夜の庭
5節
次の日はまさしく復活祭のお祭りにふさわしい天気の良い日だった。午前中は皆で町の教会のミサに出かけ、いったん屋敷に戻って、午後はエレンとシルヴィ以外はパレードを見にもう一度町に出た。大人たちにはパレードはおまけのようなものだったが、子供たちにとっては、ここで山車から振りまかれるお菓子を拾うのが、1年に1回しかない取って置きのお楽しみなのだ。ジョンの子供たちも例外ではなく、10ほども出る山車についてまわって案の定、迷子になった。カミラは子供たちをほうりっぱなしで、知り合いの不動産屋で、おそらくエリザベスの新しい住まいについて話し込んでおり、子供たちを見失ったジョンがエリザベスに助けを求めて捜索が始まった。今日は町の通りは人だらけだ。エリザベスはそれでも、子供がどういうところで足を止めるかよくわかっていたので、迷子になった子供たちもすぐに見つけ出した。彼らは通りの飴売り屋台の前で飴をひねる屋台の主人のとりこになっていた。エリザベスは子供たちを確保して、カミラの待つ不動産やでジョンと落ち合った。子供たちのポケットはもちろんお菓子でパンパンにふくらんでいる。
またしても大目玉を食らった子供たちと一緒に、エリザベスは自分の馬車で屋敷へ先に戻った。今日の夜、大人にはまだ大事なイベントが残っている。その前にできれば風呂を使って、子供たちと追いかけっこをして気持ち悪く体に付いた汗を流したい。エリザベスが屋敷に戻ると、エレンとシルヴィがテラスで並んでくつろいだ様子でお茶を楽しんでいた。
「お帰り。パレードは楽しかった?」
エレンの問いに、エリザベスは複雑な笑みを返した。
「ああ、訊かないほうが良かったわね。あなたに押し付けて悪かったわ。でも、私ももう限界なのよ」
ほうりっぱなしのカミラの代わりにいつも子供たちの面倒を見てきたのはエレンだった。
「おばさま。どうぞ気になさらないで。ここにいる間はマリッサがちゃんと面倒を見てくれるわ。それに手がかかるのも、あと何年かでしょう」
エリザベスはなるべくシルヴィの方を見ないようにして言った。今朝、教会へ行った時も、シルヴィはなんだかよそよそしかったし、理由もわからないのに自分がどう振舞うべきか、エリザベスにはわからなかった。
夜の準備のために二人に小さく会釈して、エリザベスはテラスを去った。
ベネはすでにバスタブに湯を入れて待っており、エリザベスの服をあっという間に脱がせて大急ぎで風呂に入れた。マルセイユからわざわざ取り寄せた蜂蜜とカモマイルの入った取って置きの石鹸がたまらなくいい香りだ。確かに今日は暑いから薔薇の豊かな香りではなく、さっぱりしたカモマイルがいい。エリザベスがゆっくりバスタブに浸かっていると、べネがついたての向こうから眠らないように声をかけた。ベネは何でもお見通しだわ。エリザベスは早々に自分で頭と身体を洗って風呂を出た。人にやってもらうのは大嫌いなのだ。しかし、それから後がまた大変だった。もっと嫌いなかつらをつけないために、髪をよく拭いて乾かさねばならないし、ボリュームを出すためにいろんな巻物をつける必要がある。ドレスはこの間、新調したのがあるのでそれを着るのだが、それより何より、エリザベスにとっての大きな問題はやはりシルヴィだった。
今夜はシルヴィが自分をエスコートする。この間、レドナップのことがあったから、もちろんそうせざるを得ない。けれど、自分とシルヴィは昨日からあんなことになっているのに、二人で一体何の話をすればよいのだろう。エリザベスは自分の髪が結い上げられるのを見ながら思い悩んだ。
「お嬢様? お気に召しませんか?」
いつもすばらしく髪を整えてくれるデイジーが鏡越しにたずねた。
「ああ、いいえ。違うのよ、デイジー。このセットはすばらしいわ」
デイジーはエリザベスの肩にそっと手を置いて微笑み、作業を続けた。
夜になって、エリザベスはシルヴィといとこ夫妻と一緒に再び街へ出かけた。イースターの夜は毎年、サウスハンプトンではローウェル家に並ぶ旧家のプリンストン家で舞踏会がある。ロンドンからあの有名なシルヴィ・グロブナー卿がやってきていると聞きつけたプリンストン家は、早速招待状を送ってきていた。プリンストン家にも年頃の娘が三人もいるのだから、当然といえば当然かもしれない。いずれにしても、シルヴィはずっとローウェルホールに入り浸っていたが、サウスハンプトンの貴族たちの間ではグロブナー卿がやってきていることはちょっとした噂話になっていた。よりによって何故、行き遅れのエリザベス・ローウェルの屋敷にやってきたのか、死んだ父親の影響力がどれほどだったのかなど、田舎のゴシップは際限がない。エリザベスにもメイドのベネや街に住む友人の手紙からそういう話は伝わってきていたが、エリザベスはそれには何も言わないことにしていた。
街に向かう馬車の中では、シルヴィとジョンが隣り合わせ、向かいにエリザベスとカミラが座った。プリンストン家に着くまではカミラが興奮気味に一人でしゃべり続けた。
「プリンストン家のホールには何百ポンドかするセーブルの大きな壷が置かれているのですけれど、その壷は二年前のイースターの時に、あの家の三男が倒して上の方がかけてしまったの。修理されてはいますけど、もう価値は半分以下に下がってしまったとか。でも当主のアイラはウエスタン鉄道の株で儲けたので、ちっとも懐は痛まないって。また新しい壷を買うのに、今年の秋から大陸をまわるらしいわ。だから奥様のバーバラは旅行の準備で今、大変なんですって。ガウンももう何着も作ったとか……それなのに、パリに行ったら、また新しいのを作るって言っているらしいわ。ああ、うらやましい……」
ローウェル家も贅沢しなければ、そこそこにやっていける貴族ではあるが、プリンストン家は何をやってもけた違いの派手さだった。子供もたくさんいるし……
一人でしゃべっているカミラに適当にあいずちを打っていたエリザベスは、自分も何か話さなくてはと思い、ふと思いついて、プリンストン家の娘たちのことを口にした。
「プリンストン家には三人娘さんがいらっしゃいます。一番上が十八のジュリエット、次のジョアンが十七歳、そして一番下のミアが十五歳。ジュリエットはおとなしくて編物が得意。ジョアンは三人の中では一番美人で頭のいい子です。それからミアはまだ、少し幼いけれどにぎやかな子で、ロンドンの社交界にすごく興味があるので、きっとあなたは質問攻めにあいますわ」
「エリザベス」
シルヴィが突然鋭い視線を投げかけた。
「私はプリンストン家の姉妹には興味はない」
エリザベスは一瞬うつむいて「ごめんなさい」と小声で言い、それきり口を閉ざしてしまった。ジョンとカミラが目をむいている。彼と私の間だけにあるこの重苦しい雰囲気……ほとんど拷問だわ。そうこうしているうちに馬車はプリンストン家についた。正面玄関の庭にはすでにたくさんの馬車が並んでいる。
シルヴィが先に馬車を降りて、エリザベスの手を取り馬車を降りるのを手伝ってくれた。
「なかなか賑やかだ」シルヴィが微笑んだ。
「そうですわね」ロンドンに比べたら、ということかしら。エリザベスはあいまいな笑みを浮かべてシルヴィが差し出した腕に手を添えた。
プリンストン家はサウスハンプトンではローウェル家と同じくらい古い家柄だが、勢いがあった。三人の娘のほかに息子も二人いたし、後継ぎがおらずに分家に取って代わられるローウェル家とは大違いだ。毎年行われるこのイースターの夜の舞踏会も、年々派手になって、今年はロード・シルヴィの他にもロンドンからも何人か客人が招かれているようだった。
「ロード・シルヴェイナス・スペンサー・グロブナーとレイディ・エリザベス・グレン・シューランド・ローウェル」
ホールの入り口で二人の名前が呼ばれると、人々の目が一斉にそこに集まった。ロンドンの社交界の寵児であるグロブナー卿がどんな紳士なのか、皆、興味津々だ。エリザベスたちの周りにはすぐに人が集まった。エリザベスにグロブナー卿を紹介してもらおうと、人々が次から次へとやってきて、すぐに人だかりができた。そのうちホストのプリンストン家も皆やってきて、ロード・シルヴィに順に挨拶した。
プリンストン家の主人、アイラ・プリンストンとその妻、ミセス・バーバラ・プリンストンは一番上の娘、ジュリエットをシルヴィに盛んに勧めた。
「さぁ、ロード・シルヴィと踊っていただきなさいな。きっとダンスはお上手よ」
バーバラがハンカチを振ってジュリエットを追い立てる。
「でも、お母様。私、ダンスはあまり得意じゃありませんのに」
ジュリエットははじめ、地方都市の女性に普通に見られるおくてな感じでシルヴィに接していたが、着ているドレスはどう見ても最新流行の袖の形だったし、豊かなブロンドの髪に飾ったダチョウの羽はかなり豪華で見栄えのするもので、今日の夜のためにあつらえたことは間違いなかった。そばにいた次女のジョアンも、それに負けず劣らず派手なガウンを身にまとっている。この姉妹は、年が近いので競争しなければ気がすまないのだろう。
「ねぇ、ロード・シルヴィ。私は姉と違って、ダンスは上手よ。フロアにいらっしゃらない?」
「いや、私のはじめのダンスの相手は決まっているので」
シルヴィはあっさりその申し出を断った。
「まぁ、ロード・シルヴィ。そのお相手ってレイディ・エリザベスかしら? でも彼女は踊りませんわよ? ここ数年、彼女が踊ったの見たことありませんもの。ねぇ、エリザベス。私がロード・シルヴィを踊るのを許してくださるわよね?」
エリザベスはその子供のような強引な物言いに唖然としながらも、あえて反論しなかった。反論のしようがなかった。
「ええ、どうぞ。私にお構いなく」
一瞬、シルヴィは自分に鋭い視線を投げたように感じたが、エリザベスの返事を聞くとすぐジョアンをいざなってフロアの真中へ出ていった。
ああ、馬鹿みたいだわ。いい年をして、まるで少女みたいに期待していた。昨日、今日のことがどうあれ、彼とはじめのダンスを踊れると思っていた。けれど、よく考えたら自分はもうとっくにそんな華やかな世代ではない。彼は自分が返事するやいなやすぐ、フロアに出て行った。男性に年齢など関係ない。若い女性のほうが良いに決まっている。背の高いシルヴィはフロアに出てもとても目立った。真っ直ぐに伸びた背筋。ぴんと張った肩から腕。そつのないステップとリード。あんな風に上手に人の間を縫って、くるくると踊らされてみたい。エリザベスは自分がとてもさびしい笑顔を浮かべているのがわかっていた。みっともない。自分がとても惨めに思えて、エリザベスは視線をフロアからそらした。
「エリザベス」
不意に自分の背後で懐かしい声がした。エリザベスが振り返った先に立っていたのはアンドルー・ヒューイット。ジョンとエリザベスが兄弟のように一緒に子供の頃を過ごした幼馴染だった。
「アンドルー!」
エリザベスはうれしくて飛び上がりそうになった。
「いつ帰ってきたの? アリソンにはもう会った? ホールに顔を出してくれればよかったのに!」
エリザベスの矢継ぎ早の質問にアンドルーはその美しい顔に満面の笑みをたたえて答えた。
「帰ってきたのは夕方。だからミサには間に合わなかったよ。妹には会って来た。ローウェル・ホールにはそういうわけで顔を出せなかった。けど、君に会いたくて、ここにきた。返事になったかな?」
エリザベスは大きく微笑んで頷き、「おかえりなさい」と言って頬にキスした。
アンドルーはエリザベスの兄のような存在だった。ヒューイット家はもともとローウェル家の遠い親戚にあたる。アンドルーの父親のブランドンはエリザベスの父親、ジョージの親友でもあったが、もう五年も前に既にこの世の人ではなくなっていた。アンドルーは表向きは家督を継いでいたが、財産もそれほどなかったため、妹をさっさと嫁がせて、母親だけでも何とか食べていけるように、その遺産の管理を母親にほとんど任せていた。そしてアンドルー自身は、ロンドンで小説家として身を立てようとしていたが、昨年の春、この母親も亡くなってしまった。エリザベスはいつかアンドルーがその固い意思ですばらしい小説家になるだろうと疑わなかったが、初めのうちはきっとロンドンで苦労するに違いないと思っていた。時々手紙はよこしてはいたものの、ロンドンに行く機会もないエリザベスには、アンドルーがどのような生活をしているのか、想像するしかなかったのだ。
「それで、今日は噂の人と一緒なんだって?」
誰から聞いたのか、アンドルーはきょろきょろとあたりを見回した。
「あ、ああ。ええ。そうなの」
エリザベスはばつが悪くて下を向いた。アンドルーは昔から、自分がシルヴィに恋焦がれていたことを知っている。
「それで、ロード・シルヴィは……」
アンドルーはフロアのシルヴィを既に見つけていた。たとえどこに居ても、シルヴィは目立つ存在だったし、またシルヴィ自身はダンスを踊りながら、こちらを見ていたのだ。アンドルーはシルヴィに冷たい視線を浴びせて、エリザベスに言った。
「エリザベス。向こうで座って話そう。この屋敷、なかなかいい温室を持ってるみたいだよ。知ってた?」
プリンストン家の新しい温室の話はサウスハンプトンでは結構な話題になっていた。ロンドンの有名な庭師と陶器屋を呼んできてレイアウトさせたと聞いている。
「知ってるけど……行けるの?」
エリザベスは温室と聞いて目を輝かせた。
「大丈夫。さっき、アイラにぜひ見せて欲しいって頼んだら、ほら、あの通路の向こう。自慢の温室らしいからね。ホールからすぐ行けるように作ったみたいだよ」
アンドルーの優しい笑顔がエリザベスをほっとさせた。温室……一体どんな? エリザベスはフロアのシルヴィを一瞬振り返ったが、彼はまだ長い長いダンスの途中だった。きっとしばらくジョアンと踊って、そのあとジュリエットとも……エリザベスはアンドルーの腕に手を絡ませて温室へ続く通路の方へ歩いていった。
またしても大目玉を食らった子供たちと一緒に、エリザベスは自分の馬車で屋敷へ先に戻った。今日の夜、大人にはまだ大事なイベントが残っている。その前にできれば風呂を使って、子供たちと追いかけっこをして気持ち悪く体に付いた汗を流したい。エリザベスが屋敷に戻ると、エレンとシルヴィがテラスで並んでくつろいだ様子でお茶を楽しんでいた。
「お帰り。パレードは楽しかった?」
エレンの問いに、エリザベスは複雑な笑みを返した。
「ああ、訊かないほうが良かったわね。あなたに押し付けて悪かったわ。でも、私ももう限界なのよ」
ほうりっぱなしのカミラの代わりにいつも子供たちの面倒を見てきたのはエレンだった。
「おばさま。どうぞ気になさらないで。ここにいる間はマリッサがちゃんと面倒を見てくれるわ。それに手がかかるのも、あと何年かでしょう」
エリザベスはなるべくシルヴィの方を見ないようにして言った。今朝、教会へ行った時も、シルヴィはなんだかよそよそしかったし、理由もわからないのに自分がどう振舞うべきか、エリザベスにはわからなかった。
夜の準備のために二人に小さく会釈して、エリザベスはテラスを去った。
ベネはすでにバスタブに湯を入れて待っており、エリザベスの服をあっという間に脱がせて大急ぎで風呂に入れた。マルセイユからわざわざ取り寄せた蜂蜜とカモマイルの入った取って置きの石鹸がたまらなくいい香りだ。確かに今日は暑いから薔薇の豊かな香りではなく、さっぱりしたカモマイルがいい。エリザベスがゆっくりバスタブに浸かっていると、べネがついたての向こうから眠らないように声をかけた。ベネは何でもお見通しだわ。エリザベスは早々に自分で頭と身体を洗って風呂を出た。人にやってもらうのは大嫌いなのだ。しかし、それから後がまた大変だった。もっと嫌いなかつらをつけないために、髪をよく拭いて乾かさねばならないし、ボリュームを出すためにいろんな巻物をつける必要がある。ドレスはこの間、新調したのがあるのでそれを着るのだが、それより何より、エリザベスにとっての大きな問題はやはりシルヴィだった。
今夜はシルヴィが自分をエスコートする。この間、レドナップのことがあったから、もちろんそうせざるを得ない。けれど、自分とシルヴィは昨日からあんなことになっているのに、二人で一体何の話をすればよいのだろう。エリザベスは自分の髪が結い上げられるのを見ながら思い悩んだ。
「お嬢様? お気に召しませんか?」
いつもすばらしく髪を整えてくれるデイジーが鏡越しにたずねた。
「ああ、いいえ。違うのよ、デイジー。このセットはすばらしいわ」
デイジーはエリザベスの肩にそっと手を置いて微笑み、作業を続けた。
夜になって、エリザベスはシルヴィといとこ夫妻と一緒に再び街へ出かけた。イースターの夜は毎年、サウスハンプトンではローウェル家に並ぶ旧家のプリンストン家で舞踏会がある。ロンドンからあの有名なシルヴィ・グロブナー卿がやってきていると聞きつけたプリンストン家は、早速招待状を送ってきていた。プリンストン家にも年頃の娘が三人もいるのだから、当然といえば当然かもしれない。いずれにしても、シルヴィはずっとローウェルホールに入り浸っていたが、サウスハンプトンの貴族たちの間ではグロブナー卿がやってきていることはちょっとした噂話になっていた。よりによって何故、行き遅れのエリザベス・ローウェルの屋敷にやってきたのか、死んだ父親の影響力がどれほどだったのかなど、田舎のゴシップは際限がない。エリザベスにもメイドのベネや街に住む友人の手紙からそういう話は伝わってきていたが、エリザベスはそれには何も言わないことにしていた。
街に向かう馬車の中では、シルヴィとジョンが隣り合わせ、向かいにエリザベスとカミラが座った。プリンストン家に着くまではカミラが興奮気味に一人でしゃべり続けた。
「プリンストン家のホールには何百ポンドかするセーブルの大きな壷が置かれているのですけれど、その壷は二年前のイースターの時に、あの家の三男が倒して上の方がかけてしまったの。修理されてはいますけど、もう価値は半分以下に下がってしまったとか。でも当主のアイラはウエスタン鉄道の株で儲けたので、ちっとも懐は痛まないって。また新しい壷を買うのに、今年の秋から大陸をまわるらしいわ。だから奥様のバーバラは旅行の準備で今、大変なんですって。ガウンももう何着も作ったとか……それなのに、パリに行ったら、また新しいのを作るって言っているらしいわ。ああ、うらやましい……」
ローウェル家も贅沢しなければ、そこそこにやっていける貴族ではあるが、プリンストン家は何をやってもけた違いの派手さだった。子供もたくさんいるし……
一人でしゃべっているカミラに適当にあいずちを打っていたエリザベスは、自分も何か話さなくてはと思い、ふと思いついて、プリンストン家の娘たちのことを口にした。
「プリンストン家には三人娘さんがいらっしゃいます。一番上が十八のジュリエット、次のジョアンが十七歳、そして一番下のミアが十五歳。ジュリエットはおとなしくて編物が得意。ジョアンは三人の中では一番美人で頭のいい子です。それからミアはまだ、少し幼いけれどにぎやかな子で、ロンドンの社交界にすごく興味があるので、きっとあなたは質問攻めにあいますわ」
「エリザベス」
シルヴィが突然鋭い視線を投げかけた。
「私はプリンストン家の姉妹には興味はない」
エリザベスは一瞬うつむいて「ごめんなさい」と小声で言い、それきり口を閉ざしてしまった。ジョンとカミラが目をむいている。彼と私の間だけにあるこの重苦しい雰囲気……ほとんど拷問だわ。そうこうしているうちに馬車はプリンストン家についた。正面玄関の庭にはすでにたくさんの馬車が並んでいる。
シルヴィが先に馬車を降りて、エリザベスの手を取り馬車を降りるのを手伝ってくれた。
「なかなか賑やかだ」シルヴィが微笑んだ。
「そうですわね」ロンドンに比べたら、ということかしら。エリザベスはあいまいな笑みを浮かべてシルヴィが差し出した腕に手を添えた。
プリンストン家はサウスハンプトンではローウェル家と同じくらい古い家柄だが、勢いがあった。三人の娘のほかに息子も二人いたし、後継ぎがおらずに分家に取って代わられるローウェル家とは大違いだ。毎年行われるこのイースターの夜の舞踏会も、年々派手になって、今年はロード・シルヴィの他にもロンドンからも何人か客人が招かれているようだった。
「ロード・シルヴェイナス・スペンサー・グロブナーとレイディ・エリザベス・グレン・シューランド・ローウェル」
ホールの入り口で二人の名前が呼ばれると、人々の目が一斉にそこに集まった。ロンドンの社交界の寵児であるグロブナー卿がどんな紳士なのか、皆、興味津々だ。エリザベスたちの周りにはすぐに人が集まった。エリザベスにグロブナー卿を紹介してもらおうと、人々が次から次へとやってきて、すぐに人だかりができた。そのうちホストのプリンストン家も皆やってきて、ロード・シルヴィに順に挨拶した。
プリンストン家の主人、アイラ・プリンストンとその妻、ミセス・バーバラ・プリンストンは一番上の娘、ジュリエットをシルヴィに盛んに勧めた。
「さぁ、ロード・シルヴィと踊っていただきなさいな。きっとダンスはお上手よ」
バーバラがハンカチを振ってジュリエットを追い立てる。
「でも、お母様。私、ダンスはあまり得意じゃありませんのに」
ジュリエットははじめ、地方都市の女性に普通に見られるおくてな感じでシルヴィに接していたが、着ているドレスはどう見ても最新流行の袖の形だったし、豊かなブロンドの髪に飾ったダチョウの羽はかなり豪華で見栄えのするもので、今日の夜のためにあつらえたことは間違いなかった。そばにいた次女のジョアンも、それに負けず劣らず派手なガウンを身にまとっている。この姉妹は、年が近いので競争しなければ気がすまないのだろう。
「ねぇ、ロード・シルヴィ。私は姉と違って、ダンスは上手よ。フロアにいらっしゃらない?」
「いや、私のはじめのダンスの相手は決まっているので」
シルヴィはあっさりその申し出を断った。
「まぁ、ロード・シルヴィ。そのお相手ってレイディ・エリザベスかしら? でも彼女は踊りませんわよ? ここ数年、彼女が踊ったの見たことありませんもの。ねぇ、エリザベス。私がロード・シルヴィを踊るのを許してくださるわよね?」
エリザベスはその子供のような強引な物言いに唖然としながらも、あえて反論しなかった。反論のしようがなかった。
「ええ、どうぞ。私にお構いなく」
一瞬、シルヴィは自分に鋭い視線を投げたように感じたが、エリザベスの返事を聞くとすぐジョアンをいざなってフロアの真中へ出ていった。
ああ、馬鹿みたいだわ。いい年をして、まるで少女みたいに期待していた。昨日、今日のことがどうあれ、彼とはじめのダンスを踊れると思っていた。けれど、よく考えたら自分はもうとっくにそんな華やかな世代ではない。彼は自分が返事するやいなやすぐ、フロアに出て行った。男性に年齢など関係ない。若い女性のほうが良いに決まっている。背の高いシルヴィはフロアに出てもとても目立った。真っ直ぐに伸びた背筋。ぴんと張った肩から腕。そつのないステップとリード。あんな風に上手に人の間を縫って、くるくると踊らされてみたい。エリザベスは自分がとてもさびしい笑顔を浮かべているのがわかっていた。みっともない。自分がとても惨めに思えて、エリザベスは視線をフロアからそらした。
「エリザベス」
不意に自分の背後で懐かしい声がした。エリザベスが振り返った先に立っていたのはアンドルー・ヒューイット。ジョンとエリザベスが兄弟のように一緒に子供の頃を過ごした幼馴染だった。
「アンドルー!」
エリザベスはうれしくて飛び上がりそうになった。
「いつ帰ってきたの? アリソンにはもう会った? ホールに顔を出してくれればよかったのに!」
エリザベスの矢継ぎ早の質問にアンドルーはその美しい顔に満面の笑みをたたえて答えた。
「帰ってきたのは夕方。だからミサには間に合わなかったよ。妹には会って来た。ローウェル・ホールにはそういうわけで顔を出せなかった。けど、君に会いたくて、ここにきた。返事になったかな?」
エリザベスは大きく微笑んで頷き、「おかえりなさい」と言って頬にキスした。
アンドルーはエリザベスの兄のような存在だった。ヒューイット家はもともとローウェル家の遠い親戚にあたる。アンドルーの父親のブランドンはエリザベスの父親、ジョージの親友でもあったが、もう五年も前に既にこの世の人ではなくなっていた。アンドルーは表向きは家督を継いでいたが、財産もそれほどなかったため、妹をさっさと嫁がせて、母親だけでも何とか食べていけるように、その遺産の管理を母親にほとんど任せていた。そしてアンドルー自身は、ロンドンで小説家として身を立てようとしていたが、昨年の春、この母親も亡くなってしまった。エリザベスはいつかアンドルーがその固い意思ですばらしい小説家になるだろうと疑わなかったが、初めのうちはきっとロンドンで苦労するに違いないと思っていた。時々手紙はよこしてはいたものの、ロンドンに行く機会もないエリザベスには、アンドルーがどのような生活をしているのか、想像するしかなかったのだ。
「それで、今日は噂の人と一緒なんだって?」
誰から聞いたのか、アンドルーはきょろきょろとあたりを見回した。
「あ、ああ。ええ。そうなの」
エリザベスはばつが悪くて下を向いた。アンドルーは昔から、自分がシルヴィに恋焦がれていたことを知っている。
「それで、ロード・シルヴィは……」
アンドルーはフロアのシルヴィを既に見つけていた。たとえどこに居ても、シルヴィは目立つ存在だったし、またシルヴィ自身はダンスを踊りながら、こちらを見ていたのだ。アンドルーはシルヴィに冷たい視線を浴びせて、エリザベスに言った。
「エリザベス。向こうで座って話そう。この屋敷、なかなかいい温室を持ってるみたいだよ。知ってた?」
プリンストン家の新しい温室の話はサウスハンプトンでは結構な話題になっていた。ロンドンの有名な庭師と陶器屋を呼んできてレイアウトさせたと聞いている。
「知ってるけど……行けるの?」
エリザベスは温室と聞いて目を輝かせた。
「大丈夫。さっき、アイラにぜひ見せて欲しいって頼んだら、ほら、あの通路の向こう。自慢の温室らしいからね。ホールからすぐ行けるように作ったみたいだよ」
アンドルーの優しい笑顔がエリザベスをほっとさせた。温室……一体どんな? エリザベスはフロアのシルヴィを一瞬振り返ったが、彼はまだ長い長いダンスの途中だった。きっとしばらくジョアンと踊って、そのあとジュリエットとも……エリザベスはアンドルーの腕に手を絡ませて温室へ続く通路の方へ歩いていった。