水色に混ざる夏 2

第二話 知らない未来と、知ってる横顔

 夏井商店の中庭から、ふたりで外へ出ようとしたとき。

(これから透くんに街を案内するんだ……デート、みたいなもの……だよね? いやいや、ちがうちがう。案内だから! わたしはただのツアーガイド!)

 自分に言い聞かせながら、歩き出す透くんの横顔を見上げる。

「——透くんっ!」

 反射的に名前を呼んで、直後にはっとした。

 この人は、わたしの知ってる透くんじゃない。
 さっき出会ったばかりの、パラレルワールドの——ほとんど初対面に近い人。なのに名前呼びって、なれなれしすぎる。

「あっ、ご、ごめん……! えっと、蒼木くん、って呼んだ方が——」

 慌てて言い直そうとしたわたしを、透くんは少し不思議そうに見てから、こう言った。

「名前で呼ぶ方が慣れてるみたいだし。今さら【蒼木くん】とか言われても、落ち着かない」

 ——心臓が、跳ねた。

 去年の透くんも、まったく同じことを言ったから。
 同じ声で、同じ言い回しで、ちょっとだけ照れたような口調まで——同じ。

「じゃあ、俺も——凛花で」

「……うっ、うん……!」

 嬉しいのか、切ないのか、自分でもよくわからない。
 でも心臓がうるさいのだけは、確かだった。



 街に出ると、案の定——透くんの格好は目立った。

 ちょっとオーバーサイズのシャツに、太めのパンツ。スニーカーも今のものとはデザインがぜんぜん違う。
 成り行きでタイムリープしちゃったから、96年の私服のまま。浮いちゃうかな、と思っていたのだけど——

「ねえ、あの人見て。めっちゃオシャレじゃない?」
「Y2Kっぽい! ガチのヴィンテージかな、やばくない?」

 すれ違う女の子たちが、透くんをちらちら見ながらひそひそ話してる。

「……え?」

 褒めてる。明らかに、褒めてる。

「凛花、Y2Kってなんだ?」

「えっと……90年代のファッションが今また流行ってて……つまり、透くんの服が今の感覚だとすごくオシャレに見えるってこと」

「へえ。30年経ったら時代遅れどころか最先端か。……面白いな」

 透くんは感心したように笑ってるけど、わたしはぜんぜん笑えない。
 だって、さっきからすれ違う女の子たちの視線が、ぜんぶ透くんに集まってるんだもん。

(……なんか、悔しい)

 去年は——いや、あの夏は、わたしだけが透くんの隣にいたのに。
 ……でもそれは、この透くんには関係のない話。

「透くん、今日はわたしが服を選んであげる! せっかくだから、2026年の服も着てみてよ!」

 悔しさを誤魔化すように、わたしは透くんの腕を引いてショッピングモールへ駆け込んだ。



 去年、わたしは制服を着て過去に溶け込んだ。
 「30年前と制服変わってないから」って、透くんが教えてくれたから。

 今度は逆。透くんに今の服を着てもらって、未来に溶け込んでもらう番。
 ——なんだか、おあいこみたい。

 透くんに似合いそうな服を何着か選んで、試着室に押し込む。

「これとか、ぜったい似合うと思う! あと、こっちも!」

「……ずいぶん楽しそうだな」

「だって、着せ替えだもん!」

 自分で言ってからちょっと恥ずかしくなった。でも透くんは嫌な顔ひとつせず、素直に着替えてくれる。

 カーテンが開いて、現代の服を着た透くんが出てくるたびに——

 (……かっこいい。ずるい。何着ても似合うじゃん……)

 心の中で叫びながら、わたしは真剣な顔で「うん、これはいい」「こっちはちょっと違うかも」と品定めをした。

 最終的に選んだのは、シンプルだけどちょっとだけ今っぽいシャツと、すっきりしたパンツ。

「どう? 2026年の透くん、って感じでしょ」

 透くんは鏡を見て、ふっと笑った。

「悪くないな」

 ——ちょっと。その笑い方、反則じゃない?


[挿絵C:着せ替え]



 試着した服を持ってレジへ向かう途中、透くんが自然な仕草で財布を取り出した。

「いくらだ? ……円は変わってないんだよな?」

 そう言って出したのは——夏目漱石(なつめそうせき)の千円札。

 わたしの足が、止まった。

 (……あ)

 見覚えがある。もちろん、ある。
 去年の夏祭りで、透くんが「はい、お小遣い」って渡してくれた——あのお札と、同じだ。
 あのとき、新渡戸稲造(にとべいなぞう)の五千円札も一緒にもらって。「格下げされたんだと思った」なんて、とんちんかんなことを言って笑われて。

 あの夜の、屋台の光も、金魚すくいも、花火の音も——ぜんぶ、このお札と一緒に思い出される。

「あ……あのね、それ——使わないで」

「ん? デザインが変わっても使えると思うけど」

「うん、使えるよ。使えるけど……もったいないの」

 透くんが不思議そうな顔をする。

「プレミアがつくってことか?」

「……ちがうの。そうじゃなくて」

 うまく言葉にできない。
 だって、本当の理由は——この千円札を見ると、あの夏を思い出すから。わたしにとっては、お金以上の価値があるものだから。
 でも、それはこの透くんに言っても、伝わらない。

「……わたしが出すよ! 今日はわたしがご案内してるんだから!」

 そう言って、スマホを取り出す。画面をかざして——ピッ。

「……なに今の。現金を出してもいないのに」

 透くんが、目を丸くしている。

「電子決済! お金のデータをスマホで送るの。現金を持ち歩かなくていいんだよ」

「データで……貨幣の代わりを……やっぱり、そういう世の中になったんだ」

 透くんはしばらくスマホの画面を凝視していた。仕組みを理解しようとしているのが、表情でわかる。
 そして——

「なるほど。口座情報を端末に紐づけて、通信で決済を完了させるのか。レジ側が受信して照合する仕組みだろ?」

「……え、もうわかったの?」

「原理はシンプルだからな。入力と出力の対応を見れば、だいたい想像がつく」

 さっきまで未来の技術に驚いていたはずなのに、ものの数分で本質を掴んでしまう。
 ——やっぱり、この人。頭がいい。去年の透くんと同じで。

 ちがう世界の、ちがう透くんなのに。こういうところが、同じ。

(……ずるいよ、ほんと)

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