水色に混ざる夏 2

第四話 水色に混ざる夏

 すっかり日が落ちて、夜の匂いがし始めた街をふたりで歩き、わたしたちは再び夏井商店へ戻ってきた。

 中庭は、すっかり静まり返ってるけど、お店は閉まってなかった。
 いつものベンチに座って、透くんだけ日向夏シロップのかき氷を食べた。

 爽やかな柑橘の香りが鼻を擽ると、あの味を思い出す。
 これが、透くんを1996年に帰してしまう鍵。

 ……あっちの世界に戻れば、透くんの姿は消える。
 去年の夏、わたしがひとり取り残されたみたいに。

「ごちそうさま。……美味かった」

 透くんが、空になった紙コップをベンチの端に置いた。
 それは、別れの合図だった。

 立ち上がった透くんが、ゆっくりとわたしの方を向く。

「……じゃあな、凛花。短かったけど、すっごく楽しかった」

「うん……わたしも」

 声が震えないように、必死で笑顔を作った。

 本当は、言いたい言葉があった。「好きだよ」って。
 去年の夏、勇気がなくて言えなかった言葉。
 展望台で透くんの気持ちを聞いた今なら、きっと言える。

 でも——言えない。

 だって、目の前にいる透くんは、わたしの知っている透くんとはちがう。
 もしここで想いを告げても、それは「去年の透くん」に向けた感情を押し付けるだけになってしまう。
 そんなの、この透くんにとって迷惑でしかない。ただの、わたしのわがままだ。

「……気をつけて、帰ってね」

 だからわたしは、その言葉だけを絞り出して、くるりと背を向けた。
 透くんが消える瞬間を、見たくなかったから。

 ——さようなら、透くん。

 ぎゅっと目を閉じた。
 生ぬるい夜風が吹き抜けていく。

 『カラン……』

 どこからともなく、あの透き通った風鈴の音が鳴った。

 去年の夏、わたしがひとりぼっちで残されたときに聞いた、切ない音。
 今回もこれで、わたしはひとりになる。

 そう思って、目を開けようとした瞬間だった。

「——凛花」

 背後から、不意に名前を呼ばれた。
 幻聴かと思って、息が止まる。

 恐る恐る振り返ると——そこには、帰ったはずの透くんが、消えずに立っていた。


[挿絵G:消えなかった透]

「……とっ、透くん……? なんで……帰ってないの……?」

 混乱するわたしに、透くんはどこか懐かしそうな、優しすぎる眼差しを向けて、ふっと笑った。

「かき氷、やっぱり去年と同じ味だったな」

「……え?」

 去年と、同じ味。
 なんで、そんなこと——

「海水浴も、また同じ南渚海岸(ミナミナ)に行こう。今年は凜花が好きな物を食べよう」

「っ……」

 心臓が、どくんと大きく跳ねた。
 96年の透くんは、去年のシロップの味を知らないはず。
 それに、去年の夏、一緒に海に行ったように話してる。
 ——しかも去年は透くんの好きなもの(焼きそばとラムネ)ばっかりだったのに、今度はわたしの好きなもの……?

 戸惑うわたしをよそに、透くんはさらに言葉を続ける。

「やっぱり、夏祭りは……隣町のに行くのでいいよな?」

「あ……」

 頭の中で、バラバラだったパズルのピースが、音を立ててはまっていく。
 今日の記憶。去年の記憶。

 ——え、なんで。
 なんで、知ってるの。
 タイムリープできなくなったら、隣町の夏祭りに行こうって話、今日はしてない。

「透、くん……?」

 声が震えた。
 透くんは、呆然とするわたしに一歩近づいて、あの時言えなかった言葉の続きのように、はっきりと言った。

「……全部、覚えてるよ。今日のことも、去年のことも。待たせてごめん」

 ——その瞬間。
 わたしの中で張り詰めていた何かが、一気に弾けた。

「……っ、透くんっ!!」

 嬉しさが大爆発して、わたしは勢いよく透くんの胸に飛び込んでいた。

「大好き……っ!!」

 両手で背中をぎゅっと抱きしめて、顔を押しつける。
 全部知ってる、大好きなわたしの透くんが、帰ってきた。
 嬉しくて、涙が止まらなくて、子供みたいに叫んでいた。

「わっ……と……」

 透くんが少しだけよろけて、それから、優しくわたしの背中に腕を回してくれた。

 ——数秒後。
 透くんの体温と、力強い心音を感じて……我に返った。

(……わ、わたし今、なに言った!? 飛びついて『大好き』って!?)

「っっ〜〜!!」

 顔から火が出るほど真っ赤になって、わたしはバッと身を離し、両手で顔を覆った。

「ちがっ、いやちがくはないけど! は、恥ずかしすぎる……っ! 忘れて!」

 顔を覆った指の隙間から見ると、透くんが肩を揺らして吹き出していた。


[挿絵H:我に返る凜花]

「……忘れないよ。知ってるし」

 透くんが、覆ったわたしの手をそっと外して、笑いかける。

「俺も好きだよ、凛花」

 今度は逃げられなくて、わたしは真っ赤な顔のまま、こくりと頷くことしかできなかった。

◆

 照れ隠しに、中庭の空を見上げた。
 夜風が吹いて、また『カラン』と心地よい音が鳴る。

「……風鈴の音」

 透くんも音の鳴る方を見上げて、ぽつりと言った。

「あの夏祭りで渡した風鈴、青と白の模様の。まだ持ってるのか?」

「え?」

 言われて見上げて、ハッとした。
 透くんにもらったあの風鈴は、たしかに青と白の模様だったはずなのに。

 いつの間にか、そのふたつの色は溶け合って、どこまでも澄んだ美しい【水色】に変わっていたことに気が付いた。

 それはまるで、夏の空そのものみたいな色で。
 離れ離れだったわたしたちの時間が、ようやく混ざり合って、ひとつになった証みたいだった。

「持ってるよ。……今は水色になっちゃったけど」

「水色だったか? ま、青と白が混ざったら、水色になるからな」

 透くんが優しく微笑む。

 あの山から始まったふたりの夏と、バラバラだった過去と未来の時間が溶け合い、すべてが混ざり合って今ここにいる。

 風鈴が、祝福するように優しく鳴った。

◆

 お店を一歩出ると、夜になって少しだけ優しくなった風が、わたしたちを包み込む。

「……やっぱり暑いな、2026年は」

 透くんがふっと笑って、自然にわたしの手を握った。

 一年間、再会を信じ続けてよかった。

 去年は、この暑さが嫌いだった。「95年の涼しい夏の方が好きだ」って思ってた。
 でも——。

「暑いけれど」

 わたしは、透くんの温かい手を、ぎゅっと握り返す。

「大好きな透くんと一緒に過ごす、わたしたちの夏だから」

 透くんが少しだけ目を見張って、それから、最高に優しい笑顔を向けてくれた。

 繋いだ手から伝わる温かさに胸を弾ませながら、わたしたちは笑顔で歩き出した。

 今日からずっと、わたしたちは同じ夏を過ごしていく。

 ――どこまでも広がる、水色の空の下で。

【終わり】


[挿絵I:ハッピーエンド]
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