氷の公爵様は、愛を知らない令嬢を離してくれない

第十八話 雷の夜、あなたの隣

 結婚式まで、あと三日。

 屋敷の中は朝から慌ただしかった。

 侍女たちは廊下を行き交い、料理人たちは厨房で打ち合わせを重ね、庭師たちは庭の手入れに追われている。

 エレノアはその様子を不思議そうに眺めていた。

「皆さん、お忙しそうですね」

「もうすぐ結婚式だからな」

 隣を歩くレオンハルトが答える。

「……三日後でしたね」

「ああ」

「忘れていました」

「……」

 レオンハルトは思わず笑った。

「君は本当に結婚式に興味がないな」

「あります」

「そうか?」

「はい。皆さんが楽しそうなので」

「君自身は?」

「私ですか?」

 エレノアは少し考える。

「……旦那様と一緒にいられるので、楽しみです」

 レオンハルトの足が一瞬止まった。

「……そうか」

「はい」

 エレノアは何も気づかず歩いていく。

 レオンハルトはその後ろ姿を見ながら、小さく息を吐いた。

 あと三日。

 その言葉が、妙に胸へ響いた。




 ◇

 夕方。

 空が急に暗くなった。

「雨が降りそうですね」

 エレノアが窓の外を見る。

「そうだな」

 レオンハルトも空を見る。

 遠くで低い音が鳴った。

 ゴロゴロ――。

「……」

 エレノアが少しだけ肩を揺らした。

「怖いのか?」

「……少し」

 以前のエレノアなら、きっと「大丈夫です」と答えていた。

 けれど今は。

「雷は、あまり好きではありません」

 そう言えるようになっていた。

「そうか」

 レオンハルトは何も言わず、彼女の頭を優しく撫でた。

「今日は俺がいる」

「……はい」

 その一言だけで、エレノアの表情が少し和らぐ。




 ◇

 夜。

 雨は激しくなっていた。

 窓を叩く雨音。

 風の音。

 そして。

 ――ゴロゴロゴロ……。

 エレノアはベッドの中で身を縮めていた。

 また雷。

 目を閉じる。

 大丈夫。

 大丈夫。

 そう思っても。

 次の瞬間。

 ――バァンッ!!

 大きな雷鳴が屋敷を揺らした。

「……っ!」

 エレノアは思わず布団を握りしめた。

 心臓が大きく跳ねる。

 いつもなら。

 怖くても黙って耐える。

 それが当たり前だった。

 けれど。

 今は。

「……旦那様」

 エレノアはベッドから降りた。

 廊下へ出る。

 暗い廊下。

 雷が鳴るたび、窓の外が一瞬白く光る。

 少し怖い。

 けれど。

 レオンハルトの部屋へ向かう。



 ◇

 コンコン。

「……?」

 レオンハルトが本を閉じた。

「誰だ?」

「……私です」

 エレノアの声。

「エレノア?」

 すぐに扉が開く。

「どうした?」

 レオンハルトが顔を出す。

 エレノアは少し俯いていた。

「……雷が」

「怖いのか?」

「はい」

 素直な答え。

 レオンハルトは一瞬驚いた。

 以前の彼女なら、絶対に言わなかっただろう。

「入れ」

「いいのですか?」

「ああ」

 エレノアが部屋へ入る。

 その瞬間。

 ――ゴロゴロッ。

「……!」

 エレノアの肩が跳ねる。

 レオンハルトはすぐに気づいた。

「こっちへ」

「……はい」

 ソファへ座る。

 エレノアは少し離れた場所に座った。

「……」

 レオンハルトはそんな彼女を見て。

「もっと近くに来てもいい」

「……」

「怖いんだろう?」

「はい」

 エレノアが少しだけ近づく。

 さらに雷が鳴る。

「……!」

 今度は。

 エレノアの手が、レオンハルトの服の袖を掴んだ。

「……すみません」

「謝るな」

「でも」

「怖いなら、掴んでいていい」

「……はい」

 エレノアはそのまま袖を握る。

 レオンハルトは何も言わず、その手の上へ自分の手を重ねた。

「大丈夫だ」

「……はい」

「俺がいる」

 その言葉を聞くと。

 エレノアの肩から少し力が抜けた。




 ◇

 しばらくして。

 雷の音が少し遠くなった。

「……旦那様」

「何だ?」

「ありがとうございます」

「何が?」

「ここにいてくださって」

「当然だ」

「……」

 エレノアは少し考えた。

「旦那様の隣は、不思議です」

「何が?」

「怖くありません」

 レオンハルトは黙った。

「一人だと怖かったのですが……」

 エレノアが隣を見る。

「旦那様がいると、大丈夫な気がします」

「……そうか」

「はい」

 レオンハルトは、彼女の頭を撫でた。

「なら、これからも頼ればいい」

「……頼ってもいいのですか?」

「当たり前だ」

「何でも?」

「俺にできることなら」

「……」

 エレノアは少し嬉しそうに笑った。

「では、また雷が鳴ったらお願いします」

「ああ」

「よろしくお願いします」

「任せろ」

 エレノアは安心したように目を細める。

 やがて。

 眠気がやってきた。

「……眠いです」

「寝てもいい」

「でも、ここで寝るのは……」

「部屋へ戻るか?」

 エレノアは少し考えた。

 そして。

「……ここにいたいです」

「分かった」

 レオンハルトは微笑んだ。

「おやすみ」

「……おやすみなさいませ、旦那様」

「おやすみ、エレノア」

 エレノアは目を閉じた。

 しばらくすると、静かな寝息が聞こえてくる。

 レオンハルトはその寝顔を見つめた。

「……」

 胸の奥が、温かい。

 自分を頼ってくれたこと。

 自分のそばで安心して眠ってくれること。

 その全てが嬉しい。

 けれど。

 同時に。

 こんな無防備な顔を、自分以外の誰にも見せてほしくないと思ってしまう。

「……困ったな」

 レオンハルトは苦笑した。

 自分でも分かる。

 日に日に。

 この少女への想いが深くなっている。




 ◇

 翌朝。

「……あれ?」

 エレノアは目を覚ました。

 見慣れない天井。

「……?」

 起き上がる。

 すると。

「おはよう」

「……!」

 目の前にレオンハルトがいた。

「おはようございます、旦那様」

「よく眠れたか?」

「はい」

 エレノアは周囲を見る。

「……私、昨日ここで寝たのですね」

「ああ」

「すみません」

「謝る必要はない」

「……ありがとうございます」

「こちらこそ」


「?」

「頼ってくれて嬉しかった」

 エレノアは少しだけ目を丸くした。

 そして。

「では、また頼ります」

「……ああ」

 レオンハルトは笑った。




 ◇

 その日の朝。

 屋敷では結婚式の最終準備が進められていた。

「明日はドレスの最終調整を」

「はい」

「式場への花も確認を」

「かしこまりました」

 使用人たちが忙しく動き回る。

 エレノアはその様子を眺めながら。

「本当に、もうすぐなのですね」

「ああ」

 レオンハルトが隣に立つ。

「明後日だ」

「……明後日」

 エレノアは少しだけ笑った。

「楽しみです」

「俺もだ」

「皆さんが喜んでくださるといいですね」

「きっと喜ぶ」

 レオンハルトはエレノアを見る。

「俺も楽しみにしている」

「何をですか?」

「君の晴れ姿を」

「……?」

 エレノアは首を傾げる。

 レオンハルトは笑った。

 つられてエレノアも笑う。

 結婚式まで、あと二日。

 契約から始まった二人の関係は。

 少しずつ。

 少しずつ。

 本当の夫婦へ近づいていた。
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