冷徹営業トップは私の限界オタクでした~恋人編~

恋人編 第5話「クリスマスも限界オタクでした。」

付き合い始めて、半年が経った。

十二月二十五日、金曜日。
クリスマスとはいえ平日なので、社内はいつもと変わらない――はずだった。

「お先に失礼します!」

定時を迎えた途端、佐藤が勢いよく立ち上がった。
普段なら提出物を忘れていたり、入力ミスを指摘されたりして最後まで残っていることが多い。それが今日は、朝から驚くほど仕事が早かった。

「今日だけは絶対に残業したくなかったんで!」

「彼女とデート?」

近くにいた寺内が尋ねる。

「はい!予約した店、遅刻したら怒られるんで!」

佐藤は鞄を掴むと、逃げるように営業部を出ていった。
その背中を見送り、寺内が呆れたように笑う。

「分かりやすいなぁ。まあ、クリスマスだもんな」

「……そうだな。」

神崎もパソコンを閉じ、帰る準備を始めていた。
その動きが普段よりわずかに速いことに気づき、寺内が隣のデスクへ寄ってくる。

「神崎も春宮ちゃんと約束してるんだろ?」

「悪いか。」

「いや、いいけどさ。お前、激重なプレゼントとか用意してないよな?」

神崎の手が止まった。
その一瞬を、寺内は見逃さなかった。

「……おい。なんで今、固まった?」

「固まってない。」

「まさか、指輪?」

「違う。」

「じゃあ、ブランド物を山ほど買ったとか?」

「一つだけだ。」

「その間が怖いんだよ。付き合って半年だぞ? 家とか車とか渡すなよ?」

「俺をなんだと思ってる。」

「春宮ちゃんに全財産を差し出しかねない男。」

否定できず、神崎は黙った。

「プレゼントは値段じゃなくて気持ちだからな。春宮ちゃんが受け取りやすいものにしろよ。」

「分かっている。」

そう答えながらも、神崎の鞄には小さな紙袋が入っている。

購入するまでに店へ三度足を運び、候補を十七個まで絞った。その中から陽菜子に一番似合うものを選ぶため、店員に二時間近く相談したことは黙っておいた。

神崎は仕事を終えると、一足先に会社のエントランス前へ向かった。

外へ出ると、冷たい風が頬を刺す。

周囲には待ち合わせをしているらしい会社員が何人も立っていた。神崎も人通りの邪魔にならない場所へ移動し、陽菜子が出てくるのを待つ。

数分後、ガラス扉の向こうに見慣れた姿が現れた。
淡いベージュのコートに、白いマフラー。いつもより少しだけ華やかな化粧をしている。

神崎は息を止めた。

陽菜子がこちらに気づき、嬉しそうに笑いながら歩いてくる。

(可愛い)

ただ、それだけで思考が埋め尽くされた。
今日のために服を選び、化粧をして、自分との待ち合わせ場所へ来てくれた。
そう考えた瞬間、胸の奥から込み上げてくるものを抑えきれなくなった。

「神崎さん、お待たせしました。」

会社の前なので、陽菜子はいつもどおり名字で呼んだ。

「いえ。俺も今来たところです」

神崎はどうにか平静を保って答えた。
しかし、陽菜子の顔をまともに見られない。

「どうかしましたか?」

「……今日の春宮さんは、普段よりもさらに可愛らしいので、直視できません」

「ここ、会社の前ですよ。」

陽菜子が慌てて周囲を見回す。

「申し訳ありません。ですが、それだけはどうしても伝えたくて。」

声は落ち着いているものの、神崎の耳は真っ赤だった。
陽菜子は照れたように俯く。

「ありがとうございます。神崎さんも、今日も格好いいですよ。」

今度は神崎が完全に動きを止めた。

「神崎さん?」

「……少しお待ちください。」

神崎は片手で口元を覆い、深く息を吐いた。

「今の言葉を心の中へ保存しています。」

「保存しなくても、また言いますよ。」

「何度でも言ってくださるんですか?」

神崎が勢いよく顔を上げる。
陽菜子は恥ずかしそうに笑った。

「二人きりになってからにしましょう。」

その言葉だけで、神崎の理性は早くも限界に近づいていた。

二人は会社を離れ、イルミネーションで彩られた大通りへ向かった。
街路樹には白と金色の光が灯り、辺りは多くの人でにぎわっている。
会社から十分ほど歩いた頃、陽菜子がそっと神崎の手へ自分の手を重ねた。

「紅夜さん。手、つなぎませんか?」

「もちろんです。」

神崎はすぐに握り返した。
けれど、その手は小刻みに震えている。

「紅夜さん、緊張しています?」

「していません。」

「震えていますけど。」

「寒さです。」

「手は温かいですよ?」

神崎は少し黙った。

「……幸せによる震えです。」

陽菜子はくすりと笑い、つないだ手に少しだけ力を込めた。

それだけで神崎の心臓が大きく跳ねる。

(陽菜子さんから手をつないでくださった。しかも、今、握り直した。可愛い。無理だ。尊すぎる。今日だけで何度、好きになればいいんだ)

表情には出さないよう努めているものの、口元は少し緩んでいた。


その後、二人は神崎が予約していたレストランへ向かった。

窓際の席からは、光に包まれた街並みが一望できる。料理が運ばれてくるたびに陽菜子が嬉しそうに目を輝かせるので、神崎は料理よりも彼女ばかりを見ていた。

「さっきから、私のことばかり見ていますね。」

「見てはいけませんか?」

「いけなくはないですけど……恥ずかしいです。」

「すみません。ですが、今日の陽菜子さんを一秒でも見逃したくなくて。」

「そんなに見ても、何も起きませんよ。」

「瞬きをされるたびに可愛いので、何も起きていないとは言えません。」

陽菜子の頬が赤くなる。
その反応まで可愛くて、神崎は静かに胸元を押さえた。

「紅夜さん、大丈夫ですか?」

「はい。心臓が少し耐えられなくなっただけです。」

「それは大丈夫ではないと思います。」

食事を終えると、二人は近くの広場へ向かった。

中央に立つ大きなクリスマスツリーの周囲では、白い光が雪のように瞬いている。
少し人通りの少ない場所で、陽菜子が鞄から包みを取り出した。

「紅夜さん。メリークリスマス」

差し出されたのは、赤いリボンが結ばれた包みだった。
神崎は両手でそれを受け取る。

「……俺に?」

「紅夜さん以外に誰がいるんですか?」

「陽菜子さんが、俺のためにプレゼントを選んでくださった……」

神崎はしばらく箱を見つめたあと、大切そうに胸元へ抱えた。

「ありがとうございます。家宝にします。」

「使ってください。」

陽菜子に促され、その場で箱を開ける。
中に入っていたのは、黒を基調にした落ち着いたデザインのマフラーだった。

「紅夜さん、黒い服をよく着るから似合うと思って。気に入ってもらえましたか?」

「一生使います。」

「マフラーの寿命が先に来ますよ。」

「そのときは額に入れて飾ります。」

「飾らなくていいです。」

陽菜子は笑いながら、神崎の首へマフラーを巻いた。
形を整えるため、彼の胸元へ手を伸ばす。
突然近づいた顔に、神崎の体が固まった。

「よく似合っていますよ。」

「……無理です。」

「え?」

「こんなに近くで笑わないでください。抱きしめたくなるので。」

低い声で言われ、陽菜子の頬が赤くなる。
神崎はすぐに一歩下がった。

「申し訳ありません。今のは忘れてください。」

「……嫌です。」

「え?」

「あとで、抱きしめてください。」

神崎は口元をマフラーへ埋めた。
陽菜子からもらったマフラーの温かさと、今の言葉の破壊力で、しばらく顔を上げられそうになかった。
どうにか落ち着きを取り戻すと、神崎も鞄から小さな紙袋を取り出した。

「陽菜子さん。俺からも、受け取ってください。」

箱の中には、小さな赤い石があしらわれたネックレスが入っていた。
派手すぎない、上品で繊細なデザインだった。

「綺麗……。」

「陽菜子さんにはどれも似合うと思ったのですが、一番はこれだと思いました。」

「どれも?」

「候補を十七個まで絞りました。」

「それは、絞ったと言うんでしょうか?」

「店員の方と二時間ほど相談して、ようやく決めました。」

陽菜子は驚いたあと、ネックレスを見つめて柔らかく笑った。

「私のために、そんなに考えてくれたんですね。」

「当然です。陽菜子さんへの贈り物を、適当に選ぶことなどできません。」

「ありがとうございます。大切にします。」

その一言だけで、何度も店へ通った苦労などすべて消えてしまった。

「紅夜さん。つけてもらってもいいですか?」

「俺がですか?」

「はい。お願いします。」

陽菜子が背を向け、髪を片側へ寄せる。

神崎は息を止めた。

震える指で金具を留める。触れないよう細心の注意を払っているのに、どうしても指先が陽菜子の首元をかすめてしまう。

「できました?」

「……はい。」

陽菜子が振り返る。
胸元で赤い石がきらりと輝いた。

「似合いますか?」

神崎は片手で顔を覆った。

「世界で一番似合っています……」

「そんなにですか?」

「今日の光景は、一生忘れません。」

「大げさですね。」

陽菜子は笑いながら、神崎の腕へ自分の腕を絡めた。

「来年も、一緒にクリスマスを過ごしましょうね」

神崎は固まった。

来年。

陽菜子が、自分との未来を当たり前のように口にしてくれた。

その事実が、胸の奥へゆっくりと広がっていく。

「……来年だけでは足りません。」

「え?」

「再来年も、その先も、ずっと俺にください。」

あまりにも真剣な声に、陽菜子の頬が赤く染まる。

「それ、寺内さんが言っていた“激重”というものではありませんか?」

「聞いたんですか?」

「さっきメッセージが来ました。『神崎のプレゼントが重かったら逃げて』って」

「寺内……。」

神崎の声が低くなる。
陽菜子は楽しそうに笑いながら、彼の腕をさらに強く抱きしめた。

「でも、私はこれくらいでちょうどいいです。」

神崎は何も言えなくなった。
ただ耳まで真っ赤にして、陽菜子の手を強く握り返す。
イルミネーションの光よりも、その隣にいる恋人の笑顔のほうが、神崎にはずっと眩しく見えた。

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