【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―

第54話 帰りの馬車で、また一歩



 馬車の窓の外、魔石ランプの灯りに彩られた夜の街の景色が、ゆらゆらと流れていく。

 石畳を踏む車輪の音は、どこか遠くの出来事のように輪郭が無かった。

 防音の魔道具のおかげか、それが耳障りに感じる事はない。
 ただ、揺れだけが、現実を教えてくれていた。

 遠くに見えた橙色の灯り。
 さきほどまで滞在していた侯爵邸はもうすでに遠い場所。


――さっきまであそこにいたんだ。 あんな、賑やかな場所に……


 いたたまれなくなり、窓の外から正面へと視線を戻す。
 すると、オジさまが静かにこちらを見据えていた。

 強い存在感。
 でも緊張した感じはしない。

 表情からは感情を読み取れない。 
 あたしから視線を外す事は無く、ただ自然体で見つめていた。

 気を遣ってくれている事は伝わって来た。
 居心地の悪さから、今度は下に視線を落とす。
 暗い馬車内でも分かるくらい、ワインの赤い染みが見てとれた。

――目を逸らすようにギュッと目を閉じた。

 綺麗なドレス……汚しちゃった…………ごめんなさいっ。

 行きでの馬車を思い出す。 ほんの小一時間前の事。

 あの時は緊張とワクワク、そしてあたしに出来る事を頑張ろうって、前向きな気持ちがたくさんあった。

 それが今はどう?

 疲れちゃって、頭も回らなくて、心の一部が砕けたような消耗感があって……

 ドレスも汚しちゃって……リセリーナさん相手に、何も出来なくて……

 ただただ無力感だけが残っている。

 オジさまは、大丈夫って言ってくれたけど、全然役に立てなかった。

 迷惑を……かけた。

 誤魔化すように窓の外に視線を戻す。

 鼻の奥がつんとして、唇にも力が入った。
 一人だったら、もう嗚咽が混じっていた。

 でも今は、オジさまが目の前にいる。
 情けない姿を見せたくない。

 でも、一人きりじゃない。
 強がる気持ちと安心が混ざり合って、ますます喉の奥がきゅっと詰まった。


――甘えたい。


 こういう時、あたしは誰かに甘えてきた。

 それは時にシャリエナだったり、お母さんだったり、リゼラちゃんだったり。
 だってあたしは、一人で悩みを抱えられるほど、強くない。

 あたしは、一人は、本当にダメだった。

 孤独が怖いのもきっとそれ。
 誰かと繋がっていないと、身動きすら取れなくなる。

 あたしは、弱い……

 だからって、オジさまに、甘えてもいいの?

 迷惑をかけたのに?

 拒絶されるのは怖いよ……

 だったら、したくない。

 いつもの言い訳。

 だって、あたしは選ばれない。

 だって、あたしは太……

 ふと、アルテノット夫妻の姿が浮かんだ。
 ふくよかな男爵さまの腕を、嬉しそうに取るリセリーナさん。

 疑いようも無いくらいハッキリ示されたルビーの愛情色。

 それなら、あたしだって……愛される、の?

 考えが深くなるにつれて、怖くなって思わず両腕で自分を強く抱いた。


「……寒くないか?」


 オジさまの声。
 優しい声。 素敵な渋い声。 大好きな……声。

「うん……だいじょぶ」

 反射的に返事をした。
 何を聞かれたのかも、ちゃんと考えられなかった。

 ただ、あたしの様子をじっと見てくれている、オジさまの気持ちだけが、嬉しくて。

 それはきっと無意識の行動だった。

 限界まで膨らんだ気持ちに、身体が勝手についていく。

 オジさまの元へ向かおうと、腰が浮いた。


――でも……やっぱり…………


 我に返って、踏みとどまる。

 あたしの気持ちの限界はここ。
 だって許されるワケがない。

 落ち着け落ち着けと念じると、気持ちは段々と治まってくる。

 よし、あともう少し……


――ガタンッ!!


「わっ!!」
「……くっ!」

 石にでも乗り上げたのか、大きく馬車が揺れた。
 身体が座席から浮いて、前へ投げ出される。

「…………」
「……ケガは、無いな?」

 次の瞬間には、あたしはオジさまのたくましい腕に、抱き留められていた。



―――――――



「…………」
「…………」

 あたしの頭を、胸に抱き留めてくれたオジさまは、なぜかそのまま離す事は無かった。

 それが、あたしには、とても都合が良かった。

「オジさま……」
「……なんだ?」
「……あたし、重くない?」
「いや、まったく」

 あたしは、それを「許可」だと受け取った。

 オジさまの背中に腕を回し、頬を胸に密着させる。
 生地が厚いせいか、心臓の音は聞こえなかった。

 あたしはその音が聞こえるようになるまで、ぎゅうっと抱きしめる力を強める。

 あったかい……
 人の感触が、オジさまの存在が、安心をくれる。

 良い匂い……いつか嗅いだアンバーの香りの、どこか清涼感のある……
 胸いっぱいに吸うたびに、頭が熱くなってトロけそうになった。

「すぅ~~…………はぁ」

 心地よさに吐息が漏れる。

 そうやって身体を押し付けていると、もっと甘えたい気持ちが湧いてきた。

 もう、止められなかった。
 

「オジさま……ごめんなさい」


 これは、甘えの謝罪。

 絶対に否定してくれるって、どこかで分かっていて言っている。

 そんな、利己的な甘え。

「……なにがだ?」

 オジさまは、あたしに縋りつかれたままの姿勢で問いを返す。

「あたし……上手く出来なくて、ドレスも汚しちゃって、リセリーナさん相手にも、上手く立ち回れなくて……」
「……先ほども言ったが、気にする事はない。 キミは、よくやってくれた」
「迷惑、かけちゃった……」
「……迷惑など思う必要も無い。 大丈夫だ」

 オジさまはそう言って、頭を優しく撫でてくれた。
 背筋がぞくぞくして、頭の奥がじんわり痺れた。

 あぅぅ……好き……好き……好きなんて言葉じゃ足りない……

「オジさま……ごめんなさい……」
「……ああ」

 オジさま、今の謝罪は違う意味なの。
 意地汚い甘えに利用して……ごめんなさいなの。

 でも……
 その罪悪感を押しのける、たしかな幸せ感。

 何にも考えられなくなって、なんだか目もトロンとしてくる。

 あたしは、あたしの甘えを受け入れてくれるオジさまに……
 ドキドキよりも、安心と気持ちよさを感じていた。

「えへへ……」
「……?」

 急に微笑んだあたしに不思議そうな様子を見せるオジさま。

 いいじゃん。

 今は、甘えさせてよ。

 あたしは再び、背中を抱く力を強める。

 オジさまの身体が少しだけ固くなった気がした。

「……ハルネ嬢」

 オジさまのその呼び名に、強い不満を感じた。

「ねぇ、これからも、オジさまの事を”ヴァルさま”って呼んでいい?」

 もうここまで甘えちゃったんだ。
 もう一個くらい、いいじゃん。

「……ああ、ハルネ嬢が、そう呼びたいのなら」
「そう、それ。 あたしの事も”ハルネ”って呼んで? ちゃんと……名前を呼んで? ね?」

 もしも、あたしを、好きなら……

「……ああ、”ハルネ”」
「うん……」

 そう言ってオジさま――ヴァルさまは、あたしをそっと抱きしめ返してくれた。

「んふー」

 嬉しくなって、あたしもまた、抱きしめ返す。
 ヴァルさまの身体が、匂いが、あったかい。

 なんでも受け止めてくれるのが嬉しくて、甘えさせてくれるのが心地よくて。
 出来る事ならこのまま、お互いが、一つになりたかった。

 ねぇ……今なら、今だったらいいよね?

 もう一歩だけ踏み込んでも、いいよね?

 もうちょっとだけ甘えても、いいよね?

 背中に回していた左手を戻し、ヴァルさまの右手を取って、自分の手を重ねる。

 そのまま指も絡ませる。

 手袋ごしだけど……指の感触はしっかりと感じ取れた。

「ねぇ、ヴァルさま……」
「……なんだ」


 新しい絆が欲しいんだ。


「あたしの事、今だけでいいから……”ルネ”って呼んで?」


 ヴァルさまとだけの、特別な何かが欲しいの。


「……”ルネ”」

「うん」

「……ルネ」

「……はい」


 ヴァルさまからだけの特別な呼び名。

 あたしは、まるで猫みたいに、額を胸に擦りつける。
 ふと、息を飲む音が聞こえた気がした。

 その後、ふいに、髪に何かを押し付けられた感触が走った。

 柔らかい何か。
 位置的に、ヴァルさまのお顔。

 あたしはそれが何かを深く考えるのは止めた。

 ただただ、ヴァルさまの胸板に、顔を擦りつけるのに夢中だった。



……………



 石畳を踏む車輪の振動は、どこまでも一定に響き渡る。

 防音が施された馬車内にも、どこまでも一定に響き渡る。

 その音と振動に合わせ、合わさった二つの身体も自然と揺れた。
 到着するまで、それらが離れる事は無かった。


「……神よ……私は」


 ヴァルグレイの呟きは、車輪の音に掻き消され、ハルネの耳には届かなかった。

 ただ、彼の腕の力が少し強くなった。

 それだけでハルネは、満ち足りたように小さく息を吐き、安心して身を預け続けた。



~ 第5章 ―完― ~


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