さようなら、お別れしましょう
 ジグルズ様の元で過ごした時間は、私の人生で一番楽しかった。
 でも、イーザック様に『戻りたくない』とは言えなかった。
 左胸に手をおくと、心臓が動いているのがわかる。
 私はイーザック様に逆らえないし、わがままも言えない。
【契約】の中にある『王女の逃亡を禁ずる』、『妻の不義』にあたる恐れがある。
 イーザック様に戻れと命じられたら、戻るしかない。
 逆らったら、死んでしまう。
 堪えていた涙がこぼれかけた瞬間――

「眠らないのか?」 

 声に驚き、振り返ると、そこにいたのはジグルズ様だった。

「ジグルズ様……」
「真夜中だぞ」
「ジグルズ様こそ、もうお休みになられたのではなかったのですか?」

 扉に寄りかかり、ジグルズ様は微笑んだ。

「誰かが起きている気配に気づいて、なにをしているのか見に来た」
「起こしてしまい、申し訳ありません……」
「いや、ちょうど悪夢を見ていた。だから、目が覚めてよかったんだ」

 ジグルズ様の顔色が悪いのは、燭台の火のせいで、暗いからだと思っていた。
 けれど、違ったらしい。

「悪夢ですか? ジグルズ様なら、夢の中でも勝てそうですけど……」
「夢の中の俺は、子供の姿だった」

 ジグルズ様は広間に入ってくると、地図を眺めた。

「まだかかりそうだな。帰るまでには、間に合わないだろう。後は他の者に任せるから、もう休め」
「いえ、これは私が引き受けた仕事ですから、最後までやります。せめて地図だけも、絶対に完成させたいんです!」

 地図が完成したら、町の案内本をみんなで作ろうと言っていたけれど、それはもうできない。
 あんなに、わくわくしていたのが嘘のようだ。
 
「……そうか。なら、俺も手伝おう」
「いえ、ジグルズ様は休んでください。これは私が引き受けた仕事ですから」
「絵は意外とうまいんだぞ。宮廷画家に絵を習ったことがあるからな」
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