【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―
第67話 役者は揃った
「ハルネさん! また会えたね!」
ご令嬢方の山から抜け出してきてこちらに歩いてきたのは、先日お世話になったエスタラン侯爵の息子さん。
つまり次期侯爵であるルシアン・エスタラン侯爵令息さまだった。
無理やり抜け出したのか、何度も後ろの令嬢達に振り返って謝っている。
まばゆい金髪に、笑顔のイケメン、加えて侯爵令息だ。
さぞおモテになるのだろう。
「ルシアンさま。 え~と……ごきげんよう」
今回ルシアンさまは主催側ではない。
深々としたお辞儀は不要と思って、軽いカーテシーを返す。
ボリューミーさを増したドレスが、ふわりと大きく膨らんだ。
「ああ、こんばんわ。 会えて嬉しいよ!」
軽く胸に手を当て、挨拶を返してくれるルシアンさま。
……と思ったら、流れるような動作であたしの手を取り――その甲にキスをした。
「ほへっ!?」
あまりにも自然な動作で、手を引く暇すら無かった。
ほ、本当にやるんだ、こういう挨拶!
貴族の挨拶としては、ふ、普通……なのかな?
「ハルネさんは手も素敵だね。 瑞々しくて、白磁のように白くて……」
あたしは、驚いて固まったまま。
ルシアンさまは、全然手を放してくれる気配がなかった。
「あのぅ……」
「ルシアン殿。 いい加減、妻から手を放してもらえないだろうか」
ヴァルさまが強引に身体を差し込む。
声は穏やかなはずなのに、なぜだか断る余地を感じさせなかった。
ルシアンさまの手がやっと離れる。
「ルシアン・エスタラン侯爵令息殿。 ご機嫌お変わりなく存じます」
「……あぁ、ゼオファルド卿。 変わりないようで何よりだ」
ヴァルさまが、まるで牽制するように、先んじて挨拶をする。
あれ?
こういうのって、話しかけられない限り、爵位が上の方が挨拶するんじゃなかったっけ?
「失礼を承知で申し上げるが、妻に対する茶目っ気は御遠慮願いたい」
「妻? 妻ねぇ……フフフ」
ルシアンさまは不敵な笑みを浮かべているが、ヴァルさまの声がいつもより固い気がする。
やっぱり目上だと気を遣うのだろうか?
それにしても……んふふー、「妻」だって!
この場限りの呼び方とはいえ、何度聞いても嬉しいものは嬉しい。
「ハルネさん」
「あ、はい」
「すまなかったね。 ちょっと興奮を抑えられなかったんだ。 また会えたことに喜びを隠せなくて」
あぅ……なんて返せばいいんだ……
――感情色はピンクとイエローが半分ずつ。
感情温度も、親しみやすい温かさを感じる。
会えて嬉しいのは本当みたい。
ルシアンさまは侯爵令息にしては、めっちゃ気安い。
以前会った時も、めちゃくちゃあたしのことを褒めてくれた。
そういえば、こういうお客さんは、お店でもたまにいた。
話しかけると嬉しそうにしてくれて、お互い褒め合って嬉しくなる、いい人。
……うん、そういうモノだよね?
まぁ、よく分かんないけどこういう時は、とりあえず愛想よく乗っかっておくのが一番だ。
「はい! あたしもルシアンさまにまた会えて嬉しいです!」
「…………」
「そうか! そう言ってくれて私も嬉しいよ! 今日のドレスもアレンジが効いててとてもステキだね。 ハルネさんにとても似合う」
「はい、ありがとうございます!」
「…………」
ドレスを褒められるのは単純に嬉しい。
トリサちゃんと一緒に、あたし自身のアレンジも加えたもんね。
でも、ルシアンさまには悪いけれどさ。
今日も「良く似合う」って言ってくれたヴァルさまの一言には敵わないから!
ね? と思ってヴァルさまの表情を見上げると、なんだか眉間の皺がいつもより深い気がした。
「どしたのヴァルさま? いつもよりお顔、険しくない?」
「……どうも、しない」
「フフ……ゼオファルド卿は疲れているんだよ。 それより、どうだい? せっかくの舞踏会だ。 ハルネさん、一曲どうかな?」
「え? あ、せっかくなんですけど、あたしは踊れな……」
「ルシアン殿。 さきほども言ったが妻は私と行動を共にせねばならないので申し訳ないが」
なんだかいつもより早口のヴァルさまは、あたしを背にしてぴったりと離れない。
「ゼオファルド卿、少しくらい構わないじゃないか。 夫としての器の広さを見せたまえよ。 ねえ? ハルネさん?」
あたしに問いかけつつも、ルシアンさまの視線はなんだかヴァルさまに向いている気がした。
それよりも……
「夫……でへへ…………」
あたしは、他人からヴァルさまが自分の夫として見られることに、愉悦を感じていた。
い、いかん! あたしは今日もゼオファルド夫人(仮)なのだ。
「あっ! あの、その、申し出はありがたいんですけどぉ……ヴァルさま?」
「……………………キミが、ルシアン殿と行きたいと言うのなら」
「え?」
「そうか! いいよねハルネさん! ダンスがダメなら向こうで軽く食事でもどうだい? 我が侯爵家とまではいかないが、なかなかの品揃えだったよ」
「ビュッフェ……」
い、いいのかな?
ヴァルさまは良いと言ってるし、侯爵令息さまにこんなに熱烈に誘われて断るのもさ……
正直に言うと、ビュッフェのチェックはしたい。
あたしの右手を優しく引いて、向こうへと連れ出そうとするルシアンさま。
――それに反発するように、反対の手を、ヴァルさまに強く掴まれた。
「……ルシアン殿。 やはりダメです。 今夜は妻を……私の傍から離すわけにはいかない。 恐縮ですが、御遠慮願いたい」
力強く、ハッキリとルシアンさまに対して断りを入れるヴァルさま。
うん、そうだった。 今日は遊びじゃなかった。
ご飯がどうとか言ってる場合じゃなかった。
「ふーーーん……そうか。 分かったよ」
さっと手を離して引いてくれたルシアンさま。
押しが強いと思ったら引き際が上手い。
お店のお客さんでも、こういう場慣れ感が強い人はいた。
「……ところでハルネさん。 一言キミには伝えたい事があって」
ルシアンさまの表情が、ちょっと真剣なものに変わった。
「なんですか?」
「私は本当にキミの事を気に入っているんだ。 だから是非、私と婚……」
「……っ」
「おおっ! ゼオファルドではないか!!」
ルシアンさまの言葉は、迫力のある大きな声に遮られた。
割り込んで来たのは、筋骨隆々で、大きな黒紅の軍服が良く似合う……
ギルトハルト・トラッド将軍だった。
―――――――
ガハハと気さくにお話に割り込んで来たギルトハルト将軍。
ルシアンさまは興を削がれたように、やれやれと肩をすくめていた。
「おぉっ、エスタラン侯爵令息殿もいらっしゃったか。 先日の招待はありがたく、そしてご機嫌おかわりなく」
「機嫌は今削がれたよ。 まぁいい。 将軍も先日ぶりだが変わりないな」
お二人は知己のようだ……って当たり前か。
侯爵邸にもお呼ばれしてたんだから………って、んおっとっ!
グイっと手を引かれた。
二人が挨拶しているのをよそに、ヴァルさまが自分の傍へとあたしを寄せる。
「……ギルトハルト、貴様、なぜここにいる?」
「ゼオファルド……なかなかに無礼な挨拶ではないか。 奥方の、たしか……ハルネ嬢! 貴女も変わりないな! いや……肉付きが良くなられたか?」
「ごきげんよう、ギルトハルトさま。 ふ、太って見えるのは、ドレスのせいだと思いますわ」
「おおそうか! これは失礼した! ドレスも相変わらずよく似合っている! うむ!」
「ありがとうございます!」
失礼しちゃうわねとも思ったけれど、おそらくギルトハルトさんは見た目通りノンデリなだけだ。
こんなのはお店でも日常茶飯事だ。
「……ギルトハルト、答えろ。 なぜここにいる?」
「なぜとは奇怪な質問だな、ゼオファルド。 それはもちろん、呼ばれたからだ」
「……招待されたからとホイホイ出向くほど、社交熱心でも無いだろう貴様は。 ……どういうつもりだ?」
「それはお互い様だろう。 そのまま言葉を返してやる。 お前こそなぜここにいる?」
ギルトハルトさんは挑発的な笑みを浮かべながら、居丈高に答えている。
対してヴァルさまは、なぜだかギルトハルトさんをすごく警戒しているみたいだった。
え? 敵?
ギルトハルトさんって敵なの?
感情色を確認してみても、
――喜色一色。 悪意も翳りもありゃしない。
今はそういうのが出ていないだけとも取れるけれど……
ヴァルさまに会えたのが嬉しいって感情しか、今は感じられない。
「……私の事よりも、今は貴様の事だ。 招待客の中に貴様の部下も何人か見かけた。 一体何を企んでいる?」
「企み? そんなものはありはせん。 部下がここに来ているのも我は知らん」
「……本当か?」
二人が話している横で、いつの間にかルシアンさまがあたしの横に来て小声で話しかけてきた。
「……ハルネさん。 二人は話に夢中だし、向こうのテーブルで一緒に軽食でもどうだい? もっとキミと話したいんだ」
「えぇっ!? そ、そういうワケにはいかないですよ……!」
ルシアンさまはあくまであたしの意志を尊重してくれている。
押しは強いけど、強引に連れ出そうとしない姿勢は心地よい。
でもね、やっぱりヴァルさまの所を離れるわけにはいかないのですよ。
ごめんなさいね、ルシアンさま。
あたし達が話している間も、ヴァルさまとギルトハルトさんのお話は続いていた。
「ゼオファルド、貴様が何に懸念を抱いているのかは知らんが……我がココに来たのは、アルテノット夫人に気になる事を言われたからだ」
「……リセリーナに? 何を言われた?」
ギルトハルトさんの顔に、ふてぶてしい笑みが浮かんだ。
「『トラッド将軍。 ココにくれば、アナタの願望が叶うと思いますわ』とな」
「……なんだと? それは一体どういう……」
ヴァルさまがその答えを聞く事は無かった。
突如、会場がざわざわと色めき始めたからだ。
周りの様子を見ると、視線が集まっている場所が分かる。
どうやらホール吹き抜けの、二階の張り出し部分。
こちらを見下ろすような露台にあらわれたのは、一組の夫婦。
真っ白に煌めくドレスゆえか。
リセリーナさんの存在感の強さは、離れていても、ひときわ輝いていて目を引いた。
隣にいるアルテノット男爵は、いつぞやの弱気な印象そのままに、背中を丸めて小さく見える。
リセリーナさんは手に何かの石?を持っている。
たぶん拡声の風の魔石だ。
彼女が静かに口を開き、魔石に向かって語り始める。
その声が、舞台の幕を上げるように、大広間いっぱいに響き渡った。