話して」
「今のあの子を」
「知る」
『うん』
「それで」
私は。
胸に手を当てる。
「もう一回」
「ママになる」
◇◇◇
その日の夜。
夫から。
一枚の写真が。
届いた。
今日。
私が渡した。
焼き菓子の袋。
その横で。
一番小さい子が。
笑っている。
そして。
メッセージ。
『帰ってから』
『「みづき、また来る?」って聞いとる』
「……」
涙が。
ぽろっと。
落ちた。
まだ。
ママじゃない。
でも。
また。
会いたいと。
思ってくれている。
それだけで。
十分。
私は。
返信する。
『行くよ』
迷わず。
続けた。
『何回でも会いに行く』
送信。
そして。
スマートフォンを。
胸に抱く。
あの日。
生まれたばかりの。
小さな身体を。
初めて抱いたとき。
私は。
心の中で。
言った。
――初めまして。
――ママだよ。
そして今。
もう一度。
同じ場所から。
始める。
顔も違う。
声も違う。
覚えても。
もらえていない。
それでも。
私は。
この子の母親。
だから。
焦らない。
押しつけない。
何度でも。
会って。
何度でも。
笑って。
少しずつ。
この子の。
安心できる人に。
なっていこう。
――初めまして。
――美月だよ。
そして。
いつか。
あなた自身が。
そう呼びたくなった日に。
もう一度。
言わせてね。
――ママだよ。
夫から届いた。
その一文が。
翌朝になっても。
頭から。
離れなかった。
「……」
目を覚まして。
最初に。
思い出す。
一番小さい子。
私が。
いなくなったとき。
まだ。
あまりにも幼かった。
毎日。
抱っこして。
ご飯を食べさせて。
眠くなったら。
胸に顔を埋めてきて。
泣いたら。
私のところへ。
来てくれていた。
私にとっては。
全部。
はっきり。
覚えている。
でも。
あの子にとっては。
違う。
幼い子どもの。
数年は。
あまりにも大きい。
私が。
いない時間のほうが。
少しずつ。
当たり前になっていった。
だから。
『ママってなに?』
悪気なんて。
ない。
私を。
忘れたかったわけでもない。
ただ。
覚えていない。
「……分かってる」
私は。
自分に言った。
分かってる。
でも。
「……寂しい」
涙が。
一滴。
落ちた。
◇◇◇
その日の昼。
陽向から。
電話が来た。
『起きてた?』
「もうお昼だよ」
『いや』
少し。
言いにくそうな声。
『ちゃんと寝れたかなって』
「……寝たよ」
『そっか』
「うん」
沈黙。
陽向は。
きっと。
私から。
話すのを待っている。
だから。
私は。
言った。
「朝も」
『うん』
「やっぱり」
「考えちゃった」
『昨日の?』
「うん」
私は。
ソファの上で。
膝を抱える。
「忘れられてるんだなって」
『……うん』
「私ね」
「頭では」
「仕方ないって分かってる」
『うん』
「小さかったし」
「私がいなくなってから」
「時間も経ってるし」
『うん』
「でも」
声が。
震える。
「私は」
「全部覚えてるから」
『……』
「初めて抱っこしたときも」
「寝かしつけたときも」
「泣き止まなくて」
「一緒に泣きたくなった日も」
「全部」
涙が。
落ちる。
「私の中には」
「ちゃんとあるのに」
『うん』
「向こうには」
「ないんだって思ったら」
「……」
「寂しい」
陽向は。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
『美月』
「うん」
『思い出してもらわなくても』
「……え?」
『いいんじゃない?』
胸が。
少し。
ざわつく。
「どういうこと?」
『だって』
陽向が。
ゆっくり。
言葉を選ぶ。
『その子にとって』
『昔の美月を思い出すのが難しいなら』
「……」
『今の美月を』
『新しく知ってもらえばいいじゃん』
私は。
何も言えなかった。
『美月は』
『前と同じママに戻らなきゃって』
『思ってない?』
「……」
思っていた。
あの子が。
私の抱き方を。
思い出して。
ママ。
って。
呼んでくれる。
そんな。
再会を。
どこかで。
期待していた。
「……思ってた」
『そっか』
「うん」
『でも』
陽向が。
少し笑う。
『初対面でも』
『これから好きになってもらえるじゃん』
「……」
『ママとして』
「でも」
思わず。
言う。
「覚えてないのに」
『覚えてなくても』
陽向は。
すぐに返した。
『美月がその子のママだったことは』
『消えないでしょ』
胸が。
止まりそうになる。
「……うん」
『で』
『これからまた』
『ママになってけばいい』
涙が。
また。
溢れた。
「……陽向」
『何?』
「それ」
「すごいね」
『俺が?』
「うん」
『もっと褒めて』
「今ので終わり」
『短っ!』
思わず。
笑った。
でも。
胸の中。
昨日までとは。
少し。
違っていた。
思い出してもらう。
じゃない。
これから。
知ってもらう。
私は。
もう一度。
この子の。
ママになればいい。
◇◇◇
数日後。
夫から。
連絡が来た。
『一番下の子やけど』
胸が。
大きく鳴る。
『一ノ瀬紗良さんの写真見せた』
「……」
どうだった?
聞くのが。
怖い。
続けて。
メッセージ。
『「この人がママ?」って聞いとった』
私は。
スマートフォンを。
握りしめた。
そして。
さらに。
『会ってみる?って聞いたら』
一度。
息を止める。
『「お菓子くれる?」って』
「……」
数秒。
固まった。
そして。
「ふふっ」
笑ってしまった。
涙まで。
出てくる。
もう。
なんだろう。
こんなに。
怖がっていたのに。
本人は。
お菓子。
「……そうだよね」
まだ。
小さいんだもん。
ママが。
どうとか。
魂が。
どうとか。
そんな。
複雑なことより。
『知らない人に会う』
くらいの。
感覚なのかもしれない。
私は。
夫へ。
返した。
『あげるよ(笑)』
しばらくして。
『じゃあ会うって』
「……」
会える。
とうとう。
一番小さい子に。
会える。
嬉しい。
でも。
今度は。
少しだけ。
考え方を変える。
ママって。
分かってもらおうとしなくていい。
抱きしめてもらおうと。
しなくていい。
まず。
会う。
それでいい。
◇◇◇
当日。
私は。
小さな。
焼き菓子の袋を持って。
待ち合わせ場所へ向かった。
本当は。
好きだったお菓子を。
買いたかった。
でも。
やめた。
昔。
好きだったものと。
今。
好きなものが。
同じとは限らない。
私は。
あの子が。
今。
何を好きなのか。
知らない。
その事実も。
少し。
寂しい。
でも。
これから。
知ればいい。
「……よし」
私は。
扉の前で。
深呼吸した。
そして。
中へ入る。
「……」
夫がいる。
その隣。
小さな子。
私を見た。
じーっと。
見ている。
警戒しているというより。
不思議そう。
私は。
足を止めた。
大きくなった。
本当に。
大きくなった。
私の中では。
まだ。
抱き上げれば。
腕の中に収まっていた。
あの子。
でも。
今は。
自分の足で立って。
私を。
知らない人を見る目で。
見ている。
涙が。
出そうになる。
でも。
私は。
笑った。
「こんにちは」
その子は。
少し。
夫の後ろへ。
隠れた。
そして。
小さな声で。
「……こんにちは」
「うん」
それだけで。
十分。
「これ」
私は。
持っていた袋を見せる。
「約束のお菓子」
目が。
少し。
輝いた。
「ぼくの?」
「うん」
「全部?」
「全部は今日食べないよ」
反射的に。
言った。
「……」
夫が。
私を見る。
私も。
気づく。
初対面なのに。
もう。
母親。
してしまった。
その子は。
少し。
眉を寄せた。
「なんで?」
「お腹痛くなるから」
「ならん」
「なります」
「ならんもん」
「なったら困るでしょ」
「……」
夫が。
とうとう。
小さく笑った。
「何?」
私が。
見ると。
首を振る。
「いや」
「もう」
少し。
笑う。
「美月やなと思って」
「……」
その子が。
私を見る。
「みづき?」
心臓が。
大きく鳴った。
「うん」
私は。
しゃがむ。
「美月」
自分の胸に。
手を当てる。
「私の名前」
「さらじゃないの?」
「……」
夫から。
聞いていたんだ。
「今は」
少し迷う。
どう説明する?
難しい話は。
まだいらない。
「みんなには」
「紗良って呼ばれてる」
「ふーん」
「でも」
私は。
笑う。
「本当の名前は」
「美月」
その子が。
じっと。
私を見る。
「ママ?」
胸が。
締めつけられた。
でも。
私は。
すぐに。
『そうだよ』
とは。
言わなかった。
「うん」
少し。
間を置く。
「あなたを」
「産んだママ」
その子が。
首を傾げる。
「うんだ?」
「お腹の中に」
私は。
自分のお腹を。
指差す。
「ずっといたの」
「ぼくが?」
「うん」
「ここに?」
「うん」
「せまい」
思わず。
笑ってしまった。
「狭かったと思うよ」
「ぼく」
「おおきかった?」
「生まれたときは」
両手で。
大きさを。
作る。
「これくらい」
「ちっちゃ!」
「ちっちゃかったよ」
「ほんと?」
「ほんと」
その子が。
少し。
笑った。
それを見た瞬間。
胸が。
いっぱいになる。
ああ。
笑う顔。
こんなふうに。
なったんだ。
◇◇◇
三人で。
席に座った。
お菓子を。
一つだけ。
渡す。
「これ好き?」
「うん」
「そっか」
私は。
嬉しくなる。
一つ。
分かった。
今。
好きなもの。
「他に」
聞きたくなる。
でも。
質問攻めに。
しない。
その子が。
お菓子を食べる。
私は。
ただ。
見ていた。
すると。
「なに?」
「え?」
「なんで」
「ぼく見とるん?」
「……」
また。
やってしまった。
ずっと。
子どもを。
見てしまう。
「可愛いなって」
「……」
その子が。
きょとんとする。
「ぼくが?」
「うん」
「なんで?」
「なんでって」
私は。
少し笑う。
「可愛いから」
「……」
その子は。
照れたのか。
お菓子へ。
視線を戻した。
その仕草まで。
愛しい。
「ねえ」
今度は。
向こうから。
聞かれた。
「うん?」
「ママって」
胸が。
鳴る。
「なにするひと?」
私は。
すぐには。
答えられなかった。
何をする人。
ご飯を作る人?
抱っこする人?
お世話する人?
叱る人?
どれも。
そう。
でも。
どれも。
全部じゃない。
私は。
少し考えて。
言った。
「あなたのこと」
「?」
「ずっと」
胸に。
手を当てる。
「大好きな人」
その子が。
不思議そうな顔。
「ぼくのこと?」
「うん」
「ずっと?」
「ずっと」
「いまも?」
「今も」
「なんで?」
涙が。
出そうになる。
理由なんて。
ない。
「ママだから」
「……」
その子が。
また。
首を傾げる。
きっと。
まだ。
分からない。
それでいい。
私は。
笑った。
「でもね」
「うん」
「今は」
「ママって呼ばなくてもいいよ」
夫が。
少し。
私を見る。
「なんで?」
「だって」
私は。
その子を見る。
「まだ」
「私のこと」
「よく知らないでしょ?」
「うん」
迷いのない。
返事。
ちょっと。
胸に刺さる。
でも。
笑える。
「だから」
「これから」
「いっぱい」
「知ってくれたらいい」
「……」
「私も」
少し。
声が震える。
「今のあなたのこと」
「いっぱい知りたい」
その子が。
お菓子を。
一口。
食べる。
「いいよ」
「……いいの?」
「うん」
「じゃあ」
私は。
笑う。
「今」
「何が一番好き?」
「ゲーム」
即答。
「食べ物は?」
「からあげ」
「色は?」
少し考える。
答えてくれる。
一つ。
また一つ。
私の知らない。
今のこの子が。
増えていく。
それが。
寂しいんじゃなく。
嬉しかった。
◇◇◇
しばらくして。
その子が。
私のバッグを。
指差した。
「それなに?」
「これ?」
小さな。
キーホルダー。
陽向が。
前に。
買ってくれたもの。
「可愛いでしょ」
「うん」
「好き?」
「さわっていい?」
「いいよ」
私は。
バッグを。
少し近くへ。
寄せた。
その子が。
キーホルダーに。
手を伸ばす。
その拍子に。
私との距離が。
ほんの少し。
縮まる。
「……」
近い。
触れたい。
頭を。
撫でたい。
でも。
我慢する。
まだ。
私からは。
触らない。
すると。
突然。
その子が。
私の手を。
掴んだ。
「……っ」
身体が。
固まる。
本人は。
何も。
気にしていない。
キーホルダーを。
見やすくするため。
ただ。
私の手を。
動かしただけ。
それでも。
私は。
泣きそうになった。
久しぶりに。
触れた。
小さな手。
「どうしたん?」
その子が。
私を見る。
「……ううん」
私は。
笑った。
「何でもない」
「泣いとる?」
「ちょっと」
「なんで?」
「嬉しかったから」
「なんで?」
本当に。
なんでばっかり。
でも。
それも。
可愛い。
「手」
「?」
「繋いでくれたから」
その子は。
自分の手を見る。
それから。
私を見る。
「これ?」
もう一度。
ぎゅっと。
私の手を。
握った。
「……うん」
涙が。
落ちた。
「これ」
「嬉しい?」
「すごく」
その子が。
少し。
面白そうに。
笑う。
そして。
何度も。
私の手を。
ぎゅっ。
ぎゅっ。
と。
握る。
「いっぱい嬉しい?」
「ふふっ」
私は。
涙を拭う。
「いっぱい嬉しい」
「じゃあ」
ぎゅっ。
「これで?」
「うん」
ぎゅっ。
「これも?」
「うん」
「ふふっ」
楽しそうに。
笑っている。
ただ。
それだけ。
ママを。
思い出したわけじゃない。
抱きしめてくれたわけでも。
ない。
でも。
今。
この子は。
私と。
遊んでいる。
それで。
いい。
◇◇◇
帰る時間になった。
「じゃあ」
私は。
立ち上がる。
「今日は」
「会ってくれてありがとう」
その子も。
夫の隣に。
立つ。
「おかし」
「うん?」
「またくれる?」
「会うたびに」
「お菓子目当て?」
「うん」
即答。
夫が。
笑う。
私も。
笑った。
「じゃあ」
「お菓子なくても」
「会いたいって」
「思ってもらえるように」
「ママ頑張る」
その子が。
また。
首を傾げる。
「ママ?」
「あ」
私は。
少し笑う。
「美月」
「みづき」
「うん」
「みづき」
その名前。
子どもの口から。
呼ばれる。
胸が。
少し。
痛くて。
でも。
嬉しい。
「なに?」
「またね」
「……」
私は。
笑った。
「うん」
「またね」
夫と。
その子が。
歩いていく。
そして。
数歩。
行ったところで。
その子が。
急に。
振り返った。
「みづき!」
「何?」
「こんど」
少し考えて。
「ゲームしよ!」
胸が。
いっぱいになる。
「うん!」
私は。
大きく。
頷いた。
「しよう!」
「やった!」
そのまま。
走って。
夫のところへ。
戻る。
私は。
見えなくなるまで。
ずっと。
手を振った。
◇◇◇
帰宅して。
陽向に。
電話をした。
『どうだった?』
「ママって」
『うん』
「呼ばれなかった」
『そっか』
「美月って」
「呼ばれた」
『……うん』
「でもね」
私は。
笑う。
「手」
「繋いでくれた」
『マジ?』
「うん」
「何回も」
『そっか』
陽向の声が。
嬉しそう。
「それから」
「次」
「ゲームしようって」
『いいじゃん!』
「うん」
私は。
ソファに。
座る。
「私ね」
「今日」
「分かった」
『何が?』
「ママって」
「呼んでもらうことが」
「ゴールじゃないんだね」
『うん』
「この子は」
「私を覚えてない」
「……」
「だから」
少し。
涙が滲む。
「思い出させようとするんじゃなくて」
「今から」
「関係作ればいいんだって」
『うん』
「美月から始まっても」
『うん』
「いつか」
私は。
少し笑う。
「この人」
「好きだなって」
「思ってくれたら」
「それでいい」
陽向が。
静かに。
言った。
『それ』
『もうママじゃん』
「え?」
『自分をママって呼ばせることより』
『その子が安心して近づけること』
『考えてる』
「……」
『めっちゃママ』
涙が。
溢れた。
「……そっか」
『うん』
「じゃあ」
私は。
涙を拭う。
「急がない」
『うん』
「何回でも」
「会う」
『うん』
「遊んで」
「話して」
「今のあの子を」
「知る」
『うん』
「それで」
私は。
胸に手を当てる。
「もう一回」
「ママになる」
◇◇◇
その日の夜。
夫から。
一枚の写真が。
届いた。
今日。
私が渡した。
焼き菓子の袋。
その横で。
一番小さい子が。
笑っている。
そして。
メッセージ。
『帰ってから』
『「みづき、また来る?」って聞いとる』
「……」
涙が。
ぽろっと。
落ちた。
まだ。
ママじゃない。
でも。
また。
会いたいと。
思ってくれている。
それだけで。
十分。
私は。
返信する。
『行くよ』
迷わず。
続けた。
『何回でも会いに行く』
送信。
そして。
スマートフォンを。
胸に抱く。
あの日。
生まれたばかりの。
小さな身体を。
初めて抱いたとき。
私は。
心の中で。
言った。
――初めまして。
――ママだよ。
そして今。
もう一度。
同じ場所から。
始める。
顔も違う。
声も違う。
覚えても。
もらえていない。
それでも。
私は。
この子の母親。
だから。
焦らない。
押しつけない。
何度でも。
会って。
何度でも。
笑って。
少しずつ。
この子の。
安心できる人に。
なっていこう。
――初めまして。
――美月だよ。
そして。
いつか。
あなた自身が。
そう呼びたくなった日に。
もう一度。
言わせてね。
――ママだよ。