あなたをみてる
「真司……! 真司!」
何度名前を呼んでも返事はない。
震える手でスマートフォンを取り出す。
けれど、指が思うように動かなかった。
ようやく繋がった電話口で、かの子は声を震わせた。
「主人が……主人が……!」
それ以上、うまく言葉にならなかった。

しばらくして、コンビニの駐車場には何台もの車が停まっていた。
赤い光が、暗い店内を断続的に照らしている。
店の周囲には規制線が張られた。
真司の死亡が確認された。
身体には複数の刺し傷があった。
警察は、殺人事件として捜査を始めた。

「発見したとき、ご主人はすでにこの状態だったんですね?」
警察官の問いに、かの子は小さく頷いた。
「……はい」
「どうして、こんな時間に店へ?」
かの子の膝の上で、両手が強く握られる。
「電話が……あったんです」
「電話?」
「家に……知らない人から」
警察官が顔を上げた。
「どんな内容でした?」
かの子は少し躊躇ってから答えた。
「主人と……鮎田ゆかりさんが……まだ切れていないって」
「鮎田ゆかりさん?」
「主人と同じ店で働いている子です」
「ご主人と、どういう関係なんですか?」
かの子は答えなかった。
唇を噛む。
「……奥さん?」
「不倫していました」
絞り出すような声だった。
「一度は、終わったと思ってたんです」
「電話をしてきた相手に心当たりは?」
「ありません」
「男性ですか? 女性ですか?」
「分かりません。変な声で……」
警察官が何かを書き留める。
「それで、ご主人を確認するために店へ?」
「はい」
かの子はそこで顔を上げた。
「あ……」
「何か?」
「店に着いたとき、人が出てきたんです」
「誰です?」
「武藤くん……だと思います」
「武藤?」
「前に、この店で働いていた子です」
警察官の目つきが変わった。
「間違いありませんか?」
「暗かったから絶対とは言えません。でも……たぶん、武藤くんです」
「その人は、どうして店を辞めたんですか?」
かの子は少し迷った。
「……主人に、辞めさせられたんです」
店内の防犯カメラには、一人の男が映っていた。
武藤哲平。
店へ入る姿。
そして、しばらくして慌てた様子で店から出ていく姿。
そのどちらも、記録されていた。

翌日。
哲平は警察から話を聞かれていた。
「俺じゃない!」
椅子に座った哲平が声を荒らげる。
「俺が行ったときには、もう死んでたんだよ!」
「落ち着いてください」
「落ち着けるかよ!」
「では、どうして警察に連絡しなかったんです?」
哲平が黙る。
「人が倒れているのを見つけた。それなのに通報せず、店から走って逃げた」
「……怖くなったんだよ」
「何が?」
「俺が疑われると思ったから」
警察官は哲平を見た。
「なぜ、そう思ったんです?」
「……」
「あなたは最近、沖島さんとトラブルになっていますね」
哲平の表情が変わる。
「それは……」
「店も辞めさせられた」
「だからって殺すかよ!」
「鮎田ゆかりさんを巡って、他の従業員とも揉めていますね」
「関係ねえだろ!」
「以前、店で騒ぎになって、警察から事情を聞かれたこともある」
哲平が拳を握った。
「俺じゃねえ……」
先ほどまでの勢いが消える。
「本当に……俺じゃないんだ」
警察官は何も答えなかった。

その日の午後。
奏も警察から話を聞かれることになった。
目の前には二人の警察官。
それだけで落ち着かなかった。
「沖島さんとは、同じ職場ですね?」
「はい、店長です」
「最近、何か変わった様子はありませんでしたか?」
「……分かりません」
「トラブルは?」
奏は少し考えた。
哲平との一件が頭に浮かぶ。
「武藤さんと……揉めてました」
「武藤哲平さん?」
「はい」
「原因は?」
「……俺の彼女です」
警察官のペンが止まる。
「彼女?」
「鮎田ゆかりです」
警察官が手元の資料を見る。
「鮎田さんですね」
「はい」
「昨夜は、どこにいました?」
「ゆかりと一緒でした」
「場所は?」
奏の口が止まった。
「……」
「どちらに?」
「……その……」
奏は視線を逸らした。
「ラブホテル、です」
最後だけ、声が小さくなった。
警察官は表情ひとつ変えず、手元の紙に書き込んでいる。
奏はなんとも言えない気まずさを覚えた。
なんで俺、こんなことまで警察に話さなきゃならないんだ。
「ホテルの名前は?」
奏が顔を上げた。
「……名前まで言うんですか?」
「確認が必要なので」
「…………ホテル○○です」
答えながら、奏は俯いた。
「何時ごろ入りました?」
「夜の……九時くらいだったと思います」
「ホテルを出たのは?」
「朝です」
「その間、鮎田さんとはずっと一緒でしたか?」
「はい」
奏はすぐに答えた。
警察官が奏を見る。
「一度も別行動は?」
「してません」
「眠りましたか?」
「……少し」
「どれくらい?」
「そんなに長くは寝てないと思います。5分くらいかな」
奏は、昨夜のゆかりとの会話を思い出した。
――そんなに寝てないよ。
だから、そう答えた。
嘘をついているつもりなど、奏にはなかった。
「鮎田さんが部屋を出ていないと断言できますか?」
その問いに、奏は一瞬だけ黙った。
眠っていた時間がある。
けれど――ほんの少しだ。
「……はい」
奏は頷いた。
「ずっと一緒でした」

別の部屋では、ゆかりが事情を聞かれていた。
「昨夜は、どこにいました?」
「彼氏と一緒でした」
「彼氏というのは?」
「山崎奏くんです」
「場所は?」
ゆかりは奏とは違い、特に言い淀まなかった。
「ホテルです」
「ホテル○○?」
「はい」
「何時ごろから?」
「九時くらいだったと思います」
警察官が資料に目を落とす。
奏の話と一致している。
「朝まで、ずっと山崎さんと?」
「はい」
「途中で部屋を出ましたか?」
「いいえ」
ゆかりは迷わず答えた。
「ずっと一緒でした」
警察官は何も言わず、しばらくメモを取っていた。
そして、次の質問をした。
「鮎田さん」
「はい」
「亡くなった沖島さんとは、どういうご関係でしたか?」
ゆかりの表情が止まった。
ほんの一瞬。
「……店長です」
「それだけですか?」
ゆかりは警察官を見つめた。
部屋の中が静かになる。
「どういう意味ですか?」
「沖島さんの奥さんから、お話を伺っています」
ゆかりの指先が、膝の上でわずかに動いた。
警察官は続けた。
「あなたと沖島さんは――」
一度、言葉を切る。
「不倫関係にあったそうですね」
ゆかりは答えなかった。



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