【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―
第63話 あらぬ妄想と、ハルネの決意
綺麗に整理されたサフラン香房の店内は、いつもよりも明るく見えた。
新しくなった入り口の扉からは、真新しい木の匂いが漂ってくる。
店に入ってまず目に飛び込むのは、中央に据えられた大きな薄桃色の棚。
新商品であるネイルチップやジェル、錬金技術を生かした美容液やクリームも、目新しい商品として棚を彩っている。
色とりどりのポーションは、商品であると同時に洒落たインテリアとなって、陽の光を弾いていた。
整っている。
もう、いつでも店を開けられる。
――しかし。
その中心に立つハルネだけは、同じ場所を何度も拭っていた。
もう十分に綺麗なはずなのに、何度も、何度も。
店内にはただ、布を擦る音だけが、やけに大きく響いていた。
―――――――
「ふぅ……」
今日、何度吐いた溜息だろう。
間近に迫った新装開店に向け、もうすっかり準備は整えた。
いつものあたしなら、宣伝チラシの一つでも準備していたかもしれない。
シャリエナを買い物に行かせてしまったのは失敗だった。
静かで誰もいない店内は、思考の渦に囚われるのにぴったりの場所だった。
作業をしている間は良かった。
だけど、一旦手を止めてしまえばこのザマ。
そしてまた、さっき拭いたばかりの棚に向かい、同じことをし始める。
じっとしているよりはマシだから。
……ヴァルさま。
あたしはもう、自分がどうしたらいいか分からなくなっていた。
馬車で、自分から甘えた時は、ただただ気持ちよかった。
甘える事が心地よくて、それが許されることで心が解けて。
ご飯をお願いされた時も、素直に嬉しかった。
あたしにもしてあげられる事があるんだって、胸が満たされた。
ただその後……
あんな風に、手を――縋るように握られて。
すごく、苦しくなってしまった。
嬉しいはずなのに……
布巾を掴む自分の手をじっと見る。
ぷにぷにでまあるい、自分の手。
いくら鈍いあたしでも、ヴァルさまの気持ちはもう分かる。
きっと、求められている。 ……こんな身体のあたしでも。
信じられない。
どうしてあたしなのか、全然分かんない。
だって……そんな気持ち、真剣に向けられたことないもの。
ずっとずっと、選ばれない側の人間だと思って生きてきた。
なのに突然、大好きな人に、選んでもらえてるかもなんて……
ああ……
なんでなのよ……
いざそういう状況になってみたら。
そしたら、応えるのが、怖くてたまらなくなった。
ヴァルさまは、あたしなんかで、いいの?
こんなぽっちゃりで臆病なあたしで、いいの? 本当に?
確証が、欲しい。
絶対間違ってないって、裏切られないって。
そんな証明が……欲しい。
――不安を誤魔化すように、両腕で自分の身体を抱いてみる。
もう、いっそ、無理やり抱いてくれたらいいのに。
何も考えられなくなるくらいに求められたら、信じられるかもしれない。
身体に刻み込んでもらえたら、選ばれたことを疑わずにすむのかもしれない。
そういう経験なんか無いけれど、強引に、めちゃくちゃにしてくれたら……
――カランカランッ!
新品のドアベルが来客を告げる。
まだ新装開店前のお店に、堂々とドアベルを鳴らす人物は限られている。
「……失礼する」
そのシルエットに、ピキっと身体が凍り付いた。
予想通り、ヴァルさまだった。
―――――――
「あ……ぅ……」
思わず目を逸らす。
かぁっと顔が火照り、耳まで熱くなっているのが自分で分かる。
「……どうか、したのか?」
フリーズしているあたしに、心配そうな声を掛けてくれるヴァルさま。
「…………あ、あははははは! な、なんでも、ないよ?」
「? ……そうか? ならば良いのだが」
無理やり抱いて欲しいなんて……なんちゅう事を考えてんの、あたしは!
自分で覚悟を決めらんないからって、他責すぎるよ!
ヴァルさまに全部やらせようなんて……うぅ……破廉恥!
「? ……やはり顔が赤いな。 体調でも崩したか?」
距離を詰め、ズイっと顔を近づけてくるヴァルさま。
あわわわわ……
「も、もう、大丈夫だから!」
「……もしも体調を崩しているのなら、私が薬でも買ってこよう」
う、優しい……好き。
「あ、ありがと。 でもホントに平気なの。 それにここは香房よ? 体調崩した時の薬だってあるんだから大丈夫だよ」
「……ならば、良いのだが」
あたしの妄想のせいで、余計な気を遣わせてしまった。
「お、おはようヴァルさま。 ところで今日は何の御用?」
浮つく気持ちを押し込んで、無理やりいつもの笑顔をつくった。
さらに半歩分だけ距離をとり、無理やり仕切り直す。
「……ああ、おはよう。 先日は突然すまなかった」
「先日? あ、ああ、ご飯のこと? それはいいの! いつでも作るよ!」
ご飯をねだられるのは、めちゃくちゃ嬉しい。
……でも、さっきまでの逡巡が、沸き立つ気持ちに蓋をする。
「……今日は別件だ。 キミに再び、頼みがある」
ヴァルさまはそう言って真剣な表情に変わった。
「……まずはコレを読んでくれ」
ヴァルさまが懐から手紙を取り出し、手渡される。
高そうな紙に、立派な紋章があしらわれた封筒だった。
「なにこれ……招待状?」
中身を取り出し、目を通す。
それは、アルテノット男爵邸で行われる夜会――舞踏会への招待状だった。
「……それは私宛に来たものだが、キミもハッキリと招待されている」
「『是非とも、奥様もご同伴のうえ……』」
……奥様。
その響きは、今は甘美なだけのモノじゃなかった。
「リセリーナさんが……」
魔眼(エモパレ)を一瞬で見破られ、好奇の瞳で迫られた記憶が蘇る。
思わず背筋がブルっと震えた。
「……明らかに、キミはリセリーナに目を付けられている。 率直に言おう。 キミを一人にしたくない」
自らの拳を強く握りしめるヴァルさま。
こちらを覗くその鋭い眼光からも、強い決意を感じる。
「……侯爵邸では、目を離したせいで酷い目に遭わせてしまった。 失態続きの私だが……」
ヴァルさまは、握りしめていた拳をゆっくりと開き、あたしの方へと差し出した。
「もう一度だけ、私を信じてくれないか」
琥珀色の瞳が、真っ直ぐにあたしを射抜く。
「共に来てほしい。 今度こそ、私の一番傍で……キミを守りたいのだ」
「あ……う……」
あたしは、すぐにでもその手を取りたかった。
だけど……躊躇してしまった。
あの、鮮烈な、真っ赤なルビーの瞳を思い出す。
それと同じくらい紅い、愛情色も。
……怖い。
リセリーナさんが恐ろしい。
あんなに感情も行動も分からない人は見た事が無かった。
分からな過ぎて、怖すぎて、正直もう二度と近寄りたくない気持ちも強かった。
それに、さっきまで悩み、迷いまくっていた事も思い出す。
これは別に、告白じゃない。
あたしの安全のためと、お仕事の依頼だ。
そういうことだって、分かっているのに……
ヴァルさまの真っ直ぐな言葉が、かえってあたしを動けなくした。
「うぅ……」
ヴァルさまの手を取ろうと伸ばした指が、途中で止まった。
「…………」
ヴァルさまは、あたしの決断を静かに待ってくれている。
う~~~……あたしは、どうすれば……何をすれば……
迷いに迷って、頭は真っ白。
自分が何をすればいいのか、何をしたいのかも分からなくなってしまった。
こういう時はいつも……何をしていたっけ?
…………行動。
そう……行動だ!
とにかく何かをするんだ!
動けば、何かが、動くんだ!
お店のことだって、ヒョロキモの時だって、ヴァルさまとの仲だって。
どれも動いて、転んで、それでも何とかしてきたじゃないのさ!
そうだよ!
あたしなんかがうじうじ考えてたって答えなんか出るワケないんだ!
もう、ワケ分かんないんだから!
「えいっ!」
止まっていた手を、一気に伸ばす。
ヴァルさまの大きな掌を、両手でむんずと掴んでやった。
そうよ!
本当は、最初から答えなんか決まってた!
ヴァルさまのお役に立てるなら、たとえ火の中舞踏会の中よっ!
「うん、行くよ! あたし……もう一度、ヴァルさまの奥様になって……リセリーナさんなんて、ぶっ飛ばしちゃうんだからっ!!」
勢いだけのあたしは、ヴァルさまを握る手も強くなる。
「……いや、そこまでは…………ふっ、フフフっ……」
呆気にとられたヴァルさまだったけど、やがて堪えきれないように笑った。
……かわいい。
「笑うなんてひどいよ? ヴァルさま。 何が可笑しいのさ?」
「……いや、フフ…………実に、キミらしいと思ってな」
あたしが両手で握った手を、ヴァルさまのもう片方の手が上から包んだ。
「……ああ、よろしく頼む。 ハルネの事は、必ず私が守る」
ヴァルさまの静かで強い決意の言葉に、あたしも大きく頷いた。
そうだよ。
返事して気付いた。
ふくよかな体型のアルテノット男爵。
その男爵さまを、迷いなく強く愛するリセリーナさん。
リセリーナさんは怖いけど……
なんだか、もう一度会わなきゃって気がする!
まだ、怖い。
まだ、全然分からない。
でもいいんだ! あたしは行くって決めたんだ!
今度もまた……ヴァルさまの隣で。
待ってなさいよ! 舞踏会!