ハ シ ル !
第三話「現役で競技してる人」
家に帰ってすぐ、何年か前の県民駅伝の記念写真を広げた。
私が、小学生女子の代表で過去に一度だけ出場したときの写真。
確かこの時の——
「やっぱり……」
悔しそうな顔で写る私。
その隣には、まだ少しあどけなさの残る飛鳥が笑顔で写っていた。
「……」
——飛鳥は陸上、続けてたんだ。
記念写真に触れていた指先が、微かに震えた。
最初のタイム記録会があったのは、それから二週間後だった。
集まったのは市民グラウンド。
陸上用のトラックもあるそこそこ立派なグラウンドだ。
私を含む、9名の代表者全員が揃っていた。
着いてすぐに飛鳥が私に手を振った。
私は小さく頭だけ下げておいた。
「タイムとか、測る必要あるの?」
私の言葉に、父は何も言わなかった。
その代わりに、ストップウォッチを渡された。
「お前はあの子のタイム測るんだぞ」
父の視線の先にいたのは、中学生女子の部の代表の子だった。
「お願いしまーす!」
よく通る声だった。
ベリーショートで、細くて長い手足。
“速そう”
なんとなくそう感じた。
「陽菜《ひな》ちゃん、だっけ。よろしくね」
私の声に、パッと爽やかや笑顔が返ってきた。
「遥香先輩! お願いします!」
「せ、先輩?」
「中学、陸上部でしたよね? 私もいま陸上部なんで。先輩後輩です」
「あ、ああ…ハハハ」
現役陸上部、なのか。
通りで準備運動の動きが小慣れてる訳だ。
一回目の記録が終わり、私のところに戻ってきた陽菜ちゃんは、タイムを聞くなり青ざめた。
「え!やっば!遅っ」
「十分速いと思うけど」
フォローでもなんでもなく、本当に速かった。
多分、今の私じゃ出せない。
「全然ダメです。あとでもう一回いいですか?」
陽菜ちゃんの表情は真剣そのもの。
私もかつて、こんな顔でストップウォッチを見つめていたのか。
たった数分を縮めるために。
夢中で走っていた、はずだった。
数メートル先で、誰かが撮った動画でフォームの確認をしている陽菜ちゃんの横顔。
走る前に見た爽やかな笑顔はない。
走っている時の彼女は、楽しそうだっただろうか。
どこか危うさすら感じるその姿勢に、私は目を逸らしたくなった。
それから何度か交互に短い距離を走った。
私は特に自分のタイムを確認しない。
聞かなければ、陽菜ちゃんも特に報告はしてこなかった。
息があがる。
ゆっくりと歩くタータンの上。
私は、この独特の柔らかさが苦手だ。
沈み込む感じがして、戻って来れなくなる気がした。
つい砂利に移動すると、首の後ろに冷たい水滴が触れた。
「っ、」
首を押さえて振り向くと、飛鳥が霜のついたペットボトルを差し出していた。
ボトルに反射した太陽が、まぶしくて目を細める。
「スポドリ。差し入れだって」
「変態」
「よく言われる」
飛鳥が笑う。
私は奪うようにボトルを取った。
「水分補給してないっしょ、遥香ちゃん」
「……大して走ってないから」
蓋を開けると、握りすぎたせいで少し溢れた。
また飛鳥が笑う声がした。
「飛鳥って、まだ陸上続けてたんだ」
半分くらい飲んだところで、まだその場にいた飛鳥にそう投げかけた。
「ん? うーんまぁ。続けてたっていうか…辞めてないだけっていうか」
「……なにそれ。同じでしょ」
「同じか。アハハ」
向こうで陽菜ちゃんがまた走りたそうにジャンプしているのが見えた。
「速いよね、あの子」
それを見た飛鳥が言った。
私は何も言わなかった。
言えなかったのか、言いたくなかったのか、分からない。
最後の測定。
「はぁっ、どうでしたっ?遥香先輩!……あ!!」
彼女は私のメモしたタイムを確認すると、静かに腰の横でガッツポーズをした。
その顔は、今日一番の笑顔だった。
私が、小学生女子の代表で過去に一度だけ出場したときの写真。
確かこの時の——
「やっぱり……」
悔しそうな顔で写る私。
その隣には、まだ少しあどけなさの残る飛鳥が笑顔で写っていた。
「……」
——飛鳥は陸上、続けてたんだ。
記念写真に触れていた指先が、微かに震えた。
最初のタイム記録会があったのは、それから二週間後だった。
集まったのは市民グラウンド。
陸上用のトラックもあるそこそこ立派なグラウンドだ。
私を含む、9名の代表者全員が揃っていた。
着いてすぐに飛鳥が私に手を振った。
私は小さく頭だけ下げておいた。
「タイムとか、測る必要あるの?」
私の言葉に、父は何も言わなかった。
その代わりに、ストップウォッチを渡された。
「お前はあの子のタイム測るんだぞ」
父の視線の先にいたのは、中学生女子の部の代表の子だった。
「お願いしまーす!」
よく通る声だった。
ベリーショートで、細くて長い手足。
“速そう”
なんとなくそう感じた。
「陽菜《ひな》ちゃん、だっけ。よろしくね」
私の声に、パッと爽やかや笑顔が返ってきた。
「遥香先輩! お願いします!」
「せ、先輩?」
「中学、陸上部でしたよね? 私もいま陸上部なんで。先輩後輩です」
「あ、ああ…ハハハ」
現役陸上部、なのか。
通りで準備運動の動きが小慣れてる訳だ。
一回目の記録が終わり、私のところに戻ってきた陽菜ちゃんは、タイムを聞くなり青ざめた。
「え!やっば!遅っ」
「十分速いと思うけど」
フォローでもなんでもなく、本当に速かった。
多分、今の私じゃ出せない。
「全然ダメです。あとでもう一回いいですか?」
陽菜ちゃんの表情は真剣そのもの。
私もかつて、こんな顔でストップウォッチを見つめていたのか。
たった数分を縮めるために。
夢中で走っていた、はずだった。
数メートル先で、誰かが撮った動画でフォームの確認をしている陽菜ちゃんの横顔。
走る前に見た爽やかな笑顔はない。
走っている時の彼女は、楽しそうだっただろうか。
どこか危うさすら感じるその姿勢に、私は目を逸らしたくなった。
それから何度か交互に短い距離を走った。
私は特に自分のタイムを確認しない。
聞かなければ、陽菜ちゃんも特に報告はしてこなかった。
息があがる。
ゆっくりと歩くタータンの上。
私は、この独特の柔らかさが苦手だ。
沈み込む感じがして、戻って来れなくなる気がした。
つい砂利に移動すると、首の後ろに冷たい水滴が触れた。
「っ、」
首を押さえて振り向くと、飛鳥が霜のついたペットボトルを差し出していた。
ボトルに反射した太陽が、まぶしくて目を細める。
「スポドリ。差し入れだって」
「変態」
「よく言われる」
飛鳥が笑う。
私は奪うようにボトルを取った。
「水分補給してないっしょ、遥香ちゃん」
「……大して走ってないから」
蓋を開けると、握りすぎたせいで少し溢れた。
また飛鳥が笑う声がした。
「飛鳥って、まだ陸上続けてたんだ」
半分くらい飲んだところで、まだその場にいた飛鳥にそう投げかけた。
「ん? うーんまぁ。続けてたっていうか…辞めてないだけっていうか」
「……なにそれ。同じでしょ」
「同じか。アハハ」
向こうで陽菜ちゃんがまた走りたそうにジャンプしているのが見えた。
「速いよね、あの子」
それを見た飛鳥が言った。
私は何も言わなかった。
言えなかったのか、言いたくなかったのか、分からない。
最後の測定。
「はぁっ、どうでしたっ?遥香先輩!……あ!!」
彼女は私のメモしたタイムを確認すると、静かに腰の横でガッツポーズをした。
その顔は、今日一番の笑顔だった。