薔薇色って何色?――ロト7で人生をやり直すはずが、敏腕弁護士の執着愛に捕まりました――
そんなある日の帰り道。
財布の中身を思い浮かべながら歩いていると、ふと宝くじ売り場が目に入った。
普段なら、絶対に立ち止まらない。
宝くじなんて、当たるわけがない。
数百円あるなら、食パンを買う。卵を買う。
私なら、そうする。
なのに、その日はなぜか通り過ぎられなかった。
一度は売り場の前を通り過ぎたものの、数歩進んだところで足を止め、振り返る。
「……何してるんだろ」
自分でも分からない。
それなのに、気づけば売り場の前に立っていた。
人生を変えたい。
そんな大袈裟なことを考えていたわけでもない。
ただ、このまま同じ道を歩いていった先に何があるのか。それを考えるのが、少し嫌になったのかもしれない。
ほんの少しだけ。
今とは違う道を選んでみたくなった。
それだけだった。
買ったのは、一口。
ロト7。
その券を財布にしまって――私は、買ったことすら忘れた。
◇
それからしばらく経った、バイト帰り。
見覚えのある宝くじ売り場の前を通りかかった時だった。
「あ……」
足が止まる。
そういえば、確認していない。
財布の中を探すと、ロト7の券はきちんと残っていた。
こんな生活をしていても、こういうところだけは妙に几帳面らしい。
どうせ外れている。
そう思いながら、売り場で確認をお願いした。
女性が券を見る。
画面を見る。
そして、もう一度券を見る。
……何だろう。
少し長い。
「あの?」
声をかけると、その人はゆっくりと顔を上げ、なぜか声を潜めた。
「……当たっています」
「はい?」
聞き間違えたかと思った。
「こちらの案内に従ってください」
差し出された紙を受け取る。
「ここでは……分からないんですか?」
「詳しくはこちらでお願いします」
「……はあ」
よく分からない。
ただ、言われるままに紙を持ち帰った。
そして翌日。
そこに書かれていた銀行へ行き、そこで初めて――私は、自分が買った一口が何だったのかを知った。
ロト7。
一等。
キャリーオーバー。
約十二億円。
「…………」
説明を聞いた。
もう一度聞いた。
それでも、意味がよく分からなかった。
十二億円。
私が?
普通なら、歓喜の舞でも踊るのだろうか。
椅子から飛び上がるとか、泣くとか、叫ぶとか。
けれど実際の私は、何もしなかった。
「こちらをご確認ください」
「はい」
「今後のお手続きですが――」
「はい」
「こちらでよろしいですか?」
「分かりました」
驚くほど淡々としていた。
自分でも、ちょっと笑えるくらいに。
たぶん、まだ自分のことだと思えていなかったのだ。
目の前に並んだ数字も、振り込まれたお金も、どこか知らない人の口座を見せられているような感覚だった。
ゼロが多い。
数えてみる。
途中で分からなくなって、もう一度数える。
やっぱり多い。
それでも、現実味だけがどこにもなかった。
◇
手続きが終わり、銀行を出る。
外へ出た瞬間、少し湿り気を残した風が頬を撫でた。
顔を上げると、朝まで降っていた雨はもう止んでいて、厚い雲の切れ間から青空が覗いている。
また。
五月晴れだ。
濡れた街に、眩しいくらいの陽射しが落ちていた。
私は歩道の端で立ち止まり、眼鏡越しに空を見上げる。
「……十二億円」
小さく口にしてみた。
嬉しいのか。
怖いのか。
まだ分からない。
ただ、今までずっと霧の中にいた私の目の前に、突然、道が現れたような気がした。
明日の食費を心配しなくていい。
来月の家賃を計算しなくていい。
二か月後、自分がどうやって生きているのかを怯えなくていい。
その事実だけが、少しずつ、本当に少しずつ胸の奥へ染み込んでくる。
人生って、何があるか分からない。
本当に、この先に何が起こるかなんて、誰にも分からないんだ。
だったら。
「人生、やり直してやる」
小さく呟いた。
でも、すぐに違う気がした。
やり直すんじゃない。
過去は消えないし、あったことをなかったことにも出来ない。
だったら――ここからだ。
ここから先は、私が選ぶ。
今まで誰かに好き勝手に変えられてきた私の人生を、今度は自分で決める。
そう思って、歩き出した。
まだ何をするのかも、どこへ向かうのかも、何ひとつ決まっていなかった。
それなのに、少しだけ、本当に少しだけ、身体が軽かった。
しばらく歩いたところで、ふと視界の端に一枚の看板が入る。
『澤登法律事務所』
通り過ぎかけた足が止まった。
「……法律事務所」
別に、弁護士を探していたわけじゃない。
相談したいことがあったわけでもない。
これから何をしたいのかさえ、まだ分からない。
それなのに、なぜかその看板から目が離せなかった。
ロト7を買った、あの日と同じだった。
頭で考えるより先に、足がそちらへ向いていた。
なぜ、そこへ入ったのか。
この時の私には、本当に分からなかった。
ただ――あとになって思う。
あの日。
十二億円を手にしたことよりも。
あの扉を開けたことの方が――。
私の人生を、大きく変えたのだと。