【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―

第70話 調査局員の本領



 ショックだった。

 頼れる落ち着いたおねーさんのリオーネさん。
 話しやすくてシゴデキなレルガさん。

 そんな二人が……我を忘れて、互いに掴みかかっている。

 ノクスミア……

 感情を増幅するだけだなんて軽く考えていた。
 でもこれは、想像以上に恐ろしい物なんだ……!

「……ハルネっ!」
「はっ……!」

 ヴァルさまの声で我に返る。
 そうだ。 今なら戻す手段はある!

「えいっ!」
「つめたっ……!」
「な、なにがっ!」

 二人の腕から、力が抜けた。
 それでも互いを睨む目には、まだ怒気が残っていた。

「リオーネさん! レルガさん! しっかりして!」

 呼びかけると、ようやく二人の瞳に理性が戻る。
 顔色が戻り、表情もみるみる内に正気に戻っていく。

 すっごい効き目! やっぱりそうだ。

 カモミールカームはノクスミアに対する特効薬だ。

「あぁ、ハルネちゃん……」
「うぅ……ボス」

 二人の表情が、たちまち後悔に染まった。
 今しがたの自分たちの行いを、あらためて思い出したようだった。

「……ご、ごめんなさい。 言い訳のしようも無いわ……」
「……すまねぇッス。 ノクスミア……正直、甘く見てたッス……」

 二人だけじゃない。
 あたし達はみんなどこか甘く見ていた。

 毒性も少なく、感情を高めるだけの、軍の研究の失敗品……そんなレッテルを貼っていた。

 今はまだ犠牲者が少ないけれど……これからどうなるのか分からない。

「甘えるなっ!!」
「ひくっ!」
「「……っハイっ!」」
「後悔は後だ! 今は動け! 報告っ!」

 ヴァルさまの突然の檄に、あたしだけはびっくりしてしまったが、二人は背筋を伸ばしていた。

「夫人のスピーチの後、ホールの扉が閉ざされて開かなくなったの」
「すぐに確保に動いたんスけど、衛兵に邪魔をされちまいやして……どうやらリセリーナ夫人の催したイベントと思っているようッス」
「逃げてる人が妙に少ないと思ったら、そういう事だったんだね」

 相変わらず視界は薄紫色の霧に遮られている。
 けれど、エモパレで視る感じ、招待客は皆あんまり動いていない。

「扉を開けるのに手間取ってたら、霧の魔導方陣が発動して……」
「速攻で扉の衛兵は制圧しやしたが、ノクスミアの充満の方が早く……この有様っス」

 扉の横を確認すると、二人の衛兵が転がっている。

 即座に対応できたレルガさんは流石なんだけど、あのトラップは会場内にいたら避けようが無い。

 振り返ると、レルガさんは自分に掛かった液体の匂いを嗅いでいた。

「こりゃあリンゴ……いや、カモミール? ノクスミアにはカモミールが効くんスか!?」
「ノクセラ草はいっぱい研究したからね。 もしかしたらと用意してたんだけど……」
「……これは本当にお手柄だわ。 もしもハルネちゃんがいなかったらと思うと、ゾッとする……」

 リオーネさんが両腕で自分を抱くようにして、蒼褪めていた。

 自分の手柄を誇るつもりは無いけれど、本当に運が良かった。
 でなければ、あたしとヴァルさまだって、まださっきの場所でどうなっていたか分からない。

 ん? ヴァルさまは?

 見回してヴァルさまを探すと、扉の前にいた。
 二人の話だと扉は固く閉ざされているはずなんだけど……

 ヴァルさまが、ほんの少し身体を捻ったかと思うと……

「ふっ!」

 短い呼気とともに、ヴァルさまの蹴りが扉に突き刺さる。

 ズドォォンという鈍い轟音と共に、歪んだ両開きの扉が吹き飛んだ。
 ……ずいぶんと頑丈そうな扉だったと思うんだけど。

「リオーネ。 レルガ。 貴様らは外の局長の部隊と合流し、突入せよ!」
「「ハッ!」」
「私とハルネはここで衛兵の足止めと客の誘導を行う! 行け!」

 玄関ホールへ続く扉の奥へと消えていく二人を見守る。

「……ハルネ、客の誘導を頼む。 衛兵は私が抑える。 気を付けろ」
「オッケー。 大丈夫! 香房武器だってまだいっぱい持ってるんだから!」

 ドレスの隠しポケットを、スカートの上からポンと叩く。

 持ってきたのはカモミールカームだけじゃないのよ!



―――――――



 玄関のホールへと出れば、霧が晴れるとリオーネとレルガの二人は思っていた。

 しかしその思惑は外れ、大広間ほどではないがこちらにも薄紫色の霧が充満していた。

 正面玄関の大扉の方面から、大勢の衛兵の怒号が聞こえてくる。

「レル坊、ナイフを一本よこして。 くすねてきたんでしょう?」
「ほいッス」

 応じるや否や、レルガは一本のナイフをリオーネに渡す。

 リオーネは、お仕着せのスカートに、ためらいなくナイフを走らせた。
 裂けたスリットから露わになった脚で、無造作に一歩を踏み出す。

「あらら、本気ッスね姐さん」
「もう失敗はごめんだわ」

 リオーネはガーターに固定していた短い杖を手に持つ。
 それが合図とばかりに、二人は大勢の声が響く玄関扉へと駆け出した。

 二人に気付いた衛兵らが、恐慌状態で襲い掛かってくる。

「う、うああぁぁ! だ、誰であろうとここは通さん!!」
「ぜ、絶対に通すな!! リセリーナさまの命令は絶対だぁ!!」

 衛兵はノクスミアの効果で、我を失いかけていた。

 目は座り、冷静な感情など一欠けらも持ち得ていない様子がうかがえた。

「攻撃魔法は得意じゃないけど……援護なら任せな!」

 リオーネは走りながら、杖に魔力を籠め始める。

「この人たちも被害者よ! 殺しは厳禁!  行きな、レル坊!」
「了解」

 レルガが前方に躍り出て、テーブルナイフを両手に構える。

「うああああぁぁぁっ!!」

 恐慌状態のまま剣を振り下ろす衛兵の一人を、レルガはあっさりと躱す。

「らぁっ!」
「ぐはっ!!」

 そのままタックルで大きく横に跳ね飛ばす。
 もう一人の衛兵が、レルガの後隙を狙う。

「もらったっ!!」
「敏捷の付与(エアリアルギフト)!」

 しかし、リオーネの補助魔法を受けたレルガは、目にも止まらぬ速さで躱し、残像を残す。

「なっ! ど、どこだ!」
「おせぇっ!」

 いつの間にかレルガは衛兵の背後へ回り、衛兵の腿裏を切りつけた。

「わりぃな。 こっちは急いでんだわ。 ……死にゃしねぇよ」

 いつもの人懐っこい笑みは消えていた。
 目を細め、倒れた男を冷ややかに見下す。

「アンタ……戦闘になると人が変わるわね……」

 二人の衛兵があっさり倒れた事で、後詰の彼らの表情が恐怖に染まる。

「ひ、怯むな! リセリーナ様の命令を守れぇ!!」

 隊長格が発破を掛け、衛兵たちの士気が持ち直した。

「これだけの兵に命令をしていたって事は……」
「どうやら夫人は誰も逃がす気は無かったようッスね」
「かかれぇッ!!」

 大勢の衛兵が一斉にこちらへと向かってきた。

「いいわ、押し通るっ! 合わせな! レル坊!」
「応ッ!」

 リオーネが杖を構え、レルガが飛び出す。

 衛兵たちが飛び出したレルガへ、集中攻撃を仕掛けようと襲い掛かる。

「神経妨害干渉(パルス・ディスラプション)!」

 剣を振りかぶった衛兵たちが、一瞬痺れたように足がもつれて態勢を崩す。

 その隙を逃さず、レルガは膝蹴りや肘打ちを、次々と衛兵へと叩き込む。
 身体を回転させ、まるで踊るような乱舞であっという間に一人を撃退する。

 レルガはそのまま、呆気に取られていたもう一人の方へ大きく跳躍した。
 衛兵は、反射的に剣で防御の体勢を取る。

「その剣、両断してしまいなさい!」

 リオーネが短杖を振り、籠めた付与魔法をレルガに飛ばす。

「おらあァァっ!!」

 魔力を受けたレルガの身体に、一瞬の光が灯る。

 強化されたレルガの斬撃は、防御していた衛兵の剣を真っ二つに割った。

 斬られた剣に呆然とする兵。
 そこに、いつの間にか距離を詰めていたリオーネ。

「はぁっ!!」

 スリットから伸びた脚が、大きく鋭い弧を描いた。
 風切り音とともに、衛兵は派手に吹き飛び、床を滑った。

 翻ったスカートを片手で軽く押さえ、リオーネは何事もなかったように脚を下ろした。

「へっ! マブいぜ、姐さん!」
「あと四人よっ!」

 リオーネの掛け声とともに飛び出すレルガ。
 懐から取り出したナイフを両手で投擲。

「う、ぐあぁ!!」

 衛兵の一人の鎧の隙間を縫い、脚と肩口にテーブルナイフが突き刺さる。
 そのままその場へと崩れ落ちた。

 レルガが瞬時に横に飛び、相手の死角に入る。
 正面にはリオーネが一人残されたが、既に次の詠唱を始めていた。

 その隙を逃すかと、さらに二人の衛兵がリオーネに襲い掛かる。

「過剰回復促進(オーバーエイド)!」
「あ、熱いっ!!」

 過剰な治癒の熱と痺れに、腕を押さえしゃがみこむ衛兵。
 もう一人の男が、構うものかとリオーネに飛び掛かる。

 死角から隙を伺っていたレルガが、瞬時に前に躍り出る。

「甘ぇんだよ」

 目にも止まらぬナイフの斬撃が、彼の手首を素早く切りつける。

「ぐっ……!」

 レルガはそのまま、剣を取り落とした男の懐へ踏み込み、肘を鳩尾へと叩き込む。
 衛兵は息を詰まらせ、そのまま膝から崩れ落ちた。

「あと一人っ!」
「ま、待て!」
「もう遅ぇっ!」

 戦意を失った最後の隊長格。

「ひ、ひいぃぃっ!!」

 すっかり心が折れた衛兵隊長は、正面扉へと背中を押しつけた。

「邪魔よっ! どきなさいっ!!」
「は、はひぃぃっ!!」

 恐怖に飲まれた衛兵隊長は、リオーネの覇気に気圧され、慌てるように扉から離れる。

「行くわよ!!」
「おうよっ!!」

 二人は同時に大きく身を捩る。

「せぇぇいっ!!」
「はぁッ!」

 綺麗に合わさった左右二つの回し蹴りが、重たい正面扉へと突き刺さった。


――バガァンッ!


 閂ごと砕け、扉が勢いよく外へと開く。
 ビュウウと吹き込んだ一陣の夜風が、二人の肺へと流れ込んだ。

 夜空に輝く月明かり。

 外の冷気の心地よさが、瘴気の篭もる館から抜け出した実感を、一層感じさせた。

「……ふぅ」

 レルガは、思わず安堵の息を漏らす。

「一息ついてる場合じゃないわ! 中にはまだヴァルグレイもハルネちゃんも、沢山の人が残ってる!」
「っ! そうっスね! 増援が来る前に、局長の部隊と合流しやしょう!」

 戦闘の余韻もそこそこに、二人は月明かりと篝火に照らされた夜の庭へと走り出す。

 夜風は冷たく、虫の声さえ聞こえるほど静かだった。
 その静けさの底に、細い悲鳴が混じっている。

 黄金色の温かな灯火に包まれていたはずの、アルテノット男爵邸。

 それが今は、窓に薄紫の明かりが滲み、まるで呪われた孤城のように、月夜に浮かび上がっていた。


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