来週も、このケーキありますか?
第01話 金曜日のモンブラン ~高瀬雄介~
放課後の駅前商店街は、いつも少しだけ騒がしい。学校帰りの高校生がコンビニへ吸い込まれ、買い物袋を提げた主婦が横を通り、仕事帰りらしい人たちが駅へ向かって歩いている。そんな人の流れから少し外れた場所に、俺のバイト先である”パティスリー・リラ”はある。ガラス張りの小さなケーキ屋で、店に入れば甘い匂いがする。厨房から漂うバターの香りと、焼き上がったスポンジの匂い。制服のままエプロンを着けると、学校からアルバイトへ切り替わるスイッチが入ったような気分になる。
高校二年生になった今も、将来何になりたいのかは決まっていない。進路希望調査の紙を渡されるたびに、俺の将来って何なんだろうと考えてしまうくらいだ。それでも、この店で働くことは嫌いじゃない。ケーキを買ったお客さんが箱を抱えて嬉しそうに帰っていく姿を見ると、自分まで少し嬉しくなる。そんな何気ない日常の中で、俺には一つだけ、金曜日になると気になることがあった。
毎週金曜日の午後六時過ぎになると、決まって店へやって来る女の子がいる。高校生くらいで、肩まで伸びた髪をしていて、いつも同じ制服を着ている。彼女は店へ入ると、ショーケースの前で迷うことなく一つの商品を指差す。モンブランだ。栗のクリームが山のように盛られ、その頂上に栗が一粒乗っている、うちの店でも定番のケーキである。
最初は、よく同じものを買うお客さんだと思っていた。それが三週続き、四週続き、気がつけば俺のほうが彼女の来店時間を覚えていた。午後六時を過ぎても扉が開かないと、今日は来ないのかな? と考えてしまう。別に知り合いでもない。話したことだってほとんどない。それなのに気になる。自分でも妙な話だと思いながらレジを拭いていると、入口のベルが鳴った。反射的に顔を上げる。そこにいたのは、今日も彼女だった。なぜか少しだけ安心してしまった自分に気づいて、俺は心の中で苦笑する。
「いらっしゃいませ。今日はモンブランですか?」
「はい。モンブランを一つお願いします」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
いつもの注文を受けて、俺はショーケースからモンブランを取り出す。箱を開き、ケーキを慎重に収めて、保冷剤を添える。その間、彼女はレジの前で静かに待っていた。いつもなら商品を受け取ってすぐに帰るのに、その日はなぜか箱を受け取っても動かなかった。
視線はショーケースへ向いたままだ。新作のケーキでも気になっているのかと思ったが、彼女が見ているのは自分が買ったばかりのモンブランだった。俺は何となく気になりながら、レジ越しに彼女を見る。何か聞きたいことがあるのだろうか。そう思ったところで、彼女が顔を上げた。
「これ、来週もありますか?」
「え?」
「モンブランです。来週も買いたくて」
「ありますよ。たぶん大丈夫です。人気商品なので、売り切れてたら予約してもらったほうが確実ですけど」
そう答えると、彼女の表情が明らかに変わった。さっきまで少し不安そうだった顔が、ふっと緩んだのがわかった。その変化が妙に印象に残る。
たかがケーキだ。俺なら売り切れていたとしても、別のケーキを選ぶかもしれない。でも、彼女にとっては違うらしい。
どうしてモンブランなのか?
誰のために買うのか?
聞こうと思えば聞ける。それでも、初対面に近い客にそこまで尋ねる勇気はない。彼女は箱を大切そうに抱え直し、今度こそ店を出ていく。俺は仕事に戻ろうとしたが、扉の前で彼女が一度だけ振り返った。目が合う。彼女は少し照れたように笑って会釈する。それから店の外へ出ていった。ガラス越しに見える夕暮れの商店街へ、彼女の姿が少しずつ遠ざかっていく。俺はその背中を見送りながら、さっきの言葉を思い返していた。来週も、このケーキを買いに来る。その言葉が、なぜか嬉しかった。
————
週が明けた月曜日、昼休みの教室で弁当を食べていると、廊下を歩いている女子生徒が目に入った。肩までの髪、少し伏せた目、胸元で鞄を抱えるように持つ姿。見覚えがある。俺は箸を止めてしまった。
いつも、ケーキ屋へモンブランを買いに来た女の子だった。同じ高校だったのか。そう思った途端、妙に意識してしまう。今まで何度も校内ですれ違っていたかもしれないのに、俺はまったく気づいていなかった。学校では普通の女子生徒なのに、俺の中ではすでに『金曜日のモンブランの子』という妙な呼び方が定着している。その事実が少しおかしくて笑いそうになりながら、俺は次の金曜日に店で会ったら学校で見かけたことを話してみようと考えた。名前も知らない相手だったのに、今は少しだけ知りたいと思っている。その感情が何なのかまでは、まだ考えないことにした。
そして金曜日の午後六時過ぎ、入口のベルが鳴る。顔を上げると、やっぱり彼女だった。先週と同じように店へ入ってきた彼女は、俺を見ると少しだけ笑う。その表情を見ただけで、待っていた自分の気持ちがばれてしまいそうで、俺は慌てて仕事へ意識を戻した。
彼女がモンブランを注文すると、俺は箱を用意しながら学校で見かけたことを話す。すると彼女も俺に気づいていたらしく、同じ学校だと分かったことを嬉しそうに話してくれた。そこから自然に名前を尋ねることになり、彼女は桜井美緒と名乗った。俺も高瀬雄介だと伝える。
名前を知っただけなのに、今まで金曜日にモンブランを買いに来る女の子だった彼女が、急に身近な存在になった気がするのが不思議だった。美緒という名前が頭の中に残り、俺はモンブランを箱へ入れながら、もう少し彼女と話してみたいと思うようになっていた。
「桜井さんって、毎週モンブランだよね」
「うん。高瀬くん、覚えてたんだ」
「毎週来るから、覚えるよ」
「じゃあ、私が来なかったら分かる?」
「たぶん分かる」
答えた直後、自分でも少し驚いてしまう。そんなことを言うつもりはなかったのに、口から勝手に出てしまったからだ。
美緒は一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。その笑顔を見ていると、もっと話したくなる。
学校ではどんなことをしているのか。
好きなものは何なのか。
休みの日は何をしているのか。
知りたいことはいくらでも浮かぶ。それでも、どうして毎週モンブランを買うのかだけは聞けなかった。美緒がモンブランを見つめるとき、楽しそうなのに少しだけ寂しそうな顔をする。その理由が何なのか、俺にはまだ分からない。だからこそ、今は無理に聞かなくてもいいと思った。話したくなったら、美緒のほうから話してくれるかもしれない。そんなふうに考えながら、俺は彼女との時間を楽しんでいた。
やがて店内の客が減り、外の空が夕焼けから夜へ変わっていく。美緒はモンブランの箱を受け取ると、入口へ向かう。俺も無意識にその姿を目で追っていた。扉を開ける直前、美緒が振り返る。少し迷ったような表情をしてから、俺を見る。
「高瀬くん」
「ん?」
「来週も、ここにいる?」
「うん。金曜日はアルバイトだから」
「じゃあ、また来るね」
「待ってる」
言った瞬間、俺は少し恥ずかしくなった。「お待ちしています」と言えば店員らしいのに、なぜかそんな言葉が出てこなかった。美緒も少し驚いた顔をしたあと、嬉しそうに笑う。そして夕暮れの残る商店街へ歩いていった。俺はその背中が人混みの中へ消えるまで見送り、店内へ戻る。
ショーケースには、まだモンブランが並んでいる。俺はそれを見ながら、次の金曜日のことを考えていた。一週間なんて長いと思っていたはずなのに、今は少しだけ楽しみになっている。来週、美緒はまたこの店へ来る。俺はここで待っている。その約束とも呼べない小さな予定が、なぜか今の俺には大切なものに思えたのだ。
高校二年生になった今も、将来何になりたいのかは決まっていない。進路希望調査の紙を渡されるたびに、俺の将来って何なんだろうと考えてしまうくらいだ。それでも、この店で働くことは嫌いじゃない。ケーキを買ったお客さんが箱を抱えて嬉しそうに帰っていく姿を見ると、自分まで少し嬉しくなる。そんな何気ない日常の中で、俺には一つだけ、金曜日になると気になることがあった。
毎週金曜日の午後六時過ぎになると、決まって店へやって来る女の子がいる。高校生くらいで、肩まで伸びた髪をしていて、いつも同じ制服を着ている。彼女は店へ入ると、ショーケースの前で迷うことなく一つの商品を指差す。モンブランだ。栗のクリームが山のように盛られ、その頂上に栗が一粒乗っている、うちの店でも定番のケーキである。
最初は、よく同じものを買うお客さんだと思っていた。それが三週続き、四週続き、気がつけば俺のほうが彼女の来店時間を覚えていた。午後六時を過ぎても扉が開かないと、今日は来ないのかな? と考えてしまう。別に知り合いでもない。話したことだってほとんどない。それなのに気になる。自分でも妙な話だと思いながらレジを拭いていると、入口のベルが鳴った。反射的に顔を上げる。そこにいたのは、今日も彼女だった。なぜか少しだけ安心してしまった自分に気づいて、俺は心の中で苦笑する。
「いらっしゃいませ。今日はモンブランですか?」
「はい。モンブランを一つお願いします」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
いつもの注文を受けて、俺はショーケースからモンブランを取り出す。箱を開き、ケーキを慎重に収めて、保冷剤を添える。その間、彼女はレジの前で静かに待っていた。いつもなら商品を受け取ってすぐに帰るのに、その日はなぜか箱を受け取っても動かなかった。
視線はショーケースへ向いたままだ。新作のケーキでも気になっているのかと思ったが、彼女が見ているのは自分が買ったばかりのモンブランだった。俺は何となく気になりながら、レジ越しに彼女を見る。何か聞きたいことがあるのだろうか。そう思ったところで、彼女が顔を上げた。
「これ、来週もありますか?」
「え?」
「モンブランです。来週も買いたくて」
「ありますよ。たぶん大丈夫です。人気商品なので、売り切れてたら予約してもらったほうが確実ですけど」
そう答えると、彼女の表情が明らかに変わった。さっきまで少し不安そうだった顔が、ふっと緩んだのがわかった。その変化が妙に印象に残る。
たかがケーキだ。俺なら売り切れていたとしても、別のケーキを選ぶかもしれない。でも、彼女にとっては違うらしい。
どうしてモンブランなのか?
誰のために買うのか?
聞こうと思えば聞ける。それでも、初対面に近い客にそこまで尋ねる勇気はない。彼女は箱を大切そうに抱え直し、今度こそ店を出ていく。俺は仕事に戻ろうとしたが、扉の前で彼女が一度だけ振り返った。目が合う。彼女は少し照れたように笑って会釈する。それから店の外へ出ていった。ガラス越しに見える夕暮れの商店街へ、彼女の姿が少しずつ遠ざかっていく。俺はその背中を見送りながら、さっきの言葉を思い返していた。来週も、このケーキを買いに来る。その言葉が、なぜか嬉しかった。
————
週が明けた月曜日、昼休みの教室で弁当を食べていると、廊下を歩いている女子生徒が目に入った。肩までの髪、少し伏せた目、胸元で鞄を抱えるように持つ姿。見覚えがある。俺は箸を止めてしまった。
いつも、ケーキ屋へモンブランを買いに来た女の子だった。同じ高校だったのか。そう思った途端、妙に意識してしまう。今まで何度も校内ですれ違っていたかもしれないのに、俺はまったく気づいていなかった。学校では普通の女子生徒なのに、俺の中ではすでに『金曜日のモンブランの子』という妙な呼び方が定着している。その事実が少しおかしくて笑いそうになりながら、俺は次の金曜日に店で会ったら学校で見かけたことを話してみようと考えた。名前も知らない相手だったのに、今は少しだけ知りたいと思っている。その感情が何なのかまでは、まだ考えないことにした。
そして金曜日の午後六時過ぎ、入口のベルが鳴る。顔を上げると、やっぱり彼女だった。先週と同じように店へ入ってきた彼女は、俺を見ると少しだけ笑う。その表情を見ただけで、待っていた自分の気持ちがばれてしまいそうで、俺は慌てて仕事へ意識を戻した。
彼女がモンブランを注文すると、俺は箱を用意しながら学校で見かけたことを話す。すると彼女も俺に気づいていたらしく、同じ学校だと分かったことを嬉しそうに話してくれた。そこから自然に名前を尋ねることになり、彼女は桜井美緒と名乗った。俺も高瀬雄介だと伝える。
名前を知っただけなのに、今まで金曜日にモンブランを買いに来る女の子だった彼女が、急に身近な存在になった気がするのが不思議だった。美緒という名前が頭の中に残り、俺はモンブランを箱へ入れながら、もう少し彼女と話してみたいと思うようになっていた。
「桜井さんって、毎週モンブランだよね」
「うん。高瀬くん、覚えてたんだ」
「毎週来るから、覚えるよ」
「じゃあ、私が来なかったら分かる?」
「たぶん分かる」
答えた直後、自分でも少し驚いてしまう。そんなことを言うつもりはなかったのに、口から勝手に出てしまったからだ。
美緒は一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。その笑顔を見ていると、もっと話したくなる。
学校ではどんなことをしているのか。
好きなものは何なのか。
休みの日は何をしているのか。
知りたいことはいくらでも浮かぶ。それでも、どうして毎週モンブランを買うのかだけは聞けなかった。美緒がモンブランを見つめるとき、楽しそうなのに少しだけ寂しそうな顔をする。その理由が何なのか、俺にはまだ分からない。だからこそ、今は無理に聞かなくてもいいと思った。話したくなったら、美緒のほうから話してくれるかもしれない。そんなふうに考えながら、俺は彼女との時間を楽しんでいた。
やがて店内の客が減り、外の空が夕焼けから夜へ変わっていく。美緒はモンブランの箱を受け取ると、入口へ向かう。俺も無意識にその姿を目で追っていた。扉を開ける直前、美緒が振り返る。少し迷ったような表情をしてから、俺を見る。
「高瀬くん」
「ん?」
「来週も、ここにいる?」
「うん。金曜日はアルバイトだから」
「じゃあ、また来るね」
「待ってる」
言った瞬間、俺は少し恥ずかしくなった。「お待ちしています」と言えば店員らしいのに、なぜかそんな言葉が出てこなかった。美緒も少し驚いた顔をしたあと、嬉しそうに笑う。そして夕暮れの残る商店街へ歩いていった。俺はその背中が人混みの中へ消えるまで見送り、店内へ戻る。
ショーケースには、まだモンブランが並んでいる。俺はそれを見ながら、次の金曜日のことを考えていた。一週間なんて長いと思っていたはずなのに、今は少しだけ楽しみになっている。来週、美緒はまたこの店へ来る。俺はここで待っている。その約束とも呼べない小さな予定が、なぜか今の俺には大切なものに思えたのだ。
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