水色に混ざる夏 2
「飲み物、買ってくる」
透くんがそう言って、ふらりと離れた。
「あ、うん……ありがと」
透くんの背中を見送って、窓の外に目を戻す。
夕焼けは終わりかけて、街に少しずつ灯りがともり始めていた。
ぼんやりと夜景を眺めながら、さっきの写真のことを考える。
スマホの不調? ……それとも——
「……透くん、遅いな」
ふと気づいて、振り返った。
自販機コーナーの方を見る。人はちらほらいるけど、透くんの姿は見えない。
(トイレにでも寄ったのかな……)
もう少し待つ。1分。2分。
展望台のフロアを見回した。カップル。家族連れ。外国人の観光客。夜景に向かってスマホを構える人たち。
——どこにも、透くんがいない。
(……え)
心臓が、どくんと跳ねた。
(いない……? うそ……)
早足でフロアを一周する。自販機コーナー。休憩スペース。お土産売り場——どこにも、いない。
(どこ……? 透くん、どこに行ったの……?)
人がたくさんいるのに、まるで最初からわたしだけがここにいたみたいだった。
去年の——あの日の記憶がフラッシュバックする。
かき氷を食べ終わって、2025年に戻ったら、透くんだけが消えていた。
隣にいたはずなのに。笑っていたはずなのに。
呼んでも、返事がなくて——
(やだ……やだよ……っ、また消えちゃったの……?)
視界がぼやけて、息が苦しくなる。
(また、わたし、ひとりなの……?)
足がもつれて、窓際の手すりにすがりついた。
ガラスの向こうの夜景が、涙ににじんで歪む。
——その時。
後ろから、ふわっと肩を引き寄せられた。
「——凛花? どうした、顔色悪いぞ」
振り返ると、透くんがすぐ後ろに立っていた。
片手に冷たいペットボトルを二本持って、もう片方の手でわたしの肩を支えている。

[挿絵F:肩を引き寄せられる凛花]
「……とっ、透くん……!?」
「自販機が遠くてな、ちょっと歩いた。……泣いてるのか?」
「っ——」
いた。ちゃんと、いた。消えてない。
安堵と恐怖がいっぺんに押し寄せて、わたしは声にならない声を漏らしながら、透くんの胸に額を押しつけた。
「お、おい……」
「ごめん……ごめんなさい……いなくなったかと思って……写真も撮れなくて、影も薄くなった気がして、それで……っ」
声が震えて、うまく話せない。
透くんの体温が、じんわりとおでこに伝わってくる。あったかい。ちゃんと、ここにいる。
透くんは一瞬戸惑ったみたいだったけど、ペットボトルをそっと床に置いて——わたしの震える手を、両手で包み込むように握ってくれた。
「……大丈夫だ。ここにいるよ」
その声と、手の温もりに包まれて、わたしはようやく息ができた。
◆
少し落ち着いてから、窓際のベンチに並んで座った。
透くんが買ってきてくれた冷たいお茶を受け取って、ひと口飲む。
喉を通る冷たさが、熱くなった頭を少しだけ冷ましてくれた。
——写真に写らない。撮った写真が消える。ガラスに映る影が薄い。
ひとつひとつなら気のせいで済ませられるかもしれない。
でも、全部が重なると——
(去年の透くんが言ってた……「タイムリープには危険があるかもしれない」って)
あの言葉が、急に重みを持って蘇ってくる。
もしかして、透くんがこの時代にいること自体が、透くんの存在を少しずつ蝕んでいるんじゃ——
「……透くん」
「ん?」
「……帰った方がいいかもしれない。96年に」
自分で言って、胸が痛んだ。
まだ一緒にいたい。今日会ったばかりなのに——いや、会ったばかりだからこそ、もっと一緒にいたい。
「写真が撮れなかったのも、影が薄く見えたのも……この時代に長くいすぎたせいかもしれない。何か取り返しのつかないことが起きる前に、安全な内に——」
「……凛花」
透くんが静かに遮った。
「それ、俺のために言ってくれてるんだろ」
「……だって、消えちゃったら——」
声が詰まる。
消えてしまったら、もう二度と会えない。去年、それがどれだけ辛かったか、わたしは知ってる。
透くんは少し考えてから、静かに頷いた。
「……わかった。帰るよ」
その一言が、胸に重く響いた。
わかっていたのに。自分から言い出したのに。
しばらく、沈黙が流れた。
夜景がきらきらと瞬いている。こんなに綺麗なのに、時間だけが無情に過ぎていく。
わたしは透くんの横顔を見つめながら、ずっと胸の奥にあった言葉を、ついにこぼしてしまった。
「……透くん、ごめんね」
「何が?」
「わたし……去年の透くんの代わりに、あなたをここに連れ回してた。身代わりみたいにして……ほんとに、ごめんなさい」
言いながら、涙がぽろぽろとこぼれた。
止めようとしたのに、止まらない。
「去年の透くんに会いたくて。でも別の人だって知ってるのに……一緒にいるのが嬉しくて、つい重ねちゃって……ひどいよね、こんなの……」
下を向いて、自分の膝に落ちる涙を見つめた。
情けなくて、申し訳なくて、消えてしまいたかった。
——すると、指先が、そっとわたしの頬に触れた。
涙を拭うように、透くんの指がわたしの頬を撫でる。
驚いて顔を上げると、透くんがまっすぐにわたしを見ていた。
「別の俺が羨ましいな」
穏やかな、でもどこか切ない声だった。
「……え?」
「会ったばかりだけど——俺は、凛花にどんどん惹かれてるよ」
心臓が、止まりそうになった。
「初対面だからこそ、こうやってストレートに言えるんだと思う。もし普通のクラスメイトから始まってたら、恥ずかしくて、なかなか言い出せなかっただろうから」
——その言葉が、胸の奥深くに刺さった。
(クラスメイトから始まってたら、言い出せなかった——)
去年の透くん。
わたしと同じクラスだった、あの透くん。
最後の夏の日。何か言いかけて、やめたみたいに見えた。
わたしも、心の中でしか「好きだよ」って言えなかった。
伝えるには、ちょっとだけ夏が足りなかったのかもしれない——って、自分に言い訳をして。
でも、ちがう。
夏が足りなかったんじゃない。
透くんも——同じクラスの女の子に想いを伝える勇気が、あと少しだけ足りなかっただけなんだ。
(……去年の透くんも、わたしのこと、好きでいてくれたんだ)
涙が、また溢れた。
でも今度は、さっきまでとはちがう涙だった。
切なくて、嬉しくて、ありがたくて——ぜんぶがごちゃまぜになった、温かい涙。
「……ありがとう、透くん」
それしか言えなかった。
でも透くんは、わたしがお礼を言った意味をぜんぶはわかっていなくても、静かに微笑んでくれた。
夜景がにじんで、きらきらと揺れている。
想いが通じ合ったのに——別れの時間は、もうすぐそこまで来ていた。
こんなに近くにいるのに。こんなに温かいのに。
——今この瞬間が、たまらなく愛おしかった。
透くんがそう言って、ふらりと離れた。
「あ、うん……ありがと」
透くんの背中を見送って、窓の外に目を戻す。
夕焼けは終わりかけて、街に少しずつ灯りがともり始めていた。
ぼんやりと夜景を眺めながら、さっきの写真のことを考える。
スマホの不調? ……それとも——
「……透くん、遅いな」
ふと気づいて、振り返った。
自販機コーナーの方を見る。人はちらほらいるけど、透くんの姿は見えない。
(トイレにでも寄ったのかな……)
もう少し待つ。1分。2分。
展望台のフロアを見回した。カップル。家族連れ。外国人の観光客。夜景に向かってスマホを構える人たち。
——どこにも、透くんがいない。
(……え)
心臓が、どくんと跳ねた。
(いない……? うそ……)
早足でフロアを一周する。自販機コーナー。休憩スペース。お土産売り場——どこにも、いない。
(どこ……? 透くん、どこに行ったの……?)
人がたくさんいるのに、まるで最初からわたしだけがここにいたみたいだった。
去年の——あの日の記憶がフラッシュバックする。
かき氷を食べ終わって、2025年に戻ったら、透くんだけが消えていた。
隣にいたはずなのに。笑っていたはずなのに。
呼んでも、返事がなくて——
(やだ……やだよ……っ、また消えちゃったの……?)
視界がぼやけて、息が苦しくなる。
(また、わたし、ひとりなの……?)
足がもつれて、窓際の手すりにすがりついた。
ガラスの向こうの夜景が、涙ににじんで歪む。
——その時。
後ろから、ふわっと肩を引き寄せられた。
「——凛花? どうした、顔色悪いぞ」
振り返ると、透くんがすぐ後ろに立っていた。
片手に冷たいペットボトルを二本持って、もう片方の手でわたしの肩を支えている。

[挿絵F:肩を引き寄せられる凛花]
「……とっ、透くん……!?」
「自販機が遠くてな、ちょっと歩いた。……泣いてるのか?」
「っ——」
いた。ちゃんと、いた。消えてない。
安堵と恐怖がいっぺんに押し寄せて、わたしは声にならない声を漏らしながら、透くんの胸に額を押しつけた。
「お、おい……」
「ごめん……ごめんなさい……いなくなったかと思って……写真も撮れなくて、影も薄くなった気がして、それで……っ」
声が震えて、うまく話せない。
透くんの体温が、じんわりとおでこに伝わってくる。あったかい。ちゃんと、ここにいる。
透くんは一瞬戸惑ったみたいだったけど、ペットボトルをそっと床に置いて——わたしの震える手を、両手で包み込むように握ってくれた。
「……大丈夫だ。ここにいるよ」
その声と、手の温もりに包まれて、わたしはようやく息ができた。
◆
少し落ち着いてから、窓際のベンチに並んで座った。
透くんが買ってきてくれた冷たいお茶を受け取って、ひと口飲む。
喉を通る冷たさが、熱くなった頭を少しだけ冷ましてくれた。
——写真に写らない。撮った写真が消える。ガラスに映る影が薄い。
ひとつひとつなら気のせいで済ませられるかもしれない。
でも、全部が重なると——
(去年の透くんが言ってた……「タイムリープには危険があるかもしれない」って)
あの言葉が、急に重みを持って蘇ってくる。
もしかして、透くんがこの時代にいること自体が、透くんの存在を少しずつ蝕んでいるんじゃ——
「……透くん」
「ん?」
「……帰った方がいいかもしれない。96年に」
自分で言って、胸が痛んだ。
まだ一緒にいたい。今日会ったばかりなのに——いや、会ったばかりだからこそ、もっと一緒にいたい。
「写真が撮れなかったのも、影が薄く見えたのも……この時代に長くいすぎたせいかもしれない。何か取り返しのつかないことが起きる前に、安全な内に——」
「……凛花」
透くんが静かに遮った。
「それ、俺のために言ってくれてるんだろ」
「……だって、消えちゃったら——」
声が詰まる。
消えてしまったら、もう二度と会えない。去年、それがどれだけ辛かったか、わたしは知ってる。
透くんは少し考えてから、静かに頷いた。
「……わかった。帰るよ」
その一言が、胸に重く響いた。
わかっていたのに。自分から言い出したのに。
しばらく、沈黙が流れた。
夜景がきらきらと瞬いている。こんなに綺麗なのに、時間だけが無情に過ぎていく。
わたしは透くんの横顔を見つめながら、ずっと胸の奥にあった言葉を、ついにこぼしてしまった。
「……透くん、ごめんね」
「何が?」
「わたし……去年の透くんの代わりに、あなたをここに連れ回してた。身代わりみたいにして……ほんとに、ごめんなさい」
言いながら、涙がぽろぽろとこぼれた。
止めようとしたのに、止まらない。
「去年の透くんに会いたくて。でも別の人だって知ってるのに……一緒にいるのが嬉しくて、つい重ねちゃって……ひどいよね、こんなの……」
下を向いて、自分の膝に落ちる涙を見つめた。
情けなくて、申し訳なくて、消えてしまいたかった。
——すると、指先が、そっとわたしの頬に触れた。
涙を拭うように、透くんの指がわたしの頬を撫でる。
驚いて顔を上げると、透くんがまっすぐにわたしを見ていた。
「別の俺が羨ましいな」
穏やかな、でもどこか切ない声だった。
「……え?」
「会ったばかりだけど——俺は、凛花にどんどん惹かれてるよ」
心臓が、止まりそうになった。
「初対面だからこそ、こうやってストレートに言えるんだと思う。もし普通のクラスメイトから始まってたら、恥ずかしくて、なかなか言い出せなかっただろうから」
——その言葉が、胸の奥深くに刺さった。
(クラスメイトから始まってたら、言い出せなかった——)
去年の透くん。
わたしと同じクラスだった、あの透くん。
最後の夏の日。何か言いかけて、やめたみたいに見えた。
わたしも、心の中でしか「好きだよ」って言えなかった。
伝えるには、ちょっとだけ夏が足りなかったのかもしれない——って、自分に言い訳をして。
でも、ちがう。
夏が足りなかったんじゃない。
透くんも——同じクラスの女の子に想いを伝える勇気が、あと少しだけ足りなかっただけなんだ。
(……去年の透くんも、わたしのこと、好きでいてくれたんだ)
涙が、また溢れた。
でも今度は、さっきまでとはちがう涙だった。
切なくて、嬉しくて、ありがたくて——ぜんぶがごちゃまぜになった、温かい涙。
「……ありがとう、透くん」
それしか言えなかった。
でも透くんは、わたしがお礼を言った意味をぜんぶはわかっていなくても、静かに微笑んでくれた。
夜景がにじんで、きらきらと揺れている。
想いが通じ合ったのに——別れの時間は、もうすぐそこまで来ていた。
こんなに近くにいるのに。こんなに温かいのに。
——今この瞬間が、たまらなく愛おしかった。
