アクアリウム ~水族館で恋と事件と友情と~

最終羽:生き物たちが教えてくれたこと



静まり返った夜明け前の清流清澄アクアリウム。
朝の青みがかった薄明かりが巨大なガラスドームや水槽の表面を優しく照らし始めていた。
バックヤードの薄暗い通路では、これまでの一連の事件の黒幕であり、水族館の閉鎖と土地乗っ取りを企んでいた最後の裏切り者――企画部の元幹部である男が、逃げ道を失って血相を変えながら走り回っていた。
「くそっ……! まさかここまで追い詰められるとは……!」
職員用の通用口から外へ逃げ出そうとしたその時、男の足がピタリと止まった。
目の前の通路の曲がり角から、すっと姿を現した影があった。
それは、櫻羽華怜だった。彼女は大きな声を出すわけでもなく、ただ静かに、しかし冷徹なまでの確信に満ちた瞳で男を見据えて立っている。
「……お前、ガキのくせに邪魔をするな……!」
男が懐から最後の手段として持っていた証拠隠滅用のタブレットを投げつけようと踏み出した瞬間、その足元でカサリと不気味な音がした。
――ペンギンの帰巣本能と夜行性動物のトラップ。
朝を迎えたペンギンエリアから、飼育ルートのプログラムに従って一斉に飛び出してきたフンボルトペンギンたちの群れが、見事な連携で男の進路をふさぐようにパタパタと走り抜けた。
驚いた男がバランスを崩してよろめいたその直後、今度は天井近くのダクトから、夜行性の生体センサーに連動したオート照明がパッと点灯し、男の視界を強烈な光で奪った。
「なっ……なんだこれ……!?」
さらに、隣接するイルカプールのほうから、水面を伝って響く特殊な高周波のクリック音――イルカたちが仲間同士で危険を知らせるために発する音波の反響が、プールの壁面を伝わって男の耳と平衡感覚を激しく狂わせた。
華怜は一歩も動かず、ただ静かに告げた。
「動物たちはね、人間なんかよりもずっと前からこの水族館のすべてを見ているの。あなたがここで何をしてきたか、彼らは最初から知っていたし、怒っていたんだよ」
動物たちの夜間の行動パターン、夜行性の習性、そして水族館全体の生態系ネットワークを完璧に計算し尽くした、華怜による「無言のトラップ」。
事件の真相を完璧に暴き出したその圧倒的な推理の前に、逃げ場を完全に奪われた男は、恐怖に震えながらその場にへたり込むしかなかった。
そこに、璃々、真帆、瑠莉奈、そして将太郎が追いつく。
「見事だな……! 華怜、お前ってやつは本当にすごすぎるよ!」
璃々が興奮気味に叫び、真帆と瑠莉奈も「お見事!」と誇らしげにサムズアップした。
水族館を揺るがしたすべての悪事は、この瞬間をもって完全に断ち切られたのだった。



事件が綺麗に解決し、水族館の新しい門出を迎えたその日の夜。
一般の閉館時間を過ぎた静かなナイトプールで、波の音だけが穏やかに響いていた。
少し離れたベンチでは、宮本健と一条冴子の姿があった。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った水面を背にして、健はこれまでにないほど真剣な眼差しで、まっすぐに冴子を見つめていた。
「……冴子ちゃん」
低く、しっかりと響く声に、冴子はハッと息を呑んだ。
「これまで、何度もぶつかって、支え合って……この水族館の過去も、未来も、俺たちは一緒に乗り越えてきた。だから……これからは、家族として、ずっと俺の隣にいてくれ。結婚しよう」
不器用だけど、どこまでも温かい健のプロポーズ。
冴子は驚いたように目を見開いたあと、ふっとこれ以上ないほど柔らかく、最高に美しい笑顔を咲かせた。
「……もう。本当に、遠回りばかりするんだから」
彼女はすっと一歩近づくと、自ら健の大きな手に自分の手を重ね合わせ、力強く頷いたのだった。



イルカ担当の将太郎が華怜のためだけに開いた、貸し切りのナイトプール。
水面を揺らす青いライトのなかで、特別なイルカショーが静かに幕を開けた。
観客席でぽつんと座る華怜の目の前まで、軽やかな水飛沫を上げて一頭のイルカがスーッと泳いできた。
イルカはピョンと器用に身を翻すと、口にくわえていた小さなプレゼントボックスを、華怜の足元へ優しく放り投げた。
「……えっ?」
驚いた華怜が震える手でその箱を開けると、中には彼女が以前ぽつりと「いつか集めたい」と語っていた、色とりどりのクラゲをモチーフにしたグッズがこれでもかと詰まっていた。
そして、その一番上に添えられていた一枚の紙。そこには、不器用ながらも真っ直ぐな将太郎の文字でこう綴られていた。
『俺、大内って言うけど、倉下みたいな人になるから。だから、俺の最初で最後の彼女で、妻になってほしい。愛してるよ、華怜。』
(※編集部注:かつて華怜が「倉下っていう人と結婚する」と言ったのを、将太郎がずっと覚えていて、さらに名字の「大内」と「倉下」をかけた不器用すぎる決意表明だった)
その文字を見た瞬間、華怜の瞳から大粒の涙がポロリとこぼれ落ちた。
華怜はもう抑えきれなくなって、観客席からプールサイドへと駆け出した。
反対側から、将太郎もまた、一目散に華怜のもとへと全力で走り出す。
二人はプールの真ん中、イルカが優しく見守るステージの前で強く、強く引き合った。
その瞬間。
「キュイーッ!!」
まるで二人の祝福を祝うかのように、水中のイルカが水面から勢いよく飛び出し、夜空に向かって見事な大ジャンプと盛大な水飛沫のパフォーマンスを繰り広げたのだった。
すべての事件を乗り越え、最強の仲間たちと動物たちに見守られながら、将太郎と華怜の恋は、永遠の愛として最高のかたちで結ばれたのだった。

すべての生き物たちが穏やかな眠りにつく中、事件は見事に解決し、新しい命と未来へ向けて動き出した清流清澄アクアリウム。
最強の仲間たちの絆と、それぞれの愛が永遠に結ばれた夜明けの光の中で、物語は最高潮の幸福に包まれて大団円を迎えたのだった。

数ヶ月後。
すっかり生まれ変わり、笑顔と活気を取り戻した「清流清澄アクアリウム」のバックヤードは、相変わらず賑やかな笑い声に包まれていた。
「ねえ、ちょっと聞いて~二人とも!」
真帆がスマホを片手に、パタパタと足音を立てながら璃々と瑠莉奈のところに駆け寄ってきた。
「どうしたの、そんなに慌てて」
「これ、さっきSNSで見かけたんだけどさ……」
真帆が突き出した画面を覗き込んだ途端、璃々は「ぶっ!!」と飲んでいたジュースを吹き出しそうになり、瑠莉奈は目を見開いたまま絶句した。
画面に映っていたのは、水族館の公式アカウントが投稿した新しい宣伝ポスター。
そこには、すっかりいちゃつきモード全開のカップルになった大内将太郎と櫻羽華怜……ではなく、なぜかそのポスターの端っこで、以前事件のときに撮影された「犯人を羽交い絞めにしてドヤ顔をしている自分たち3人の奇跡の激写ショット」が、盛大にメイン扱いされて使われていたのだ。

「「「なんで私たちがあのポスターのメインになってるのよーーっ!!?」」」

3人の絶叫が、バックヤードの天井を突き抜けるように響き渡る。
事件のときも、恋バナのときも、いつだって全力で騒いで突っ走ってきた最強の同期女子3人組。
だけど、そのシュールで爆笑の叫び声こそが、この水族館に訪れた平和と、彼女たちの変わらない最高の絆の証だった。

その頃、華やかなリニューアルを終えたばかりのパノラマ大水槽の前では。
将太郎と華怜が並んで、ゆったりと泳ぐ魚たちを眺めていた。
「いやあ、あのポスター、めちゃくちゃ話題になってるらしいぞ。俺たちの同期、すげえ人気者だな」
将太郎がニヤニヤしながら言うと、華怜はふふっと柔らかく微笑んだ。
「うん、みんな最高に面白いお友達だよ。……ねえ、将くん」
将太郎が振り返ると、華怜はちょっとだけ照れくさそうに、でも愛おしそうな瞳で彼を見上げた。
「私ね、ずっと昔から思ってたの。……初めて将くんに出会った、あの小学校の図書室のときからずっと」
「え……?」
将太郎は不意を突かれたように目を見開いた。
「あのとき、私が水族館の生き物の本を読んでいたら、将くんが突然『俺、将来絶対すげえ水族館の男になって、お前をずっと守ってやるからな!』って、真っ赤になりながら言ってくれたの、覚えてない?」
言われた瞬間、将太郎の記憶の奥底から、はるか昔の記憶が鮮やかに蘇ってきた。
そうだ……!
まだ小さくて泣き虫だったあの頃、図書室で寂しそうにしていた華怜を元気づけたくて、勢いだけで口走ったあの約束。
それからずっと、お互いに離れ離れになっても、心のどこかでずっと意識し合っていた。
「……おま、それ、ずっと覚えてたのかよ……!」
将太郎は耳まで真っ赤に染め上げ、恥ずかしそうに頭をガシガシと掻いた。
「うん。ずっと、ずっと大好きだったよ。あのときから、私の『最初で最後の彼氏……お、夫』は将くんだって、決めてたもん」
まっすぐで、どこまでも温かい華怜の言葉に、将太郎の胸がいっぱいに満たされる。
彼は照れくささを隠すように、でもこれ以上ないほど優しい笑顔を浮かべると、華怜の小さな手をしっかりと自分の大きな手で包み込んだ。
「……おう! あのときの約束、今度こそ完璧に果たしてやるからな。愛してるよ、華怜」
「うん、私も愛してるよ、将くん」
イルカたちの祝福の跳ねる音と、遠くで聞こえる璃々・真帆・瑠莉奈の賑やかな笑い声。
すべての過去と未来が優しく結ばれた清流清澄アクアリウムで、最強の5人の絆と、二人の永遠の物語は、どこまでも明るい明日へ向かって泳ぎ始めたのだった――!
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