『十五年越しの願いは、歪んだ家族に砕かれて――身ごもり秘書は幼馴染CEOの重すぎる執着愛から逃げられない』
第十二話 ――父帰還、動き出した歯車――
翌朝。
目を覚ました瞬間。
昨夜、洗面台の前で見た二本の線が、真っ先に頭へ浮かんだ。
まだ眠気の残る身体を起こし、何となく布団の上からお腹へ手を置く。
当然、昨日までと何も変わらない。
触れたところで、何かが分かるはずもない。
それなのに。
そこに手を置いたまま、しばらく動けなかった。
――ここに、いるかもしれない。
そう思うだけで。
今まで何気なく触れていた自分の身体が、急に大切な何かを抱えているように思えてくる。
「……まず、病院だよね」
声に出すと。
少しだけ頭が整理された。
遼河さんには、まだ何も言っていない。
昨夜は何度もスマートフォンを手に取った。
電話を掛けようとしてやめ。
メッセージを打っては消した。
伝えたくないわけではない。
むしろ。
本当なら、一番に伝えたい。
ただ。
今は検査薬で陽性が出ただけだ。
本当に妊娠しているのか。
順調なのか。
まずは自分の目と耳で、ちゃんと確かめたかった。
幸い。
今日は、もともと仕事が休みだった。
出勤日なら、きっとこうはいかなかっただろう。
突然休むなどと言えば。
遼河さんが「分かった」で済ませるとは、到底思えない。
何があった。
どこが悪い。
病院へ行くのか。
迎えに行く。
おそらく。
そこまで一気に来る。
「……今日が休みで良かった」
苦笑しながら身支度を整え、リビングへ向かった。
扉を開けると。
すぐに違和感に気づいた。
いつもならキッチンから食器の音がしている時間なのに。
今日は妙に静かだった。
「おはようございます、綾乃お嬢様」
「おはよう……」
声のした方へ顔を向けて。
足が止まった。
佐知子さんが、ダイニングテーブルの前に座っていた。
しかも。
妙に姿勢がいい。
そして何より。
顔が神妙だった。
「……何?」
「綾乃お嬢様。こちらへ」
「何、その顔。朝から怖いんだけど」
「いいから、お座りください」
嫌な予感しかしない。
言われるまま向かいへ腰を下ろすと。
佐知子さんはすぐには何も言わず、じっと私の顔を見た。
この顔には覚えがある。
子どもの頃から、何度も見てきた。
何かを隠して。
自分では上手く誤魔化せているつもりなのに。
結局すべて見抜かれてしまった時の顔だ。
「綾乃お嬢様」
「……はい」
「私が気づいていないとでも思いましたか?」
心臓が跳ねた。
それでも反射的に。
「何に?」
と、聞き返してしまった。
佐知子さんの片眉が。
ほんの少し上がる。
――駄目だ。
これは誤魔化せない。
そう悟った直後。
佐知子さんが傍らに置いていたものを手に取った。
「……あ」
妊娠検査薬の箱だった。
昨夜。
洗面所のゴミ箱の奥へ押し込んだはずのもの。
「今朝、洗面所のゴミをまとめた時に見つけました」
「……結構、奥に入れたんだけど」
「詰めが甘いですね」
「最近、そればっかり言われる……」
ぼやくと。
佐知子さんの口元が、ほんの少し緩んだ。
「ですが、この箱を見て初めて気づいたわけではありませんよ」
「え?」
「最近のお嬢様を見ていれば、何となく分かります。コーヒーの香りを避けるようになって、食事の好みも少し変わったでしょう。眠そうになさっていることも増えましたし」
「そんなに分かるもの?」
「長くお世話していれば、それくらいは分かります。それに――」
佐知子さんの表情が、ふっと柔らかくなる。
「私も女性ですし、母ですから。うふふ」
「……何、その笑い」
「何でもありませんよ」
「絶対、何か分かってる顔してる」
「さて、何のことでしょう」
何食わぬ顔で箱をテーブルへ置く佐知子さんに。
私は小さく息を吐いた。
昔から。
この人には敵わない。
少しして。
佐知子さんの表情が、また真面目なものへ戻った。
「聞くべきかどうかは迷いました。お嬢様には、お嬢様のお考えがありますから」
そして。
声を少し落とす。
「まだ、どなたにもお話ししておりません」
私は思わず顔を上げた。
「……遼河さんにも?」
「もちろんです」
迷いのない返事だった。
「これは綾乃お嬢様ご自身がお話しになることです。私が勝手に藤和様へお知らせすることではありません」
「……ありがとう」
自分でも分かるほど。
肩から力が抜けた。
昨日から。
一人で抱えていた。
嬉しいのか。
怖いのか。
これからどうしたいのか。
自分でもまだ答えが出ていないまま。
二本の線だけを見つめていた。
誰かに知られるのが怖かったはずなのに。
佐知子さんに知られた今は。
不思議と少し安心している。
「まだ藤和様には、お話しにならないんですか?」
「話したくないわけじゃないの。昨日分かったばっかりでしょう? まだ検査薬だけだし……」
膝の上で組んだ指へ目を落とす。
「だから、まず病院へ行きたい。本当に妊娠してるのか、ちゃんと診てもらって。それから話す」
目を覚ました瞬間。
昨夜、洗面台の前で見た二本の線が、真っ先に頭へ浮かんだ。
まだ眠気の残る身体を起こし、何となく布団の上からお腹へ手を置く。
当然、昨日までと何も変わらない。
触れたところで、何かが分かるはずもない。
それなのに。
そこに手を置いたまま、しばらく動けなかった。
――ここに、いるかもしれない。
そう思うだけで。
今まで何気なく触れていた自分の身体が、急に大切な何かを抱えているように思えてくる。
「……まず、病院だよね」
声に出すと。
少しだけ頭が整理された。
遼河さんには、まだ何も言っていない。
昨夜は何度もスマートフォンを手に取った。
電話を掛けようとしてやめ。
メッセージを打っては消した。
伝えたくないわけではない。
むしろ。
本当なら、一番に伝えたい。
ただ。
今は検査薬で陽性が出ただけだ。
本当に妊娠しているのか。
順調なのか。
まずは自分の目と耳で、ちゃんと確かめたかった。
幸い。
今日は、もともと仕事が休みだった。
出勤日なら、きっとこうはいかなかっただろう。
突然休むなどと言えば。
遼河さんが「分かった」で済ませるとは、到底思えない。
何があった。
どこが悪い。
病院へ行くのか。
迎えに行く。
おそらく。
そこまで一気に来る。
「……今日が休みで良かった」
苦笑しながら身支度を整え、リビングへ向かった。
扉を開けると。
すぐに違和感に気づいた。
いつもならキッチンから食器の音がしている時間なのに。
今日は妙に静かだった。
「おはようございます、綾乃お嬢様」
「おはよう……」
声のした方へ顔を向けて。
足が止まった。
佐知子さんが、ダイニングテーブルの前に座っていた。
しかも。
妙に姿勢がいい。
そして何より。
顔が神妙だった。
「……何?」
「綾乃お嬢様。こちらへ」
「何、その顔。朝から怖いんだけど」
「いいから、お座りください」
嫌な予感しかしない。
言われるまま向かいへ腰を下ろすと。
佐知子さんはすぐには何も言わず、じっと私の顔を見た。
この顔には覚えがある。
子どもの頃から、何度も見てきた。
何かを隠して。
自分では上手く誤魔化せているつもりなのに。
結局すべて見抜かれてしまった時の顔だ。
「綾乃お嬢様」
「……はい」
「私が気づいていないとでも思いましたか?」
心臓が跳ねた。
それでも反射的に。
「何に?」
と、聞き返してしまった。
佐知子さんの片眉が。
ほんの少し上がる。
――駄目だ。
これは誤魔化せない。
そう悟った直後。
佐知子さんが傍らに置いていたものを手に取った。
「……あ」
妊娠検査薬の箱だった。
昨夜。
洗面所のゴミ箱の奥へ押し込んだはずのもの。
「今朝、洗面所のゴミをまとめた時に見つけました」
「……結構、奥に入れたんだけど」
「詰めが甘いですね」
「最近、そればっかり言われる……」
ぼやくと。
佐知子さんの口元が、ほんの少し緩んだ。
「ですが、この箱を見て初めて気づいたわけではありませんよ」
「え?」
「最近のお嬢様を見ていれば、何となく分かります。コーヒーの香りを避けるようになって、食事の好みも少し変わったでしょう。眠そうになさっていることも増えましたし」
「そんなに分かるもの?」
「長くお世話していれば、それくらいは分かります。それに――」
佐知子さんの表情が、ふっと柔らかくなる。
「私も女性ですし、母ですから。うふふ」
「……何、その笑い」
「何でもありませんよ」
「絶対、何か分かってる顔してる」
「さて、何のことでしょう」
何食わぬ顔で箱をテーブルへ置く佐知子さんに。
私は小さく息を吐いた。
昔から。
この人には敵わない。
少しして。
佐知子さんの表情が、また真面目なものへ戻った。
「聞くべきかどうかは迷いました。お嬢様には、お嬢様のお考えがありますから」
そして。
声を少し落とす。
「まだ、どなたにもお話ししておりません」
私は思わず顔を上げた。
「……遼河さんにも?」
「もちろんです」
迷いのない返事だった。
「これは綾乃お嬢様ご自身がお話しになることです。私が勝手に藤和様へお知らせすることではありません」
「……ありがとう」
自分でも分かるほど。
肩から力が抜けた。
昨日から。
一人で抱えていた。
嬉しいのか。
怖いのか。
これからどうしたいのか。
自分でもまだ答えが出ていないまま。
二本の線だけを見つめていた。
誰かに知られるのが怖かったはずなのに。
佐知子さんに知られた今は。
不思議と少し安心している。
「まだ藤和様には、お話しにならないんですか?」
「話したくないわけじゃないの。昨日分かったばっかりでしょう? まだ検査薬だけだし……」
膝の上で組んだ指へ目を落とす。
「だから、まず病院へ行きたい。本当に妊娠してるのか、ちゃんと診てもらって。それから話す」