未完成のワンフレーズ
写真に映る過去
――あの日のことを、私は覚えていない。
正確には、覚えているはずなのに、思い出せない。
白い天井。
消毒液の匂い。
規則正しく鳴る機械の音。
「……ぅ」
小さな身体を動かそうとしても、動かない。
どうして?
目も開かない。手も動かない。声も出ない。
怖い。
「……おかあ、さん」
声にしたつもりだった。でも、口は動かない。
――脳炎。
それが何なのか、当時の私は知らなかった。
ただ、頭が痛かった。
ずっと、ずっと痛くて苦しかった。
そして何より⋯⋯怖かった。
誰かに来てほしかった。
手を握ってほしかった。
「大丈夫だよ」って言ってほしかった。
だから、何度も呼んだの。
「おかあさん」
って。
「おかあさん……おかあさん、どこ……?」
って。
どれくらい待っても、返事はなかった。
一時間?
一日?
それとも、もっと?
幼い私には、時間なんて分からなかった。
ただ、誰も来ない。
それだけは、分かった。
「……さみしい」
また、声にした。今度はちゃんと聞こえた気がした。
でも、返事はなかった。
その夜も、私は一人だった。
病室の白い天井を見上げながら、ただ泣いていた。
泣いて。
泣いて。
泣き疲れて。
それでも、誰も来なかった。
「……もう、泣かないで」
「…………え?」
誰?
私はゆっくり顔を上げた。
そこには――私と同じ顔をした女の子がいた。
小さな女の子。
私より少しだけ幼く見える。
その子は、泣いている私を見て笑った。
「だいじょうぶだよ」
「……だれ?」
「さっちゃん」
「……さっちゃん?」
「うん」
その子は、私の手を握った。
「さっちゃんがいるから」
だから、もう、ひとりじゃないよ。
その言葉を最後に、私は目を閉じた。