水色に混ざる夏 2
第二話 知らない未来と、知ってる横顔
夏井商店の中庭から、ふたりで外へ出ようとしたとき。
(これから透くんに街を案内するんだ……デート、みたいなもの……だよね? いやいや、ちがうちがう。案内だから! わたしはただのツアーガイド!)
自分に言い聞かせながら、歩き出す透くんの横顔を見上げる。
「——透くんっ!」
反射的に名前を呼んで、直後にはっとした。
この人は、わたしの知ってる透くんじゃない。
さっき出会ったばかりの、パラレルワールドの——ほとんど初対面に近い人。なのに名前呼びって、なれなれしすぎる。
「あっ、ご、ごめん……! えっと、蒼木くん、って呼んだ方が——」
慌てて言い直そうとしたわたしを、透くんは少し不思議そうに見てから、こう言った。
「名前で呼ぶ方が慣れてるみたいだし。今さら【蒼木くん】とか言われても、落ち着かない」
——心臓が、跳ねた。
去年の透くんも、まったく同じことを言ったから。
同じ声で、同じ言い回しで、ちょっとだけ照れたような口調まで——同じ。
「じゃあ、俺も——凛花で」
「……うっ、うん……!」
嬉しいのか、切ないのか、自分でもよくわからない。
でも心臓がうるさいのだけは、確かだった。
◆
街に出ると、案の定——透くんの格好は目立った。
ちょっとオーバーサイズのシャツに、太めのパンツ。スニーカーも今のものとはデザインがぜんぜん違う。
成り行きでタイムリープしちゃったから、96年の私服のまま。浮いちゃうかな、と思っていたのだけど——
「ねえ、あの人見て。めっちゃオシャレじゃない?」
「Y2Kっぽい! ガチのヴィンテージかな、やばくない?」
すれ違う女の子たちが、透くんをちらちら見ながらひそひそ話してる。
「……え?」
褒めてる。明らかに、褒めてる。
「凛花、Y2Kってなんだ?」
「えっと……90年代のファッションが今また流行ってて……つまり、透くんの服が今の感覚だとすごくオシャレに見えるってこと」
「へえ。30年経ったら時代遅れどころか最先端か。……面白いな」
透くんは感心したように笑ってるけど、わたしはぜんぜん笑えない。
だって、さっきからすれ違う女の子たちの視線が、ぜんぶ透くんに集まってるんだもん。
(……なんか、悔しい)
去年は——いや、あの夏は、わたしだけが透くんの隣にいたのに。
……でもそれは、この透くんには関係のない話。
「透くん、今日はわたしが服を選んであげる! せっかくだから、2026年の服も着てみてよ!」
悔しさを誤魔化すように、わたしは透くんの腕を引いてショッピングモールへ駆け込んだ。
◆
去年、わたしは制服を着て過去に溶け込んだ。
「30年前と制服変わってないから」って、透くんが教えてくれたから。
今度は逆。透くんに今の服を着てもらって、未来に溶け込んでもらう番。
——なんだか、おあいこみたい。
透くんに似合いそうな服を何着か選んで、試着室に押し込む。
「これとか、ぜったい似合うと思う! あと、こっちも!」
「……ずいぶん楽しそうだな」
「だって、着せ替えだもん!」
自分で言ってからちょっと恥ずかしくなった。でも透くんは嫌な顔ひとつせず、素直に着替えてくれる。
カーテンが開いて、現代の服を着た透くんが出てくるたびに——
(……かっこいい。ずるい。何着ても似合うじゃん……)
心の中で叫びながら、わたしは真剣な顔で「うん、これはいい」「こっちはちょっと違うかも」と品定めをした。
最終的に選んだのは、シンプルだけどちょっとだけ今っぽいシャツと、すっきりしたパンツ。
「どう? 2026年の透くん、って感じでしょ」
透くんは鏡を見て、ふっと笑った。
「悪くないな」
——ちょっと。その笑い方、反則じゃない?

[挿絵C:着せ替え]
◆
試着した服を持ってレジへ向かう途中、透くんが自然な仕草で財布を取り出した。
「いくらだ? ……円は変わってないんだよな?」
そう言って出したのは——夏目漱石の千円札。
わたしの足が、止まった。
(……あ)
見覚えがある。もちろん、ある。
去年の夏祭りで、透くんが「はい、お小遣い」って渡してくれた——あのお札と、同じだ。
あのとき、新渡戸稲造の五千円札も一緒にもらって。「格下げされたんだと思った」なんて、とんちんかんなことを言って笑われて。
あの夜の、屋台の光も、金魚すくいも、花火の音も——ぜんぶ、このお札と一緒に思い出される。
「あ……あのね、それ——使わないで」
「ん? デザインが変わっても使えると思うけど」
「うん、使えるよ。使えるけど……もったいないの」
透くんが不思議そうな顔をする。
「プレミアがつくってことか?」
「……ちがうの。そうじゃなくて」
うまく言葉にできない。
だって、本当の理由は——この千円札を見ると、あの夏を思い出すから。わたしにとっては、お金以上の価値があるものだから。
でも、それはこの透くんに言っても、伝わらない。
「……わたしが出すよ! 今日はわたしがご案内してるんだから!」
そう言って、スマホを取り出す。画面をかざして——ピッ。
「……なに今の。現金を出してもいないのに」
透くんが、目を丸くしている。
「電子決済! お金のデータをスマホで送るの。現金を持ち歩かなくていいんだよ」
「データで……貨幣の代わりを……やっぱり、そういう世の中になったんだ」
透くんはしばらくスマホの画面を凝視していた。仕組みを理解しようとしているのが、表情でわかる。
そして——
「なるほど。口座情報を端末に紐づけて、通信で決済を完了させるのか。レジ側が受信して照合する仕組みだろ?」
「……え、もうわかったの?」
「原理はシンプルだからな。入力と出力の対応を見れば、だいたい想像がつく」
さっきまで未来の技術に驚いていたはずなのに、ものの数分で本質を掴んでしまう。
——やっぱり、この人。頭がいい。去年の透くんと同じで。
ちがう世界の、ちがう透くんなのに。こういうところが、同じ。
(……ずるいよ、ほんと)
(これから透くんに街を案内するんだ……デート、みたいなもの……だよね? いやいや、ちがうちがう。案内だから! わたしはただのツアーガイド!)
自分に言い聞かせながら、歩き出す透くんの横顔を見上げる。
「——透くんっ!」
反射的に名前を呼んで、直後にはっとした。
この人は、わたしの知ってる透くんじゃない。
さっき出会ったばかりの、パラレルワールドの——ほとんど初対面に近い人。なのに名前呼びって、なれなれしすぎる。
「あっ、ご、ごめん……! えっと、蒼木くん、って呼んだ方が——」
慌てて言い直そうとしたわたしを、透くんは少し不思議そうに見てから、こう言った。
「名前で呼ぶ方が慣れてるみたいだし。今さら【蒼木くん】とか言われても、落ち着かない」
——心臓が、跳ねた。
去年の透くんも、まったく同じことを言ったから。
同じ声で、同じ言い回しで、ちょっとだけ照れたような口調まで——同じ。
「じゃあ、俺も——凛花で」
「……うっ、うん……!」
嬉しいのか、切ないのか、自分でもよくわからない。
でも心臓がうるさいのだけは、確かだった。
◆
街に出ると、案の定——透くんの格好は目立った。
ちょっとオーバーサイズのシャツに、太めのパンツ。スニーカーも今のものとはデザインがぜんぜん違う。
成り行きでタイムリープしちゃったから、96年の私服のまま。浮いちゃうかな、と思っていたのだけど——
「ねえ、あの人見て。めっちゃオシャレじゃない?」
「Y2Kっぽい! ガチのヴィンテージかな、やばくない?」
すれ違う女の子たちが、透くんをちらちら見ながらひそひそ話してる。
「……え?」
褒めてる。明らかに、褒めてる。
「凛花、Y2Kってなんだ?」
「えっと……90年代のファッションが今また流行ってて……つまり、透くんの服が今の感覚だとすごくオシャレに見えるってこと」
「へえ。30年経ったら時代遅れどころか最先端か。……面白いな」
透くんは感心したように笑ってるけど、わたしはぜんぜん笑えない。
だって、さっきからすれ違う女の子たちの視線が、ぜんぶ透くんに集まってるんだもん。
(……なんか、悔しい)
去年は——いや、あの夏は、わたしだけが透くんの隣にいたのに。
……でもそれは、この透くんには関係のない話。
「透くん、今日はわたしが服を選んであげる! せっかくだから、2026年の服も着てみてよ!」
悔しさを誤魔化すように、わたしは透くんの腕を引いてショッピングモールへ駆け込んだ。
◆
去年、わたしは制服を着て過去に溶け込んだ。
「30年前と制服変わってないから」って、透くんが教えてくれたから。
今度は逆。透くんに今の服を着てもらって、未来に溶け込んでもらう番。
——なんだか、おあいこみたい。
透くんに似合いそうな服を何着か選んで、試着室に押し込む。
「これとか、ぜったい似合うと思う! あと、こっちも!」
「……ずいぶん楽しそうだな」
「だって、着せ替えだもん!」
自分で言ってからちょっと恥ずかしくなった。でも透くんは嫌な顔ひとつせず、素直に着替えてくれる。
カーテンが開いて、現代の服を着た透くんが出てくるたびに——
(……かっこいい。ずるい。何着ても似合うじゃん……)
心の中で叫びながら、わたしは真剣な顔で「うん、これはいい」「こっちはちょっと違うかも」と品定めをした。
最終的に選んだのは、シンプルだけどちょっとだけ今っぽいシャツと、すっきりしたパンツ。
「どう? 2026年の透くん、って感じでしょ」
透くんは鏡を見て、ふっと笑った。
「悪くないな」
——ちょっと。その笑い方、反則じゃない?

[挿絵C:着せ替え]
◆
試着した服を持ってレジへ向かう途中、透くんが自然な仕草で財布を取り出した。
「いくらだ? ……円は変わってないんだよな?」
そう言って出したのは——夏目漱石の千円札。
わたしの足が、止まった。
(……あ)
見覚えがある。もちろん、ある。
去年の夏祭りで、透くんが「はい、お小遣い」って渡してくれた——あのお札と、同じだ。
あのとき、新渡戸稲造の五千円札も一緒にもらって。「格下げされたんだと思った」なんて、とんちんかんなことを言って笑われて。
あの夜の、屋台の光も、金魚すくいも、花火の音も——ぜんぶ、このお札と一緒に思い出される。
「あ……あのね、それ——使わないで」
「ん? デザインが変わっても使えると思うけど」
「うん、使えるよ。使えるけど……もったいないの」
透くんが不思議そうな顔をする。
「プレミアがつくってことか?」
「……ちがうの。そうじゃなくて」
うまく言葉にできない。
だって、本当の理由は——この千円札を見ると、あの夏を思い出すから。わたしにとっては、お金以上の価値があるものだから。
でも、それはこの透くんに言っても、伝わらない。
「……わたしが出すよ! 今日はわたしがご案内してるんだから!」
そう言って、スマホを取り出す。画面をかざして——ピッ。
「……なに今の。現金を出してもいないのに」
透くんが、目を丸くしている。
「電子決済! お金のデータをスマホで送るの。現金を持ち歩かなくていいんだよ」
「データで……貨幣の代わりを……やっぱり、そういう世の中になったんだ」
透くんはしばらくスマホの画面を凝視していた。仕組みを理解しようとしているのが、表情でわかる。
そして——
「なるほど。口座情報を端末に紐づけて、通信で決済を完了させるのか。レジ側が受信して照合する仕組みだろ?」
「……え、もうわかったの?」
「原理はシンプルだからな。入力と出力の対応を見れば、だいたい想像がつく」
さっきまで未来の技術に驚いていたはずなのに、ものの数分で本質を掴んでしまう。
——やっぱり、この人。頭がいい。去年の透くんと同じで。
ちがう世界の、ちがう透くんなのに。こういうところが、同じ。
(……ずるいよ、ほんと)