【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―
第53話 本物の夫婦と、夫婦(仮)
リセリーナさんが、アルテノット男爵と思しき人に駆け寄る。
先ほどまでの淡々とした態度と違い、頬を上気させたその表情は、恋する乙女を思わせた。
アルテノット男爵の、肩とふくよかなお腹にそっと手を添えるリセリーナさん。
その柔らかな手つきは、長年連れ添った夫婦のように見えた。
しかし、当のアルテノット男爵は、なぜかその妻に向けて……
――疑惑の、訝しみの感情色を見せていた。
あたしはそんな二人の様子や感情よりも、この男爵さまの容姿に目が行っていた。
……この人が?
くすんだ栗毛色の髪は、所々クセっ毛が跳ねている。
自信の無さそうな弱気な顔に、仕立ては良さそうだけど、どこか着られた感じのするダークグリーンの礼装。
言葉を選ばずに言えば、「冴えない」。
そして、何よりもその、丸みを帯びた腹部と体型に、目を離せなかった。
絶世の美女と呼んで差し支えないリセリーナさんが、愛情を向ける相手とは思えない。
だけど……
――リセリーナさんの鮮やかな愛情色には一片の濁りも無い。
そこにあるのは、ただ、美しい妻に愛されている夫。
太っている夫を、愛している妻。
胸の奥で、ピシリと何かにヒビが入る音がした。
あたしの中の、何かが砕けて使えなくなったのが分かった。
それが何なのかは、今は分からない。
けれど、今目の前に、あたしの理解できないモノが存在している。
それがひどく……怖かった。
「リ、リセリーナ……こ、ここで、何をしていたんだ!?」
妻と目を合わせられず、視線を泳がせながら疑問を口にするアルテノット男爵。
彼の言葉に対し、リセリーナさんの顔に喜色が浮かぶ。
「少し気分が悪くなって、ここで休んでいただけですの。 そちらのヴァルグレイ様に、介抱してもらっていたのです」
「えっ!?」
「…………」
その言葉に驚いて、思わず声を漏らしてしまったが、オジさまは何故か反論しなかった。
代わりに反論したのは……
「……そ、それは嘘だよ、リセリーナ。 ぼ、僕は、ゼオファルド卿を追ってここまで来たんだ。 そんなハズは、無いよ……」
さっきよりさらに悲痛な表情を見せるアルテノット男爵。
その表情を見て、リセリーナさんは一層満足そうに微笑んだ。
「あら、バレてしまいましたわ。 ウフフ」
何の悪びれも無く、そう口にするリセリーナさん。
躊躇いも、罪悪感もそこにはなく、感情色に揺らぎもなかった。
「……これだから恐ろしいのだ。 この女は」
そう呟いたオジさまの表情にも、苦々しいモノが混じっていた。
「そんな事よりも旦那様、例の用件はもう済みまして?」
もう、今の話はどうでもいいとばかりに、話を振るリセリーナさん。
「あ、ああ。 ちゃんとキミが言った通り、挨拶に、パ、パーティーの件も色んな人に伝えたよ」
「そう」
「こ、こういうのは苦手だけど、が、頑張ったよ」
アルテノット男爵の表情が緩む。
人付き合いが苦手と言うのは本当みたいだった。
彼から、褒めてほしいというオーラが滲み出る。
――パァン!
突然、乾いた音が響き渡る。
でも、その音の元凶はすぐに分かった。
「……ど、どうして」
そこには、引き攣って泣きそうな表情に変わったアルテノット男爵。
そして、彼の頬を張ったばかりのリセリーナさんの姿があった。
涙が滲み、痛々しく辛そうな表情に変わるアルテノット男爵。
それを見て、さらに満足そうな顔を見せるリセリーナさん。
「あら、ステキな顔よ。 愛しているわ、エドリック」
――ルビー色の感情色が、一層濃くなったような気がした。
「帰りましょう、旦那様」
涙を滲ませたままのアルテノット男爵と腕を組み、そのまま部屋を出て行こうとするリセリーナさん。
彼女は、呆気に取られているあたし達の方へ振り向くと……
「わたくし、彼の、困った顔が好きなんですの」
と、笑顔で言った。
……………
「そうそう、ハルネさん。 わたくし、アナタのことがとても気に入りました。 是非わたくし達のパーティーにも、いらして?」
最後にそう言い残し、アルテノット夫妻は部屋を後にしていった。
「はぁ~っ……」
大きな吐息が漏れた。
まるで、何かから解き放たれたかのように。
……正直、どっと疲れてしまった。
この短い時間に、色んな事があり過ぎて……何をどう考えたらいいか分からない。
……整理、したい。
「……大丈夫か。 ハルネ嬢」
その呼ばれ方に、喪失感のような、寂しさの風が胸に吹きこんだ。
……今は周りに誰もいないから、当たり前のハズなのに。
返事を返さないあたしの様子がおかしいと感じたのか。
オジさまはあたしの目の前にしゃがみこみ、目線を合わせてくれた。
「……無理もない、ヤツの毒気に当てられてはな」
そうじゃないんだけど、それもある。
「オ……ヴァルさまは、リセリーナさんの事を知っているのね?」
「……ああ、リセリーナ・オルヴェリス公爵令嬢。 今は「元」か。 ……結婚を挟んで、もしやと期待したが、性根は露ほども変わらないようだ」
オジさまは嫌悪感たっぷりに、そう吐き捨てる。
オジさまが女性嫌いって色んな人から聞いた。
だけれども、あの人相手では女性嫌いがどうのというレベルでは無い気がする。
リセリーナさんからは、もっとなんだか……人として性質の異なる何かを感じた。
「……この、ドレスの染みもヤツのせいでは無いのだな?」
「え? えっと、あの……これは…………その」
まだ頭が混乱しているせいか、うまく言葉が出てこない。
ただ素直に言えばいいんだ。
「あははっ! ちょっとお嬢様方にちょっかい掛けられちゃってさ!」って。
普段なら言えたはずだった。
なぜだか分からないけど、今は、言えなかった。
――オジさまに迷惑をかけちゃダメだ!
そんな焦燥ばかりが前に出て、言葉が詰まって出てこない。
絞り出すように出てきたのは……
「…………帰りたい」
そんな……ひどく、弱気な言葉だった。
オジさまは、あたしの呟きを耳にして、痛々しい表情を滲ませた。
「……ああ、もう用は済んだ。 帰ろう」
「あっ……違うの! 大丈夫だよ! あたしはまだ……!」
すぐに自分が口に出した言葉を後悔した。
摩耗した心と頭は、言い訳の言葉すら紡いでくれなかった。
「いや、もう本当に目的は済んでいるんだ。 心配するな、大丈夫だ」
「だって……」
「……いいか、落ち着いて、よく聞いてくれ」
オジさまは、気持ちの逸るあたしの肩に両手を置いて、優しく説き伏せるように言う。
「……キミの役目はただ一つ。 私と共に入場し、私が自由に動ける状況を作る事。 それはもう十分だ。 キミはすでに役目を果たしているんだ」
「でも……」
「さらに言えば、キミは調査対象である男爵の妻と接触し、目的も引き出せた。 これは役目を超えたお手柄だ、ハルネ嬢。 本当によくやった。 もう、十分だ」
「…………」
「アルテノット夫妻の確認も済んだ。 むしろ、もう引き上げ時だ」
「うん……」
「……そうか。 よかった」
オジさまにしては饒舌な言葉を聞いて、あたしは少しだけ安心を取り戻した。
立ち上がりざま、頭をポンと撫でてくれた。
髪が崩れないよう、うんと優しく……
その優しさに、また泣きそうになった。
さっき言われた、「愛する妻」という言葉が、耳の奥で再び揺れた。
アレは本心だったの?
あの場を引かないための口実?
ウソとは思えない。
けど、ホントだと確証も持てない。
あたしなんかが……という言葉が出そうになる。
その時、リセリーナさんの愛情色と、ふくよかなアルテノット男爵の姿が浮かんだ。
太ってても、あんなに強い愛情を抱いてくれる。
じゃあ、今まであたしが悩んで来たことは……?
考えるとまた心が苦しくなって、思わず胸のあたりを握りしめた。
そんなあたしの姿が痛々しく見えてしまったのか。
オジさまは、傍で、じっと待っていてくれた。
その表情がすごく痛ましく見えて、それが辛くて……なぜだか嬉しかった。
少し経って、多少の落ち着きを取り戻せた。
顔を上げたあたしを見て、オジさまがそっと手を差し出す。
少し迷って、その手を取る。
そのまま、縋るようにオジさまの腕に寄りかかりながら……あたし達は、控えの小部屋を出た。
「愛情って……何なんだろう」
ふと呟いたその問いは、宙に浮かんだまま、静かな廊下に溶けていった。