氷の公爵様は、愛を知らない令嬢を離してくれない

第十四話 お義父様とお義母様

 その日の朝。

 アシュフォード公爵邸には、いつもとは違う慌ただしさがあった。

「本当に今日いらっしゃるのですか?」

 エレノアが尋ねる。

「はい。旦那様のご両親が、今朝方王都へ入られたとのことです」

 マリアが答える。

「……お義父様と、お義母様」

 エレノアはその言葉を小さく繰り返した。

 会ったことはない。

 話を聞いたことも、ほとんどない。

 レオンハルトの両親は現在、辺境の領地で暮らしているらしい。

 公爵家を息子に譲ったあとは、二人でのんびり余生を楽しんでいるのだとか。

「……怒られないでしょうか」

「なぜです?」

「私が、公爵様の妻だからです」

 マリアは目を丸くした。

「奥様、それは怒られることではありませんよ」

「そうなのですか?」

「ええ」

「……よかったです」

 エレノアは胸を撫で下ろした。



 ◇

 昼。

 屋敷の前に、一台の馬車が止まった。

「来たか」

 玄関で待っていたレオンハルトが呟く。

 その隣にはエレノア。

 少し緊張した様子で立っている。

「緊張しているのか?」

「はい」

「心配する必要はない」

「でも……」

「父上も母上も、君を気に入るだろう」

「……そうでしょうか」

「ああ」

 レオンハルトは迷いなく答えた。

 その瞬間。

「レオンハルトーーー!!」

 屋敷中に響くほどの大声が聞こえた。

「……」

 レオンハルトの顔がわずかに引きつる。

「久しぶりね!」

 明るい笑顔の女性が入ってくる。

 美しい銀髪。

 上品な顔立ち。

 けれど、その雰囲気は元公爵夫人とは思えないほど明るい。

 その後ろから、大柄な男性がゆっくり入ってきた。

「お前、また少し痩せたんじゃないか?」

「父上」

「ちゃんと飯を食ってるのか?」

「食べている」

 そんな親子のやり取りを見て。

 エレノアは目を瞬かせた。

 これが。

 公爵家のご両親。

 そのとき。

 セシリアの視線がエレノアへ向いた。

「……」

 一瞬、沈黙。

 次の瞬間。

「まあああああ!!」

 セシリアが目を輝かせた。

「あなたがエレノアちゃんね!?」

「……はい」

「可愛い!!」

「……え?」

 セシリアが一直線に近づいてくる。

「ちょっと、母上――」

 レオンハルトが止めようとする。

 しかし。

「エレノアちゃーん!」

ぎゅっ。

「……!」

 エレノアは突然抱きしめられた。

「まあ、なんて可愛いの!」

「……」

 エレノアは完全に固まった。

 誰かに抱きしめられた記憶など。

 ほとんどない。

 まして。

 笑顔で抱きしめられたことなど。

 一度もなかった。

 セシリアは嬉しそうに笑う。

「今日から私のことは、お義母様って呼んでちょうだい!」

「……」

 エレノアは困ったようにレオンハルトを見る。

 レオンハルトは小さく頷いた。

「呼んでやれ」

「……お義母様」

「まああああ!!」

 セシリアがさらに強く抱きしめる。

「可愛い! もう本当に可愛い!」

「……」

 エレノアはどうしていいのかわからない。

 けれど。

 不思議と嫌ではなかった。

 むしろ。

 胸の奥が、少しだけ温かい。




 ◇

「セシリア」

 父、アルベルトが呆れたように声をかける。

「初対面から抱きつくな」

「だって可愛いんだもの」

「レオンハルトの妻だからって、そんなに――」

「可愛いものは可愛いの!」

「……そうか」

 アルベルトは苦笑した。

 そしてエレノアへ向き直る。

「初めまして。アルベルト・アシュフォードだ」

「初めまして。エレノア・アシュフォードです」

「うむ」

 アルベルトはエレノアをじっと見る。

 エレノアが少し緊張する。

「……」

 すると。

「レオンハルト」

「何だ?」

「お前」

「……」

「ちゃんと食わせてるか?」

「……食わせている」

「細すぎるぞ」

「……俺もそう思っている」

「もっと食わせろ」

 アルベルトは満足そうに頷いた。

「よし。気に入った」

「……何がだ?」

「この子だ」

 レオンハルトが呆れる。

「まだ何も話していないだろう」

「それでもわかる」

 アルベルトは笑った。

「お前の目が、昔とは全然違うからな」

「……」

 レオンハルトが黙る。

 セシリアもニヤニヤしている。

「でしょう?」

「母上まで……」

「あなた、昔は女の子が近づいてきても興味なかったものね」

「……」

「それが今は、自分から妻の隣に立ってるじゃない」

 エレノアが不思議そうに二人を見る。

「公爵様は、いつも隣にいます」

「そうでしょう?」

 セシリアが嬉しそうに言う。

「レオンハルトったら、昔は人に興味がなさすぎて心配していたのよ」

「余計なことを言うな」

「だって嬉しいんだもの」

 セシリアはエレノアの手を握る。

「ありがとうね、エレノアちゃん」

「……?」

「この子を変えてくれて」

「私が?」

「ええ」

 エレノアは首を傾げた。

「私は何もしていません」

 レオンハルトはその言葉を聞いて。

 小さく笑った。

「……そういうところだ」

「はい?」

「何でもない」



 ◇

 昼食。

 エレノアは両親と同じ食卓を囲んでいた。

「エレノアちゃん、何が好き?」

 セシリアが尋ねる。

「……卵料理です」

「まあ!」

「それと、最近は焼き菓子も好きです」

「可愛い……」

 セシリアがまた頬を緩める。

「レオンハルト、知ってた?」

「知っている」

 レオンハルトは当然のように答える。

「毎日のように食べているからな」

「毎日のように?」

「最近はよく食べる」

「そう。よかったわ」

 セシリアが安心したように微笑む。

 エレノアは目の前の料理を見る。

 今日もたくさんある。

 そして。

 隣にはレオンハルト。

 向かいには、初めて会ったばかりなのに自分を可愛がってくれる二人。

 不思議だった。

 こんな食卓を囲んだことはない。

「エレノアちゃん」

「はい?」

「もっと食べなさい」

「……はい」

 エレノアが一口食べる。

「美味しいです」

「でしょう?」

「もう一つ食べます」

「まあ! 偉い!」

 セシリアが嬉しそうに笑う。

 レオンハルトも、どこか満足そうだった。

 アルベルトはそんな二人を見て、

「……もう夫婦らしくなってきたな」

 アルベルトは笑った。




 ◇

 夕方。

 セシリアはエレノアを連れて庭を歩いていた。


「ねえ、エレノアちゃん」

「はい」

「レオンハルトのこと、どう思ってる?」

「公爵様です」

「そうじゃなくて」

「……?」

「好き?」

 エレノアは少し考えた。

「はい」

 セシリアの目が輝く。

「まあ!」

「優しいですし」

「うんうん」

「ご飯もたくさん食べさせてくださいます」

「……うん?」

「庭にも連れて行ってくださいます」

 セシリアは何かを察したように微笑む。

「そう

それなら十分ね」

「何がでしょう?」

「ううん。何でもないわ」

 セシリアはエレノアの頭を優しく撫でた。

「ゆっくりでいいのよ」

「……?」

 エレノアはまた首を傾げた。

 セシリアはそんな彼女を見て、ますます愛おしくなる。



 ◇

 夜。

 レオンハルトは両親と三人で話をしていた。

「エレノアちゃん、いい子ね」

「ああ」

「あなた、本当に大切にしなさいよ」

「わかっている」

「それと」

 セシリアがにやりと笑う。

「あなたは、完全に惚れてるでしょう?」

「……」

 レオンハルトは黙った。

「図星ね」

「……認めた」

「まあ!」

「最近、自分でも気づいた」

「よかったわ」

 セシリアは嬉しそうに笑った。

「あなたが誰かを好きになるなんてね」

「俺も驚いている」

「エレノアちゃんには言ったの?」

「まだだ」

「どうして?」

「急ぐ必要はない」

 レオンハルトは静かに答える。

「彼女はまだ、恋というものをよく知らない」

「……」

「だから、俺の気持ちを押しつけるつもりはない」

 セシリアは息子を見つめる。

 昔のレオンハルトからは考えられない言葉だった。

「本当に変わったわね」

「そうか?」

「ええ」

 セシリアは優しく笑った。



 ◇

 その頃。

 エレノアはベッドの中で今日一日を思い返していた。

 お義母様。

 お義父様。

 初めて呼んだ言葉。

 初めて抱きしめてもらったこと。

 胸の奥が、また少し温かくなる。

 まだ、それが何なのかはわからない。

 ただ。

 嬉しかった。

「……明日も、お義母様とお話ししたいです」

 そう呟いて。

 エレノアは目を閉じた。

 同じ頃。

 廊下を通りかかったレオンハルトは、扉の向こうから聞こえた小さな声に足を止めた。

「……明日も、楽しみです」

 レオンハルトは何も言わず。

 ただ、静かに笑った。

 この屋敷に。

 また一人。

 エレノアを心から愛してくれる家族が増えた。
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