可愛いすぎる五歳の令嬢が「あの時、助けていただいたアザラシです!」とやってきた
第二話 アザラシは王太子妃になれません
きょとんとした顔で首を傾げる。
悪意のない反応が、余計にマリエッタの苛立ちを煽る。
「王太子妃には教養が必要なのです。わたくしは三か国語を話せますのよ」
「私は、おさかなの匂いが遠くからわかります!」
「張り合える能力ではありません!」
「泳ぎなら負けませんよ!」
「なぜ泳ぎで決めるのですか!」
言い合う二人の間に割って入るように、静かに口を開いた。
「マリエッタ、セルキアを贔屓しているつもりはない。二人にはそれぞれの長所がある」
「……と、おっしゃいますと?」
「マリエッタの語学力は、いずれ外交の場で必ず役に立つだろう。セルキアの嗅覚は、遭難者の捜索や、傷ついた動物の発見に活かせるかもしれない」
「殿下まで同じ土俵に載せないでください!」
令嬢としての教養と動物の能力を並べられ、マリエッタは納得できないように声を上げた。
母や周りから教わってきた「王族らしさ」とは、まるで違う考え方だった。
しばらく黙って二人を見ていたレオニスは、やがて静かに告げた。
「マリエッタ、セルキア。二人とも、僕と一緒に来てほしい場所がある」
「どちらへ?」
「王立海洋動物保護院だ。僕の活動が王族に不要な道楽だと思うのなら、実際にその目で見てから判断してほしい」
一瞬言葉に詰まったが、やがて渋々といった様子で頷く。
「見せていただければ、わたくしの考えが正しいとおわかりになるはずですわ」
そんな彼女の隣で、セルキアは瞳をきらきらと輝かせて飛び跳ねた。
「あざらし幼稚園ですか!」
「……あざらし幼稚園?」
初めて聞く呼び名に、思わず問い返す。
「保護されたアザラシの赤ちゃんたちが、いっぱい集まっているところです! みんなでぷかぷか浮くのが得意です!」
嬉しそうなセルキアの隣で、マリエッタは露骨に顔をしかめていた。
これから汚れ仕事にでも行くような顔だ。
馬車を降りた三人を出迎えたのは、潮の香りと、かすかに響く鳴き声だった。
海辺に建つ王立海洋動物保護院。セルキアが勝手に「あざらし幼稚園」と呼び始めた場所だ。
ここには、母親とはぐれた子、漁具で傷ついた子、弱って自分で魚を捕れない子など、さまざまなアザラシが保護されていた。
門をくぐった瞬間、セルキアが弾かれたように駆け出した。
「わあ、懐かしいですー! タコニキもご健在なようでー!」
プールの隅に置かれた、色褪せたタコ型の遊具に飛びつくセルキアに思わず尋ねた。
「タコニキとは何だ?」
「タコニキはタコニキです!」
それ以上の説明はないらしい。
職員たちも、初めて来たはずの令嬢が施設の隅々まで知っているのを見て、だんだん不思議そうな顔になった。
「あの子は……昔からある餌場の場所まで、迷わず歩いていかれましたが」
「以前にいらしたことが?」
「いえ、本日が初めてのご来訪のはずです」
そんな中、セルキアは食欲のない子アザラシの前でぺたりと腹ばいになり、顔を近づけて短く鳴き声を上げた。
「くぅん……」
「この子、お腹が痛いみたいです」
職員が慌てて診察したところ、胃の中から小さな金属片が見つかった。
誤って飲み込んだものらしい。
レオニスはその光景を、言葉もなく見つめていた。
――本当に、あの子アザラシだったのか……?
まだ疑っていた気持ちが、少しずつ確信へ変わっていった。
マリエッタは最初、魚の匂いや濡れた床を嫌がり、なるべく離れていた。
だが、怯えた様子の子アザラシがよたよたと近づいてきて、彼女のドレスの裾をぱくりとくわえた。
「ちょっ……放しなさい……!」
振り払おうとしたが、思いのほか力強く咥えられていて外れない。
仕方なく隣にしゃがみこむと、子アザラシは安心したように目を閉じ、そのまま眠ってしまった。
「……重いですわ」
そう呟きながらも、マリエッタはしばらくその場から動こうとしなかった。
レオニスは二人の傍らに立ち、静かに語り始めた。
「僕がここで大切にしているのは、動物の命だけではない。漁網や海のごみを調べることは、漁師たちや沿岸に暮らす人々の安全にもつながる。人か動物か、どちらかを選んでいるわけではないんだ」
「では……」
「同じ海で暮らす命を、まとめて守ろうとしている。それだけだ」
マリエッタは黙って子アザラシを撫でた。
少なくとも今は、レオニスの話を「動物好きの道楽」と笑う気にはなれなかった。
そのとき、餌の魚を狙って数羽のカモメが降りてきた。
セルキアはとっさに魚籠へ覆いかぶさる。
「これは園児たちのお昼です! あげません!」
カモメを追い払いながら、レオニスは苦笑した。
「君も食べてはいけないぞ」
「一匹くらいなら……」
「駄目だ」
「はぁい……」
しょんぼりと肩を落とすセルキアに、周囲から小さな笑いが漏れる。
夕暮れが近づく頃、職員の一人が報告に来た。
「殿下、あの子アザラシですが、順調に回復しております。明日には放流できるかと」
「そうか……」
その言葉を聞いたマリエッタが、珍しく自分から口を開いた。
「レオニス様。わたくし……放流の様子を、見届けさせていただいてもよろしいでしょうか」
その声には、もう先ほどまでの棘はなかった。
悪意のない反応が、余計にマリエッタの苛立ちを煽る。
「王太子妃には教養が必要なのです。わたくしは三か国語を話せますのよ」
「私は、おさかなの匂いが遠くからわかります!」
「張り合える能力ではありません!」
「泳ぎなら負けませんよ!」
「なぜ泳ぎで決めるのですか!」
言い合う二人の間に割って入るように、静かに口を開いた。
「マリエッタ、セルキアを贔屓しているつもりはない。二人にはそれぞれの長所がある」
「……と、おっしゃいますと?」
「マリエッタの語学力は、いずれ外交の場で必ず役に立つだろう。セルキアの嗅覚は、遭難者の捜索や、傷ついた動物の発見に活かせるかもしれない」
「殿下まで同じ土俵に載せないでください!」
令嬢としての教養と動物の能力を並べられ、マリエッタは納得できないように声を上げた。
母や周りから教わってきた「王族らしさ」とは、まるで違う考え方だった。
しばらく黙って二人を見ていたレオニスは、やがて静かに告げた。
「マリエッタ、セルキア。二人とも、僕と一緒に来てほしい場所がある」
「どちらへ?」
「王立海洋動物保護院だ。僕の活動が王族に不要な道楽だと思うのなら、実際にその目で見てから判断してほしい」
一瞬言葉に詰まったが、やがて渋々といった様子で頷く。
「見せていただければ、わたくしの考えが正しいとおわかりになるはずですわ」
そんな彼女の隣で、セルキアは瞳をきらきらと輝かせて飛び跳ねた。
「あざらし幼稚園ですか!」
「……あざらし幼稚園?」
初めて聞く呼び名に、思わず問い返す。
「保護されたアザラシの赤ちゃんたちが、いっぱい集まっているところです! みんなでぷかぷか浮くのが得意です!」
嬉しそうなセルキアの隣で、マリエッタは露骨に顔をしかめていた。
これから汚れ仕事にでも行くような顔だ。
馬車を降りた三人を出迎えたのは、潮の香りと、かすかに響く鳴き声だった。
海辺に建つ王立海洋動物保護院。セルキアが勝手に「あざらし幼稚園」と呼び始めた場所だ。
ここには、母親とはぐれた子、漁具で傷ついた子、弱って自分で魚を捕れない子など、さまざまなアザラシが保護されていた。
門をくぐった瞬間、セルキアが弾かれたように駆け出した。
「わあ、懐かしいですー! タコニキもご健在なようでー!」
プールの隅に置かれた、色褪せたタコ型の遊具に飛びつくセルキアに思わず尋ねた。
「タコニキとは何だ?」
「タコニキはタコニキです!」
それ以上の説明はないらしい。
職員たちも、初めて来たはずの令嬢が施設の隅々まで知っているのを見て、だんだん不思議そうな顔になった。
「あの子は……昔からある餌場の場所まで、迷わず歩いていかれましたが」
「以前にいらしたことが?」
「いえ、本日が初めてのご来訪のはずです」
そんな中、セルキアは食欲のない子アザラシの前でぺたりと腹ばいになり、顔を近づけて短く鳴き声を上げた。
「くぅん……」
「この子、お腹が痛いみたいです」
職員が慌てて診察したところ、胃の中から小さな金属片が見つかった。
誤って飲み込んだものらしい。
レオニスはその光景を、言葉もなく見つめていた。
――本当に、あの子アザラシだったのか……?
まだ疑っていた気持ちが、少しずつ確信へ変わっていった。
マリエッタは最初、魚の匂いや濡れた床を嫌がり、なるべく離れていた。
だが、怯えた様子の子アザラシがよたよたと近づいてきて、彼女のドレスの裾をぱくりとくわえた。
「ちょっ……放しなさい……!」
振り払おうとしたが、思いのほか力強く咥えられていて外れない。
仕方なく隣にしゃがみこむと、子アザラシは安心したように目を閉じ、そのまま眠ってしまった。
「……重いですわ」
そう呟きながらも、マリエッタはしばらくその場から動こうとしなかった。
レオニスは二人の傍らに立ち、静かに語り始めた。
「僕がここで大切にしているのは、動物の命だけではない。漁網や海のごみを調べることは、漁師たちや沿岸に暮らす人々の安全にもつながる。人か動物か、どちらかを選んでいるわけではないんだ」
「では……」
「同じ海で暮らす命を、まとめて守ろうとしている。それだけだ」
マリエッタは黙って子アザラシを撫でた。
少なくとも今は、レオニスの話を「動物好きの道楽」と笑う気にはなれなかった。
そのとき、餌の魚を狙って数羽のカモメが降りてきた。
セルキアはとっさに魚籠へ覆いかぶさる。
「これは園児たちのお昼です! あげません!」
カモメを追い払いながら、レオニスは苦笑した。
「君も食べてはいけないぞ」
「一匹くらいなら……」
「駄目だ」
「はぁい……」
しょんぼりと肩を落とすセルキアに、周囲から小さな笑いが漏れる。
夕暮れが近づく頃、職員の一人が報告に来た。
「殿下、あの子アザラシですが、順調に回復しております。明日には放流できるかと」
「そうか……」
その言葉を聞いたマリエッタが、珍しく自分から口を開いた。
「レオニス様。わたくし……放流の様子を、見届けさせていただいてもよろしいでしょうか」
その声には、もう先ほどまでの棘はなかった。