昨日、僕を殺したのは誰ですか
第一章 昨日、僕は死んだ
第一章 昨日、僕は死んだ
最初にその写真を見たとき、神谷蓮は笑った。
正確には、笑うしかなかった。
九月二日、月曜日。
新学期が始まって二日目の朝。
いつものように教室へ入り、自分の席へ向かい、机の中へ教科書を押し込もうとして。
そこに、一通の白い封筒が入っていることに気づいた。
「なんだこれ」
名前もない。
差出人もない。
封はされていない。
蓮は近くの席にいた親友の高城悠真へ目を向けた。
「お前?」
「何が?」
「机の中」
「知らねえよ」
悠真はスマートフォンから目も上げない。
「ラブレターじゃね?」
「白封筒で?」
「現代の女子高校生をなめるな。逆に渋いのが流行ってるかもしれない」
「絶対知らないだろ」
「知らん」
蓮は苦笑しながら封筒を開いた。
中には写真が一枚。
「……は?」
笑いが消えた。
写真に写っていたのは、学校の屋上だった。
夜。
フェンス。
給水塔。
古びたベンチ。
月明かり。
そして。
フェンスの近くに、
一人の男子生徒が倒れている。
白いシャツ。
黒い制服のズボン。
右手には、見覚えのある黒い腕時計。
「……俺?」
蓮は思わず呟いた。
「何?」
悠真がようやく顔を上げる。
「これ」
写真を渡す。
悠真が受け取る。
「……趣味悪っ」
「俺だよな」
「たぶん」
「たぶんって何だよ」
「顔見えないじゃん」
確かに。
倒れている男子生徒は横を向いており、顔の半分が隠れている。
でも。
蓮には分かる。
自分だ。
制服。
靴。
腕時計。
何より。
右手の小指に巻かれている絆創膏。
昨日、包丁で少し切った。
今も同じものを巻いている。
写真の中の男子生徒にも、
同じ位置に白い絆創膏があった。
「これ、いつ撮ったんだ?」
悠真が写真を裏返す。
その瞬間。
「……」
二人とも黙った。
裏面。
黒いペン。
一行だけ。
『君は昨日、ここで死んだ。』
「……は?」
悠真が顔を上げる。
「何これ」
「こっちが聞きたい」
「誰かのいたずらだろ」
「だよな」
蓮もそう思いたかった。
いや。
それ以外にない。
今こうして生きている。
教室にいる。
写真の通りなら、昨日屋上で死んだはずなのに。
「悪趣味すぎる」
悠真が写真を返す。
「犯人見つけたら一発殴っていいと思う」
「それはダメだろ」
「じゃあ二発」
「増やすな」
二人で笑った。
その時までは。
本当にただのいたずらだと思っていた。
◇
「神谷」
一時間目が始まる前。
担任の三上先生が教室へ入ってくるなり、蓮を呼んだ。
「はい」
「昨日、学校に戻ったか?」
蓮は眉をひそめる。
「昨日?」
「ああ」
「来てませんけど」
三上は少し変な顔をした。
「そうか」
「何かあったんですか?」
「いや」
そこで会話を終わらせようとする。
「先生」
「何だ」
「気になるんですけど」
三上は迷った。
「防犯カメラに」
「はい」
「お前に似た生徒が映っていたらしい」
蓮の表情が止まった。
「何時ですか」
「午後十一時四十七分」
悠真が横から口を挟む。
「先生、それ神谷じゃないですよ」
「高城、まだ話してない」
「だって昨日俺、こいつと」
悠真が言いかけて、
止まった。
「……あれ」
「何?」
蓮が見る。
「昨日」
「うん」
「俺たち一緒に帰ったよな?」
「帰っただろ」
「……そうだっけ」
蓮は笑う。
「何言ってんだよ」
「いや、帰った気がするんだけど」
「気がするって」
「ちょっと待って」
悠真が眉をひそめる。
「昨日、文化祭の話して」
「うん」
「コンビニ寄って」
「うん」
「そのあと」
「駅前で別れた」
「……」
「覚えてないの?」
「駅前?」
悠真は本気で考えている。
「……分かんね」
「おい」
三上先生が二人を見る。
「とにかく、放課後職員室へ来い」
「はい」
「別に疑っているわけじゃない」
「分かってます」
三上はそう言って離れた。
でも。
蓮はもう、朝の写真のことを笑えなくなっていた。
◇
昼休み。
「警察に言った方がよくない?」
そう言ったのは、クラスメイトの雨宮栞だった。
黒髪を肩のあたりで揃えた、物静かな女子。
蓮とは特別仲がいいわけではない。
ただ席が近く、よく話す。
「まだいたずらかもしれないし」
蓮が言う。
「でも防犯カメラまであるんでしょ?」
「俺に似た誰か」
「神谷君と同じ制服で?」
「たぶん」
「同じ腕時計?」
「それは分からない」
栞は写真をじっと見る。
「これ」
「何?」
「屋上だよね」
「うん」
「でも変じゃない?」
「何が?」
「屋上って夜は入れないよ」
蓮も知っている。
屋上へ続く階段の扉は、午後六時になると施錠される。
文化祭準備などで遅く残る日でも、教師の許可なしでは入れない。
「鍵持ってる奴じゃないと無理ってこと?」
「たぶん」
「教師?」
「それか」
栞は少し考える。
「学校の鍵を持ち出せる人」
蓮は写真を見る。
「大げさじゃない?」
「そうかな」
「俺、死んでないし」
「それが一番変なんじゃない?」
蓮は顔を上げた。
「え?」
栞は真顔だった。
「写真の人が本当に神谷君なら」
「……」
「どうして今ここにいるの?」
「いや、それは」
「いたずらなら簡単」
「……」
「でももし」
栞は声を落とす。
「この写真が本物だったら?」
蓮は笑えなかった。
「怖いこと言わないでよ」
「ごめん」
栞は写真を返す。
その時。
「雨宮」
教室の後ろから女子生徒が呼ぶ。
「委員会」
「あ、忘れてた」
栞が立ち上がる。
数歩進んで、
振り返った。
「神谷君」
「何?」
「昨日の夜」
「うん」
「何してた?」
蓮は答えようとして。
止まった。
「……家にいた」
「ずっと?」
「たぶん」
「たぶん?」
蓮は昨日を思い出す。
夕食。
風呂。
自室。
動画。
寝た。
普通。
でも。
「何時に寝た?」
栞に聞かれ。
蓮は答えられなかった。
「……覚えてない」
栞の表情が少し変わる。
「何時から?」
「え?」
「昨日の記憶」
蓮は考える。
夕食は覚えている。
七時くらい。
母親と話した。
そのあと。
「八時……くらい?」
「そこから?」
「曖昧」
栞はしばらく蓮を見ていた。
「写真」
「何?」
「捨てない方がいいよ」
「なんで?」
「分からない」
栞は教室を出る。
「でも」
最後に。
「たぶん、それ一枚で終わらないから」
◇
放課後。
蓮は職員室へ向かった。
三上先生に連れられ、別室へ入る。
そこには教頭と、
見慣れない男性教師が一人。
「座れ」
ノートパソコン。
三上が映像を再生する。
校門の防犯カメラ。
日付。
九月一日。
時刻。
23:47:12
誰もいない夜の校門。
数秒後。
一人の男子生徒が画面に入ってくる。
蓮は息を止めた。
「……俺」
自分だった。
顔も見える。
制服。
鞄。
靴。
間違えようがない。
男子生徒は校門の前で立ち止まる。
カメラを見る。
そして。
笑った。
蓮は無意識に後ずさった。
「俺、こんな……」
三上が言う。
「覚えてないんだな?」
「はい」
「校門は?」
「閉まってたはずですよね」
「ああ」
「どうやって入ったんですか?」
三上は映像を進める。
画面の中の蓮は、
門へ近づく。
しかし。
途中。
一瞬だけ映像にノイズ。
ザーッ。
次の瞬間。
蓮は、
校門の内側に立っていた。
「……え?」
「カメラの故障かもしれない」
三上が言う。
「別の映像は?」
教頭が無言で切り替える。
昇降口。
23:49。
蓮。
廊下。
23:51。
蓮。
階段。
23:53。
蓮。
「屋上まで行ってる」
三上。
「……」
最後。
屋上前。
23:56。
蓮が扉の前に立っている。
扉は施錠されている。
蓮が何かをする。
映像では手元が見えない。
扉が開く。
そして。
蓮は屋上へ入っていった。
「このあと」
三上が言う。
「屋上にはカメラがない」
「俺が出てくる映像は?」
誰も答えない。
「ありますよね?」
教頭が低い声で言った。
「ない」
「……は?」
「翌朝まで」
「……」
「君が校内から出る姿は、どのカメラにも映っていない」
蓮の体が冷たくなる。
「でも俺は家に」
「そうだな」
「今日朝から学校に来てる」
「そうだ」
「じゃあ」
蓮は自分でも何を聞けばいいのか分からない。
「昨日の俺は……どこ行ったんですか」
誰も答えられなかった。
◇
帰宅したのは午後六時過ぎだった。
「ただいま」
母親の香織がキッチンから顔を出す。
「おかえり」
「母さん」
「何?」
「昨日」
「うん」
「俺、何時まで起きてた?」
香織が考える。
「さあ」
「夕飯一緒に食べたよね」
「……食べた?」
「え?」
「昨日って日曜でしょ?」
「そう」
「私、夜勤じゃなかった?」
蓮は固まる。
「夜勤?」
「うん」
「昨日?」
「そうよ」
母親は看護師だった。
夜勤の日は家にいない。
「いや」
「何?」
「昨日、母さん家にいたよ」
「いないわよ」
「七時にカレー食べた」
「カレー?」
「母さんが作った」
香織は笑う。
「何言ってるの」
「……」
「昨日は病院にいたって」
「でも」
蓮は思い出す。
母親。
向かいに座っていた。
テレビ。
カレー。
会話。
確かに覚えている。
「母さん」
「何?」
「昨日のカレー」
「だから作ってないって」
その時。
香織が冷蔵庫を開ける。
「あれ?」
「どうした?」
「なんでこれ」
冷蔵庫。
鍋。
カレー。
半分ほど残っている。
「……」
二人とも黙る。
「母さんが作ったんじゃないの?」
「違う」
「じゃあ誰が」
「知らないわよ」
蓮は鍋を見る。
記憶の中と同じ。
母親が作ったはずのカレー。
なのに母親は、
その時間、
家にいなかった。
◇
午後九時十四分。
蓮は自室で写真を机に置いた。
『君は昨日、ここで死んだ。』
「意味分かんねえよ」
防犯カメラ。
屋上。
母親。
カレー。
昨日の記憶。
全部が少しずつ噛み合わない。
蓮はスマートフォンを開く。
昨日の位置情報履歴。
「……」
オフ。
写真。
なし。
メッセージ。
悠真。
最後のやり取り。
昨日の午後五時十二分。
悠真:明日提出の数学やった?
蓮:無理
悠真:俺も
そこまでは普通。
その下。
午後十一時四十二分。
蓮から悠真へ、
一件送信している。
「何これ」
覚えていない。
文章。
『今から学校行く』
その三分後。
悠真。
『は?』
そして。
蓮。
『屋上で待ってる』
そのあと、
返信はない。
「俺……送ってる」
覚えていない。
蓮は悠真へ電話する。
数回の呼び出し。
『もしもし』
「悠真」
『何』
「昨日のメッセージ」
『昨日?』
「夜」
『何の?』
「俺が学校行くって送ってる」
沈黙。
『……そんなの来てた?』
「来てる」
『待って』
数秒。
『ないぞ』
「は?」
『昨日の最後、数学の話』
「その下」
『ない』
蓮は自分の画面を見る。
確かにある。
スクリーンショット。
悠真へ送信。
「送った」
『……』
「見える?」
『見える』
「でも自分の端末にはない?」
『ない』
「どういうことだよ」
『こっちが聞きたい』
その時。
ピロン。
新しいメッセージ。
知らないアカウント。
画像が一枚。
「……」
蓮の指が止まる。
『どうした?』
「写真」
『何?』
「また来た」
開く。
一枚の写真。
学校の教室。
朝。
誰もいない。
中央の席。
一人の女子生徒が座っている。
「……雨宮?」
雨宮栞。
こちらを向いている。
笑っていない。
まっすぐカメラを見ている。
その顔には、
明らかな恐怖。
写真の裏面を撮影した二枚目。
黒い文字。
『次は彼女が死ぬ。』
「……は?」
『蓮?』
悠真の声。
「雨宮が」
『雨宮?』
「同じクラスの」
沈黙。
『誰?』
蓮の体が固まる。
「何言ってんの?」
『雨宮って誰だよ』
「雨宮栞!」
『知らん』
「今日いた!」
『今日?』
「昼休みに俺と話してた!」
『蓮』
「何だよ!」
『お前、今日昼休み』
一拍。
『ずっと俺といたじゃん』
蓮は何も言えなくなった。
「……嘘だろ」
『大丈夫か?』
電話を切る。
クラスのグループ。
メンバー。
雨宮栞。
探す。
ない。
「……」
出席番号。
クラス名簿の写真。
開く。
雨宮栞。
ない。
今日。
確かにいた。
席。
声。
会話。
全部覚えている。
蓮は写真を見る。
教室に座る栞。
『次は彼女が死ぬ。』
その瞬間。
スマートフォンが鳴った。
着信。
表示された名前。
雨宮栞
「……!」
すぐに出る。
「雨宮!」
『神谷君』
栞の声。
小さい。
震えている。
「今どこ!?」
『聞いて』
「何?」
『明日』
「……」
『学校で私のことを聞かないで』
「なんで」
『絶対に』
「もう悠真が覚えてない!」
電話の向こうで、
栞が息を呑む。
『やっぱり……』
「何が?」
『始まった』
「何が始まったんだよ!」
数秒。
栞は泣いているようだった。
『神谷君』
「うん」
『もし明日』
「……」
『みんなが私を忘れてたら』
「……」
『学校の地下に行って』
蓮は眉をひそめる。
「地下?」
『うん』
「地下室なんてないだろ」
『ある』
「どこに」
『旧体育館の倉庫』
「……」
『床に』
突然。
電話の向こうで。
ドン。
大きな音。
「雨宮?」
『……』
「どうした!」
ドン。
誰かが扉を叩いている。
『来た』
「誰が!」
『神谷君』
「何!」
『地下二階に』
栞の声が震える。
『0組って教室がある』
「0組?」
『そこに』
ドン!
『あなたの机がある』
「……は?」
『それから』
音が止まる。
静寂。
栞が囁く。
『絶対に』
「何?」
『昨日の自分を信じないで』
通話が切れた。
「雨宮!」
かけ直す。
接続できない。
もう一度。
この番号は現在使われておりません。
蓮は動けなかった。
「……なんだよ、それ」
その時。
机の上に置いていた最初の写真が、
風もないのに床へ落ちた。
裏返る。
黒い文字。
『君は昨日、ここで死んだ。』
しかし。
その下に、
さっきまではなかった文字が増えていた。
『なのに、どうしてまだ生きている?』
蓮は写真を拾う。
そして初めて気づいた。
倒れている自分の右手。
小指の絆創膏。
そのすぐ隣。
床に何か落ちている。
鍵。
小さな金属プレートが付いている。
写真を拡大する。
そこに刻まれた文字。
『B2・0』
地下二階。
0組。
雨宮の言葉。
蓮の胸の奥で、
何かがつながった。
そして。
もう一つ。
写真の端。
屋上のフェンスの向こう。
暗くて今まで気づかなかった。
誰かが立っている。
蓮はさらに拡大する。
一人の男子生徒。
こちらを見ている。
制服。
髪型。
顔。
「……俺?」
倒れている蓮。
そして。
それを見ている、
もう一人の神谷蓮。
写真には、
神谷蓮が二人写っていた。
スマートフォン。
午前零時。
日付が変わる。
九月三日。
同時に。
知らない番号から、
短いメッセージ。
『明日、一人消えます。』
続いて。
『その人を覚えていられるのは、君だけです。』
そして最後。
『地下で待っています。』
蓮は、
屋上に倒れている自分と、
それを見下ろすもう一人の自分を、
いつまでも見つめていた。
昨日。
神谷蓮は死んだ。
では。
今ここにいる自分は、
いったい誰なのか。
――第二章「いなくなったクラスメイト」へ続く。
最初にその写真を見たとき、神谷蓮は笑った。
正確には、笑うしかなかった。
九月二日、月曜日。
新学期が始まって二日目の朝。
いつものように教室へ入り、自分の席へ向かい、机の中へ教科書を押し込もうとして。
そこに、一通の白い封筒が入っていることに気づいた。
「なんだこれ」
名前もない。
差出人もない。
封はされていない。
蓮は近くの席にいた親友の高城悠真へ目を向けた。
「お前?」
「何が?」
「机の中」
「知らねえよ」
悠真はスマートフォンから目も上げない。
「ラブレターじゃね?」
「白封筒で?」
「現代の女子高校生をなめるな。逆に渋いのが流行ってるかもしれない」
「絶対知らないだろ」
「知らん」
蓮は苦笑しながら封筒を開いた。
中には写真が一枚。
「……は?」
笑いが消えた。
写真に写っていたのは、学校の屋上だった。
夜。
フェンス。
給水塔。
古びたベンチ。
月明かり。
そして。
フェンスの近くに、
一人の男子生徒が倒れている。
白いシャツ。
黒い制服のズボン。
右手には、見覚えのある黒い腕時計。
「……俺?」
蓮は思わず呟いた。
「何?」
悠真がようやく顔を上げる。
「これ」
写真を渡す。
悠真が受け取る。
「……趣味悪っ」
「俺だよな」
「たぶん」
「たぶんって何だよ」
「顔見えないじゃん」
確かに。
倒れている男子生徒は横を向いており、顔の半分が隠れている。
でも。
蓮には分かる。
自分だ。
制服。
靴。
腕時計。
何より。
右手の小指に巻かれている絆創膏。
昨日、包丁で少し切った。
今も同じものを巻いている。
写真の中の男子生徒にも、
同じ位置に白い絆創膏があった。
「これ、いつ撮ったんだ?」
悠真が写真を裏返す。
その瞬間。
「……」
二人とも黙った。
裏面。
黒いペン。
一行だけ。
『君は昨日、ここで死んだ。』
「……は?」
悠真が顔を上げる。
「何これ」
「こっちが聞きたい」
「誰かのいたずらだろ」
「だよな」
蓮もそう思いたかった。
いや。
それ以外にない。
今こうして生きている。
教室にいる。
写真の通りなら、昨日屋上で死んだはずなのに。
「悪趣味すぎる」
悠真が写真を返す。
「犯人見つけたら一発殴っていいと思う」
「それはダメだろ」
「じゃあ二発」
「増やすな」
二人で笑った。
その時までは。
本当にただのいたずらだと思っていた。
◇
「神谷」
一時間目が始まる前。
担任の三上先生が教室へ入ってくるなり、蓮を呼んだ。
「はい」
「昨日、学校に戻ったか?」
蓮は眉をひそめる。
「昨日?」
「ああ」
「来てませんけど」
三上は少し変な顔をした。
「そうか」
「何かあったんですか?」
「いや」
そこで会話を終わらせようとする。
「先生」
「何だ」
「気になるんですけど」
三上は迷った。
「防犯カメラに」
「はい」
「お前に似た生徒が映っていたらしい」
蓮の表情が止まった。
「何時ですか」
「午後十一時四十七分」
悠真が横から口を挟む。
「先生、それ神谷じゃないですよ」
「高城、まだ話してない」
「だって昨日俺、こいつと」
悠真が言いかけて、
止まった。
「……あれ」
「何?」
蓮が見る。
「昨日」
「うん」
「俺たち一緒に帰ったよな?」
「帰っただろ」
「……そうだっけ」
蓮は笑う。
「何言ってんだよ」
「いや、帰った気がするんだけど」
「気がするって」
「ちょっと待って」
悠真が眉をひそめる。
「昨日、文化祭の話して」
「うん」
「コンビニ寄って」
「うん」
「そのあと」
「駅前で別れた」
「……」
「覚えてないの?」
「駅前?」
悠真は本気で考えている。
「……分かんね」
「おい」
三上先生が二人を見る。
「とにかく、放課後職員室へ来い」
「はい」
「別に疑っているわけじゃない」
「分かってます」
三上はそう言って離れた。
でも。
蓮はもう、朝の写真のことを笑えなくなっていた。
◇
昼休み。
「警察に言った方がよくない?」
そう言ったのは、クラスメイトの雨宮栞だった。
黒髪を肩のあたりで揃えた、物静かな女子。
蓮とは特別仲がいいわけではない。
ただ席が近く、よく話す。
「まだいたずらかもしれないし」
蓮が言う。
「でも防犯カメラまであるんでしょ?」
「俺に似た誰か」
「神谷君と同じ制服で?」
「たぶん」
「同じ腕時計?」
「それは分からない」
栞は写真をじっと見る。
「これ」
「何?」
「屋上だよね」
「うん」
「でも変じゃない?」
「何が?」
「屋上って夜は入れないよ」
蓮も知っている。
屋上へ続く階段の扉は、午後六時になると施錠される。
文化祭準備などで遅く残る日でも、教師の許可なしでは入れない。
「鍵持ってる奴じゃないと無理ってこと?」
「たぶん」
「教師?」
「それか」
栞は少し考える。
「学校の鍵を持ち出せる人」
蓮は写真を見る。
「大げさじゃない?」
「そうかな」
「俺、死んでないし」
「それが一番変なんじゃない?」
蓮は顔を上げた。
「え?」
栞は真顔だった。
「写真の人が本当に神谷君なら」
「……」
「どうして今ここにいるの?」
「いや、それは」
「いたずらなら簡単」
「……」
「でももし」
栞は声を落とす。
「この写真が本物だったら?」
蓮は笑えなかった。
「怖いこと言わないでよ」
「ごめん」
栞は写真を返す。
その時。
「雨宮」
教室の後ろから女子生徒が呼ぶ。
「委員会」
「あ、忘れてた」
栞が立ち上がる。
数歩進んで、
振り返った。
「神谷君」
「何?」
「昨日の夜」
「うん」
「何してた?」
蓮は答えようとして。
止まった。
「……家にいた」
「ずっと?」
「たぶん」
「たぶん?」
蓮は昨日を思い出す。
夕食。
風呂。
自室。
動画。
寝た。
普通。
でも。
「何時に寝た?」
栞に聞かれ。
蓮は答えられなかった。
「……覚えてない」
栞の表情が少し変わる。
「何時から?」
「え?」
「昨日の記憶」
蓮は考える。
夕食は覚えている。
七時くらい。
母親と話した。
そのあと。
「八時……くらい?」
「そこから?」
「曖昧」
栞はしばらく蓮を見ていた。
「写真」
「何?」
「捨てない方がいいよ」
「なんで?」
「分からない」
栞は教室を出る。
「でも」
最後に。
「たぶん、それ一枚で終わらないから」
◇
放課後。
蓮は職員室へ向かった。
三上先生に連れられ、別室へ入る。
そこには教頭と、
見慣れない男性教師が一人。
「座れ」
ノートパソコン。
三上が映像を再生する。
校門の防犯カメラ。
日付。
九月一日。
時刻。
23:47:12
誰もいない夜の校門。
数秒後。
一人の男子生徒が画面に入ってくる。
蓮は息を止めた。
「……俺」
自分だった。
顔も見える。
制服。
鞄。
靴。
間違えようがない。
男子生徒は校門の前で立ち止まる。
カメラを見る。
そして。
笑った。
蓮は無意識に後ずさった。
「俺、こんな……」
三上が言う。
「覚えてないんだな?」
「はい」
「校門は?」
「閉まってたはずですよね」
「ああ」
「どうやって入ったんですか?」
三上は映像を進める。
画面の中の蓮は、
門へ近づく。
しかし。
途中。
一瞬だけ映像にノイズ。
ザーッ。
次の瞬間。
蓮は、
校門の内側に立っていた。
「……え?」
「カメラの故障かもしれない」
三上が言う。
「別の映像は?」
教頭が無言で切り替える。
昇降口。
23:49。
蓮。
廊下。
23:51。
蓮。
階段。
23:53。
蓮。
「屋上まで行ってる」
三上。
「……」
最後。
屋上前。
23:56。
蓮が扉の前に立っている。
扉は施錠されている。
蓮が何かをする。
映像では手元が見えない。
扉が開く。
そして。
蓮は屋上へ入っていった。
「このあと」
三上が言う。
「屋上にはカメラがない」
「俺が出てくる映像は?」
誰も答えない。
「ありますよね?」
教頭が低い声で言った。
「ない」
「……は?」
「翌朝まで」
「……」
「君が校内から出る姿は、どのカメラにも映っていない」
蓮の体が冷たくなる。
「でも俺は家に」
「そうだな」
「今日朝から学校に来てる」
「そうだ」
「じゃあ」
蓮は自分でも何を聞けばいいのか分からない。
「昨日の俺は……どこ行ったんですか」
誰も答えられなかった。
◇
帰宅したのは午後六時過ぎだった。
「ただいま」
母親の香織がキッチンから顔を出す。
「おかえり」
「母さん」
「何?」
「昨日」
「うん」
「俺、何時まで起きてた?」
香織が考える。
「さあ」
「夕飯一緒に食べたよね」
「……食べた?」
「え?」
「昨日って日曜でしょ?」
「そう」
「私、夜勤じゃなかった?」
蓮は固まる。
「夜勤?」
「うん」
「昨日?」
「そうよ」
母親は看護師だった。
夜勤の日は家にいない。
「いや」
「何?」
「昨日、母さん家にいたよ」
「いないわよ」
「七時にカレー食べた」
「カレー?」
「母さんが作った」
香織は笑う。
「何言ってるの」
「……」
「昨日は病院にいたって」
「でも」
蓮は思い出す。
母親。
向かいに座っていた。
テレビ。
カレー。
会話。
確かに覚えている。
「母さん」
「何?」
「昨日のカレー」
「だから作ってないって」
その時。
香織が冷蔵庫を開ける。
「あれ?」
「どうした?」
「なんでこれ」
冷蔵庫。
鍋。
カレー。
半分ほど残っている。
「……」
二人とも黙る。
「母さんが作ったんじゃないの?」
「違う」
「じゃあ誰が」
「知らないわよ」
蓮は鍋を見る。
記憶の中と同じ。
母親が作ったはずのカレー。
なのに母親は、
その時間、
家にいなかった。
◇
午後九時十四分。
蓮は自室で写真を机に置いた。
『君は昨日、ここで死んだ。』
「意味分かんねえよ」
防犯カメラ。
屋上。
母親。
カレー。
昨日の記憶。
全部が少しずつ噛み合わない。
蓮はスマートフォンを開く。
昨日の位置情報履歴。
「……」
オフ。
写真。
なし。
メッセージ。
悠真。
最後のやり取り。
昨日の午後五時十二分。
悠真:明日提出の数学やった?
蓮:無理
悠真:俺も
そこまでは普通。
その下。
午後十一時四十二分。
蓮から悠真へ、
一件送信している。
「何これ」
覚えていない。
文章。
『今から学校行く』
その三分後。
悠真。
『は?』
そして。
蓮。
『屋上で待ってる』
そのあと、
返信はない。
「俺……送ってる」
覚えていない。
蓮は悠真へ電話する。
数回の呼び出し。
『もしもし』
「悠真」
『何』
「昨日のメッセージ」
『昨日?』
「夜」
『何の?』
「俺が学校行くって送ってる」
沈黙。
『……そんなの来てた?』
「来てる」
『待って』
数秒。
『ないぞ』
「は?」
『昨日の最後、数学の話』
「その下」
『ない』
蓮は自分の画面を見る。
確かにある。
スクリーンショット。
悠真へ送信。
「送った」
『……』
「見える?」
『見える』
「でも自分の端末にはない?」
『ない』
「どういうことだよ」
『こっちが聞きたい』
その時。
ピロン。
新しいメッセージ。
知らないアカウント。
画像が一枚。
「……」
蓮の指が止まる。
『どうした?』
「写真」
『何?』
「また来た」
開く。
一枚の写真。
学校の教室。
朝。
誰もいない。
中央の席。
一人の女子生徒が座っている。
「……雨宮?」
雨宮栞。
こちらを向いている。
笑っていない。
まっすぐカメラを見ている。
その顔には、
明らかな恐怖。
写真の裏面を撮影した二枚目。
黒い文字。
『次は彼女が死ぬ。』
「……は?」
『蓮?』
悠真の声。
「雨宮が」
『雨宮?』
「同じクラスの」
沈黙。
『誰?』
蓮の体が固まる。
「何言ってんの?」
『雨宮って誰だよ』
「雨宮栞!」
『知らん』
「今日いた!」
『今日?』
「昼休みに俺と話してた!」
『蓮』
「何だよ!」
『お前、今日昼休み』
一拍。
『ずっと俺といたじゃん』
蓮は何も言えなくなった。
「……嘘だろ」
『大丈夫か?』
電話を切る。
クラスのグループ。
メンバー。
雨宮栞。
探す。
ない。
「……」
出席番号。
クラス名簿の写真。
開く。
雨宮栞。
ない。
今日。
確かにいた。
席。
声。
会話。
全部覚えている。
蓮は写真を見る。
教室に座る栞。
『次は彼女が死ぬ。』
その瞬間。
スマートフォンが鳴った。
着信。
表示された名前。
雨宮栞
「……!」
すぐに出る。
「雨宮!」
『神谷君』
栞の声。
小さい。
震えている。
「今どこ!?」
『聞いて』
「何?」
『明日』
「……」
『学校で私のことを聞かないで』
「なんで」
『絶対に』
「もう悠真が覚えてない!」
電話の向こうで、
栞が息を呑む。
『やっぱり……』
「何が?」
『始まった』
「何が始まったんだよ!」
数秒。
栞は泣いているようだった。
『神谷君』
「うん」
『もし明日』
「……」
『みんなが私を忘れてたら』
「……」
『学校の地下に行って』
蓮は眉をひそめる。
「地下?」
『うん』
「地下室なんてないだろ」
『ある』
「どこに」
『旧体育館の倉庫』
「……」
『床に』
突然。
電話の向こうで。
ドン。
大きな音。
「雨宮?」
『……』
「どうした!」
ドン。
誰かが扉を叩いている。
『来た』
「誰が!」
『神谷君』
「何!」
『地下二階に』
栞の声が震える。
『0組って教室がある』
「0組?」
『そこに』
ドン!
『あなたの机がある』
「……は?」
『それから』
音が止まる。
静寂。
栞が囁く。
『絶対に』
「何?」
『昨日の自分を信じないで』
通話が切れた。
「雨宮!」
かけ直す。
接続できない。
もう一度。
この番号は現在使われておりません。
蓮は動けなかった。
「……なんだよ、それ」
その時。
机の上に置いていた最初の写真が、
風もないのに床へ落ちた。
裏返る。
黒い文字。
『君は昨日、ここで死んだ。』
しかし。
その下に、
さっきまではなかった文字が増えていた。
『なのに、どうしてまだ生きている?』
蓮は写真を拾う。
そして初めて気づいた。
倒れている自分の右手。
小指の絆創膏。
そのすぐ隣。
床に何か落ちている。
鍵。
小さな金属プレートが付いている。
写真を拡大する。
そこに刻まれた文字。
『B2・0』
地下二階。
0組。
雨宮の言葉。
蓮の胸の奥で、
何かがつながった。
そして。
もう一つ。
写真の端。
屋上のフェンスの向こう。
暗くて今まで気づかなかった。
誰かが立っている。
蓮はさらに拡大する。
一人の男子生徒。
こちらを見ている。
制服。
髪型。
顔。
「……俺?」
倒れている蓮。
そして。
それを見ている、
もう一人の神谷蓮。
写真には、
神谷蓮が二人写っていた。
スマートフォン。
午前零時。
日付が変わる。
九月三日。
同時に。
知らない番号から、
短いメッセージ。
『明日、一人消えます。』
続いて。
『その人を覚えていられるのは、君だけです。』
そして最後。
『地下で待っています。』
蓮は、
屋上に倒れている自分と、
それを見下ろすもう一人の自分を、
いつまでも見つめていた。
昨日。
神谷蓮は死んだ。
では。
今ここにいる自分は、
いったい誰なのか。
――第二章「いなくなったクラスメイト」へ続く。