【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―
第8章その後
第82話 最終話 エモパレ
舞踏会の夜が明けた。
緩やかな丘の向こう、遠く静かに佇むアルテノット男爵邸。
昨晩の大騒ぎが嘘みたいに、朝陽を受けて白く輝いて見えた。
入り口の辺りには、何人かの衛兵や調査局員が慌ただしく出入りしているのが見える。
時折、風に乗って届く喧騒も、ここまで離れると遠い波音みたいだった。
昨夜、あそこにいたんだな、と、あたしは他人事みたいに思った。
鼻先を撫でる風には、今でもカモミールの香りが残っている気がした。
―――――――
アルテノット男爵邸から少し離れた丘の上。
事件後の処理もひと段落して、あたし達は休憩がてら、ここまで足を延ばしてみた。
「……ドレスも似合っていたが、やはりキミにはその姿は馴染むな」
「でしょ?」
ドレスやタキシードは、あの騒ぎで大分ボロボロになってしまっていた。
あたしは普段着に、ヴァルさまはいつもの官服に着替えていた。
あたしの普段着はシャリエナが持ってきていた。
何かあった時のために、と。
さすエナ……
「眼帯、つけないの?」
見慣れた青い官服に戻ったヴァルさまの左眼には、いつもの眼帯がなかった。
「……ああ」
「大丈夫?」
「……正直、怖い。 だが、キミがいつも見ている景色を、私も同じように見たくなった」
エモパレに慣れなよ、と言ったのはあたしだった気もするけれど。
それでもやっぱり心配は心配。
顔を覗き込むあたしに、ヴァルさまは「大丈夫だ」という顔を返した。
「ここは気持ちいい場所だね」
「……そうだな」
雲一つない青い空。
丘の上から広がる景色を見ているだけで、なんだか心がスッキリしていく。
さわさわと草を駆ける風の唄が、心地よく耳をくすぐる。
原っぱに腰を下ろし、気になった事をまとめてヴァルさまに聞いてみることにした。
まず、アルテノット夫妻は調査局に一旦身柄を預けられた。
けれど、オルヴェリス公爵家の横槍が入り、処分については相当に揉めるらしい。
ルシアンさまとギルトハルトさんは治療院へ。
どちらも命に別状は無いと聞いて、あたしはようやく肩の力が抜けた。
「あたしは、リセリーナさんの事は嫌いじゃないんだけどな」
「私は大嫌いだ」
「あはは! ヴァルさまはそうかもね」
「……抱き着かれた時は正直吐きそうだった」
「え~? ホントは、嬉しかったんじゃないの?」
「そんなはずなかろう! ……抱き着かれるのはキミだけでいい」
「っ! お、おごごご……」
急にノロケてくるヴァルさまに不意打ちを食らった。
オジさまはリセリーナさんの処遇が不満みたい。
だけど、あの人を罰した所で、彼女が懲りる姿なんて全然想像できない。
うーん……天災だと思って飲み込もうよ。
「ルシアン殿はキミに謝罪をしたいそうだ」
「うーん、別にあたしはもう気にしてないんだけどな」
「……そうか。 ならば断っておこう」
「いいの?」
「……私が会わせたくないのだ」
なんだろう。
ヴァルさまの気持ちがさっきから剥き出しだ。
意外には思ったけれど、新たなヴァルさまの一面が見れて嬉しくなった。
「ふふっ、会わせたくないって。 いや、ヴァルさまも謝ろうよ。 ぶん殴っちゃったんだから」
「……ハルネがそう言うなら、けじめとして謝罪はする」
「うん!」
「だが、許すつもりはない」
「んもう」
拗ねるヴァルさまが、ちょっとかわいい。
でもルシアンさまは侯爵の息子さんだし、ヴァルさまに何かあったらイヤだな。
まぁ、いざとなれば、ルシアンさまならあたしが謝り倒せば許してくれそうな気はする。
と、心の中でいくつかの算段をつけていると、ヴァルさまが急に神妙な顔になる。
「……今回の一連の事件で、キミ……ならびにサフラン香房には大変な負担をかけた」
「うん……」
今回のノクスミア事件。
ヴァルさまと出会えたのは幸運だったけど、本当に色々と大変だった。
「……だから、壊してしまったサフラン香房の日常を、今度は一緒に立て直したい」
真っ直ぐにこちらを覗く、琥珀色の二つの瞳。
「こちらの都合で営業停止にしたにも関わらず、事件の解決にも大きく貢献してくれた」
「うん」
けっこう頑張ったよ、あたしたち。
「……なので、謝礼と補償が出る」
「マジ!?」
お金が出ると聞いて、思わず下品な返事が出た。
「……ああ。 カモミールの買取やキミへの依頼も含めて、そこそこの額が出るはずだ」
「ああ、よかった~! 実はちょっと厳しかったんだよね……」
香房は、結構長いこと営業を止めてしまっていた。
お店を開ければいくらでも稼げる自信はある。
だけど、やっぱり収入が無い中で目減りしていくお金は、精神的に気持ちの良いものではなかった。
「……それに加えて、私個人でも補償をしたい」
「えっ、そこまではいいよ! 調査局から出してくれるんだったらそれで十分……」
「……そうだな、キミは受け取らないと思った。 だから補償ではなく、投資だと思ってくれ」
「投資?」
「サフラン香房はもっと大きくなる。 キミならそうするだろう」
「まあね? ヴァルさま見る目あるじゃん」
「それに私もしばらく現場を外される」
「えっ!?」
「……営業停止の件と、その他諸々でな。 局長に休暇を投げつけられた。 しばらく大人しくしていろ、と」
「それは……」
「……だから、新装開店するサフラン香房を、私にも手伝わせてほしい」
待って、整理させてよ。
つまり、ヴァルさまが金銭的にも人手的にも手を貸してくれる、と。
「いいの?」
「……仕事ばかりで使い道のなかった資産と、暇を持て余す中年男でよければ、遠慮なくこき使ってくれ」
「ヴァルさまをこき使う気はないけれど……」
お金はぶっちゃけありがたい。
手伝ってくれる申し出も嬉しい。
でも、なにより……
「一緒に立て直したい」――その言葉がいちばん胸にジンときた。
「じゃあ……手伝ってもらっちゃおうかな! いっぱい仕込んであげるよ!」
有能なヴァルさまなら、お母さんよりはずっと働いてくれるハズ!
それに……
「ヴァルさまが調査局をクビになっても、あたしが養うから安心してね!」
「それは……ふっ、頼もしいな」
「でしょ? 大丈夫! あたし、稼ぐ女だから!」
いざとなったら調査局からトリサちゃんを引っ張ってこよう。
いくらでもお金を稼ぐアイデアはある。
ヴァルさまがお店の事もちゃんと考えてくれるのが嬉しかった。
戻ってくる日常の予感に、なんだか胸の奥がむずむずする。
嬉しくて、安心して、でもじっとしているには少しだけ騒がしい。
「ねぇ、ヴァルさま!」
あたしは沸き立つ気持ちの勢いのまま、立ち上がる。
「……なんだ?」
「踊ろうよ!」
せっかく気持ちの良い原っぱなのだ。
何だか無性に身体を動かしたくなった。
「……踊る? 急に何を……」
「だってさ、せっかくの舞踏会だったのに、全然踊れなかったんだよ? 二回も行ったのに!」
エスタラン侯爵邸とアルテノット男爵邸。
舞踏会という催しに二度も参加したのに、どっちもそれどころじゃなかった。
「ほら! 立って!」
「……キミがそう言うのならば」
ヴァルさまの手を取って無理やり立ち上がらせる。
手と手を取り合って、身体を揺する。
そよ風が鳴らす草を楽器に、あたしの鼻唄を音楽に。
「ふんふ~んふんふふふん、とぅんとぅ、とぅたたん」
「……」
「ふんふふん……何、その顔」
踊ろうとか言っても、舞踏会の楽曲なんて実は全然知らない。
適当に歌って、適当にヴァルさまを振り回しているだけだった。
「……いや、あまりにもその、愛らしくて」
「い、いいじゃないのさ! 別に誰も聞いてやいないし、誰も見てないんだから!」
「……そうか」
「そうだよ。 何だっていいの!」
「……キミが楽しければそれでいい」
「うん、楽しいよ!」
あたしの鼻唄と適当ダンスにヴァルさまが懸命に合わせてくれる。
ときおりクルっと回ってみたり、しがみついて甘えてみたり。
豪華なドレスも、煌びやかなシャンデリアも無い。
いつもの普段着で、下手っぴなダンス。
「あはは!」
とっても楽しくて、気持ちが良い。
今のあたしは何色なんだろう?
それは、うん。
ヴァルさまの笑みを見てればわかる。
ねぇ、もっと視てよ。
あたしの楽しい気持ちを視てよ。
そして、ヴァルさまも楽しくなろうよ。
今までの不機嫌も、不幸も、何もかも吹き飛ばしてさ。
あたしと一緒に、楽しく生きようよ?
クルクル回って、ほら、ターン。
段々と息が合ってくる。
笑って、踊って、楽しんで。
あたしの息が切れるまで、原っぱの舞踏会を、めいっぱい味わった。
―――――――
だいぶ踊って、ふー、と一息。
繋がれた両手はそのままに、ヴァルさまの表情が真面目に変わった。
「……ハルネ」
上機嫌なあたしは、ふんわり応える。
「なあに?」
「……キミに、謝らなければならない事が、まだある」
真剣なお顔で、真剣なトーンだ。
「……サフラン香房を営業停止にしたのは、私の独断で、エゴなんだ」
「あれ? 前は色々と原因が重なったからって……」
「……アレは、ウソだ」
「ウソ!?」
ノクセラ草を唯一扱ってたり、ヒョロキモに襲われたり。
確かにそうかもって、その時は納得したけれど……違うの!?
「……何から話せばいいものか。 サフラン香房で襲撃者を撃退したあの夜。 私にとっては、アレがキミとの初対面ではない」
「え?」
「その少し前……西街で一人歩いていたキミを見たその瞬間から、目が離せなくなった」
「な、なにそれ。 もしかして、ひ、一目惚れ、とか?」
「……今思えばそうだ。 私の人生において初めて惹かれた女性――それがハルネだ」
「おごごご……」
「だが、それだけではない。 私はその後、キミを路地裏へ追い詰め、教会で泣かせた」
「お……?」
「……自らの行為、そして泣かせてしまった事実に、血の気が引いた」
「……」
ちょっと待って、情報量が多い。
「……それだけでは無い。 香房で異常者と戦う勇敢なキミを見て……私は、見惚れてしまった」
「アレも見てたの!?」
「……そのせいで、助けに入るのが遅れてしまった。 結果、キミに怪我まで負わせてしまい……」
「怪我って……でも、すぐに治してくれたじゃん」
「する必要の無かった怪我だ。 私は自分が許せなかった。 あの夜、私は自らの職を投げうってでも、キミを絶対に守る事を誓った」
「そういう事情だったんだ……」
「……本当に、すまなかった」
真摯に頭を下げてくれるヴァルさま。
いまいち腑に落ちていなかった営業停止の理由がやっと分かった。
全部、ヴァルさまなりの、不器用な贖罪だったんだ。
「……軽蔑してくれても構わない。 罵ってくれても構わない。 キミとの約束を無に帰す覚悟も出来ている」
「そんな事しないよ! 勝手に自分で決めないでよ!」
「……すまない。 だが、沙汰は全てキミに任せる」
急に色々と分かって、びっくりしたのは事実だけども……
「うーん、結局ヴァルさまはさ」
「……ああ」
「あたしを、す、好きだったんでしょ? ずっと。 最初から」
「……もちろんそうだ」
「うーーーーん……じゃあ、まぁいっか! 好きでいてくれるなら、それでいいや」
「……しかし」
「怖かったよ? 怖かったけども、今後はちゃんと伝えてくれるんならさ」
そもそも教会で泣いてた件とかは、あたしの自爆も大分混じってる。
決してヴァルさまだけのせいじゃない。
「……だが」
「もういいってば!」
ヴァルさまは、それきり黙ってしまった。
なんだかまだ、辛そうな顔をしている。
それにしても、あの背筋が粟立つような感情温度がヴァルさまのものだったのは……
アレってさ、いわゆる”そういう”視線だったよ?
初対面のあたしに……
「……顔が赤い。 やはり怒りを感じているのか? それは当然だが……」
「い、いや違うの! あ、あたしがはしたないってだけ!」
「……?」
うごごご……
あの時は怖くて仕方なかった視線が、今は別の意味を持って返ってきた。
どうしよう。
なんだか顔が火照ってくる。
アレがヴァルさまだって分かった途端、逆にドキドキしてきてしまった。
「ヴァ、ヴァルさまはさ」
「……なんだ」
こんなこと、聞いちゃっていいのか分からないけれど。
「あ、あたしをその……そういう目で見てるんだよね?」
「……そういう目、とは?」
「い、言わせるなよぅ! じょ、女性として! 抱きしめてくれて……キスして……そ、その先のこと!」
「ああ、もちろんだ」
やけに男らしく答えるヴァルさま。
あたしはその堂々さに少し後ずさってしまった。
「あ、あたしみたいな身体でも?」
「……ハルネ。 ああ、そうか」
どういうワケか、ヴァルさまの圧が強くなった。
「……やはりキミは、全く分かっていないようだな」
「な、何が?」
「……私が、どれだけキミに執着し、溺れ、求めているのかを、だ」
さらに圧が強くなる。
ズイっとヴァルさまの顔がせまったと思ったら――
――ちゅっ
「ひょおぉ~~!」
「……逃げるな」
デコチューされた!
デコチューされた!!
「……ハルネ。 今の私の感情の色は視えているな?」
「え、え、え、ええ!? み、視えてるよ、もちろん!」
――感情色は桜色。 その色を視ているだけでドキドキして幸せな気持ちになる。
「……キミも知っていると思うが」
「な、なにが?」
「……私は感情を抑える事に慣れている。 これがどういう事か分かるか?」
「え?」
「今も、抑えているという事だ。 なぜなら……キミを壊してしまうから」
「こわいこと言わないで」
不意のデコチューでアワアワさせられたあたしには、ヴァルさまが何を言ってるのか分かんなかった。
「だが、良い機会だ。 もう隠す必要もない。 キミは、知っても良いハズだ」
「な、な、何を?」
「……私が、どれほど重いかを、だ」
「へ、へーんだ! やってみなさいよ! あ、あたしの方が絶対好きだもん!」
反射的に煽ってしまった。
だが、あたしは正直ナメていた。
ヴァルさまの……とてつもない重さに。
「……ハルネ。 覚悟はいいか?」
「お、おう! ドンと来なさいよ!」
「では、視るがいい。 これが、私のすべてだ」
せっかくだからと、エモパレを全開にしていたのが仇となった。
そしてすぐに、煽り散らかしたことを後悔した。
ヴァルさまが、何かを解放した瞬間……
「あっ……」
一瞬で目の前が埋まった。
それはまるで、嵐のような花吹雪。
淡い桜色、なんて可愛いものじゃなかった。
視界も、胸も、指先まで、全部まとめて染め上げるような。
濃くて、熱くて、逃げ場のない。
あたしの世界は、
――眩しいほどに濃厚な、桃色ドピンク熱波に包まれた。
……………
ヴァルさまと出会って、初めての恋をして。
うんと傷ついて、振り回されて、包んだり、包まれたり。
……でも、ずっと、あたしを選んでくれてたんだ。
いつかの夜。
シャリエナと一緒に適当に名付けた感情色の魔眼――エモパレ。
エモパレは、いくつもの感情の色の物語を見せてくれる。
けれど感情は、いつだって面倒くさい。
嬉しくて、怖くて、恥ずかしくて、重くて、あたたかい。
リセリーナさんの、理解できない愛情色。
リオーネさんの、優しい慈愛の色。
ギルトハルトさんの、渇望の赤銅色。
シャリエナの、見慣れた呆れの黄色だって、
みんなみんな面白くて、愛しくて。
そしてヴァルさまの桜色。
あたしが見つけた、世界でいちばん綺麗な――春の色。
そう。
あたしの世界は、きっとこれからも、
さまざまな感情と色に、騒がしく彩られていくんだろう。
それがあたしの、
感情の(エモーション)……
お祭り騒ぎ(パレード)!
― 完 ―