【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―
第7章
第62話 第7章・序幕 招待状と、ヴァルグレイの決意
机上に置かれた一通の封書。
見た目には何の変哲も無い。
それでもヴァルグレイの視線は、吸い寄せられたように封書へ留まった。
すぐに手に取り、裏返す。
封蝋に刻まれた紋章は、見覚えのあるものだった。
ここ数日、彼が何度も目にした印――アルテノット男爵家の紋章。
宛名は、ヴァルグレイ・ゼオファルド。
呼吸を一つおいてから、ペーパーナイフを手に取り、中の書状を取り出す。
そこには彼の予想通り、アルテノット男爵邸で舞踏会を開く旨が記されていた。
いくつかの文言に目が留まる。
『皆様にとって、忘れがたい夜となりますでしょう』
『是非とも、奥様もご同伴のうえ、お越しくださいませ』
紙を押さえる親指に、わずかに力が籠もった。
……挑発か?
事件を起こすから止めてみろ、と。
そこにハルネも連れてこい、特等席で見せてあげる、と。
……考え過ぎだ。
ハルネが関わる件は全て過敏に、そして過剰に考えてしまう。
ようやくその自覚を持ち始めた。
愉しければ良い、というあの女の事だ。
自分を呼べばもっと面白くなる。
それ以上の事は考えていないだろう。
「……まぁ良い」
思わずそう独り言をつぶやいたのは、この書状は無意味になると分かっているからだ。
招待状には、明日の夜に開催と書いてある。
夜会が予定されていることは、ハルネからの情報や捜査上の噂で把握していた。
そして、今夜にでも、申請した強制捜査の許可が下りるだろう。
明日の舞踏会が開かれる事は、無い。
ヴァルグレイはそう確信し、状況の確認のため、局長室へと向かった。
―――――――
「……なんと、言いました?」
局長机の前で、ヴァルグレイは聞き返した。
聞き違いであってほしいという動揺が、その声に滲んでいた。
「いや、だからさ。 やられたね、って。 参ったよ」
重厚な椅子に背中を預けたセーヴラン。
両手を頭の後ろに組みながら、もう一度、ヴァルグレイへと繰り返し伝えた。
口調は軽いものだったが、目が笑ってはいなかった。
「強制捜査は出来ない。 私も残念だよ、ヴァルグレイ」
「……何故ですか?」
落ち着いた口調だが、隠し切れない不機嫌な声。
セーヴランは肩をすくめ、机の書状をヴァルグレイへと滑らせた。
「これを見たまえ」
「……これは……オルヴェリス公爵家の紋章?」
一目見ただけ分かる、上質な紙と精緻な紋章。
「そう。 よりにもよって公爵本人から「娘の舞踏会を邪魔するな」という横やりが入った」
「……待ってください。 いかに公爵家といえど、法を蔑ろにすることは」
「まぁ落ち着きたまえよ」
セーヴランは、組んでいた手をほどき、身を起こす。
「その中身を見れば分かるがね。 依頼されているのは「延期」なんだよ」
「……なっ…………くっ」
ヴァルグレイは即座に理解し、書状を握る指に力が籠もった。
捜査を止めろという要求ならば、法で対抗する事も出来る。
しかし、延期を求められれば――これは面子と政治の話となる。
押し黙ったヴァルグレイに、セーヴランは続ける。
「しかも公爵は「夜会が終わった後まで捜査を妨げるつもりはない」と仰っている。 『娘が初めて主催する夜会なんだから』と。 親心でそう言われちゃったら……ねぇ?」
「……無理にでも強制捜査を執行すれば、各方面を敵に回すことになる」
貴族社会の歯がゆさに、ヴァルグレイは奥歯を噛んだ。
「……しかし! リセリーナが事件を起こす事は間違いないっ!」
「だとしてもだよ、ヴァルグレイ。 それに、もう一つ理由がある」
「……なんでしょうか」
もはや不機嫌を隠そうともしないヴァルグレイに、セーヴランは面白がるように口元を緩めた。
もう一枚の書類を手に取り、ひらりと彼に放った。
「コレだよ、コレ。 エスタラン侯爵邸のグラスから、ノクセリウムの反応が出たっていうコレ」
「……それが、何か? リセリーナが混入させたという明確な証拠ではないですか」
「キミは……ハァ……」
セーヴランは、呆れたように溜息を吐いた。
「キミは本当に、彼女の事が絡むと判断が鈍るんだねぇ。 いいかい? グラスに入ってたのがノクセリウムだとしても、リセリーナ嬢が入れたという証拠にはならないよ」
「っ! ……し、しかし、リセリーナ自身が混入させたとハッキリ言っている!」
「それも、人伝だろう? 彼女が改めて否定してしまえば、それで終わりだ」
「……っ、ぐっ……」
ヴァルグレイは二の句を継げなかった。
らしくないヴァルグレイの様子に、セーヴランは思わず笑みをこぼす。
「こんな簡単な事も分からないなんて、つくづくキミらしくもない。 ……まぁ、私としては大変面白いがね。 フフ」
表情を崩していたセーヴランは、ふいに声の温度を戻す。
「でもね? 実は私も、同じ判断をしていたんだよ。 屋敷を捜索すれば、言い逃れのできない証拠は出るだろうと。 強制捜査は許可するつもりだった」
「……そこへ、公爵家の横やりが入った、と」
「そうだ。 リセリーナ嬢の事は私も噂で多少は知っているからね。 何より、昔キミを公爵に紹介したのは私だし……」
「…………」
気まずそうに顔を逸らすセーヴラン。
だが、ヴァルグレイはそれに気を掛ける余裕は無かった。
顔を伏せ、件の招待状に視線を落としていた。
「とにかくそういう事だ。 ……で、どうするかね? ゼオファルド副局長。 次なる手は」
「…………私が内部に潜入し、止めます」
いつの間にか握りつぶしていた招待状。
ヴァルグレイはそれをセーヴランへ向けた。
「そうだな。 私もそれが良いと判断する。 何しろ正式に招待されているのだろう?」
「……はい。 リセリーナは享楽に酔う狂人だ。 やることは、ある程度は想像もつく。 彼女の思惑を見抜き、必ず阻止します。 問題は……」
「パートナー、か。 また彼女に頼……巻き込むのかね?」
あえてセーヴランは煽るように言い直した。
ヴァルグレイは、反応せず言葉を続ける。
「……リセリーナが具体的に何をしてくるかは分からない。 ハルネを一人にしておく方が危険と判断します。 傍に置き、近くで守る方が、合理的です」
「ふむ、一理ある、が……」
セーヴランは、腕を組み、ゆっくりと椅子に背を戻す。
「ヴァルグレイ、お前の覚悟を聞いておくぞ。 彼女を……守り通せるのか?」
面白がって煽る姿勢を崩さないセーヴラン。
「……今度こそ必ず、守り通します」
ヴァルグレイの声が、ひときわ低くなる。
「彼女に害をなす者は」
刹那――部屋の音が、消えた。
「……排除する」
漏れ出た殺気に、思わずセーヴランは息を飲んだ。
それは、普段の威厳とも、理知的な冷静さとも違う。
名づけるならば――狂気。
飄々とからかっていたはずのセーヴランは、気づけば、自らの腕をさすっていた。