昨日までの片想い
昨日までの幼馴染(一)
「付き合って下さい!」
放課後の校舎裏。告白の定番とも言えるその場所を、私は渡り廊下の窓から眺めていた。
静まり返った校舎には、遠くから運動部の掛け声が響き、それに重なるように、時折、吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。四時前とはいえ、冬の空は僅かな赤みを残すばかりで、ほとんど夜へと移り変わっていた。
誰かの大事な一瞬を覗き見るような真似がよくないことくらい分かっている。それでも、偶然聞こえてしまったその声から、どうしても意識を逸らすことができなかった。
声を震わせ、今にも泣き出しそうになりながら想いを伝える女子生徒。そんな彼女をカッコ悪いとは少しも思わず、むしろ、自分の素直な感情を言葉にできることが眩しくて、ただ尊敬してしまう。
その一方で、告白を受けている男子生徒が何と答えるのかを聞くのが、ただただ怖かった。
答えを聞いてしまえば、何かが終わってしまう気がしたから。
私の好きな人が、彼女に何と答えるのか。
本当は、聞きたくなんてない。
それなのに足は動いてくれず、私は渡り廊下の窓辺から、二人を見つめ続けていた。
***
「いってきまーす」
眠い目をこすりながら玄関を開けると、扉の隙間から差し込んだ朝日と一緒に、冷たい空気が身体を包み込んだ。思わず家の中へ戻りたくなるのをなんとか堪え、冬の匂いがする外へ一歩踏み出す。
わずかに青ばみ始めた空を見上げ、遠くに雀の鳴き声を聞きながら住宅街を歩いていると、街路樹の枝先に小さな蕾を見つけた。
あと一ヶ月もすれば、この寒さも去っていくのだろう。
冬の向こう側に、少しずつ春の輪郭が見え始めるこの季節を、私は昔からどうしても好きになれない。卒業式、クラス替え、進学。別れを連想させるイベントばかりが目立つこの時期は、楽しいとは程遠くて。
車がほとんど通っていない、大通りへと続く横断歩道。赤のまま渡ったところで、咎める人なんて誰もいないのに、私は赤信号の前で律儀に立ち止まる。
高校へ入学してから、何度も通った道。
あいつと、何度も通った道。
「灯里」
信号が青に変わるのを待っていると、名前を呼ばれたのと同時に、肩に掛けていたスクールバッグの重さが消えた。
声のした方へ顔を向ければ、同じ制服を着た、私より頭ひとつ分ほど背の高い男子が立っていた。私のスクールバッグを肩に掛けながら、両手はズボンのポケットの中。手はしっかり温めているくせにマフラーは着けておらず、寒くないのか、それともただ我慢しているだけなのか、相変わらずよく分からない格好をしている。
そんな幼馴染から青に変わった信号へ視線を戻し、名前を呼ばれただけで緩みそうになる口元をマフラーで隠した。
「おはよ、湊。いつもありがとね」
「三年間、勉強でだいぶ世話になったからな」
そう言って、湊は少し先を歩き始めた私へ追いつき、隣へ並ぶ。
横目で見るその姿は、実際の身長差以上に大きく感じた。小学生の頃は私の方が大きかったはずなのに、いつからこんなにも離されてしまったのだろう。
昔は何も考えずに隣を歩けた。それなのに今は、こうして並んでいるだけで妙に落ち着かず、うるさい心臓の音にさえ「ここまで歩いてきたから」なんて下手な言い訳までして。
そんな私の内心を知るはずもない湊が、こちらの視線に気付いて怪訝そうな顔を向けた。
「……なんだよ」
「別に。ただ、マフラーくらい付ければいいのにって思っただけ」
「寒くねえし」
「絶対寒いでしょ。むしろ、寒くないって言うなら身体の不調を疑うよ?」
湊に笑いかけながら、私は横断歩道の白線だけを選ぶように歩いていく。
私の二歩を、湊の一歩が追いかける。そして、当然のように隣へ並ぶ。その当然が、いつまで続くのか。
最近の私は、そんなことばかり考えている。
「白線だけ歩くなよ。夜、雨降ってたし……気を付けろよ」
「分かってるって」
返事をしながらも、私は変わらず白線の上だけを選んで歩く。
小学生の頃にも同じことをしていた気がする。白線から落ちたら負け、なんて意味もない勝負をして、先に飽きた湊が私の手首を掴み、そのまま歩道まで引っ張っていった。
あの頃は、触れられたって何も思わなかった。しかし、今は、袖が少し触れるだけで息の仕方が分からなくなる。
卒業式まで、あと二ヶ月。
春になれば、湊はこの街を離れて遠くの大学へ行くらしい。一方の私は、実家から地元の大学へ通うことになっている。幼稚園から当たり前のように続いてきた二人の距離も、あと二ヶ月で終わってしまう。
そんな現実と向き合うのが辛くて、最近はカレンダーから目を逸らすことが増えた。
それでも、胸の奥では同じ言葉が繰り返される。
──言わなきゃ。
──伝えなきゃ。
──このままじゃ、きっと後悔する。
分かっている。
それでも私は、その声から逃げるように今日まで過ごしてきた。
「湊はさ──」
名前を呼ぶと、半歩先を歩いていた湊が足を止めて振り返った。
今日こそ、この関係が変わる何かを言おう。
そう思ったのは、これが初めてじゃない。
好きな人はいるのか。私のことを、どう思っているのか。何度も聞こうとして、そのたびに振り返った湊の顔を見た瞬間、言葉が喉の奥へ引っ込んでしまう。
朝日に照らされた横顔から逃げるように視線を逸らし、同じことを何度も繰り返している自分に、少しだけ呆れた。
「なんだよ」
「ううん。湊、春から一人暮らしホントにできるのかなぁって」
「さーな……まぁ、灯里なら、一人暮らしもうまくやれそうだよな」
そう答えた湊の声が、急に小さくなる。
私より少し先を歩き始めた背中も、どこか沈んでいるように見えた。滅多に見せない姿に、思わずその背中へ手を伸ばす。
けれど、触れるより早く湊が振り返った。
「ほら。早く行こうぜ」
いつもの顔だった。
そう見えるだけなのかもしれない。さっきまで確かに感じていた陰りは、もうどこにも見つからなかった。
行き場を失った手を何事もなかったように下ろし、私は再び湊の隣へ並ぶ。
「何かあるなら話ぐらい聞くよ」
昔から、湊は時々こうやって強がる。私がそれに気付いたところで、本人が素直に認めることなんて一度もなかった。
それでも、昔から変わらず私は手を差し伸べる。
そして湊も、昔から変わらず笑って答える。
「別に何もねーよ」
やせ我慢。かっこつけ。
もっと甘えればいいのにと思う一方で、そんな不器用なところを好きだと言う子も少なくなくて。
そういえば、小学生の頃から今まで、湊に彼女がいたという話を聞いたことが一度もない。
弱小高校とはいえサッカー部のキャプテンで、身長も高く、ぶっきらぼうだけれど優しい。勉強だけは毎回赤点ギリギリを渡り歩いているけれど、それくらいは欠点のうちにも入らない気がする。
そんな湊に彼女ができたという噂を一度も聞かなかったことに、ずっと安心している自分もいる。
その事実を改めて自覚すると、つい笑いが漏れた。
「なに笑ってんだよ」
どうやら聞こえていたらしい。
私は笑った理由を誤魔化すように、立ち止まった湊を追い越して少し先を歩く。
「ほら。電車来ちゃうから早く行くよ」
他校の制服を着た生徒や、スーツ姿の大人たちに混じりながら、朝早く、まだ人の少ない駅へ向かう。
そして改札を駆け抜けようとした、その瞬間。
「灯里! 定期、バッグの中だろ!」
背後から響いた大声に思わず足を止める。
スクールバッグは、湊の肩。
当然、定期もそこに入ったまま。
周囲の視線を集めてしまった恥ずかしさに顔を熱くしながら、私は改札を背にして、湊のもとへと戻っていった。
放課後の校舎裏。告白の定番とも言えるその場所を、私は渡り廊下の窓から眺めていた。
静まり返った校舎には、遠くから運動部の掛け声が響き、それに重なるように、時折、吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。四時前とはいえ、冬の空は僅かな赤みを残すばかりで、ほとんど夜へと移り変わっていた。
誰かの大事な一瞬を覗き見るような真似がよくないことくらい分かっている。それでも、偶然聞こえてしまったその声から、どうしても意識を逸らすことができなかった。
声を震わせ、今にも泣き出しそうになりながら想いを伝える女子生徒。そんな彼女をカッコ悪いとは少しも思わず、むしろ、自分の素直な感情を言葉にできることが眩しくて、ただ尊敬してしまう。
その一方で、告白を受けている男子生徒が何と答えるのかを聞くのが、ただただ怖かった。
答えを聞いてしまえば、何かが終わってしまう気がしたから。
私の好きな人が、彼女に何と答えるのか。
本当は、聞きたくなんてない。
それなのに足は動いてくれず、私は渡り廊下の窓辺から、二人を見つめ続けていた。
***
「いってきまーす」
眠い目をこすりながら玄関を開けると、扉の隙間から差し込んだ朝日と一緒に、冷たい空気が身体を包み込んだ。思わず家の中へ戻りたくなるのをなんとか堪え、冬の匂いがする外へ一歩踏み出す。
わずかに青ばみ始めた空を見上げ、遠くに雀の鳴き声を聞きながら住宅街を歩いていると、街路樹の枝先に小さな蕾を見つけた。
あと一ヶ月もすれば、この寒さも去っていくのだろう。
冬の向こう側に、少しずつ春の輪郭が見え始めるこの季節を、私は昔からどうしても好きになれない。卒業式、クラス替え、進学。別れを連想させるイベントばかりが目立つこの時期は、楽しいとは程遠くて。
車がほとんど通っていない、大通りへと続く横断歩道。赤のまま渡ったところで、咎める人なんて誰もいないのに、私は赤信号の前で律儀に立ち止まる。
高校へ入学してから、何度も通った道。
あいつと、何度も通った道。
「灯里」
信号が青に変わるのを待っていると、名前を呼ばれたのと同時に、肩に掛けていたスクールバッグの重さが消えた。
声のした方へ顔を向ければ、同じ制服を着た、私より頭ひとつ分ほど背の高い男子が立っていた。私のスクールバッグを肩に掛けながら、両手はズボンのポケットの中。手はしっかり温めているくせにマフラーは着けておらず、寒くないのか、それともただ我慢しているだけなのか、相変わらずよく分からない格好をしている。
そんな幼馴染から青に変わった信号へ視線を戻し、名前を呼ばれただけで緩みそうになる口元をマフラーで隠した。
「おはよ、湊。いつもありがとね」
「三年間、勉強でだいぶ世話になったからな」
そう言って、湊は少し先を歩き始めた私へ追いつき、隣へ並ぶ。
横目で見るその姿は、実際の身長差以上に大きく感じた。小学生の頃は私の方が大きかったはずなのに、いつからこんなにも離されてしまったのだろう。
昔は何も考えずに隣を歩けた。それなのに今は、こうして並んでいるだけで妙に落ち着かず、うるさい心臓の音にさえ「ここまで歩いてきたから」なんて下手な言い訳までして。
そんな私の内心を知るはずもない湊が、こちらの視線に気付いて怪訝そうな顔を向けた。
「……なんだよ」
「別に。ただ、マフラーくらい付ければいいのにって思っただけ」
「寒くねえし」
「絶対寒いでしょ。むしろ、寒くないって言うなら身体の不調を疑うよ?」
湊に笑いかけながら、私は横断歩道の白線だけを選ぶように歩いていく。
私の二歩を、湊の一歩が追いかける。そして、当然のように隣へ並ぶ。その当然が、いつまで続くのか。
最近の私は、そんなことばかり考えている。
「白線だけ歩くなよ。夜、雨降ってたし……気を付けろよ」
「分かってるって」
返事をしながらも、私は変わらず白線の上だけを選んで歩く。
小学生の頃にも同じことをしていた気がする。白線から落ちたら負け、なんて意味もない勝負をして、先に飽きた湊が私の手首を掴み、そのまま歩道まで引っ張っていった。
あの頃は、触れられたって何も思わなかった。しかし、今は、袖が少し触れるだけで息の仕方が分からなくなる。
卒業式まで、あと二ヶ月。
春になれば、湊はこの街を離れて遠くの大学へ行くらしい。一方の私は、実家から地元の大学へ通うことになっている。幼稚園から当たり前のように続いてきた二人の距離も、あと二ヶ月で終わってしまう。
そんな現実と向き合うのが辛くて、最近はカレンダーから目を逸らすことが増えた。
それでも、胸の奥では同じ言葉が繰り返される。
──言わなきゃ。
──伝えなきゃ。
──このままじゃ、きっと後悔する。
分かっている。
それでも私は、その声から逃げるように今日まで過ごしてきた。
「湊はさ──」
名前を呼ぶと、半歩先を歩いていた湊が足を止めて振り返った。
今日こそ、この関係が変わる何かを言おう。
そう思ったのは、これが初めてじゃない。
好きな人はいるのか。私のことを、どう思っているのか。何度も聞こうとして、そのたびに振り返った湊の顔を見た瞬間、言葉が喉の奥へ引っ込んでしまう。
朝日に照らされた横顔から逃げるように視線を逸らし、同じことを何度も繰り返している自分に、少しだけ呆れた。
「なんだよ」
「ううん。湊、春から一人暮らしホントにできるのかなぁって」
「さーな……まぁ、灯里なら、一人暮らしもうまくやれそうだよな」
そう答えた湊の声が、急に小さくなる。
私より少し先を歩き始めた背中も、どこか沈んでいるように見えた。滅多に見せない姿に、思わずその背中へ手を伸ばす。
けれど、触れるより早く湊が振り返った。
「ほら。早く行こうぜ」
いつもの顔だった。
そう見えるだけなのかもしれない。さっきまで確かに感じていた陰りは、もうどこにも見つからなかった。
行き場を失った手を何事もなかったように下ろし、私は再び湊の隣へ並ぶ。
「何かあるなら話ぐらい聞くよ」
昔から、湊は時々こうやって強がる。私がそれに気付いたところで、本人が素直に認めることなんて一度もなかった。
それでも、昔から変わらず私は手を差し伸べる。
そして湊も、昔から変わらず笑って答える。
「別に何もねーよ」
やせ我慢。かっこつけ。
もっと甘えればいいのにと思う一方で、そんな不器用なところを好きだと言う子も少なくなくて。
そういえば、小学生の頃から今まで、湊に彼女がいたという話を聞いたことが一度もない。
弱小高校とはいえサッカー部のキャプテンで、身長も高く、ぶっきらぼうだけれど優しい。勉強だけは毎回赤点ギリギリを渡り歩いているけれど、それくらいは欠点のうちにも入らない気がする。
そんな湊に彼女ができたという噂を一度も聞かなかったことに、ずっと安心している自分もいる。
その事実を改めて自覚すると、つい笑いが漏れた。
「なに笑ってんだよ」
どうやら聞こえていたらしい。
私は笑った理由を誤魔化すように、立ち止まった湊を追い越して少し先を歩く。
「ほら。電車来ちゃうから早く行くよ」
他校の制服を着た生徒や、スーツ姿の大人たちに混じりながら、朝早く、まだ人の少ない駅へ向かう。
そして改札を駆け抜けようとした、その瞬間。
「灯里! 定期、バッグの中だろ!」
背後から響いた大声に思わず足を止める。
スクールバッグは、湊の肩。
当然、定期もそこに入ったまま。
周囲の視線を集めてしまった恥ずかしさに顔を熱くしながら、私は改札を背にして、湊のもとへと戻っていった。