そこにあったはずの愛
第一話 境界線
午後の陽が、オフィスの窓から斜めに差し込んでいた。
キーボードを打つ音だけが、静かな秘書室に響く。
「玲依ってさ」
隣のデスクから、富田彩奈が声をかけてきた。
「彼氏いたっけ?」
三年一緒に働いてきて、今更な質問だった。
玲依は手を止めずに答える。
「彼氏はいない」
「けど」
一拍置いて、続けた。
「体だけの関係の子ならいる」
彩奈の指が、キーボードの上で止まった。
「……は?」
「言葉の通りよ」
玲依は画面から目を離さない。
彩奈が何か言おうとした、その時。
デスクの端で、スマートフォンが震えた。
画面に浮かんだのは、たった一文字。
「R」
玲依の視線が、一瞬だけそこに落ちる。
すぐに、画面を伏せた。
「誰から?」
「別に」
短く返し、玲依は資料の束に手を伸ばした。
彩奈はそれ以上、追わなかった。
けれど、何かが引っかかっていた。
三年間、隣で見てきた玲依の顔。
今の一瞬だけ、違う人間に見えた気がした。
――
夜、会社を出たところで彩奈に腕を掴まれた。
「ご飯行こう」
有無を言わさぬ声だった。
玲依は少し迷った。
けれど、頷いた。
――
案内された個室で、料理はほとんど手つかずのまま冷えていった。
彩奈がグラスを傾けながら切り出す。
「さっきの話」
「本当なの?」
玲依は静かにグラスを見つめた。
「三年前」
ぽつりと、言葉がこぼれた。
「大学の帰りに寄ったカフェで会った子がいるの」
「それから、ずっと」
彩奈は息を呑んだ。
「三年って」
「え、待って、それってもう」
「彼氏じゃん」
玲依は、微かに笑った。
「違うわよ」
「そういう約束をしただけ」
「約束?」
「お互い、他の人とは寝ない」
「それだけ」
彩奈はしばらく黙り込んだ。
やがて、絞り出すように聞いた。
「なんでそんな条件にしたの」
「ちゃんと付き合えば良かったじゃん」
玲依の表情から、ふっと温度が消えた。
グラスの中の水面が、小さく揺れていた。
「さあ」
「なんでだろうね」
それ以上、玲依は何も言わなかった。
彩奈も、それ以上は聞けなかった。
――
店を出ると、雨が降り始めていた。
彩奈と別れて、一人になった帰り道。
濡れたアスファルトに、街灯の光が滲んでいる。
玲依はポケットからスマートフォンを取り出した。
画面には、まだ「R」の文字が残っていた。
指先が、その一文字の上で止まる。
誰にも言えない理由が、そこにあった。
玲依は画面を消して、傘も差さずに歩き出した。
雨が、頬を伝っていった。
午後の陽が、オフィスの窓から斜めに差し込んでいた。
キーボードを打つ音だけが、静かな秘書室に響く。
「玲依ってさ」
隣のデスクから、富田彩奈が声をかけてきた。
「彼氏いたっけ?」
三年一緒に働いてきて、今更な質問だった。
玲依は手を止めずに答える。
「彼氏はいない」
「けど」
一拍置いて、続けた。
「体だけの関係の子ならいる」
彩奈の指が、キーボードの上で止まった。
「……は?」
「言葉の通りよ」
玲依は画面から目を離さない。
彩奈が何か言おうとした、その時。
デスクの端で、スマートフォンが震えた。
画面に浮かんだのは、たった一文字。
「R」
玲依の視線が、一瞬だけそこに落ちる。
すぐに、画面を伏せた。
「誰から?」
「別に」
短く返し、玲依は資料の束に手を伸ばした。
彩奈はそれ以上、追わなかった。
けれど、何かが引っかかっていた。
三年間、隣で見てきた玲依の顔。
今の一瞬だけ、違う人間に見えた気がした。
――
夜、会社を出たところで彩奈に腕を掴まれた。
「ご飯行こう」
有無を言わさぬ声だった。
玲依は少し迷った。
けれど、頷いた。
――
案内された個室で、料理はほとんど手つかずのまま冷えていった。
彩奈がグラスを傾けながら切り出す。
「さっきの話」
「本当なの?」
玲依は静かにグラスを見つめた。
「三年前」
ぽつりと、言葉がこぼれた。
「大学の帰りに寄ったカフェで会った子がいるの」
「それから、ずっと」
彩奈は息を呑んだ。
「三年って」
「え、待って、それってもう」
「彼氏じゃん」
玲依は、微かに笑った。
「違うわよ」
「そういう約束をしただけ」
「約束?」
「お互い、他の人とは寝ない」
「それだけ」
彩奈はしばらく黙り込んだ。
やがて、絞り出すように聞いた。
「なんでそんな条件にしたの」
「ちゃんと付き合えば良かったじゃん」
玲依の表情から、ふっと温度が消えた。
グラスの中の水面が、小さく揺れていた。
「さあ」
「なんでだろうね」
それ以上、玲依は何も言わなかった。
彩奈も、それ以上は聞けなかった。
――
店を出ると、雨が降り始めていた。
彩奈と別れて、一人になった帰り道。
濡れたアスファルトに、街灯の光が滲んでいる。
玲依はポケットからスマートフォンを取り出した。
画面には、まだ「R」の文字が残っていた。
指先が、その一文字の上で止まる。
誰にも言えない理由が、そこにあった。
玲依は画面を消して、傘も差さずに歩き出した。
雨が、頬を伝っていった。
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