薔薇色って何色?――ロト7で人生をやり直すはずが、敏腕弁護士の執着愛に捕まりました――
プロローグ
プロローグ
――五月晴れ――
六月。
春はとうに終わり、梅雨に入った街には雨の日ばかりが続いていた。
朝から空を覆っていた厚い雲が、ほんの一瞬だけ途切れ、その隙間から嘘みたいに澄んだ青空が覗く。濡れたアスファルトに陽射しが落ち、湿りきっていた空気を乾いた風がさらっていった。
五月晴れ――。
梅雨の最中に訪れる、束の間の晴れ間。
どうせまた、すぐに雲に覆われるのだろう。それでも、ずっと雨ばかり見ていた目には、その一瞬の青がやけに眩しかった。
眼鏡越しに空を見上げながら、ふと思う。
私の心も、こんなものなのかもしれない。
ずっと曇っていて、時々どうしようもないほどの雷雨に襲われる。それが過ぎたと思えば、今度はどこへ向かえばいいのかさえ分からない霧の中。
穏やかなのか、不穏なのか。悲しいのか、悔しいのか。
自分の気持ちなのに、もう何を頼りにすればいいのかさえ分からなかった。
「……私の人生って、何色なんだろう」
小さく呟いてみると、真っ先に浮かんだのは灰色だった。
けれど、すぐに自分で可笑しくなる。
灰色なんて、まだ綺麗な方じゃない。
今の私は、いろんな色が混ざりすぎて、濁ってしまった水みたいなものだ。
何気なくショーウインドーに映った自分を見る。
何年も着ているブラウスに、特売で買ったパンツ。髪はひとつにまとめただけで、化粧も最低限。コンタクトレンズだって、とっくにやめた。
買えないわけではない。
ただ、そこに使うお金があるなら、明日の食費に残しておきたい。そんなことを考えるようになっただけだ。
昔作った眼鏡をかけた二十八歳の私は、毎日ただ生活を繋いでいる。
情けないとは思う。
でも、こんな私を見て「かわいそう」と言ってくれる人すら、今はいない。
両親は、もう死んだ。
あの人たちは、破天荒という言葉をそのまま人間にしたような人たちだった。
子どもの頃から、私はああはなりたくないと思っていた。だから勉強した。
親の機嫌や財布の中身に人生を左右されなくてもいいように、一人で生きていける力が欲しかった。
奨学金を取り、成績を落とさず、授業料の免除も受けた。両親から定期的に送られてくるお金だけは受け取っていたけれど、それ以上を求めたことはない。
むしろ、私の存在なんて、時々思い出すくらいでよかった。
寂しいと思ったこともない。
……たぶん。
悲しいとか、悔しいとか、他の家の子が羨ましいとか。そんなことを考えている暇があるなら、次に何をすれば生きていけるのかを考える方が、ずっと現実的だった。
私に必要だったのは、感情じゃない。
生き抜くための手段と、その結果。
ずっと、そう思っていた。
だから大学三年の時、両親を事故で亡くした時も、泣き崩れている暇なんてなかった。
悲しくなかったわけじゃない。ただ、それより先に、やらなければならないことが次々と出てきた。
そして最後まで、あの人たちらしかった。
残されていたのは、思い出より先に――大量の借金だった。
「……ほんと、最後まで自由だよね」
今思い出しても、乾いた笑いしか出ない。
残されていた金品を売り、口座を整理し、契約を解約した。そして最後には、自宅も手放した。
あの家に特別な思い入れがあったわけじゃない。
それでも、鍵を返した時だけは妙な気分だった。
――これで本当に、帰る場所がなくなったんだな。
借金を整理して残ったわずかなお金は大学の学費へ回し、そうして私は、どうにか大学を卒業した。
語学を活かせる商社にも就職できた。
ようやく、これで普通に生きられる。
誰にも振り回されず、自分の力だけで。
そう思った。
――二年後。
会社は潰れた。
そこまでくると、もう驚きもしなかった。
「次、探さなきゃ」
最初に考えたのは、それだけだった。
なのに人生というものは、弱っている人間を見つけるのが本当に上手いらしい。
仕事だけじゃない。
男運も、笑えるほどなかった。
これまで付き合った人は三人。その三人とも、ろくな終わり方をしていない。
しかも最後の一人には、会社を失った直後に、見事な追い打ちまで食らった。
彼の部屋で見てしまったもの。
そこから逃げるように自分のアパートへ戻り、いつもの部屋へ入って――そこで初めて、異変に気づいた。
家具はある。
テレビも冷蔵庫もある。
服だって、そのままだ。
なのに、現金も、通帳も、印鑑も、時計も、アクセサリーも。
金になるものだけが、綺麗になくなっていた。
その時の私は、叫びもしなかった。警察へ駆け込む気力さえ、すぐには湧かなかった。
ただ、部屋の真ん中に立ち尽くして。
「……何これ」
そう呟いたことだけは覚えている。
何もかも奪われた。
仕事も、恋人も、信じていたものも、お金も。
残ったのは、この部屋と、二か月もつかどうかも分からない僅かな貯金だけだった。
それから一年近く、私はただ生活を繋いだ。
朝起きてバイトへ行き、働く。スーパーでは値引きシールを探し、電気代を気にしながら求人サイトを開く。応募して、落ちて、また探す。
そして次の日には、何事もなかったみたいにバイトへ行く。
最初の頃は、惨めだと思っていた。
どうして私ばかり、とも思った。
でも、その感情さえ長くは続かなかった。
怒るのも、悲しむのも、結構疲れる。
生きるだけで精一杯の人間には、感情まで維持している余裕なんてないらしい。
――五月晴れ――
六月。
春はとうに終わり、梅雨に入った街には雨の日ばかりが続いていた。
朝から空を覆っていた厚い雲が、ほんの一瞬だけ途切れ、その隙間から嘘みたいに澄んだ青空が覗く。濡れたアスファルトに陽射しが落ち、湿りきっていた空気を乾いた風がさらっていった。
五月晴れ――。
梅雨の最中に訪れる、束の間の晴れ間。
どうせまた、すぐに雲に覆われるのだろう。それでも、ずっと雨ばかり見ていた目には、その一瞬の青がやけに眩しかった。
眼鏡越しに空を見上げながら、ふと思う。
私の心も、こんなものなのかもしれない。
ずっと曇っていて、時々どうしようもないほどの雷雨に襲われる。それが過ぎたと思えば、今度はどこへ向かえばいいのかさえ分からない霧の中。
穏やかなのか、不穏なのか。悲しいのか、悔しいのか。
自分の気持ちなのに、もう何を頼りにすればいいのかさえ分からなかった。
「……私の人生って、何色なんだろう」
小さく呟いてみると、真っ先に浮かんだのは灰色だった。
けれど、すぐに自分で可笑しくなる。
灰色なんて、まだ綺麗な方じゃない。
今の私は、いろんな色が混ざりすぎて、濁ってしまった水みたいなものだ。
何気なくショーウインドーに映った自分を見る。
何年も着ているブラウスに、特売で買ったパンツ。髪はひとつにまとめただけで、化粧も最低限。コンタクトレンズだって、とっくにやめた。
買えないわけではない。
ただ、そこに使うお金があるなら、明日の食費に残しておきたい。そんなことを考えるようになっただけだ。
昔作った眼鏡をかけた二十八歳の私は、毎日ただ生活を繋いでいる。
情けないとは思う。
でも、こんな私を見て「かわいそう」と言ってくれる人すら、今はいない。
両親は、もう死んだ。
あの人たちは、破天荒という言葉をそのまま人間にしたような人たちだった。
子どもの頃から、私はああはなりたくないと思っていた。だから勉強した。
親の機嫌や財布の中身に人生を左右されなくてもいいように、一人で生きていける力が欲しかった。
奨学金を取り、成績を落とさず、授業料の免除も受けた。両親から定期的に送られてくるお金だけは受け取っていたけれど、それ以上を求めたことはない。
むしろ、私の存在なんて、時々思い出すくらいでよかった。
寂しいと思ったこともない。
……たぶん。
悲しいとか、悔しいとか、他の家の子が羨ましいとか。そんなことを考えている暇があるなら、次に何をすれば生きていけるのかを考える方が、ずっと現実的だった。
私に必要だったのは、感情じゃない。
生き抜くための手段と、その結果。
ずっと、そう思っていた。
だから大学三年の時、両親を事故で亡くした時も、泣き崩れている暇なんてなかった。
悲しくなかったわけじゃない。ただ、それより先に、やらなければならないことが次々と出てきた。
そして最後まで、あの人たちらしかった。
残されていたのは、思い出より先に――大量の借金だった。
「……ほんと、最後まで自由だよね」
今思い出しても、乾いた笑いしか出ない。
残されていた金品を売り、口座を整理し、契約を解約した。そして最後には、自宅も手放した。
あの家に特別な思い入れがあったわけじゃない。
それでも、鍵を返した時だけは妙な気分だった。
――これで本当に、帰る場所がなくなったんだな。
借金を整理して残ったわずかなお金は大学の学費へ回し、そうして私は、どうにか大学を卒業した。
語学を活かせる商社にも就職できた。
ようやく、これで普通に生きられる。
誰にも振り回されず、自分の力だけで。
そう思った。
――二年後。
会社は潰れた。
そこまでくると、もう驚きもしなかった。
「次、探さなきゃ」
最初に考えたのは、それだけだった。
なのに人生というものは、弱っている人間を見つけるのが本当に上手いらしい。
仕事だけじゃない。
男運も、笑えるほどなかった。
これまで付き合った人は三人。その三人とも、ろくな終わり方をしていない。
しかも最後の一人には、会社を失った直後に、見事な追い打ちまで食らった。
彼の部屋で見てしまったもの。
そこから逃げるように自分のアパートへ戻り、いつもの部屋へ入って――そこで初めて、異変に気づいた。
家具はある。
テレビも冷蔵庫もある。
服だって、そのままだ。
なのに、現金も、通帳も、印鑑も、時計も、アクセサリーも。
金になるものだけが、綺麗になくなっていた。
その時の私は、叫びもしなかった。警察へ駆け込む気力さえ、すぐには湧かなかった。
ただ、部屋の真ん中に立ち尽くして。
「……何これ」
そう呟いたことだけは覚えている。
何もかも奪われた。
仕事も、恋人も、信じていたものも、お金も。
残ったのは、この部屋と、二か月もつかどうかも分からない僅かな貯金だけだった。
それから一年近く、私はただ生活を繋いだ。
朝起きてバイトへ行き、働く。スーパーでは値引きシールを探し、電気代を気にしながら求人サイトを開く。応募して、落ちて、また探す。
そして次の日には、何事もなかったみたいにバイトへ行く。
最初の頃は、惨めだと思っていた。
どうして私ばかり、とも思った。
でも、その感情さえ長くは続かなかった。
怒るのも、悲しむのも、結構疲れる。
生きるだけで精一杯の人間には、感情まで維持している余裕なんてないらしい。