氷の公爵様は、愛を知らない令嬢を離してくれない

第十一話 看病する日

 翌朝。

 エレノアはいつものように朝食をとっていた。

「お嬢様、今日はパンをもう一ついかがですか?」

「はい」

 迷いなく返事をする。

 ローズは嬉しそうに微笑んだ。

「最近、本当によく召し上がるようになりましたね」

「食べると褒めてもらえるので」

「もちろんです。たくさん食べて、元気になってくださいね」

「はい」

 エレノアは焼きたてのパンを頬張る。

 以前の彼女からは想像もできない光景だった。

 そのとき。

「……ごほっ」

 エレノアが小さく咳をした。

「大丈夫ですか?」

「はい。少しむせただけです」

 そう言って水を飲む。

 誰も気に留めなかった。

 ――その日の昼までは。



 ◇

 午後。

 レオンハルトは執務室で仕事をしていた。

 いつものように大量の書類を片付けていると、セバスチャンが入ってくる。

「旦那様」

「何だ?」

「奥様ですが」

 レオンハルトの手が止まった。

「エレノアがどうした?」

「少々熱があるようでございます」

「……何?」

 椅子から立ち上がる。

「どの程度だ?」

「微熱ではありますが、朝から少し咳もされているようです」

「なぜ今まで報告しなかった」

「奥様ご本人が大丈夫だと――」

「医者は?」

「すでに手配しております」

「そうか」

 レオンハルトは早足で部屋を出た。

 セバスチャンはその背中を見ながら、小さく息を吐く。

 ――旦那様は、最近わかりやすくなってきた。




 ◇

 エレノアの部屋。

「……公爵様?」

 ベッドの上で、エレノアが目を瞬かせる。

「どうしてここに?」

「君が熱を出したと聞いた」

「少しだけです」

「だからと言って放っておいていい理由にはならない」

「……そうなのですか?」

「ああ」

 レオンハルトはベッドのそばへ座る。

「具合は?」

「少しだけ身体が重いです」

「頭は?」

「少し痛いです」

「喉は?」

「少し痛いです」

「咳は?」

「少しだけです」

「食欲は?」

「あります」

「……」

 レオンハルトが黙った。

「食欲はあるのか?」

「はい」

「なら、よかった」

 なぜか一番安心したような顔をする。

 エレノアは首を傾げた。

「公爵様は、食事のことばかり気にされますね」

「君は食べなさすぎるからな」

「最近は食べています」

「ああ。知っている」

「……どうしてご存じなのですか?」

「……」

 レオンハルトは答えなかった。

 ローズから毎日の食事量を聞いている。

 どれくらい食べたか。

 何を残したか。

 好きな料理は何か。

 最近では、それを自然に確認するようになっていた。

 本人はまだ、その異常な関心に気づいていない。

「医者が来るまで寝ていろ」

「はい」

「仕事も庭も今日は休め」

「……」

 エレノアが少し困った顔をする。

「庭のお花にお水をあげたいのですが」

「明日でいい」

「でも……」

「俺がやる」

「……公爵様が?」

「ああ」

 エレノアは驚いた。

「お花にお水を?」

「そうだ」

「できますか?」

「……」

 レオンハルトは少し黙る。

「できる」

「わかりました」

 エレノアは素直に頷いた。




 ◇

 医師の診察が終わる。

「軽い風邪でしょう。疲れも溜まっているようです。今日はゆっくり休ませてください」

「わかった」

 レオンハルトは真剣な顔で頷いた。

「食事は?」

「食欲があるのでしたら、消化の良いものを少量ずつ」

「少量……」

 レオンハルトの眉が寄る。

「それで足りるのか?」

 医師が少し困った顔をした。

「病気の時ですから、無理に食べさせる必要は――」

「……そうか」

 医師が帰ったあと。

「ローズ」

「はい」

「消化の良い料理を」

「はい」

「それから、食べられそうなら果物も」

「かしこまりました」

「あと、喉にいいものも用意してくれ」

「はい」

 ローズは笑いを堪えながら頷いた。




 ◇

 夕方。

 エレノアが目を覚ます。

 ぼんやりと視線を動かすと。

「……?」

 ベッドの横にレオンハルトが座っていた。

「公爵様?」

「起きたか」

「……お仕事は?」

「終わらせた」

「ずっと、ここにいらしたのですか?」

「少しだけだ」

 実際には、かなり長い時間ここにいた。

 エレノアは身体を起こそうとする。

「まだ寝ていろ」

「でも……」

「駄目だ」

「……」

 エレノアは大人しく枕へ戻った。

「公爵様」

「何だ?」

「お優しいですね」

「……そうか?」

「はい」

 エレノアは少し笑った。

「私が具合を悪くすると、すぐに来てくださいます」

「当然だ」

「どうしてですか?」

「……妻だからだ」

「そうですか」

 エレノアは納得したように目を閉じた。

 けれど。

「それなら……」

 小さな声が聞こえる。

「妻でよかったです」

 レオンハルトは黙った。

 胸の奥が、また妙に熱くなる。




 ◇

 夜。

 エレノアは薬を飲み終えた。

「苦くないか?」

「苦いです」

「水を飲め」

「はい」

 エレノアは水を飲む。

 そして布団へ戻る。

「公爵様」

「何だ?」

「まだいらっしゃるのですか?」

「ああ」

「どうしてですか?」

「……」

 レオンハルトは答えを探した。

「君が眠るまでいる」

「……」

 エレノアは少し考える。

「では、寝ます」

「そうしろ」

「おやすみなさいませ」

「ああ。おやすみ」

 エレノアは目を閉じた。

 しばらくすると、静かな寝息が聞こえてくる。

 レオンハルトはその寝顔を見つめた。

 頬が少し赤い。

 いつもより苦しそうだ。

 それだけなのに。

 胸がざわつく。

 彼女が病気になった。

 それだけのことなのに。

 仕事よりも何よりも、ここにいることを優先した。

「……」

 レオンハルトは自分でも不思議に思う。

 以前の自分なら、使用人に任せていたはずだ。

 なのに今は。

 彼女がちゃんと眠れているか。

 熱は下がったか。

 食事は取れるか。

 そんなことばかり考えている。

「……厄介だな」

 小さく呟いた。




 ◇

 翌朝。

「おはようございます」

 エレノアが目を覚ますと、熱はかなり下がっていた。

 ベッドの横には、昨日と同じようにレオンハルトがいる。

「……公爵様」

「おはよう」

「眠れましたか?」

「俺は大丈夫だ」

「でも、目の下が少し黒いです」

「……」

 レオンハルトは黙った。

 どうやら、ほとんど眠っていなかったらしい。

「公爵様」

「何だ?」

「今日は私が看病いたします」

「何?」

「昨日、私を看病してくださったので」

「君はまだ病人だろう」

「……そうでした」

 エレノアは真顔で頷く。

「では、治ったら看病します」

「……ああ」

 レオンハルトは思わず笑った。

「その時を楽しみにしている」

「はい」

 エレノアも笑う。

 その笑顔を見て。

 レオンハルトは思った。

 ――もう二度と、こんな顔を曇らせたくない。

 まだ、それが愛情だとは気づいていない。

 ただ。

 彼女が元気でいてくれることが、何よりも大切になっていた。

 そしてこの日から。

 レオンハルトの過保護は、少しずつ加速していくことになる。
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