再会した冷徹上司は、私にだけ過保護です

第13話 締切の死神

 ある日の『それがし』編集部。

「小日向、作家に原稿の取り立てに行くぞ」

「借金取りみたいですね! 頑張ります!」

「氷室ちゃんも小日向ちゃんも、ノリおかしくない?」

 デスクから立ち上がり、スーツの上着を手に取る冬馬先輩。
 彼の歩みに遅れまいと小走りでついていく私。
 そんな私たちを、「夕飯までに帰ってきなさいよ~」と田島さんがお母さんよろしく見送るのだった。

「――日暮(ひぐらし)秋葉(あきは)。10年ほど前までは売れっ子作家だった」

 黒い手袋をした手で車のハンドルを握りながら、先輩はこれから向かう作家のことを教えてくれる。
 その名前を聞いても、私にはいまいちピンと来なかった。
 どこかで著作を読んでいるかもしれないが、覚えていない、といったところか。

「奴は才能はあるが、筆が遅いことでも有名でな。編集部でも手を焼いている」

 ……先輩、なんとなく目つきが鋭く、眉間にシワもよっている気がする。
 よほど問題児なんだな、と助手席に座っている私にも伝わってきた。

 やがて、車はとある一軒家の駐車スペースに停まる。

「玄関の鍵は開いているな。よし」

「え、待ってください先輩。このまま勝手に上がっちゃっていいんですか?」

 普通に玄関の引き戸を開けて上がり込もうとする先輩を見て、私は目を丸くした。

「構わん。というか、気づかれないうちに乗り込まないと奴に逃げられる」

「えぇ……?」

 日暮という作家さん、逃げるんだ……。
 靴を脱いで廊下をツカツカと歩く先輩に、私も慌てて靴を脱いでついていく。
 先輩は、ある部屋の前で立ち止まり、勢いよくガチャッとドアを開けた。

「どうも、進捗いかがですか先生」

「うわっ出たな締切の死神!!」

「とんだ言い草だな」

 私には先輩の背中しか見えないけど、明らかに殺気立っている。

「まだプロット練ってるとこだからもう少し待ってよ~」

「何を世迷い言をほざいている? 締切は昨日だぞ」

「えっ!? 締切1日過ぎた時点でまだプロットの段階!?」

 驚いた私が思わず声を漏らすと、作家らしき声が「うん? 他に誰か来てるの?」と尋ねた。
 先輩の身体で私が視界に入らないようだ。

「あっ、はじめまして! 新人編集者の小日向と申します!」

「えっ、女の子? 氷室くん、こんなとこじゃなくて、もっといいデートスポットに連れていってあげなよ!」

「フンッ」

「痛いッ」

 先輩が日暮先生の頭にチョップを食らわせる。
 日暮先生は悲鳴を上げて頭を押さえていた。
 やっと先輩と私が部屋に入る。
 日暮先生の書斎らしく、壁一面に本棚、中には資料と思われる本がぎっしりと並べられていた。
 日暮秋葉先生はヘラヘラと笑いながら、床に置かれたちゃぶ台に湯呑を置く。

「……湯呑に入ってるの、牛乳ですか?」

「うん、今、家にこれしかなくて。でも牛乳美味しいからいいよね!」

「飲み物なんぞどうでもいい」

 冬馬先輩はバッサリと斬り捨てて、日暮先生を鋭く睨みつけていた。

「日暮先生、原稿にいい加減着手してもらわないと困るのだが」

「え~、僕は困んないもん。こないだだって昔の作品が映画になったから収入はあるし~」

「映画になったんですか? すごいですね」

「……?」

 隣で冬馬先輩が不思議そうな顔をしている。

「あれ、私なんか変なこと言いましたか?」

「……こないだ、一緒に見に行っただろう」

 そう言って、先輩がカバンからパンフレットを取り出した。
 それを見て、私は目を見開く。

「えっ、あの映画の原作、日暮先生だったんですか!?」

 先日、私が感動して大泣きした、あの映画――『渇望の温度』だった。

「え? 氷室くん、僕の映画で彼女とデートしたの? 隅に置けないねえ」

「……デートではない。……編集者として勉強のために……」

 冬馬先輩は珍しく口をモゴモゴさせている。

「……そんな、ことより。煙に巻いてごまかすな」

「はいはい、小説を書けって言いたいんでしょ」

 日暮先生は先輩を適当にあしらうような態度。

「でもさあ、君が提案する小説のプロット、ちっとも面白くないんだもん。だからこうして僕が書き直してるんじゃない」

「先輩が小説を提案すること、あるんですね」

「……俺は、売れ筋に沿ったストーリーを要求しているだけだ」

「だ~か~ら~、それがクッソつまんないって言ってんの~。どこにでもある話じゃん。僕が書く意義を感じないね」

 日暮先生は子どものように口をとがらせた。

「売れるためのお話ってさ、要するに本屋に同じようなお話が何十万、何百万もあるわけ。それ、読者がうんざりしてるって気付いてよ」

「……それでも、数字は出ている」

「あのさぁ……」

 冬馬先輩と日暮先生は延々と口論している。
 終わりが見えない……。

「あ、あの!」

 私は解決の糸口を探して割り込んだ。

「日暮先生って、あの『渇望の温度』を書いたお方なんですよね! 先輩、日暮先生にお任せしてもいいのではないのでしょうか!」

「ダメだ」

「え……」

「あの原作は10年前の話だ。……今の市場では通らない。読者が違う」

 先輩は思いの外に頑なで、首を横に振る。
 日暮先生は「もう10年前かあ」と椅子に背中を預けてそらした。
 椅子がギィ、と音を立てて軋む。

「10年前は良かったよね。僕、サイン会なんてやってたなあ」

「でも! 日暮先生ならまたサイン会開けます!」

 私の力強い言葉に、日暮先生はキョトンとした様子でこちらを見た。

「私、こないだ、あの映画見てボロ泣きしたんです! 私、あの『二人でいることを知ったら心が渇く』っていうテーマ、すごく好きです!」

「お、おお……小日向さん優しい~」

 また日暮先生がヘラッと笑ったのを、冬馬先輩は一瞬だけ、目をそらして黙り込んだ。

「……とにかく、だ。読者層を絞って、もっとテーマを明確にした企画書を1週間以内に提出しろ」

「え~、企画書とかつまんない」

「日暮」

「やだ~、氷室くんこわ~い。小日向さん助けて~」

「私も企画書は作ったほうがいいと思います! 作家さんも編集者も、方針が見えやすくなるので!」

「あ、小日向さんも僕の味方ってわけじゃないのね……」

 ガクッと肩を落とした日暮先生に企画書の提出を命じて、冬馬先輩と私はやっと出版社に帰れる目処がついた。

「まったく……」

 はぁ、と深い溜息をつきながら、先輩は運転席に座って黒い手袋を付け直す。

「でも先輩、日暮先生と仲がよろしいんですね」

「……なぜ、そう思う」

「あそこまで先輩が打ち解けてる相手、なかなかいないので」

「……」

 先輩がぞんざいに扱う相手、あまり見たことがない。
 それだけ心を許してる存在なんだと思う。

「……あの先生には、敬意を感じないだけだ」

 先輩はそう言うけど、多分照れ隠しなんじゃないだろうか。
 こうして、私たちはなんとか夕飯に間に合う時間に、出版社に戻ったのであった。
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