軍医と傷読みの花嫁 ~閉じこもり薬師は、傷もちの旦那様に愛される〜



 言葉の重みに反して、凪の声は透き通っていた。
「離縁……」
 意味を飲み込めず、将臣はただ繰り返す。
 凪の口から吐き出されたとは思えない言葉を──。
「将臣様はもう、重荷を背負う必要はなくなりました」
 穏やかな表情の凪を、将臣は息を止めて見つめる。
「……何を……言い出す?」
「私は麒麟堂を継ぎます」
 凪の表情は晴れやかだった。
「なぜ……」
 将臣は呆然として、次の言葉が出てこない。
(なぜ、私の元から離れる必要があるのか)
 迷いのない凪の眼差しが、将臣の胸をざわつかせる。
(凪が……手の届かない場所へ行ってしまう⁈)
 書類を掴んでいた指先が、一気に冷えてくるのがわかる。
「将臣様にいただいた勇気で自分で決めました」
 凪はゆっくりと、だが、はっきりと言う。
「どうか、もう私にお気を遣わず、安藤家のためにご栄転をお受けください」
 重要な決断を冷静な言葉で伝えてくる凪に、将臣の頭に血が一気に上った。
(一人で決めることではないだろうっ!)
「私は頼んでいないっ。勝手に私の幸せを決めるなっ!」
 凪の肩がびくりと揺れる。
 一瞬、沈黙が落ちる。
「……私が……私が凪を選んだんだ!!」
 将臣が机を手で強く叩く。
 凪は強く眉を寄せた。
「私はっ、救えなかった兄の代わりなのでしょう?」
 将臣の目が一気に開く。
「代わりではないっ!」
「ではっ、なぜ私をっ?」
 凪の声も荒くなる。
 将臣の拳が、再び激しく机を殴りつけた。
「初めて会う前からっ……お前を迎えると決めていた!!」
 凪の喉がゴクリと鳴る。そして、静かに目を細める。
「将臣様は……お優しい方です。……もう、あなたを苦しめたくはないです」
「違うっ!!」 
 将臣は頭を激しく振り乱した。そして、はっとする。
(私が何を言っても、言い訳になる……!)
 縋るように、凪を見つめた。
(桐谷の死の真実をっ……凪に!)
 目を伏せ、将臣は拳を握り潰さんばかりに握った。
(怖いのかっ! ここまで来て!!)
 奥歯が折れるほど噛み締め、固く握りつぶした拳が震える。
「将臣様が望む方へ進んでください。もう、あなたは自由です」
 凪はそっと踵を返す。その動きには、一切の迷いはなかった。
 去っていく背中に、将臣は己の弱さに激しく苛立つ。
「……私は、卑怯者だっ……!」
「もう、誰もあなたを責めてなどいません!」
 凪は悲しい顔をして、そのまま部屋を出ていく。
「待ってくれ……っ! 行かないでくれ、凪っ!!」
 将臣はもつれる足で立ち上がると、凪の後を追った。履物も履かず、足袋のまま外へと飛び出していく。





< 105 / 130 >

この作品をシェア

pagetop