【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―

第39話 覚えててくれたこと


 南街の外れへと伸びる水路。
 整備された川の幅は十分にあり、澄んだ水が緩やかに流れている。

 水路を跨ぐ、小さな石橋。
 街のざわめきは遠のき、水音だけがよく耳に届いた。

 泣き止んだハルネをさらに落ち着かせるため、二人は橋の袂まで足を運んでいた。
 使い古されて角の丸くなった縁石に、並んで腰掛けている。



―――――――



「…………」
「…………」

 二人は何も喋らず、ただ並んで座っている。

 お互いの気遣いのようにも見えるし、何を話せばという困惑にも見える。

 ヴァルグレイのハンカチを握りしめたハルネ。

 目を瞑り、水音に身体を任せていると、段々と気分も落ち着いてきた。


「…………すぅ」

 深呼吸を一つ。
 やっと考えられるようになった。

 さっきはなんであんなに泣いちゃったんだろう。
 オジさまに出会ってから、あたしは泣いてばっかりだ。

 ……あたしって、こんなに泣き虫だったっけ?
 それに、話に夢中で馬車に気付かないとか。

 ……あたしって、こんなにうかつだったっけ?
 いや、うっかり者だよ、あたしは。 そっちは納得だった。

 それにしても、オジさまが庇ってくれて良かった。
 そこまでは良かった。 でも……

 ぎゅってされて、苦しくて、でもあったかくって。

 離れた瞬間、自分の何かが抜け落ちたような、ぽっかりとした感じがした。

 それで、急に心がいっぱいになって……

 一番心配したのは、もしかしてオジさまを傷付けてしまったんじゃないかって。

 でも、それもあたしの杞憂だったみたい。
 オジさまはそんな様子をちっとも見せなかった。
 とにかく、あたしへの気遣いと申し訳なさがいっぱいだった。
 感情色を視れなくても分かる。

 一体オジさまは、どういうつもりで、あんなに強く、あたしを、抱きしめ……て…………


「……うにゃあっ!!」
「…………」


 しまった。

 正体不明の何かに耐えきれず、奇声が漏れ出た。

 恥ずかしくなって、オジさまの様子をうかがう。
 オジさまは何も動じず、ただただ心配の目を向けてくれていた。

 さすがだ。
 眉一つ動かさない、いつもの様子にホッとした。

 うん。 あれは事故。
 そういう事にしよう。
 なんだか考えてはいけない気がする。
 考えたら動けなくなる気がする。

 今日は考えない。 うん。

「……もう、大丈夫か?」
「うん、だいぶ落ち着いたよ。 ごめんね、オジさま」
「謝るのは私の方だ。 本当にすまなかった」
「二人して謝りあうのもおかしいね。 これで最後にしよう?」
「……キミが、そう言うのなら」
「うん。 あれは……」

 あれは事故。
 そう言いかけて止まった。

 なんだか、そのことに触れるのが急に怖くなった。
 あの抱擁の意味を、少しでも知ってしまう事に、身体がすくんだ。

 言いかけた言葉を飲み込み、別の言葉を探す。

 ふと見渡すと、見慣れた石橋が見えた。

「あ、あの橋、懐かしいなぁ。 昔シャリエナと一緒に遊んだなぁ」
「……そうか、ここはキミの生まれた街だったな」

 急な話題転換だったが、オジさまはノッてくれた。

「最近こっちに来ることはなかったけど、子供の頃はあの欄干に登って、お母さんによく怒られたっけ」
「……キミは、その……子供の頃から随分と腕白だったのだな」
「オジさまも、子供の頃はヤンチャ坊主だったの?」
「……さてな、どこにでもいる農家の一人息子で……昔から腕っぷしはあった覚えはあるが」
「昔から強かったんだ。 たしかオジさまは騎士爵持ちって聞いた気がするよ。 やっぱり軍での活躍から?」
「……ああ、そうだ。 もう十年は前になるか。 叙爵を賜ったのは」

 オジさまは目を細め、どこか遠くを見つめていた。

「そうなんだ。 そこから調査局に?」
「……ああ、隣国との小競り合いも落ち着き、手持ち無沙汰な時期が増えた。 そこで、今の局長から誘いがあった」
「ねぇ、調査局の話、聞かせてよ? 話せる範囲でいいからさ」
「……年若い女性が聞いて、あまり面白い話は無いが」
「いーの。 少しでも知りたいの。 オジさまの事。 オジさま自身の声で」

 少し躊躇った様子があったが、オジさまはぽつぽつと仕事のお話をしてくれた。


 いつも夜遅くまで仕事していること。
 人を増やしたいこと。

「……部下の能力に不足は無いが、私の言うことを聞かん」
「ふふ、困ってるんだ」
「……仕事に支障ない範囲で、というのが救いだがな」

 そういった愚痴から始まって。

 人には恵まれていると感じること。
 仕事にやりがいは感じていること。

 そして……

「……実は最近、十分な睡眠をとれていない」
「え? もしかしてあたし達のせい? ……ごめんね」
「いや違うっ、そういう事ではない。 ……すまない、余計な愚痴だったな」

 そんな、ぼやきも話してくれた。

 川のせせらぎと、オジさまの穏やかな低音ボイスに癒される。

 あたしは、少しだけうとうとと、オジさまの話を聞いていた。


……………


「……ハルネ嬢?」
「ん~? なぁにぃ? 聞いてるよ~……」

 泣き疲れた身体に、暖かい春の陽射し。
 規則正しい水音に、落ち着いた声。

 あたしはいつしか、オジさま側へと傾いて。
 気づいたオジさまが声を掛けてくれた。

「……眠いのか?」
「ん~ん。 聞いてるよ、ちゃんと。 川の音と、オジさまの落ち着いた……イケボが心地よくて」
「……イケボ?」
「うーんとね、とってもイイ声って意味」
「……そうか。 声を褒めてもらった事などないが」
「んふふー」
「……つまらない話を長々と、すまなかったな」
「ん~ん、全然だよ。 オジさまの事が知れて、とっても嬉しい」

 色々知る事が出来て、良かった。

 単純にそう思った。

「……キミは、人から話を引き出すのが上手いな」
「ふふっ、だって、商売にも関わってくるもの」
「……それは、さすがだな。 キミの愛らしい声と相槌を聞いて、あまり口の上手くない私も……思わず言葉を継いでしまった」
「んふふ~、そうでしょ……?」

 うとうとした頭が、一旦それを流しそうになって……再び戻って来た。


 ……今、何て言ったの?

 「愛らしい」――そう聞こえた。


 流そう、流そう、そう考えるほどに意味を咀嚼してしまう。

 胸の鼓動から始まった熱が、耳へ、頬へとゆっくり広がる。

 火照る顔の温度とともに、ぼんやりしていた意識も追いついてくる。

 ようやくそこで、もう一つの事実にも気が付いた。
 上質な生地の肌触り。 固い肩の感触。

 あろう事か。

 あたしは今。

 オジさまに、べったりと、もたれかかっている。

「にゃあああっ! あ、あたしったら! ホントにごめんなさい!」

 思わず飛びのく。

「こ、心地良くって、全然気付かなかった…………お、重かったでしょ?」
「……なんのことはない。 私の身体で良ければ好きに使うといい」
「そ、そんなワケにはいかないでしょ!」

 正面のオジさまは、本当に気にしてはいなさそうだった。

 あたしだけが取り乱していた。
 うぅ~~~。

 火照っていたほっぺを、両手でうにうにして冷ます。
 変な顔になっているだろうが、それ以上に気恥ずかしさが上回った。

「も、もう行こうよ! ……ごめんね? あたしのせいで時間とらせちゃった」
「それは構わないが、少し待って欲しい」
「??」

 オジさまからの静止は珍しい。

 なにかしら?

「……今日、キミたちの所へ伺ったのは、営業停止解除の件もそうだが、もう一つある。 ノクセリウム事件の事だ」
「ノクセリウム事件……」

 そうだ。
 音沙汰が無いから、話題に出すこともあまり無かった。

 てっきりサフラン香房がまた襲われるのかと思ったら、全然何にも起こらない。

「事件の事で進展があった。 キミにも聞いてもらいたい事だ」
「うん、それで?」
「……それが、少し込み入った話になりそうなのだ。 だから……」

 うん?

 オジさまにしては、いやに含みを持たせる言い方が気になった。

「だから?」
「……話は変わるが、キミは以前、中央街の……新しいレストランに行きたいと言っていただろう?」
「……ああ! 牛フィレステーキの!」

 焦がしバターの!
 ……言ったかもしんない。
 いつだっけ?

「……キミには本当に迷惑をかけた。 結果的に調査局への貢献もしてもらった。 なので……」
「……………で?」

 なんだか胸の奥がムズムズする。

「……詫びも兼ねて、そのレストランに、今晩、席を用意した。 ……キミさえ良ければ、どうだろうか?」
「…………うん?」

 ちょっと待って整理させて。

 オジさまが、あたしを、夜の食事に招待してくれたってこと?
 ……あたしが、以前行きたいって言ってた店に?

 ムズムズしていた胸の奥が、今度はじんわり暖かくなっていく。

 うあ……なんだろう。
 なぜだか、想像以上に……嬉しい!

 今日、お店に来てくれた時からずっと。
 オジさまはどこか、あたしの気持ちをちゃんと大事にしてくれてるように感じていた。

 でも、今の言葉が一番、そこを超えた「大切さ」みたいなものがあった。

 だって、あたしの言ってる事なんて、本当に適当なことばっかりで。
 自分自身ですら、そんな風に言ったことを忘れてたのに。

 あたしの、何気ない言葉を、ちゃんと覚えててくれてた!

 オジさまの中で、ちゃんとあたしが生きている。

 そんな気がして、幸せな気持ちがぽわぽわと広がった。


「そんなの! 絶対行くに決まって……」


 言いかけた言葉と共に、ふと、心にブレーキがかかる。

 大切にされてるかもしれない気持ちと、さっきの抱擁。

 繋がってしまいそうで、まだ受け止められない何か。

 ……ダメだ。 今それを考えちゃダメだ。

 再び自分の心に蓋をする。

 今はそう。
 オジさまが、あたしの言葉を持ってくれていた。
 その嬉しさだけを、噛み締めるんだ。

 答えは決まってるんだから。

「……オジさまは、ズルいなぁ」

 何の気なしに、口から出たその言葉の意味は分からなかった。

 あたしは、ただただ嬉しいのに。
 なのに、その嬉しさの奥で、何かが小さく身じろぎをして。

 だから今度は、オジさまのハンカチを濡らす事はなかった。

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※ 第2部連載開始! 以下のURLからどうぞ! https://www.berrys-cafe.jp/book/n1789750 「……彼女を嗅ぎたい情動が、嵐のように私の中を荒れ狂う」 (※冷徹な顔の裏で、オジさま副局長は常に理性の限界寸前でした)  香房の看板娘ハルネは、人の「感情の色」が視える魔眼の持ち主。  ぽっちゃり体型にコンプレックスを持ちながらも、持ち前の明るさで店を切り盛りしていた。    ある日、ハルネは絶体絶命のピンチを、第二調査局副局長・ヴァルグレイ(銀髪眼帯の渋いオジさま!)に救われ、一瞬で恋に落ちる。  けれど、彼が告げたのは愛の言葉ではなく――無情な『営業停止』の通告だった。 「……そこで何をしている? 早く店に戻れ」  突き放すような冷たい態度。視えない感情色。 「嫌われている」と落ち込むハルネだったが、その裏で彼はとんでもない妄執と激重愛を抱えていた!  「私は狂っている。 キミが愛おしくてたまらない」  感情が見えるはずなのに、彼の「溺愛」にだけ気づかない!? 【ぽっちゃり前向き娘 × 冷徹(中身は激重)騎士】 不器用な二人が織りなす、  執着と救済の異世界ロマンスファンタジー。 ※序盤はスローですが、オジさま登場後、加速度的に激重執着愛の片鱗が見え隠れします。

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