改札も通れない完璧令嬢に、庶民高校生の俺が普通の放課後を教えます

最終話 放課後は、あなたの隣で

 事件からしばらくが経った。
 学園に流れていた噂は、正式な処分と共に収束した。
 一連の騒動を思えば、今の穏やかな日常は嘘のようだった。
 玲華は以前と変わらず生徒会長としての職務を完璧にこなしていた。だが以前と違い、昼休みにはきちんと食事を取り、生徒会の仕事を後輩に任せることも覚えていた。
 
 変わったのは、学園での姿だけではない。
 父・政一郎との関係も少しずつ変わりつつあった。以前は一方的に決められていた放課後の予定も、今では玲華自身が父に相談し、自分の意思を伝えられるようになっていた。
「今週末は、陽翔さんと商店街に行く予定です」
 そう告げる玲華に、政一郎はまだ複雑そうな表情を浮かべながらも、以前のように強硬に反対することはなくなっていた。
「……門限は守れ」 
 それだけ言って書斎に戻っていく父の背中を見送りながら、玲華は小さく微笑んでいた。かつては口答えすら許されなかった書斎でのやり取りが、こんな風に穏やかなものになるとは、玲華自身も思っていなかったに違いない。

 そして学園でも、もう一つ大きく変わったことがあった。
 俺と玲華の関係は学園内でも公然と知られるようになっていた。玲華はそれを隠そうとせず、むしろ堂々と俺の隣を歩くようになっていた。
「鷹司会長、笹岡くんと本当に仲良いんですね」
 時折、そう声をかけられることもあったが、玲華は動じることなく答えるようになっていた。
「はい。大切な人です」
 その言葉を以前の彼女なら決して口にできなかっただろう。廊下ですれ違う生徒たちの反応も、噂が広まっていた頃とはまるで違う、温かいものに変わっていた。
            ☆
 ある日の放課後、玲華が珍しく俺の教室まで迎えに来た。夕方の教室に、玲華の凛とした声が響いた。
「陽翔」
「玲華? どうしたんですか、わざわざ」
「今日は、私が案内します」
 玲華はどこか自信ありげな表情で告げた。
「案内って、どこに」
「商店街です」
 思いがけない申し出に俺は少し面食らいながらも頷いた。
「じゃあ、お願いします」
「はい、お任せください」
 昇降口を出て駅まで歩き、改札を抜けるところまでは、以前とは見違えるほどスムーズだった。玲華は迷うことなくICカードをかざし慣れた足取りでホームへ向かう。あの日、改札の前で立ち尽くしていた姿が、今ではもう遠い記憶のようだった。
 電車を降り、商店街の入り口に差し掛かったところで玲華は自動販売機の前で足を止めた。 
「ここで、飲み物を買いましょう」
 そう言うと玲華は財布から小銭を取り出し慎重に、けれど迷いのない手つきで自動販売機の投入口に硬貨を入れた。ボタンを押すとガコン、という音とともに缶ジュースが取り出し口に落ちてくる。
「買えました」
 得意げな顔で玲華はその一本を俺に差し出した。
「はい、陽翔」
「ありがとうございます」
 以前の玲華ならこの機械の前で立ち尽くし、周辺設備の確認だと言い張っていただろう。それが今ではこんなにも自然に誰かのために飲み物を買えるようになっている。缶の表面についた水滴を、指先で軽くぬぐう仕草にすら、以前にはなかった余裕が滲んでいた。
「今日は、私が普通の放課後を教えます」
 玲華は自信満々にそう宣言すると、商店街へ向かって堂々とした足取りで歩き出した。
 だが数分も経たないうちに俺は違和感を覚えた。
「玲華、それ、商店街と反対方向ですけど」
「……いいえ、こちらで間違いありません」
 玲華は自信たっぷりに歩みを進めていたが、その先にあるのは明らかに商店街とは逆の住宅街だった。夕暮れの中、見慣れない一戸建ての並びが、静かに二人を迎えていた。
「玲華」
「……」
「完全に道、間違えてますよ」
 玲華は足を止めあたりを見渡した。見慣れない街並みにようやく異変に気づいたらしい。きょろきょろと視線を動かすその姿は、生徒会長というよりただの十七歳の少女そのものだった。
「……これは」
「はい」
「周辺の、安全確認です」
 いつかの改札前での言い訳とまるで同じ台詞だった。俺は思わず吹き出してしまった。
「それ、前にも聞きましたよ」
「……そう、でしたか」
 玲華は珍しく気まずそうに視線を逸らした。頬がほんのりと赤く染まっている。
「案内するって、格好つけたのに」
「大丈夫です。俺が案内しますから」
 俺が笑いながら手を差し出すと、玲華は少し不満そうな顔をしながらもその手をそっと取った。
 二人で来た道を戻り、改めて商店街へ向かった。夕暮れの光が通りを橙色に染めていた。
 玲華はぽつりと言った。
「陽翔と、こうして歩くのが、好きです」
「俺もです」
 他愛のない会話を交わしながら、俺たちは何気ない放課後を過ごした。八百屋の店主に声をかけられ、たこ焼き屋のおばちゃんに「お似合いね」とからかわれ、いつもの定食屋に立ち寄って母さんの手料理を食べる。あの日、玲華が初めて涙目になった、たこ焼きの屋台も、今ではすっかり顔なじみのような光景になっていた。
           ☆
店を出ると、商店街は夕焼けに染まっていた。歩きながら、玲華が不意に俺の肩にそっともたれかかった。
「玲華?」
「……少しだけ、このままで」
 俺はそれ以上何も言わず、彼女のペースに合わせてゆっくりと歩を進めた。触れた肩の温もりに、これまでの日々が一つ一つ蘇ってくるようだった。

 しばらくして玲華が小さな声で呟いた。
「私は、あなたといる時間が、一番好きです」
 その一言に俺は胸の奥が温かくなるのを感じた。
「玲華」
「はい」
「俺も、玲華といる時間が、一番好きです」
 玲華は顔を上げ俺をまっすぐに見つめた。夕日に照らされたその表情には学園では決して見せない素直な喜びが浮かんでいた。
「陽翔。改めて、伝えたいことがあります」
「はい」
「私は、鷹司家の後継者としての人生を歩みます。ですが、それとは別に、一人の人間として、あなたの隣にいたいです」
 その言葉には、財閥の令嬢としての責任と、一人の少女としての想いがどちらも確かに込められていた。
「玲華の隣に立つこと、俺なりにちゃんと考えました」
 俺はこれまでの日々を思い返しながら答えた。改札前で立ち尽くしていた姿から、今ここで隣を歩いている姿まで、その全部を思い返しながら。
「玲華に守られるだけの俺じゃなくて、玲華の隣を、自分の足で歩ける俺でいたいです」
「……はい」
 玲華は穏やかな笑みを浮かべた。
商店街を抜け、玲華を駅まで送ることにした。
 駅へと続く道を二人は並んで歩いていく。以前は改札さえ通れなかった少女が、今はしっかりとした足取りで自分の選んだ道を歩んでいる。
 学園では完璧な財閥令嬢。
 けれど放課後だけは、大好きな人の隣で笑う普通の女子高生。
 その両方が、これからも鷹司玲華という一人の少女の中で、変わらず息づいていくのだろう。
 夕日が、二人の影を長く優しく伸ばしていた。
(了)
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