軍医と傷読みの花嫁 ~閉じこもり薬師は、傷もちの旦那様に愛される〜
障子が勢いよく開き、一人の青年が顔を覗かせた。着流し姿の晴臣だった。
結丸は「にゃっ」と短く鳴き、尻尾をぱたりと揺らす。
「結丸。どうした、その格好は?」
晴臣は結丸のそばへしゃがみ込み、刈られた尻尾を見て目を丸くした。
「兄上、結丸はどうしたんだ?」
「皮膚炎だ」
将臣は短く答える。
「朝から元気がなくてな、痒みがひどくなっていた」
すると、晴臣が少し気まずそうに頭をかいた。
「……ああ、それか」
二人の視線が晴臣に集まる。
「最近さ、結丸がしっぽの先をやたら気にしてたんだよ。だから俺が代わりに掻いてやってたんだ」
悪気のない口調だった。
ただ、将臣は患部へ目を落とし、小さく頷く。
「そうか。その刺激で悪化したんだろう」
「え……?」
晴臣の顔からすっと血の気が引いた。
「俺のせい、なのか?」
「知らなかったんだ。仕方がない」
将臣は責める様子もなく、結丸の頭を撫でた。
「もう、薬も塗った。しばらくすれば治るだろう」
その穏やかな声が、かえって晴臣の胸を刺した。
「……何だよ。俺を怒ればいいじゃんかっ!」
晴臣はきゅっと唇を尖らせる。
将臣は不思議そうに顔を上げる。
「なぜ怒らねばならん」
「だって俺が悪くしたんだろ⁉︎」
しかし、将臣の返事はない。
少しの間、三人に静かな沈黙が流れる。
晴臣は居心地が悪そうに視線を逸らした。
「どうせっ、兄上から見たら、俺なんか出来の悪い弟だよなっ」
投げやりに吐き捨てる。
凪は思わず胸が締めつけられた。
(違うのに。晴臣さんは将臣様に嫌われたいわけじゃない。本当は、ちゃんと見ていてほしいだけ)
けれど、口を挟めなかった。兄弟の間に流れる空気を、壊したくなかったから。
すると将臣は「そうだ」と、何かを思い出したように立ち上がり、机の引き出しを開けた。布に包まれた細長い品を取り出す。
「これを渡そうと思っていた」
晴臣が怪訝そうに受け取る。包みを開くと、手のひらに収まる真鍮の方位磁針だった。
「え……」
晴臣の目が見開く。
「前に、お前が欲しいと言っていただろう」
「な、何で……」
「たまたま市で見つけたが、十分使える」
それだけ言うと、将臣は何事もなかったかのようにまた結丸へ視線を戻した。
晴臣は掌の方位磁針を見つめたまま、動けずにいる。
(かっこいい……! 覚えていてくれたんだ……!)
胸の中で溢れる嬉しさ。けれど、それを素直に顔に出すのが悔しくてたまらない。
「……べ、別に。使えそうならもらっといてやるけどっ!」
鼻を鳴らし、わざとぶっきらぼうに言った。
そう言いながら方位磁針を、誰にも渡すまいとするように胸元へしまった。
その姿を見て、凪はふっと笑みを浮かべる。
(よかった。晴臣さんは、将臣様を嫌っているわけじゃない。兄弟はまだ、ちゃんと繋がっている)
その小さな確信が、凪の胸を静かに温めていた。