禁死篇 ~成人前に亡くなったけど、異世界で元気にがんばってます。
兄上の親友 ④
「えぇっ? クロフツ伯爵はオリバー様を、婿に取るのですか?」
コンスタンツェさまは三女だし、そもそもお世継ぎ様である兄がいらっしゃるのでは? ソフィアは軽く眉を上げる。
「…おかしな話ではございませんか?」
「……お前はアシモフ家が公爵家になる前の話を知っているだろう?」
「カビ男爵の逸話ですか?」
ソフィアは眉根を顰める。
(イサキオスは何の話を始めるのでしょう。わたくし、当家のカビ男爵の話題はあまり好きではないのですが…)
「我がアシモフ家はもともとは男爵でしたが、ご先祖様がカビから病気の特効薬を生み出した功績で、当時の王から公爵の位を賜りました……」
ソフィアはイサキオスの問いにしぶしぶ答える。……世間がどう思っているか知らないけれど、アシモフ家ではこのカビ男爵はあまり好かれておりません。
「しかし我が家は、男爵の爵位自体はミニヨン王にお返ししていないのだ」
「……そうなのですか?」
男爵の位を返していない、だから何だというのだろう? ソフィアはイサキオスの顔をじっと見つめた。
「コンスタンツェさまのクロフツ家も同じらしい。どうやら、クロフツ伯爵家には伯爵の位がふたつあるんだ」
「伯爵位がふたつ、ですか?」
「どういう経緯で伯爵の位をふたつ持っているのか、もう昔のことなのでよくわからないらしい……」
「はぁ、そうですか……」
「………」
イサキオス兄様とわたくしは少し沈黙する。
(どういう経緯で持っているかわからない伯爵位…ねぇ)
ソフィアは苦笑しつつ、静かに紅茶を啜った。
クロフツ伯爵家が伯爵の位をふたつ持っている理由は、おそらく簒奪だとか何か後ろ暗いことでしょう。誇らしい理由ならば、子孫に向けて輝かしい功績の記録を残すはずだし、今までに一度や二度はその爵位を継ぐ者が出ていたはずです。伯爵位をふたつ持っていながら、その来歴がわからないなどというのは胡散臭いにも程があります。
貴族は次男以下は婿に出なければならないのだし、男子がいない場合でも、長女以外は他家に嫁に行くのです。もし伯爵位がふたつあるならば、わざわざ他家に婿入りする必要などないではありませんか!
(封印されていた伯爵位を引っぱり出してくるほど、コンスタンツェさまはオリバー様と結婚したいのですね…)
ソフィアはコンスタンツェの白い顔を思い浮かべる。小柄で華奢なコンスタンツェはミニヨンでは好まれる女性のタイプだ。
「封印されていた伯爵位か…」
「オリバー様はどうなさるのでしょうね?」
「伯爵になれるのなら、なった方が良いのではないか? …貴族はしょせん身分社会だからな!」
イサキオスはあっさり言う。
「そもそも、オリバー様はコンスタンツェさまがお好きですの?」
「さぁ…? しかし、コンスタンツェさまは美しい女性だから、条件としては悪くないと思うぞ?」
普段から女性とは縁遠い兄が、実にざっくりと適当な感想を述べています。兄は人間界よりも昆虫の世界に興味のある人なので、オリバー様の話題でなかったら、もっと投げやりでいい加減な意見になっていることでしょう。
「もしオリバー様が伯爵になられたら、弟のサイラス様がドイル男爵家を継ぐことになりますね?」
わたくしはサイラス様の水色のサラサラの髪を思い出します。三年前の記憶ですが、彼も今年成人式を迎えているはず…。オリバー様と同じ、綺麗なエメラルドの瞳を持つ少年でした。
「まぁ、そうだな。しかし、まだ決定事項ではないだろう」
「……どこの探偵に探らせた情報ですの? オリバー様から直接お聞きになったお話ではないのでしょう?」
「お前は毎回そうやって私を馬鹿にするが、貴族社会では情報が大切なのだぞ?」
貴族社会で情報が大切なことは否定しませんが、イサキオス兄様が入手しようとなさるのは、いつもオリバー様絡みの情報ばかりです。偏りすぎなのですよ! わたくしは紅茶をぐびっと飲み干して、小さく溜息を漏らします。
お兄様がチョコレート菓子を口に入れるのを見て、わたくしはドレスのポケットから懐中時計を引っ張り出しました。
これは貴族学院の卒業式で、成績優秀者に下賜されるものです。わたくしは昨年貴族学院を卒業する際に、表彰と共にこの懐中時計をいただいたのです。当然、兄のイサキオスも同じものを持っています。
わたくしたちは〈変わり者公爵家〉だけあって、研究関係の成績はとても優秀です。まぁ、そのせいで変わり者扱いをされてしまうのですけれど…。
「そのチョコレート菓子はいかがです? アルテミスで新しく発売されたお菓子なのですよ」
「ふぅん、少し苦いような…。変わった風味のものだな」
「原材料はカカオという豆を使用しているそうです。滋養強壮に効果があるもので、身体を強化するそうです!」
「この菓子で体が強くなるだと…? いくらなんでも眉唾物だろう?」
イサキオスは肩を揺らして、盛大に笑っています。
「そういえば、お前に関する妙な噂を聞いたぞ」
「噂?」
「お前が『あのミーガン』と、アルテミスの用人を取り合いしている、と」
ミーガンというのは、数年前に男爵位を下賜された平民出身の女性です。ミニヨンでは平民でも「著しい功績の認められた者」は一代限りの男爵位を認められるのです。
「アルテミスの用人というのは、オプスキュリテという見目の良い男ですね?」
「まさか、本当にお前のお気に入りなのか?」
兄がからかうような目つきになる。そんなわけないでしょう、バカバカしい! たかが面の皮一枚のことで、何故そこまで大騒ぎするのでしょう?
「いいえ。ただ、オプスキュリテは薬草に詳しいのですよ」
「あぁ…」
イサキオスが納得するように頷く。わたくしの専門は薬草学なのです。子供の頃から植物が大好きで、貴族学院に入学してからは、主として薬草を研究しています。オプスキュリテの顔よりも、わたくしは彼の薬草の知識が気になります。
「ミーガンと揉めたというのも、ただの噂か?」
「……そうですねぇ。わたくしたちが揉めたというよりも、ミーガンとオプスキュリテがトラブルになっているのではないかしら? ミーガンはオプスキュリテにべったりくっついていますわ!」
わたくしは軽く首を振りました。ミーガンはずいぶんとオプスキュリテに入れ込んでいるようです。けれども、(わたくしの見たところ)オプスキュリテはミーガンを全く相手にしていません。
その事実がミーガンをより苛立たせ、おかしな行動に追い込んでいるように思えます。ミーガンは典型的なシュガーベイビーです。社会的地位やお金を持っている年上の男性に甘やかされ、これまで自信満々に生きてきたに違いありません。
「まぁ、巻き込まれるのは甚だ不本意で、迷惑千万なのですが…」
「………」
黙って話を聞いていたお兄様が、むっつりとした口調でいいました。
「……ソフィア、お前、まさか……」
兄の顔からは、大量の汗が流れ出ています。わたくしはゆっくりと、懐中時計の刻みを確認しました。正確なデータが必要ですもの…。
「先ほどお兄様がチョコレート菓子を口にしてから、十五分ほど経っておりますね……大量の発汗、と」
わたくしはイサキオスお兄様の症状を、小さなノートにさらさらとメモしていきます。
「ま、また毒草を……盛ったのか…?」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないで下さいませ! 毒など盛っておりませんし、そもそも毒というのは、使い方によっては薬にもなるのですよ!」
あ、お母様のお気に入りの菫のティーカップを割ってしまうといけませんね。わたくしはイサキオスの手から、注意深く紅茶のカップをもぎ取ります。
「お、お前……ふざけ…る…」
「お兄様、舌の状態はどうですか? 痺れますか? 四肢の痺れはどうでしょう?」
「……し、し……し…」
し? し…とは何のことでしょう? 舌が痺れる? それとも、四肢が痺れる? 舌も四肢も痺れる? イサキオスがハッキリと物を言わないので困ってしまいます。
「イサキオス兄様、ちゃんと答えてくださいませ。きちんと症状を教えて下さらなければ、わたくし適切な処置ができないかもしれませんわ!」
「し……し、ぬ……」
イサキオスは大袈裟に胸の辺りを押さえています。
「嫌ですわ、死ぬだなんて! おふざけは大概になさいませ。本当に死にたいのですか?」
「た、たす…」
「たす?」
わたくしがたびたびお茶に薬草を盛るので、イサキオスは警戒して、一緒にお茶を飲むのを嫌がるのです。けれども薬学の進歩のために、兄にはご理解とご協力をいただきたいです。
お兄様はしょっちゅう「ソフィア、お前はカビ男爵にそっくりだな! 血は争えん!」と悪態をつくのですが、あんな狂人と一緒にされたくありません!
わたくしは純粋に、病気で苦しんでいる世の人びとの役に立ちたいのです。そのためには、もっともっとイサキオス兄様に協力してもらわなくてはなりませんわ。
コンスタンツェさまは三女だし、そもそもお世継ぎ様である兄がいらっしゃるのでは? ソフィアは軽く眉を上げる。
「…おかしな話ではございませんか?」
「……お前はアシモフ家が公爵家になる前の話を知っているだろう?」
「カビ男爵の逸話ですか?」
ソフィアは眉根を顰める。
(イサキオスは何の話を始めるのでしょう。わたくし、当家のカビ男爵の話題はあまり好きではないのですが…)
「我がアシモフ家はもともとは男爵でしたが、ご先祖様がカビから病気の特効薬を生み出した功績で、当時の王から公爵の位を賜りました……」
ソフィアはイサキオスの問いにしぶしぶ答える。……世間がどう思っているか知らないけれど、アシモフ家ではこのカビ男爵はあまり好かれておりません。
「しかし我が家は、男爵の爵位自体はミニヨン王にお返ししていないのだ」
「……そうなのですか?」
男爵の位を返していない、だから何だというのだろう? ソフィアはイサキオスの顔をじっと見つめた。
「コンスタンツェさまのクロフツ家も同じらしい。どうやら、クロフツ伯爵家には伯爵の位がふたつあるんだ」
「伯爵位がふたつ、ですか?」
「どういう経緯で伯爵の位をふたつ持っているのか、もう昔のことなのでよくわからないらしい……」
「はぁ、そうですか……」
「………」
イサキオス兄様とわたくしは少し沈黙する。
(どういう経緯で持っているかわからない伯爵位…ねぇ)
ソフィアは苦笑しつつ、静かに紅茶を啜った。
クロフツ伯爵家が伯爵の位をふたつ持っている理由は、おそらく簒奪だとか何か後ろ暗いことでしょう。誇らしい理由ならば、子孫に向けて輝かしい功績の記録を残すはずだし、今までに一度や二度はその爵位を継ぐ者が出ていたはずです。伯爵位をふたつ持っていながら、その来歴がわからないなどというのは胡散臭いにも程があります。
貴族は次男以下は婿に出なければならないのだし、男子がいない場合でも、長女以外は他家に嫁に行くのです。もし伯爵位がふたつあるならば、わざわざ他家に婿入りする必要などないではありませんか!
(封印されていた伯爵位を引っぱり出してくるほど、コンスタンツェさまはオリバー様と結婚したいのですね…)
ソフィアはコンスタンツェの白い顔を思い浮かべる。小柄で華奢なコンスタンツェはミニヨンでは好まれる女性のタイプだ。
「封印されていた伯爵位か…」
「オリバー様はどうなさるのでしょうね?」
「伯爵になれるのなら、なった方が良いのではないか? …貴族はしょせん身分社会だからな!」
イサキオスはあっさり言う。
「そもそも、オリバー様はコンスタンツェさまがお好きですの?」
「さぁ…? しかし、コンスタンツェさまは美しい女性だから、条件としては悪くないと思うぞ?」
普段から女性とは縁遠い兄が、実にざっくりと適当な感想を述べています。兄は人間界よりも昆虫の世界に興味のある人なので、オリバー様の話題でなかったら、もっと投げやりでいい加減な意見になっていることでしょう。
「もしオリバー様が伯爵になられたら、弟のサイラス様がドイル男爵家を継ぐことになりますね?」
わたくしはサイラス様の水色のサラサラの髪を思い出します。三年前の記憶ですが、彼も今年成人式を迎えているはず…。オリバー様と同じ、綺麗なエメラルドの瞳を持つ少年でした。
「まぁ、そうだな。しかし、まだ決定事項ではないだろう」
「……どこの探偵に探らせた情報ですの? オリバー様から直接お聞きになったお話ではないのでしょう?」
「お前は毎回そうやって私を馬鹿にするが、貴族社会では情報が大切なのだぞ?」
貴族社会で情報が大切なことは否定しませんが、イサキオス兄様が入手しようとなさるのは、いつもオリバー様絡みの情報ばかりです。偏りすぎなのですよ! わたくしは紅茶をぐびっと飲み干して、小さく溜息を漏らします。
お兄様がチョコレート菓子を口に入れるのを見て、わたくしはドレスのポケットから懐中時計を引っ張り出しました。
これは貴族学院の卒業式で、成績優秀者に下賜されるものです。わたくしは昨年貴族学院を卒業する際に、表彰と共にこの懐中時計をいただいたのです。当然、兄のイサキオスも同じものを持っています。
わたくしたちは〈変わり者公爵家〉だけあって、研究関係の成績はとても優秀です。まぁ、そのせいで変わり者扱いをされてしまうのですけれど…。
「そのチョコレート菓子はいかがです? アルテミスで新しく発売されたお菓子なのですよ」
「ふぅん、少し苦いような…。変わった風味のものだな」
「原材料はカカオという豆を使用しているそうです。滋養強壮に効果があるもので、身体を強化するそうです!」
「この菓子で体が強くなるだと…? いくらなんでも眉唾物だろう?」
イサキオスは肩を揺らして、盛大に笑っています。
「そういえば、お前に関する妙な噂を聞いたぞ」
「噂?」
「お前が『あのミーガン』と、アルテミスの用人を取り合いしている、と」
ミーガンというのは、数年前に男爵位を下賜された平民出身の女性です。ミニヨンでは平民でも「著しい功績の認められた者」は一代限りの男爵位を認められるのです。
「アルテミスの用人というのは、オプスキュリテという見目の良い男ですね?」
「まさか、本当にお前のお気に入りなのか?」
兄がからかうような目つきになる。そんなわけないでしょう、バカバカしい! たかが面の皮一枚のことで、何故そこまで大騒ぎするのでしょう?
「いいえ。ただ、オプスキュリテは薬草に詳しいのですよ」
「あぁ…」
イサキオスが納得するように頷く。わたくしの専門は薬草学なのです。子供の頃から植物が大好きで、貴族学院に入学してからは、主として薬草を研究しています。オプスキュリテの顔よりも、わたくしは彼の薬草の知識が気になります。
「ミーガンと揉めたというのも、ただの噂か?」
「……そうですねぇ。わたくしたちが揉めたというよりも、ミーガンとオプスキュリテがトラブルになっているのではないかしら? ミーガンはオプスキュリテにべったりくっついていますわ!」
わたくしは軽く首を振りました。ミーガンはずいぶんとオプスキュリテに入れ込んでいるようです。けれども、(わたくしの見たところ)オプスキュリテはミーガンを全く相手にしていません。
その事実がミーガンをより苛立たせ、おかしな行動に追い込んでいるように思えます。ミーガンは典型的なシュガーベイビーです。社会的地位やお金を持っている年上の男性に甘やかされ、これまで自信満々に生きてきたに違いありません。
「まぁ、巻き込まれるのは甚だ不本意で、迷惑千万なのですが…」
「………」
黙って話を聞いていたお兄様が、むっつりとした口調でいいました。
「……ソフィア、お前、まさか……」
兄の顔からは、大量の汗が流れ出ています。わたくしはゆっくりと、懐中時計の刻みを確認しました。正確なデータが必要ですもの…。
「先ほどお兄様がチョコレート菓子を口にしてから、十五分ほど経っておりますね……大量の発汗、と」
わたくしはイサキオスお兄様の症状を、小さなノートにさらさらとメモしていきます。
「ま、また毒草を……盛ったのか…?」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないで下さいませ! 毒など盛っておりませんし、そもそも毒というのは、使い方によっては薬にもなるのですよ!」
あ、お母様のお気に入りの菫のティーカップを割ってしまうといけませんね。わたくしはイサキオスの手から、注意深く紅茶のカップをもぎ取ります。
「お、お前……ふざけ…る…」
「お兄様、舌の状態はどうですか? 痺れますか? 四肢の痺れはどうでしょう?」
「……し、し……し…」
し? し…とは何のことでしょう? 舌が痺れる? それとも、四肢が痺れる? 舌も四肢も痺れる? イサキオスがハッキリと物を言わないので困ってしまいます。
「イサキオス兄様、ちゃんと答えてくださいませ。きちんと症状を教えて下さらなければ、わたくし適切な処置ができないかもしれませんわ!」
「し……し、ぬ……」
イサキオスは大袈裟に胸の辺りを押さえています。
「嫌ですわ、死ぬだなんて! おふざけは大概になさいませ。本当に死にたいのですか?」
「た、たす…」
「たす?」
わたくしがたびたびお茶に薬草を盛るので、イサキオスは警戒して、一緒にお茶を飲むのを嫌がるのです。けれども薬学の進歩のために、兄にはご理解とご協力をいただきたいです。
お兄様はしょっちゅう「ソフィア、お前はカビ男爵にそっくりだな! 血は争えん!」と悪態をつくのですが、あんな狂人と一緒にされたくありません!
わたくしは純粋に、病気で苦しんでいる世の人びとの役に立ちたいのです。そのためには、もっともっとイサキオス兄様に協力してもらわなくてはなりませんわ。