君が思い出になる前に
第2話 変わらないと思っていた
日曜日の夜。
葵はソファに座りながら、明日の予定を確認していた。
月曜日は朝から会議がある。
その後、クライアントとの打ち合わせ。
夕方には、先週提出した企画の修正も入る予定だった。
カレンダーをスクロールしていくと、来週の土曜日で指が止まった。
悠真と会う約束をしている。
葵はその予定を見て、少しだけ笑った。
「そういえば、来週はちゃんと休もう」
声に出してから、自分でも少しおかしくなる。
「ちゃんと休もう」なんて、仕事をするために休むみたいだ。
けれど、それが今の自分なのだと思う。
仕事は嫌いではない。
むしろ好きだった。
自分が考えた企画が形になり、クライアントから評価されるのは嬉しい。
忙しいけれど、やりがいはある。
今頑張れば、きっともっと大きな仕事を任せてもらえる。
そうなれば、将来の選択肢も増える。
悠真との生活だって、いつか落ち着いたら考えればいい。
葵はそう思っていた。
スマートフォンが鳴った。
悠真から電話だった。
「もしもし?」
『今、大丈夫?』
「うん。大丈夫だよ」
『何してた?』
「来週の仕事の予定、ちょっと確認してた」
『そっか』
悠真の声はいつも通り穏やかだった。
少しだけ間があった。
『来週の土曜日、覚えてる?』
「もちろん。会う約束してるでしょ」
『うん』
葵は笑った。
「どこ行く?」
『葵が行きたいところでいいよ』
「じゃあ、最近できたイタリアンとかどう?」
『いいね』
そこまで話して、また沈黙が落ちた。
葵はテレビの音を少し小さくする。
「どうしたの?」
『いや……なんでもない』
「そう?」
『うん』
悠真は少し笑った。
『じゃあ、来週楽しみにしてる』
「私も」
電話を切る。
葵はスマートフォンをテーブルに置いた。
なんとなく、今の会話が短かった気がした。
けれど、昔と比べてどうなのかまでは考えなかった。
四年も付き合っている。
話すことが少なくなるのは、普通なのかもしれない。
何でも話さなくても、分かり合えるようになる。
葵は、それを「慣れ」だと思っていた。
その頃、悠真は一人で自宅の窓から外を眺めていた。
電話を切ったスマートフォンを、テーブルの上に置く。
葵と話せた。
それだけで嬉しい。
それなのに、どこか物足りなかった。
昔なら、電話を切ったあとも自然と会話が続いた。
明日の予定。
週末の計画。
最近見つけた店。
くだらない話。
眠くなるまで話していた。
今は違う。
葵が忙しいことは分かっている。
仕事を頑張っていることも知っている。
だから、寂しいなんて言えなかった。
言えば、葵を困らせる気がした。
「……仕方ないよな」
誰もいない部屋で、悠真は小さく呟いた。
四年も付き合っていれば、最初の頃と同じではいられない。
そう自分に言い聞かせる。
それでも、ふとした瞬間に思う。
自分たちは、いつからこんなに話さなくなったのだろう。
いつから、会うことを「予定」にしなければならなくなったのだろう。
答えは出なかった。
翌週の土曜日。
二人は約束していた店で待ち合わせた。
「ごめん、待った?」
「ううん。今来たところ」
悠真が笑う。
葵も笑い返す。
久しぶりに会ったはずなのに、不思議と緊張しなかった。
付き合い始めた頃なら、会えるだけで胸が高鳴った。
今は、隣にいることが自然だった。
それは悪いことではない。
葵はそう思った。
「最近どう?」
「忙しいよ。でも、ちょっと大きい案件任せてもらえることになって」
「そっか。よかったな」
「うん」
葵は嬉しそうに話す。
悠真は黙って聞いている。
仕事の話をする葵が好きだった。
自分の目標を話すときの彼女は、いつも生き生きしている。
だからこそ、悠真は思ってしまう。
その中に、自分の居場所はあるのだろうか。
けれど、口にはしなかった。
「悠真は?」
「俺?」
「最近、仕事どうなの?」
「まあまあかな」
「そっか」
会話が途切れる。
店内には、食器の触れ合う音と周囲の話し声が流れている。
葵は水を一口飲んだ。
「ねえ、今度さ」
「うん?」
「前に話してた旅行、行かない?」
悠真が少し驚いた顔をした。
「旅行?」
「うん。温泉とか。二泊くらいで」
「……いいね」
悠真は笑った。
「いつ行く?」
葵は少し考える。
「来月……は厳しいかな。再来月なら」
「再来月か」
「うん。仕事が落ち着くと思うから」
「そっか」
悠真はそれ以上何も言わなかった。
葵は気づかない。
「いつか行こう」と話していた旅行が、いつの間にか「仕事が落ち着いたら行くもの」になっていたことに。
そして、その「いつか」が二人にとって、少しずつ遠い言葉になっていたことにも。
食事を終えたあと、二人は駅まで並んで歩いた。
「今日は楽しかった」
葵が言う。
「俺も」
悠真も答える。
改札の前で、二人は立ち止まった。
「じゃあ、またね」
「うん。また連絡する」
葵は手を振って、改札の向こうへ歩いていく。
悠真はその背中をしばらく見つめていた。
やがて人混みに葵の姿が消える。
そのとき、悠真の胸に小さな違和感が残った。
楽しかった。
確かに楽しかった。
それなのに。
なぜか、ひどく遠く感じた。
悠真は一人で駅を出た。
そして、まだ言葉にならない寂しさを抱えたまま、静かな夜道を歩いていった。
葵はソファに座りながら、明日の予定を確認していた。
月曜日は朝から会議がある。
その後、クライアントとの打ち合わせ。
夕方には、先週提出した企画の修正も入る予定だった。
カレンダーをスクロールしていくと、来週の土曜日で指が止まった。
悠真と会う約束をしている。
葵はその予定を見て、少しだけ笑った。
「そういえば、来週はちゃんと休もう」
声に出してから、自分でも少しおかしくなる。
「ちゃんと休もう」なんて、仕事をするために休むみたいだ。
けれど、それが今の自分なのだと思う。
仕事は嫌いではない。
むしろ好きだった。
自分が考えた企画が形になり、クライアントから評価されるのは嬉しい。
忙しいけれど、やりがいはある。
今頑張れば、きっともっと大きな仕事を任せてもらえる。
そうなれば、将来の選択肢も増える。
悠真との生活だって、いつか落ち着いたら考えればいい。
葵はそう思っていた。
スマートフォンが鳴った。
悠真から電話だった。
「もしもし?」
『今、大丈夫?』
「うん。大丈夫だよ」
『何してた?』
「来週の仕事の予定、ちょっと確認してた」
『そっか』
悠真の声はいつも通り穏やかだった。
少しだけ間があった。
『来週の土曜日、覚えてる?』
「もちろん。会う約束してるでしょ」
『うん』
葵は笑った。
「どこ行く?」
『葵が行きたいところでいいよ』
「じゃあ、最近できたイタリアンとかどう?」
『いいね』
そこまで話して、また沈黙が落ちた。
葵はテレビの音を少し小さくする。
「どうしたの?」
『いや……なんでもない』
「そう?」
『うん』
悠真は少し笑った。
『じゃあ、来週楽しみにしてる』
「私も」
電話を切る。
葵はスマートフォンをテーブルに置いた。
なんとなく、今の会話が短かった気がした。
けれど、昔と比べてどうなのかまでは考えなかった。
四年も付き合っている。
話すことが少なくなるのは、普通なのかもしれない。
何でも話さなくても、分かり合えるようになる。
葵は、それを「慣れ」だと思っていた。
その頃、悠真は一人で自宅の窓から外を眺めていた。
電話を切ったスマートフォンを、テーブルの上に置く。
葵と話せた。
それだけで嬉しい。
それなのに、どこか物足りなかった。
昔なら、電話を切ったあとも自然と会話が続いた。
明日の予定。
週末の計画。
最近見つけた店。
くだらない話。
眠くなるまで話していた。
今は違う。
葵が忙しいことは分かっている。
仕事を頑張っていることも知っている。
だから、寂しいなんて言えなかった。
言えば、葵を困らせる気がした。
「……仕方ないよな」
誰もいない部屋で、悠真は小さく呟いた。
四年も付き合っていれば、最初の頃と同じではいられない。
そう自分に言い聞かせる。
それでも、ふとした瞬間に思う。
自分たちは、いつからこんなに話さなくなったのだろう。
いつから、会うことを「予定」にしなければならなくなったのだろう。
答えは出なかった。
翌週の土曜日。
二人は約束していた店で待ち合わせた。
「ごめん、待った?」
「ううん。今来たところ」
悠真が笑う。
葵も笑い返す。
久しぶりに会ったはずなのに、不思議と緊張しなかった。
付き合い始めた頃なら、会えるだけで胸が高鳴った。
今は、隣にいることが自然だった。
それは悪いことではない。
葵はそう思った。
「最近どう?」
「忙しいよ。でも、ちょっと大きい案件任せてもらえることになって」
「そっか。よかったな」
「うん」
葵は嬉しそうに話す。
悠真は黙って聞いている。
仕事の話をする葵が好きだった。
自分の目標を話すときの彼女は、いつも生き生きしている。
だからこそ、悠真は思ってしまう。
その中に、自分の居場所はあるのだろうか。
けれど、口にはしなかった。
「悠真は?」
「俺?」
「最近、仕事どうなの?」
「まあまあかな」
「そっか」
会話が途切れる。
店内には、食器の触れ合う音と周囲の話し声が流れている。
葵は水を一口飲んだ。
「ねえ、今度さ」
「うん?」
「前に話してた旅行、行かない?」
悠真が少し驚いた顔をした。
「旅行?」
「うん。温泉とか。二泊くらいで」
「……いいね」
悠真は笑った。
「いつ行く?」
葵は少し考える。
「来月……は厳しいかな。再来月なら」
「再来月か」
「うん。仕事が落ち着くと思うから」
「そっか」
悠真はそれ以上何も言わなかった。
葵は気づかない。
「いつか行こう」と話していた旅行が、いつの間にか「仕事が落ち着いたら行くもの」になっていたことに。
そして、その「いつか」が二人にとって、少しずつ遠い言葉になっていたことにも。
食事を終えたあと、二人は駅まで並んで歩いた。
「今日は楽しかった」
葵が言う。
「俺も」
悠真も答える。
改札の前で、二人は立ち止まった。
「じゃあ、またね」
「うん。また連絡する」
葵は手を振って、改札の向こうへ歩いていく。
悠真はその背中をしばらく見つめていた。
やがて人混みに葵の姿が消える。
そのとき、悠真の胸に小さな違和感が残った。
楽しかった。
確かに楽しかった。
それなのに。
なぜか、ひどく遠く感じた。
悠真は一人で駅を出た。
そして、まだ言葉にならない寂しさを抱えたまま、静かな夜道を歩いていった。


