【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―

第79話 怖くない



「やだ、やだ、やだ!」
「……落ち着け!」
「やだっ! 離して!」

 ヴァルさまの言葉を聞きたくない。

 言ってしまった。
 全部、全部言ってしまった。

 知られたくない事、聞かれたくない事。
 なにもかも全部言ってしまった。

「どうせ幻滅したんでしょ!」
「何を言う!?」
「ヴァルさまばっかり責めたてて……臆病で、卑怯で、自分勝手なあたしに幻滅したんでしょ!」

 早く。
 早く、嫌いになって。

「キミが勝手に言っている事だろう! 私はそんな事は思っていないっ!!」
「ウソだ! 早く嫌いになってよ! あたしに期待……させないでよ!」

 ヴァルさまを突き放そうと、腕を突っ張るたびに胸が痛くなる。
 自分が何を言ってるのかも、何をやってるのかもよく分からない。

 あたしの心はぐちゃぐちゃだった。

「話を聞けっ! ハルネ!」

 ヴァルさまがあたしの両腕を捕える。
 腕を突っ張れなくなった代わりに、今度は身体を捩って暴れた。

「離してよ! ほっといてよ! 早く言ってよ! デブなあたしに好かれて迷惑だって言ってよ! 醜いあたしなんて結構だって言ってよ! あたしが嫌いなあたしをハッキリ嫌いって……んんむぅ~~~っ!!」


 柔らかい感触。


 何が起こったのか分からなかった。

 突然目の前に迫ったヴァルさまのお顔。
 あまりの衝撃に、頭が真っ白になった。

 今、何をしていたのかも忘れて固まった。
 息を呑んだまま、身動き一つ出来ない。
 跳ねまわっていた感情が、ぴたりと足を止めた。

 やがて、触れていた熱がゆっくりと離れる。

「……はぁっ」
「…………」

 苦しさから一息。

 すぐに、今起こった何かを確かめるように唇を指でなぞった。
 唇に残った熱が妙に鮮明で、なぜだか涙が出そうになった。

「な、な、な……」

 段々と処理が追いつく。
 遅れて顔が熱くなる。 頬が熱くなる。 耳も熱くなった。

 両腕は、もう離してくれていた。
 でも、ヴァルさまが、フイっと視線を逸らした。

 その仕草が、なんだかカチンと来た。

「い、いきなり、何すんのさっ!」
「…………すまない」
「すまないじゃないよっ!」

「では、私はどうすればよかったんだ!!」
「ひくっ……」

 急に叫んだヴァルさまに、言葉が引っ込んだ。

「何を言っても届かない! 何を否定しても、自分を傷つける言葉ばかり!!」
「あぅ……」
「……私だって……どうすれば良いのか、分からないんだ」
「ううぅ……でも! だからって……初めてだったのにぃ!」
「……」

 黙ってしまったヴァルさまに、怒りが再燃する。

「う、うぐぐぐっ……ヴァルさまの、バカっ!」

 叫んだ勢いのまま、胸を叩こうとした拳が腕ごと掴まれた。
 また、逃げられなくなった。

「バカっ! アホっ!」

 せめて罵倒をぶつける。

「……ああ」
「へ、変態っ!」
「……否定はせん。 無理やり奪ってしまった。 罵倒ならば、あとでいくらでも聞く」
「ひ、開き直るなよぅ……!」

 あたしは、すっかり勢いをなくしてしまった。


「…………」
「…………」

 沈黙。

 なぜか、お互いに黙ってしまった。

 静寂が痛い。

 なんでヴァルさまは何も言わないのよ。

 何か言わなきゃ……でも、何を言えば?
 こうやって迷った時、あたしはいつも何をしてたっけ?

 そうだ。 相手の……色を、視て……

「……なぁ、ハルネ」
「……っ!」

 なぜだか、急に怖くなった。
 ヴァルさまの声に、今考えていたものが霧散する。

 パニックがぶり返し、足が勝手にヴァルさまと反対方向へと向かい出す。

「待てっ! 逃がさんっ!」

 後ろから、ぎゅっと抱きとめられた。
 背後から回された腕に、再び心臓が慌ただしく脈打つ。

 また……逃げられなかった。

「……私の話を、聞いてくれ……」

 耳元でささやくヴァルさまの声。
 それは、今まででいちばん弱々しく聞こえた。

「……同じ、なんだ」
「……へっ?」

 思わぬ言葉に、素っ頓狂な声が漏れ出た。

「……私は、守るだけでいたかった。 キミを求めるなど……あってはならないと思っていた」

 あたしを、求める?

「……ハルネ。 いつかキミは言ったな。 「エモパレで自分は視れない」、と」
「……うん」

 そうだ。

 エモパレで自分を視ても、何も映らない。浮かんでこない。
 自分の感情だけは、視れない。

「……その通りだった。 私は、自分の感情が一番わからなかった」

 あたしを抱く腕の力が強くなった。
 まるでしがみつくように。

 なぜだかそうしたくなって……
 あたしはその腕に、そっと自分の手を重ねた。

「……キミが、選ばれることを怖がったように、私も……キミを選ぶ事が、怖くてたまらなかった」
「…………」
「……失いたくない。 こんなに焦がれたのは初めてだった。 初めてゆえに……どうしたらいいか分からなかった」
「……うん」

 ヴァルさまの腕を、そっとさする。
 その腕がわずかに強張った。

 あたしを抱く力は、どんどん増していった。

「……私は、驕っていた。 キミを守るなどと保護者を気取り……上の立場でいる事で、安心したかった」
「……ヴァルさまは、あたしをたくさん守ってくれたよ?」
「違うっ! 守られているのは……私の方だった! 今も、こうやって……キミの優しさに守られている……っ!」

 密着した背中から、震えが伝わってきた。

 ヴァルさま……

「思えば、幾度も、キミは私を守ってくれた。 魔眼に怯えたあの夜も、感情に飲まれた先ほども、いつだってキミは、私を包み、照らしてくれた。 …………すまないっ!!」
「え?」
「……すまないっ! 本当にすまない! 何度もキミは守ってくれたのに……私は、キミを傷つけ、奪い、怯えさせっ……気持ちを言葉にするのさえ、キミに、言わせてしまった……っ!」

 ヴァルさまの声には、いつもの冷静さがなかった。
 それだけ必死で、本音なんだと、伝わってきた。

「……悔しいっ、情けない! ……だがな、私は、こんなにもキミを傷つけてなお、キミが欲しいんだ」

 欲しい……本当に?

「……ハルネ。 私はな、自分のような男が、キミを幸せに出来るはずが無いと思っている。 今もだ」
「そんなことないよ……」

 少なくともあたしは、ヴァルさまを想うのは、苦しかったけれど……
 間違いなく幸せでもあった。

「……そうか。 ならばハルネ。 臆病で意気地のない私に……キミの勇気を分けてくれ」

 あたしを抱いていた腕がほどけ、背中から温もりが離れた。

 次の瞬間には、ヴァルさまがもう目の前にいた。

 少しだけ膝を折って、あたしと同じ高さまで目線を下ろした。
 いつも見上げていた琥珀色が、今はまっすぐに、目の前にある。

 もう…………逃げられない。

「……選ぶという事は、”約束”する事」

 ヴァルさまがあたしの手を取り、その甲へ静かに口づける。

「……ハルネ、キミを愛している。 だが、私ではキミを、幸せに出来ないかもしれん」

 ここに及んでなお、前向きに言い切ってくれない。
 それが、とってもヴァルさまらしいと思った。

「……だから」

 手の甲から離れたその手が、今度はあたしへと差し出される。
 指先は、ほんのわずかに震えていた。


「キミを不幸にするかもしれない道を、一緒に歩んでくれないか。 ……本当の、妻として」


 琥珀色の二つの瞳が、答えを待つように、かすかに揺れていた。

「キミと、”約束”をさせてくれ」


 妻。

 その言葉を聞いて、胸がいっぱいになった。

 仮、じゃない。
 本当の、本物の奥さん。

 嬉しい……嬉しい!
 今度は、勘違いじゃない!

 勢いのままに。

 ヴァルさまの手を取りかけて。

 止まった。

 嬉しい。

 涙が出そうなほどに。

 だってやっと、選んでくれて。
 あたしをただ一人と、選んでくれて。

 この手を取れば、それが叶う。


 ……………………本当に?


 本当に、叶うの?

 ずっとずっと欲しかったもの。

 二度の人生を通じて、やっとやっと手に入りそうなモノ。

 嬉しいのに……
 欲しいのに……!
 この手を取れば叶うのにっ!!

 あたしを縛っていたモノが、邪魔をする。

 ほら見なさいよ、と。

 ぽっちゃりで。

 泣き虫で。

 うるさくて。

 臆病な。

 そんなあたしで……


「うぅ……」 

 ヴァルさまがっ……

 好きって……愛してるって言ってくれたのに。

 約束しようって……言ってくれてるのにっ……!!


「はぁ……はぁ……」

 上手く息が出来なくなる。

 胸が、苦しくて、痛くなる。


「信じたい……信じたい……信じたい……!」

 早く手を取れ。

 とっちゃえばいいんだ!

 信じられるのに!

 何度もヴァルさまの手を取ってきたのに……っ!

 なんで、今……こんな時に……あたしの手は……


 動かないのさ……っ!


「ご、ごめんなさい……」

 断りたいわけじゃない。
 信じたい気持ちでいっぱいなのに。

 どうしても…………

「こ、怖いの……っ!」

 裏切られるのが?
 この幸せが、いつかなくなるのが?

 わかんない。 わかんない。 わかんない。

「ごめんなさい……ごめんなさいぃ…………」
「…………」

 ヴァルさまの顔が見られなくて、あたしは顔を下に伏せる。
 そうすると罪悪感で、もっと胸がいっぱいになる。

 ……ふと、あたしの手が何かに包まれた。

 人肌。

 ヴァルさまは白い手袋を外し、
 両手であたしの手を包んでくれた。

 優しく、そっと。

 仕草だけで、ヴァルさまの愛情がたくさん伝わって来た。


「……気づいていたよ」

 ヴァルさまのその言葉が、何を意味しているのか、分からなかった。

「……ハルネ。 私を視ろ。 感情の色を」
「……え?」
「これも、キミが教えてくれた。 良くも悪くも、我々の絆が教えてくれる」
「…………」
「……お揃い、なんだろう?」

 ヴァルさまの左手の指が、あたしの指に絡んで、ぎゅっと握られた。


「……大丈夫だ、ハルネ。 怖くない」


 ――怖くない。

 なんだかその言葉が、ちょっぴり懐かしかった。

「……目を、閉じて」

 言われるがまま、ぎゅっと目を瞑った。

――気づいていたよ。

 そうだ。
 あたしは……確かめてしまうのが怖くて、一度も、視ようとは……


「……さあ、ルネ。 目を開けて。 何が視える? キミの瞳には、何色が映っている?」


 ……「ルネ」
 その言葉が、じんわりと胸に広がって。

 ヴァルさまの低くて、あったかい声に、誘われて。

 あたしは、ゆっくりゆっくり、目を開ける。

 そこに映っていたのは――


「ああ……」


 滲んでいた涙が、ぶわっと溢れた。

 そう、最初から知っていた。

 知っていたのに、初めて視た、その色は……


「とっても……キレイな……桜の、春の色、だよぉ……っ!」


 ああ……今、分かった。

 あたしは、この色を視るために、エモパレを持って生まれたんだ。


 ヴァルさまの――あたしを想う心が。
 誠実さが。
 一途な感情が。

 陽だまりのようなあたたかさを持って、全身に流れ込んでくる。

 絡められた指を、今度はあたしからぎゅっと握り返す。
 すぐに、ヴァルさまの大きな身体が、ふわりとあたしを包んでくれた。

 こんな……こんな簡単な答えを、ずっとずっと見ないふりしてた。

 ごめんなさい。 ごめんなさい! ヴァルさま、ごめんなさい!


「う、うええぇぇっ……ほ、本当に……本当にあたしでいいの? あたしを選んでくれるの……?」
「ああ、私は、キミがいい。 ハルネがいいんだ」
「あ、あたしも! あたしもヴァルさまがイイの!」

 涙も鼻水も止まらなくて、鏡を見ればきっとひどい顔。

 でも今は、隠したいとは思わなかった。

 嬉しくて。 やっと叶って。 心がいっぱいで。

「不幸な道、なんて……ふふっ。 ヴァルさまは、あたしが幸せにしてあげるんだから!」
「ふっ……やはりキミは、頼もしいな。 ……よろしく頼む」
「うん! えへへ……」

 あたしを選んでくれたヴァルさまへのお返しの笑顔は……

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃで。

 ほっぺも顔も引き攣って。

 きっと可愛くないけれど。


 ……ううん、それでも、ヴァルさまなら。

 ヴァルさまの目に映るあたしなら。

 こんな、ぶさいくな笑顔だって、

 ぽっちゃりなあたしだって、

 ちょっとくらいは、可愛いのかもしれないって思えた。


「ヴァルさま……大好きっ!」 


 背伸びをして、

 今度は、あたしの方から「好き」を押し付けた。


< 43 / 47 >

この作品をシェア

pagetop