再会した冷徹上司は、私にだけ過保護です
第1話 再会は、編集部で
「……失礼いたします」
ドアを開けた瞬間、空気が変わった。
……うわ、ここが編集部か……。
デスクに目を向ける。
黒や茶の髪が並ぶ中に、ひとつだけ浮いた銀色。
書類をめくっている、黒い手袋の男性。
――冷静・冷徹・冷酷無慈悲。
そう噂される上司が、そこにいた。
「冬馬先輩、お久しぶりです!」
私がそう声をかけると、冷徹上司――氷室冬馬さんが無表情のまま、一瞬動きを止める。
その仏頂面は、高校時代と全く変わっていない。
学校の図書室での、あの静かな時間を思い出した。
……あの綺麗な銀髪も、昔のままだ。
なんだか、無性に嬉しくなる。
……変わってない。
それだけで、少しだけ安心した。
「……その呼び方はやめろ。ここは職場だ」
冬馬先輩は表情ひとつ変えずに、淡々と事実を話した。
でも、少し考えるように動きを止めてから、「……いや」と目を閉じる。
「お前だけは、構わない」
「はい! 先輩!」
……よかった。
先輩、今も優しい先輩のままだ。
ここ、「それがし出版」に入社してから、冬馬先輩が私の教育係であることを知った。
同時に、こう教えられたのだ。
――氷室冬馬は、合理性の鬼。
女子社員でも問答無用で泣かせる、「冷静・冷徹・冷酷無慈悲の鬼編集」だと。
「……え? 氷室さん、なんか優しくない……?」
「あの新入社員、何者なんだ……?」
周りの編集者たちがざわついているのが聞こえる。
それを聞くと、やっぱり先輩はこの職場で誤解されているのだと、少し悲しくなった。
私は知っている。
先輩は、昔から誤解されやすい人だった。
その髪色のせいで、教師から黒染めを強要されたり、不良と勘違いされたり。
でも、私は知っている。
先輩の、無表情の中にある、優しさを――。
「小日向。……小日向春香」
先輩は私の名前を呼びながら、ゆっくりとデスクから立ち上がった。
「仕事を教える。……来い」
「はい! よろしくお願いします!」
私は胸ポケットから、メモ帳とボールペンを取り出す。
そのまま、歩き出す先輩のあとに付き従った。
この人は、誰にでも冷たい。
なのに――昔と同じように、私にだけ甘い。
背中には、他の編集者たちの視線が突き刺さっているのを肌で感じていた。
私は、それを気にしないふりで、先輩に話しかける。
「先輩、同じ職場だったんですね。私、びっくりしました」
「俺も驚いている。だが……出版業界には来るだろうとは思っていた」
先輩は歩調を緩めた。
……私に、スピード、合わせてくれてる。
「お前は、あの頃から本が好きだったからな」
「もちろん! 大学では本屋さんでバイトもしてました」
「そうか」
……先輩とは、高校で会ったきりだ。
大学は別だったので、どうして先輩が冷徹上司などと呼ばれる事態に陥っているのかは、わからない。
しかも、私には普通に接してくれてる。
どう見ても冷徹ではないので、余計わからない。
「先輩、相変わらず綺麗な髪ですね」
私の言葉に、先輩はピタッと立ち止まった。
まるで、機械がフリーズしてるみたい。
5秒ほど停止してから、先輩がゆっくり振り返る。
「……ここでは、それは言うな」
先輩は、じっと私の目を見つめていた。
これも、先輩のクセみたいなものだ。
私は目をそらさない。
「……だが」
先輩が、そっと前を向き直る。
「……お前は、変わらないな」
そのまま、再び歩き始めた。
出版社での仕事の手順を、一通り教えてもらった。
でも、まだまだ勉強しなきゃいけないこと、たくさんある。
「――私の一人前の編集者への道は、ここから始まるのだった……」
「誰に向かって言ってんの、それ」
デスクで独り言を呟いた私に、隣にいた同期が話しかけてきた。
「あ、ごめんなさい。つい一人でナレーションを……」
「ふは。小日向さんって変わってるよね」
同期が思わずといった感じで吹き出す。
「てか、大丈夫だった? 氷室さん、怖くなかった?」
「え? 優しい人だけど。丁寧に説明してくれるし」
「でもさ、女の子も平気で泣かす人だって聞いたから」
同期は内緒話をするように、声をひそめた。
「でも、若手のエースだから誰も逆らえないんだって。あの人がダメって言ったら、企画も通らないらしいよ」
「そうなんだ……」
「怖いなあ……。もし私が転職したら、そういうことだと思ってほしい」
同期は話すだけ話したあと、「じゃあ、お先」と編集部を出ていく。
私は考え事をしながら、今日教わったメモを整理していた。
――いったい、冬馬先輩に何があったんだろう。
私の知る先輩は、そんなに悪い人ではないのに……。
誤解を受けやすい体質ではあったけど、女の子を泣かせているのが事実なら、それは受け入れられない。
「うーん……」
「どうした」
「うわびっくりした」
考えている最中に背後から声をかけられ、慌てて振り返ると、先輩本人がいた。
「まだいたのか。帰るぞ。入社初日で身体を壊されても困る」
「このくらいで壊れるほどヤワじゃないですよ」
「どうだか。お前は昔から頑張りすぎて疲れに気付かないところがある」
……そう言われると反論できない。
帰り支度をして、先輩と駅に向かって歩く。
「仕事は覚えられそうか?」
「これから実際にやっていかないと何とも言えませんね」
「それもそうか」
先輩と肩を並べて歩いていると、高校時代のことを思い出した。
「先輩、覚えてます? 高校でも、学校が閉まる時間まで図書室にこもってて」
「……図書室から締め出されたときも、お前とこうして並んで帰ったな」
――覚えててくれてた。
嬉しいな。
ほんのりと胸が温かくなる。
「先輩、これから、またよろしくお願いしますね!」
私は先輩に笑いかける。
先輩は相変わらずの無表情で、「……ああ」と頷いてくれた。
「だが、小日向」
駅に着いて、正反対の電車に乗るために別れる直前。
「……俺は、あの頃とは変わってしまった」
「……え?」
聞き返す私に、先輩は振り返らずに歩き去ってしまった。
……その言葉の意味を、私はまだ知らない。
ドアを開けた瞬間、空気が変わった。
……うわ、ここが編集部か……。
デスクに目を向ける。
黒や茶の髪が並ぶ中に、ひとつだけ浮いた銀色。
書類をめくっている、黒い手袋の男性。
――冷静・冷徹・冷酷無慈悲。
そう噂される上司が、そこにいた。
「冬馬先輩、お久しぶりです!」
私がそう声をかけると、冷徹上司――氷室冬馬さんが無表情のまま、一瞬動きを止める。
その仏頂面は、高校時代と全く変わっていない。
学校の図書室での、あの静かな時間を思い出した。
……あの綺麗な銀髪も、昔のままだ。
なんだか、無性に嬉しくなる。
……変わってない。
それだけで、少しだけ安心した。
「……その呼び方はやめろ。ここは職場だ」
冬馬先輩は表情ひとつ変えずに、淡々と事実を話した。
でも、少し考えるように動きを止めてから、「……いや」と目を閉じる。
「お前だけは、構わない」
「はい! 先輩!」
……よかった。
先輩、今も優しい先輩のままだ。
ここ、「それがし出版」に入社してから、冬馬先輩が私の教育係であることを知った。
同時に、こう教えられたのだ。
――氷室冬馬は、合理性の鬼。
女子社員でも問答無用で泣かせる、「冷静・冷徹・冷酷無慈悲の鬼編集」だと。
「……え? 氷室さん、なんか優しくない……?」
「あの新入社員、何者なんだ……?」
周りの編集者たちがざわついているのが聞こえる。
それを聞くと、やっぱり先輩はこの職場で誤解されているのだと、少し悲しくなった。
私は知っている。
先輩は、昔から誤解されやすい人だった。
その髪色のせいで、教師から黒染めを強要されたり、不良と勘違いされたり。
でも、私は知っている。
先輩の、無表情の中にある、優しさを――。
「小日向。……小日向春香」
先輩は私の名前を呼びながら、ゆっくりとデスクから立ち上がった。
「仕事を教える。……来い」
「はい! よろしくお願いします!」
私は胸ポケットから、メモ帳とボールペンを取り出す。
そのまま、歩き出す先輩のあとに付き従った。
この人は、誰にでも冷たい。
なのに――昔と同じように、私にだけ甘い。
背中には、他の編集者たちの視線が突き刺さっているのを肌で感じていた。
私は、それを気にしないふりで、先輩に話しかける。
「先輩、同じ職場だったんですね。私、びっくりしました」
「俺も驚いている。だが……出版業界には来るだろうとは思っていた」
先輩は歩調を緩めた。
……私に、スピード、合わせてくれてる。
「お前は、あの頃から本が好きだったからな」
「もちろん! 大学では本屋さんでバイトもしてました」
「そうか」
……先輩とは、高校で会ったきりだ。
大学は別だったので、どうして先輩が冷徹上司などと呼ばれる事態に陥っているのかは、わからない。
しかも、私には普通に接してくれてる。
どう見ても冷徹ではないので、余計わからない。
「先輩、相変わらず綺麗な髪ですね」
私の言葉に、先輩はピタッと立ち止まった。
まるで、機械がフリーズしてるみたい。
5秒ほど停止してから、先輩がゆっくり振り返る。
「……ここでは、それは言うな」
先輩は、じっと私の目を見つめていた。
これも、先輩のクセみたいなものだ。
私は目をそらさない。
「……だが」
先輩が、そっと前を向き直る。
「……お前は、変わらないな」
そのまま、再び歩き始めた。
出版社での仕事の手順を、一通り教えてもらった。
でも、まだまだ勉強しなきゃいけないこと、たくさんある。
「――私の一人前の編集者への道は、ここから始まるのだった……」
「誰に向かって言ってんの、それ」
デスクで独り言を呟いた私に、隣にいた同期が話しかけてきた。
「あ、ごめんなさい。つい一人でナレーションを……」
「ふは。小日向さんって変わってるよね」
同期が思わずといった感じで吹き出す。
「てか、大丈夫だった? 氷室さん、怖くなかった?」
「え? 優しい人だけど。丁寧に説明してくれるし」
「でもさ、女の子も平気で泣かす人だって聞いたから」
同期は内緒話をするように、声をひそめた。
「でも、若手のエースだから誰も逆らえないんだって。あの人がダメって言ったら、企画も通らないらしいよ」
「そうなんだ……」
「怖いなあ……。もし私が転職したら、そういうことだと思ってほしい」
同期は話すだけ話したあと、「じゃあ、お先」と編集部を出ていく。
私は考え事をしながら、今日教わったメモを整理していた。
――いったい、冬馬先輩に何があったんだろう。
私の知る先輩は、そんなに悪い人ではないのに……。
誤解を受けやすい体質ではあったけど、女の子を泣かせているのが事実なら、それは受け入れられない。
「うーん……」
「どうした」
「うわびっくりした」
考えている最中に背後から声をかけられ、慌てて振り返ると、先輩本人がいた。
「まだいたのか。帰るぞ。入社初日で身体を壊されても困る」
「このくらいで壊れるほどヤワじゃないですよ」
「どうだか。お前は昔から頑張りすぎて疲れに気付かないところがある」
……そう言われると反論できない。
帰り支度をして、先輩と駅に向かって歩く。
「仕事は覚えられそうか?」
「これから実際にやっていかないと何とも言えませんね」
「それもそうか」
先輩と肩を並べて歩いていると、高校時代のことを思い出した。
「先輩、覚えてます? 高校でも、学校が閉まる時間まで図書室にこもってて」
「……図書室から締め出されたときも、お前とこうして並んで帰ったな」
――覚えててくれてた。
嬉しいな。
ほんのりと胸が温かくなる。
「先輩、これから、またよろしくお願いしますね!」
私は先輩に笑いかける。
先輩は相変わらずの無表情で、「……ああ」と頷いてくれた。
「だが、小日向」
駅に着いて、正反対の電車に乗るために別れる直前。
「……俺は、あの頃とは変わってしまった」
「……え?」
聞き返す私に、先輩は振り返らずに歩き去ってしまった。
……その言葉の意味を、私はまだ知らない。