【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―
第81話 宴の終わり
「どうかね?」
「これは、いわゆるひとつのバッキバキ……」
「うん?」
「あっ……いえ! ……ほ、骨は砕けていますが、命に別状は無いと思います」
セーヴランとリオーネは、仰向けに倒れたギルトハルトの様子を窺っていた。
薬の作用が薄れたのか、異様に膨れ上がっていた筋肉は萎み、元の姿へと戻っていた。
「ちょっと痛々しいので治癒魔法は施しますが、完全に治すのはカームを使ってからですね。 シャリエナちゃんを呼ばないと」
「ああ、今暴れられなければそれでいい。 それにしても……」
セーヴランが横を向く。
その視線の先には、会話している二人の姿があった。
一生懸命何かを語っているハルネに、満足そうにそれを聞くヴァルグレイ。
「くっくっく……ハッハッハ!」
「ど、どうしました?」
急に笑い出すセーヴランに、引いた様子をみせるリオーネ。
「リオーネくんも見たまえよ。 仏頂面しか見せなかったヴァルグレイの、あの顔を、さ」
「ええ、そうですね。 ……よかった」
胸の奥が、ほんの一瞬だけちくりとした。
けれど、その痛みよりも、長年見てきた男がようやく穏やかに笑っている事に、安堵した。
「……実はね、私はずっと気にしていたんだよ。 本人の意向があったとは言え、心を蝕む異能を使わせ続ける事をね」
「ええ……」
一度は命令で使用を制限させた事もあった。
しかし、ヴァルグレイの強い意志は、まるで自分を傷つけるように、仕事にも捜査にも熱心だった。
「それがどうだい? あのヴァルグレイが! あんな愉快な口上に真顔で付き合う日が来るなんてね! ハッハッハ!」
手を叩いて笑うセーヴランに、少し引き攣るリオーネ。
「アレは……だいぶハルネちゃんの影響だとは思いますけれども……」
「うん、そうだね。 いい娘を見つけたねヴァルグレイは。 私も嬉しいよ」
セーヴランは、温かい親心を思わせる目線を二人に送った。
「ところで局長。 こんな所で油を売っていて良いんですか?」
「なにがだね?」
「”本命”の確保がまだですが」
「ああ、それも時間の問題だろう。 さきほどリカルドとレルガくんに追わせた」
―――――――
「いたか?」
「いないッス。 あんな一瞬でどこ行っちゃったんスかね?」
数名の調査局員と共に、リカルドとレルガはアルテノット夫妻の行方を捜していた。
屋敷の出入り口はすべて固めてある。
袋のネズミのはずだった。
「くそう……逃げられるハズはないんだがな」
「ハル姐さんから聞きやしたが、ルシアン侯爵令息様が二階でぶっ倒れてるみたいっス」
「……エスタラン侯爵令息まで行方不明ってのは勘弁願いたい。 二階を探すぞ」
二人は二階を見上げる。
するとそこには、手すりに手をかけてホールを見下ろす、白いドレスの影があった。
「見つけたぜっ! あそこだ!」
―――――――
「楽しかった宴ももう、おしまいですわね」
すっかり霧が薄くなり、霞のような靄が舞う一階ホールを見下ろすリセリーナ。
横に立つエドリックの顔色は、蒼を通り越し、土気色に変わっていた。
無表情だったリセリーナは、その憔悴しきった夫の表情を見て、満足そうに微笑む。
「どうするんだい、リセリーナ……」
エドリックは、本当は逃げるつもりはなかった。
罠を仕掛け、この宴を開いた自分自身も、裁かれるべき存在だと分かっていた。
「どうもしませんわ。 共に制裁を受けましょう」
「せ、制裁って……そ、それが分かっていながら、なぜこんな事を……」
「そのお顔が見たかったからですわ。 フフフ」
エドリックは、妻の屈託のない笑顔に、胸の奥を締めつけられる。
出会った頃の、求婚されたばかりの頃の彼女と、何一つ変わっていない。
「結局……ノクスミアをもってしても、キミの愛を、確かめられなかった……」
「わたくしの愛を疑っているのですか?」
「そ、それはそうだろう! キミはいつもいつもいつも! 僕を困らせる事しかしないんだから!」
弱気な彼に珍しく、語気の荒い言葉が出た。
その声に、リセリーナのルビーの瞳がわずかに和らぐ。
エドリックへと向ける眼差しに、いつもとは違う、穏やかな温度が宿った。
「ハルネさんがおっしゃっていました。 どうして男爵さまを選んだの? と」
「あ、ああ……聞いていた」
「わたくしが愛しているのは、アナタ、ただ一人ですわ。 エドリック……」
「…………」
「わたくしはアナタを選び、愛し抜く事をもう決めているのです。 何があっても離れません。 何があっても離しません」
リセリーナがエドリックの胸にすがる。
熱っぽい視線。
エドリックは、リセリーナの言葉が信じられない。
しかし、この熱烈な視線に、何度も何度も抗う事を諦めさせられてきた。
「リ、リセリーナ……」
だが、これほどの事件を起こしたとしても。
その思惑の行き先が自分に向いていたのであれば、その愛情はやはり本物なのでは?
今度こそは、信じられるのでは?
もう何度目か。
またしてもそう思ってしまったエドリックは、縋ってきたリセリーナの肩へと腕を回した。
「わたくし、今から楽しみですの」
「っ! な、なにがだい?」
回した腕が引っ込んだ。
相変わらず話が唐突で掴めない。
夫婦として長い時間を過ごしてなお、エドリックは妻の気持ちを一つも理解できていなかった。
「旦那様が、どんな制裁を受けて、どんな悲痛な顔をなさって、どれだけ辛くなってくれるのか。 もう……今から胸の高鳴りが止められません」
「なっ……キ、キミだって同じような目に遭うのかもしれないんだよ!?」
「そこにはあまり興味はありませんの」
「キ、キミという人は、本当にっ……!」
やはり妻の気持ちは理解できない。
それは生涯続くのかもしれない。
それでもエドリックには、この美しく、歪なほどに一途な妻を、愛さない事などできなかった。
エドリックの表情に諦めの色が濃くなったのを察知し、リセリーナに恍惚が浮かぶ。
「……あら、良いお顔ね。 愛していますわ、旦那様」
リセリーナはエドリックの頬を掴み、そのまま顔を寄せ、口づけを交わした。
―――――――
あたしは、二階に駆け上がっていく調査局員たちを眺めていた。
ふと、二階回廊の張り出し部分を見ると、リセリーナさんとエドリックさんの姿が見えた。
いつの間にあんな所に……
会話は聞こえない。
二人が捕まれば、この舞踏会も終わる。
やっと終わるんだと胸を撫で下ろしながら、身を寄せ合った二人をじっと見つめていた。
そして、突然、リセリーナさんが男爵さまの唇を奪った。
……え?
なんで?
どうなってそうなったの?
色んな疑問が浮かんでは消える。
でも、遠くからでも分かるリセリーナさんの濃厚な口づけに、なんだかあたしの方が落ち着かなくなった。
ざわざわした気持ちでそれを眺めていると、急に目の前に影が出来る。
ヴァルさまが、あたしの視界を塞ぐように手を差し出していた。
「……あんな狂気(モノ)は見るな」
吐き捨てるようにそう言った。
そして……
「……キミの瞳には、私だけを映していればいい」
「わっ!」
ヴァルさまらしくない言葉を言い放つと、あたしをスイっと抱きかかえた。
これは……お姫様抱っこ!
初めて会った時の事を思い出す。
助けてもらって、羽毛を抱えるように軽く持ち上げてくれて、頼もしさに安心を覚えたっけ。
あたしはもっと距離が近くなるように、そして密着できるよう、ヴァルさまの首に手を回す。
あの時のドキドキと違うドキドキに、なんだか心が躍りだしそうだった。
「重くない?」
「……軽いモノだ」
「ヴァルさまは、独占欲が強いんだね」
「……ああ、キミが引くほどにな」
「あたしも……重い女だよ? 色んな意味で!」
ヴァルさまがフっと笑う。
「……そこはキミには負けんよ。 私の方が重い」
「んふふ。 じゃあ、あたしたちやっぱり、似てるのかもね」
性格は真反対だと思う。
でも、ヴァルさまが告白してくれた時に言った通り。
同じ、なんだ。 きっと。
それが例えどんなものでも、おそろいで同じという事実だけが、あたしの胸を弾ませる。
「ねぇ、ヴァルさま」
「……なんだ」
「あたしの事、愛してる?」
「……ああもちろん。 愛している」
「あたしも、大好き! ずっと……ずーっと一緒にいてね? 一人にしないでね? 離さないでね? 約束だよ?」
「……ああ、決して離さない。 約束だ」
視線が、合わさる。
気持ちが、通じる。
感情が、わかる。
ヴァルさまの、琥珀色の……ううん、今は、ほのめく蜂蜜色の瞳。
あたしの瞳も、きっと同じ色に揺れている。
見ているものも、宿る感情も、今はひとつに重なっている。
あたし達は、ずっと違う場所にいたようで、こんなにも近かった。
「……この美しい感情の色も、この唇も、絶対に離さない」
顔を寄せたヴァルさまの唇に、
ふと、人差し指を当てて、止めてみた。
不思議そうな顔をしたヴァルさまの表情。
どこか不服そうなのが愛おしい。
いたずらが成功した事に満足して、思わずくふふと頬が緩んだ。
……ああ、くすぐったいなぁ。
好きと好きが混ざり合って、ソーダみたいにスキが弾ける。
その不満そうな顔も好き。
照れくさそうな仕草も好き。
今日も、明日も、明後日も、
一緒にご飯を食べようね。
うるさいあたしを、許してね。
泣き虫なあたしを、ぎゅってしてね。
ぽっちゃりなあたしのことも、愛らしいってちゃんと言ってね?
ヴァルさま……
あたしの好きな人。
あたしを選んでくれた人。
怖くて、優しくて、不器用な、あたしだけのオジさま。
あたしの愛する……
旦那さま!
「ありがと!」
ヴァルさまの頬に手を伸ばし、
あたしの方が重いんだぞという愛を込めて、
人生最高のキスをした。
~ 第8章 ―完― ~