軍医と傷読みの花嫁 ~閉じこもり薬師は、傷もちの旦那様に愛される〜
「凪の部屋へ案内しよう」と将臣が言ったところで、玄関が開いた。
黒の学生服の詰襟の一番上だけを外し、制帽を片手にぶら下げた少年が気だるそうに玄関へ入ってきた。
「晴臣、おかえり」
彼がそう呼んだことで、この少年が弟だとわかった。将臣よりひと回り小柄で、短く刈り揃えた髪にくりっとした目元。それでも、端々に将臣によく似た面影を残している。
晴臣は凪を見るなり、うっすらと笑みを浮かべる。
「兄上。誰、こいつ」
凪から目を離さず、将臣に尋ねる。
「ちょうどいい。凪、紹介する。弟の晴臣、中学四年生だ」
「晴臣。こちらが私の妻、凪さんだ」
(妻……)
凪は自分の頬に熱が籠るのがわかった。
晴臣は珍しそうな目で凪の上から下を見る。
「地味な嫁だな。新しい女中かと思ったよ」
そう言って乱雑に草履を脱いだ。
「晴臣。口は慎みなさい」
将臣は低い声で言う。
「はいはい。ごめんなさい」
晴臣の言葉の調子から反省する様子はない。
「俺は兄上と違って出来が悪いしな。父上にも期待されてないから気楽なんだ」
晴臣は人懐っこい笑みで、手を差し出す。
「よろしくな。凪さん」
凪はその手を見つめる。
(どうしよう……触れたら、また見えてしまう)
一瞬、手を引きそうになる。
(こんなとき、兄様なら……失礼がないようにするわ!)
凪は目に力を入れ、晴臣の手を握った。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
すると、触れた手のひらの小さな傷から、晴臣の記憶が脳裏に一気に流れ込んできた。
その瞬間、凪の身体が小さく揺れた。
──幼い晴臣が、絵を持って走ってくる。
「父上! 見て見て!」
憲一は振り向きもしない。
その横で、将臣が表彰状を受け取る。
「将臣、よくやった!」
憲一は満面の笑顔で将臣を褒める。
晴臣は持っていた絵を胸に抱えたまま、静かに笑顔を消した──
第一印象とは真逆の記憶に、凪は、はっとして晴臣の顔を見た。
(この子は……っ)
「化粧っけもないのか。本当に地味だな」
相変わらずの口調に、将臣が眉を寄せる。
「またな、凪さん。あー、腹減った」
晴臣はカバンを肩にかけ、廊下を歩いて行った。
「すまない。悪い子ではないんだが、反抗期真っ只中なんだ」
凪は頭を振る。
「悪い印象はございません。むしろあの子は……」
凪が言葉に詰まる。
「なんだ?」
「いえ……その……憎めない子ですね」
凪は小さく笑みを浮かべた。
「ああ。本当は優しい奴なんだ」
将臣は安心した表情を見せた。
凪はそっと後を振り返る。
傷読みの映像が蘇ると、凪は目を伏せ前を向いた。
(父親に見てもらえない辛さ……。晴臣さんも、私と同じ痛みを抱えているのかもしれない)
凪の胸の奥がかすかに締め付けられた。