【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―
第51話 紅い瞳のその本性
「アルテノット男爵夫人……」
え?
……この人が?
扉の向こうから、かすかな弦楽の旋律が滲んでくる。
控えの小部屋は、さっきまでと同じように静かだった。
でも、あたしの胸の内は、すでに落ち着きが無くなっていた。
あらためて彼女の感情色をじっと見てみる。
――強い好奇の感情色。 イエローというよりゴールドに近い。
あたしが名乗った「ゼオファルド」の名を気にしているようだった。
それ以外に感情色は視えない。
オジさまの情報によると、エドリック・アルテノット男爵自身が錬金術の知識を持っている。
だから、ノクセリウムを作った犯人で間違いないだろう、とは聞いていた。
……そうすると、奥さんは?
会った時から視えていた慈しみと心配の色は間違いなく本物。
しかも、うんと鮮やかな翠色だった。
あたしを慰めてくれて、気遣ってお茶まで入れてくれて……
悪意だって一切視えない。
ちょっと表情の変化に乏しい感じはする。
だけど、貴族令嬢たるもの、自分の機嫌はあまり周りには見せないんじゃないかな。
縦ロール令嬢は例外だったと信じたい。
うん。
この人は何も知らない可能性が高い。
「わたくしの顔が、どうかしたのかしら」
「え!? あ、その……すっごく気品に溢れた人だな、って思って!」
「ありがとう。 よく言われます」
凄い。
あたしの誉め言葉を真正面から受け止めるその姿勢。
これは生まれた時からの淑女で高貴なお貴族さまだ。
位は高くても優しそうな人だし、ちょっとお話を聞いてみようかな。
危ない事はなさそうだし。 ……何よりオジさまの役に立つのなら!
「えっと、リセリーナさま…………ううん、リセリーナさんとお呼びしても良いですか?」
親しくなるにはまず呼び名から!
「あら、素敵ね。 嬉しいわ。 では、わたくしもハルネさんとお呼びしますね」
ちょっと無礼かな?とは思ったけれど、リセリーナさんは快諾してくれた。
「リセリーナさんのドレス、純白でキラキラしてて、とってもおキレイですね!」
まずは褒めから。 会話の基本だ。
「ありがとう。 ハルネさんのドレスもステキですよ。 仕立てた方はアナタという人を良く理解していますのね。 とても似合っています」
「あ、ありがとうございます! リセリーナさんのドレスもよくお似合いです! やっぱり旦那さまに贈っていただいたんですか?」
隙あらば男爵の事を捻じ込んでみる。
……ちょっとわざとらしかったかな?
「いいえ、ドレスはわたくしが選んだものです。 このチョーカーは、夫に着けてもらった物ですが」
「旦那さまにですか? ステキですね! ……男爵さまのお名前を伺っても良いですか?」
「ええ。 エドリック・アルテノット男爵。 わたくしの夫ですわ」
意外にもあっさり答えてくれた。
エドリック・アルテノット男爵…………やっぱり、間違いない!
「リセリーナさんは……」
「何かしら」
「……旦那さまを、愛してらっしゃるんですか?」
何げなく聞いた質問だった。
さっき、あたしを慰めてくれた時の口ぶりが気になったから。
しかし、その軽い気持ちで聞いた質問から、思いもしないリアクションが返って来た。
――え? な、なに? あっつっ!
それは……言うなれば、熱い波。
アクティブにしていないエモパレの感知を貫通した、リセリーナさんの感情の温度だった。
「ええ、そうですね。 わたくしは、夫をとても愛しています」
――それは桃色を遥かに通り越した、まるでルビーのような鮮烈な愛情の色だった。
淡々とした口調に似合わない、強烈な感情。
実際の熱波では無いはずなのに、思わず腕で身体を庇ってしまった。
「どうかしましたか?」
「あ、あぁ! 何でもないんです! リセリーナさんが旦那さんを本当に愛しているんだなというのが、つ、伝わってきて……」
「そう」
「あ、あの、その旦那さんは、今どちらにいらっしゃるんですか?」
何とか気を持ち直して、質問を重ねる。
「夫は今、ホールの方で少しでも知己を得ようと努めています」
「へ、へぇ」
「今度、わたくしたちのお屋敷で、初めての社交パーティーを開きますのよ」
先ほど見せた激情なんかまるで無かったかのように……
穏やかな顔で答えてくれるリセリーナさん。
今も愛情の感情色は一切変わらず。
すごいその……我の強い方なのかも。
ちょっと怖い。
でも社交パーティーって……?
オジさまの話だと、アルテノット男爵は社交性が皆無みたいな話じゃなかったっけ?
「ハルネさんは……」
「え? あ! はい!」
「ゼオファルド卿とは、どのようにお知り合いになったのですか?」
「え? あっ、と、それは……」
「わたくしの知るゼオファルド卿は、女性嫌いで名を知られていたはずですが」
「女性嫌い……」
リオーネさんや侯爵さまも言ってたけど、そんなかなぁ?
「あた……私にはとっても優しいですよ?」
「面白い方ね。 ハルネさんって」
「? ありがとうございます。 オジ……ヴァルさまとは、私のお店が事件に巻き込まれた時に知り合って、それからその……私の方が…………好きになっちゃって」
「あら、ステキ。 令嬢方が好みそうなお話ですわね」
まさかその事件に貴方の旦那さまが関わっていましたよ、なんて言えない。
「そのゼオファルド卿は今どちらにいらして? こんなアナタを差し置いて」
リセリーナさんが、あたしのドレスの染みに視線を落とす。
「えっと、そのぉ、ヴァルさまは、用事があって……」
貴方の旦那様を調べてますよ、なんて言えない。
「薄情なものですね。 このような可愛らしい奥様を放っておくなんて」
言い方にちょっとトゲがあった。
やっぱりリセリーナさんはオジさまをよく知っている?
「あ、あはは! 私が悪いんです。 ちょっとお嬢様方に生意気な口を聞いてしまいましたから」
「ですが、衝動的に飲み物を掛けるとは、粗暴ですね」
「洗礼だって言ってました。 それくらい生意気だったんだと思います」
最初に水を避けちゃったのもあるし、アレが癇に障ったのだろう。
「あの方たちも、初めはそこまでする気は無いと言っていました」
「そんな事言ってたんですか?」
「ええ。 どうやら、感情が増幅するというのは確かなようですね」
――空気が変わった。
ん?
え?
……ちょっと理解できなかった。
話が繋がってなかった。
リセリーナさんは、今、何て言ったの?
「あの、リセリーナさん? 感情が増幅? って、どういう……」
「そのままの意味です。 ハルネさんまで曇らせてしまうとは思いませんでしたが……効果を確かめる良い機会にはなりました」
「効果? 確かめる?」
「ええ。 でも、聞いていたほどではありませんでしたね。 一人分を三人分で割ったからでしょうか」
ちょ、ちょっと待ってっ!
何の話をしているの!?
ずっとお互いに和やかにお話しているつもりだった。
リセリーナさんの表情も口調も、スンとしたまま一切変わらない。
このケーキ、思ったよりベリーの酸味が強いわね? みたいな言い方で……
まるで日常会話のように話しているけれど、これは……っ!?
「ちょ、ちょ……ちょっと待ってリセリーナさん!」
「なにかしら」
「えっとその、ハ、ハッキリ聞きますけど、あの令嬢たちに、く、薬を、盛ったんですか!?」
「ええ、そうね」
あたしの方も、いくら何でも聞き方が直接的過ぎたと思った。
けれど、リセリーナさんは、本当にあっさりその事を認めた。
全く悪びれる様子も無い。
「ど、どうして……な、なぜ、そんなことを?」
「なぜ、と申されても……ノクスミアの効果を確かめてみたくて」
ノクスミア? ……ノクセリウムじゃなくって?
名前と口ぶりからすると、きっと改造薬だ。
いや、今はそんな事よりも……!
「そんな……効果も怪しい薬を、ただ知りたいってだけで、飲ませたんですか!?」
「ええ」
「え? だ、だって、そんな怪しい薬を飲ませて……か、彼女たちがどうなるか考えなかったんですかっ!?」
「知りたかったものですから」
あたしも調薬に携わる者として、怪しい薬を勝手に飲ませるなんて絶対に許されない事……
ううん、そんなの関係ない。
人として……おかしい!
思えばずっと違和感があった。
リセリーナさんの話し方はやけに淡々としていて……
高貴なお嬢様ってそんな感じなのかなって思ってた。
でも違う。
さっき、旦那さんへの愛情の強さを見て分かった。
感情と話しぶりが、チグハグなんだ。
言葉をなぞっただけのような口ぶりで。
なのに、気持ちは確かにあって……
上手く言えないけど、そう、”ズレ”てる。
でも、そんな事よりも、今、あたしはとっても怖い。
何が怖いのかって……
「……」
この、何かあったかしら?と、とぼけたような表情をしているリセリーナさんの感情色には……
――これっぽっちも、悪意の感情色が視えなかった。
そこにあるのは興味と心配の色だけ。
この心配もきっと、令嬢たちに向けてじゃない。
今、様子のおかしいあたしに向けられたモノだ。
出会った時から、あたしに対して見せてくれている慈しみの感情は、紛れもなく本物。
でも、人を害してる自覚があって、ほんの欠片も悪意を抱かない人なんて、見た事なかった。
分からない。
この人がまるで理解できない。
こ、怖い……
「あら」
――リセリーナさんの感情色が、急激に興味のイエローゴールドに染まる。
「ハルネさん……アナタ」
リセリーナさんの鮮やかなルビー色の瞳が、不意に迫る。
思わず仰け反ったあたしの膝がテーブルにあたり、衝撃でカップがガチャリと鳴った。
「アナタ、異能持ちなのですね?」
「ひくっ!」
え!? ……なんで!?
「時折、瞳の色が揺らいでいるのが気になっていました。 それに、さきほどからわたくしを見る目が、まるで観察をしているようで」
「……うっ」
リセリーナさんの手が、あたしの頬にそっと添えられた。
顔が近づく。
紅い瞳と目が合って、その視線に縫い止められたように逸らせなくなった。
そして、彼女は……にっこりと……楽しそうな笑みを見せた。
まるで新しいおもちゃを見つけた時の子供のように。
「あら、やっぱり。 魔眼ですね。 ウフフ……ハルネさん、アナタのその魔眼は何が視えるのかしら。 感情? 心の声? あるいはわたくしの未来でしょうか。 ウフフフ」
「ひっ……」
「ステキな瞳ね。 とっても……面白いですわ、ハルネさん」
リセリーナさんの紅い瞳が、すぐ目の前にある。
っ、はぁ……はぁ……!
い、息が、うまく吸えない……!
その時。
鋭いノックが、小部屋の静けさを破った。
次の瞬間、返事を待たずに扉が開く。
「……失礼する! っ、ハルネ! やはりここにいたか!」
その声を聞いた瞬間、止まっていた呼吸が戻った。
胸が詰まって、目頭が一気に熱くなる。
離れていたのは、ほんの少しの間。
けれど、あたしはずっとずっと、その声を待っていた。
小部屋に勢いよく踏み込んで来たのは……
今宵のあたしの旦那様――ヴァルさまだった。