【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―

第78話 暴走ルシアンと、激怒のヴァルグレイ



――時は、わずかに遡る。

「バカだって言ってよ! 同情だって言ってよ!」

 ハルネさんの慟哭が、僕――ルシアン・エスタランの胸に刺さった。
 彼女のゼオファルド卿への想いは、聞けば聞くほどに真っ直ぐだった。

 朗らかな彼女が好きだった。 健康的な彼女が好きだった。
 偽りの夫婦だと知って、一縷の望みを賭けていた。

 手に入れたい、振り向かせてみたいと、そう思った。
 それほどに、彼女は魅力的だった。

 ……だが、それももう終わりだ。

 最初から、彼女の心には、彼しかいなかった。

 踵を返す。
 まだまだホールは混乱の最中。
 自分の役割を果たさねば。

 一足先に入り口へと戻った、メイド服に身を包んだ金髪のそばかすの少女の元へ。
 彼女は、ハルネさんの親友と言っていた。

 自分に対しても臆さずにものを言う彼女の、真っ直ぐな気性が印象的だった。
 あの少女ならば、今の自分を笑い飛ばしてくれるかな?

 ふふっ、と思わず笑い声が漏れた。
 くだらない事を考えてしまった。
 軽薄な自分を自嘲しながら、足を動かし始めようと思った、その時。

――肩を、グイィと掴まれた。


「諦めるのですか」


 ゾッとするほど、妖艶な声。

「なっ……だ、誰だ!」
「アナタはハルネさんが好きなのでしょう? 良いのですか? このままヴァルグレイ様に盗られても……」

 掴まれた肩越しに振り向くと、吸い込まれそうなルビー色の瞳が目に飛び込んだ。

「ア、アルテノット夫人っ……!」
「彼女を、諦められますの? アナタはそれで満足ですか?」
「だ、だが、僕は……」
「わたくしには分かりますわ。 アナタはまだ、燻ぶっている」

 淡い金色の髪から滴り漂う、濃厚な香り。
 嗅ぐほどに、彼女の言葉が染みわたっていく。

「彼女の言葉を聞いたのでしょう? ハルネさんは迷っています。 アナタの言葉で、彼女を困らせるのです」
「えっ……」
「彼女に迷いを与えなさい。 ルシアン様の恋心を、想いを……ハルネさんに、ぶちまけるのです」
「彼女に、想いを……」
「さあ、お行きなさい!」

 アルテノット夫人に、ドンっと背中を強く押された。

 そうだ……今なら、間に合うんだ。
 敗れたとしても、彼女にもう一度、本気で想いを告げるんだ!

 自分でも驚くほど機敏に、そして軽くなった足。
 階段で語り合う彼らの元へ、気がつけば全力で走っていた。



―――――――



 ハルネを攫って走るルシアンを見て、リセリーナは歓喜の声を上げた。

「ステキですわ! 想いを伝えるのは大切ですものね! フッフフフ……アッハッハッハっ!!」
「貴様の仕業かリセリーナァッ!!!」

 叩きつけるような怒声が、階段の空気を震わせた。
 凄まじい殺気がリセリーナに向かうが、彼女は笑うばかりで、まったく怯むことはなかった。

「ヴァルさまぁ!!」
「くっ……ハルネさん! 僕の想いを……聞いてくれ!」

 ハルネを抱えたルシアンは、二階奥へと走り去る。
 ルシアンの足取りは、すでに覚束なかった。

 だが、それでも勢いのまま、階上で膝を着くアルテノット男爵の横を駆け抜けていった。
 リセリーナへ向けられていたヴァルグレイの殺気が、今度はルシアンへと叩きつけられた。

 背中越し、ヴァルグレイと目が合ったハルネは、必死に叫び続ける。

「イヤだ! ヤだよ! あたしが……あたしが好きなのはヴァルさまだけなの! 離して! 離せ! 下ろしてよぅ!!」

 ルシアンの背中を必死に叩くハルネだったが、ルシアンは決して速度を緩めない。

「イヤだっ! 助けてっ! ヴァルさまぁ!!」

 助けを呼ぶハルネの声に、ヴァルグレイの形相は鬼のそれへと変わった。

「ルシアン貴様ァーーーーーッッ!!!!」

 かつてないほどのヴァルグレイの怒号が、ホール中に響き渡った。

「ハルネを……貴様なんぞにぃ……絶対にっ渡すものかっっ!!」

 噴き上がる殺気は、もはや黒い影のように纏わりつき、彼の輪郭さえ揺らいで見えた。
 階段を駆け上がろうと、足を踏み出すが、それは叶わなかった。

「させませんわ!」

 リセリーナがヴァルグレイの足にしがみ付く。

「うおおああぁっ!! 離せ貴様ァッ!!!」
「絶対に離しませんわ」

 淑女にあるまじき力でしがみつくリセリーナを、足ごと振り回す。
 リセリーナの執念は、幾秒かの時間を稼いだが、ヴァルグレイの怒りがそれを上回った。

「あうっ!」
「リ、リセリーナっ!」

 いつの間にか階上から降りてきていたアルテノット男爵。
 リセリーナを庇うように、身を挺す。

「邪魔だっ!!」

 足元に絡みつく二人を、まとめて階下へと蹴り落とす。
 男爵が妻を抱え込んだまま、二つの身体は転がっていく。

 落ちていく彼らを、ヴァルグレイは一顧だにしなかった。



―――――――



 一方、ハルネとルシアン。

 ハルネを肩に担いで逃げながら、ルシアンはハルネに問い続けていた。

「ハァハァ……! ハ、ハルネさん、僕は君が好きなんだ! ぼ、僕にもチャンスをくれ!」
「イヤだ! 離してよ! 下ろして!」

 聞く耳を持たず、ひたすらに暴れるハルネ。

「な、なぜだ!? 僕の方が年は近い! 僕なら、キミを堂々と侯爵夫人として迎えられる!」
「そんなものいらない!! イヤだ! あたしは、ヴァルさまだけなのっ!!」
「ハルネさん……」
「それ以外はいらない! 何にもいらない!!」
「……っ!」

 暴れるハルネに耐えきれず、もつれるように倒れ込む二人。
 片膝を着いたルシアンの頭に、ふと疑問が浮かんだ。

(なぜ……僕はこんなに必死に? 彼女に気持ちを伝えた所で……)

 ルシアンの顔から、急速に血の気が引いていく。

「ハァ……ハァ…………僕は、何を……?」

 息が整うにつれ、罪悪感が湧いてくる。
 ハルネの激しい拒絶が、今更ながらに遅れて胸へと染み渡った。

「ハルネさん……」
「う~~っ!」

 ハルネも、ふぅふぅと息を整えながら、ルシアンに対して唸って威嚇する。
 その小動物のような愛嬌に、ルシアンの表情が崩れた。

「……やっぱり、敵いませんね。 最初から勝負は決まっていたのに……」

 自嘲の笑みを浮かべ、ルシアンはその場に立ち上がる。
 そのまま、威嚇しているハルネに手を差し出す。

「そんな目で睨まないで。 ……すみませんでした」

 差し出された手をじっと睨み、ハルネは自分の力で立ち上がった。
 

――ゾッ


 恐ろしい殺気を感じたルシアンが、後ろを振り返る。

 そこには、追いついたヴァルグレイの姿があった。
 纏う殺気は、さきほどと変わらず、周囲の空気を歪ませるほどだった。

 まずは謝罪をしなければ。
 ルシアンはその考えに囚われ、不用意に彼に近づいた。


「……あぁ、ゼオファルド卿。 申しわぶはっ……!!」


 ルシアンがその言葉を言い終える事は無かった。
 何の言い分も聞くことなく、ヴァルグレイの拳が彼の頬へ突き刺さっていた。


「ヴァルさまぁっ!!」
「……ハルネっ!」

 吹き飛ばされたルシアンを、二人が省みることはなかった。

 ヴァルグレイは、迎えるようにハルネを抱き寄せる。
 ハルネもまた、その胸へと縋りつく。

 しかし、二人が抱き合っていたのは、わずかな間だけだった。
 ハルネは突然、激しくかぶりを振り、イヤイヤと暴れて離れようとする。

「イヤだ! 離して!」
「なっ! ハルネ!」

 腕を突っ張り、必死に離れようとするハルネに、ヴァルグレイは混乱する。


「聞きたくない! 怖い! やめて! 返事なんか……聞きたくないんだよぅ!!」


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