経理課・木下紬の恋のバグ

第23話 人間とAIのハイブリッド

「――ただいま! 紬ちゃん、瀬尾主任、待たせた!」

 夜の十一時半。静まり返った管理課の自動ドアが勢いよく開き、長谷川律が息を切らしながらフロアへ滑り込んできた。

 その白いワイシャツは汗でぐっしょりと濡れ、夜の街を走り回ってきたせいか、呼吸も激しく乱れている。

 しかし、その瞳には、勝利を確信したエース営業マンの眩しい光が、強く、熱く宿っていた。

「長谷川さん……! その様子だと、もしかして梱包資材が見つかったんですか!?」

 紬が思わず椅子から立ち上がると、長谷川はネクタイを少しだけ緩め、親指をグッと立てて、ニヤッと頼もしく笑ってみせた。

「うん! 系列の城南電器の配送ルートを預かっている、別の老舗倉庫の社長に、頭を下げて直談判してきたんだ」

 長谷川は額ににじむ汗をワイシャツの袖で無造作に拭うと、興奮を抑えきれない様子で声を弾ませた。

 静まり返ったフロアに、彼の熱気がそのまま流れ込んでくるようだった。

「うちの今期の発注契約を特例で結び直して、来期以降の物流ラインも優先的に融通するっていう条件を提示してさ」

 長谷川は手帳を開き、社長のサインが書かれた交渉メモのページを、紬に見せるように差し出した。

「そしたら社長が意気に感じてくれて、千葉の配送センターと同じ規格の段ボール二千箱を、明日の早朝までに緊急トラックで現地へ回してもらえることになったよ!」

「二千箱……! すごいです、長谷川さん! それだけあれば、明日の出荷遅延は確実に防げます!」

 紬は胸の奥から湧き上がる感動で、声を弾ませた。

 データがすべてだと言い放つAIの壁を、長谷川の泥臭い、けれど圧倒的な営業マンとしての行動力が、真っ向から打ち破ってみせたのだ。心から拍手を送りたくなるほどだった。

「いいえ、まだ手放しで喜ぶのは早いです。長谷川さん、その緊急トラックの正確な到着予定時刻と、資材の個数をここにインプットしてください」

 隣の席の藤沢先輩のデスクに座る瀬尾が、淡々とした口調で、立ち上げたデスクトップパソコンの画面を指し示した。

 その大画面には、アベニールの出荷シミュレーションが、新しい現実の変数の入力を待つように、静かに、規則正しく明滅している。

 長谷川は「了解!」と力強く頷くと、瀬尾のすぐ隣のデスクへ身を乗り出し、手帳にメモしてきた具体的な数値を素早く伝えた。

 紬もすぐ隣から画面を覗き込んでいたため、長谷川のワイシャツから、夜風の匂いと熱を帯びた体温が、すぐ近くで伝わってくる。

「明日の朝六時に千箱、八時に残りの千箱が現地に直接着く。これでアベニールの狂った計算を上書きして補正できるか?」

 長谷川の言葉を受け、瀬尾の白い指先が、再びデスクトップのキーボードの上で「カタカタカタ!」と激しい音を立てて踊り始めた。

 静寂に包まれた深夜のフロアに、彼の迷いのないタイピング音だけが小気味よく鳴り響く。

「……修正プログラム、完全に噛み合いました。アベニールが緊急ルートによる資材供給の変数を認識しました」

 瀬尾はディスプレイを見つめたまま、薄い唇の端をフッと微かに、しかし確かに満足そうに吊り上げた。

 画面に映る、あれほどフロアを絶望させていた真っ赤なエラー表示が、彼の打ち込むコードによって、次々と鮮やかな緑色の「正常(CLEAR)」へと書き換わっていく。

 アベニールの完璧な超高速の計算能力と、現場を泥臭く動かした長谷川の行動力、そして損害金のリスクを弾き出した紬の経理の視点。

 そのすべてがパズルのように合流した瞬間だった。

「これより、人間とアベニールによるハイブリッド出荷計画をスタートします。千葉の配送センターへ、補正済みの新しい出荷指示データを一括送信します」

 瀬尾がキーボードのエンターキーを強く叩くと、静かなオフィスに「タァン!」と重みのある音が響き渡った。

 それは、冷たい機械に人間がひれ伏すのではなく、人間が知恵を絞り、道具を使いこなした、私たちの確かな反撃の狼煙だった。

「やったね、紬ちゃん。瀬尾主任も、本当にありがと。データ至上主義の機械も、使いようってわけだ」

 長谷川が嬉しそうに、隣の瀬尾の肩にフランクに手を回した。

 瀬尾は「馴れ馴れしく触らないでください、非効率です」と、いつものように鬱陶しそうに肩をすくめて顔を背けた。

 しかし、その白い耳の裏が、またほんのりと赤くなっているのを、紬は見逃さなかった。

 長谷川の熱いパッションと、瀬尾の確かなプロの技術。

 二人に支えられながら、紬は手元にある経理ノートを強く胸に抱きしめ、明日からの新しい戦いへ向けて、今度こそ迷いのない最高の笑顔を浮かべていた。

 しかし、その白い耳の裏が、またほんのりと赤くなっているのを、紬は見逃さなかった。

 長谷川の熱いパッションと、瀬尾の確かなプロの技術。

 二人に支えられながら、紬は手元にある経理ノートを強く胸に抱きしめ、明日からの新しい戦いへ向けて、今度こそ迷いのない最高の笑顔を浮かべていた。
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