蝶よ花よ
プロローグ

宇多家へようこそ

桜が咲き始めた三月。
小さな町の、古びたアパートの一室。
大人達に囲まれながら私は肩を縮こませていた。
「……どうする?」
たくさんの大人達が私の方をチラチラ見ながら小声で話している。
「どうするって……貴方の家で面倒見なさいよ」
「無理だよ。うちじゃ」
普通の会社員だったお父さんとお母さんは、数日前に事故に遭って亡くなってしまった。
勉強は苦手だけど、まだ中学生だから保護者が必要ってことは分かる。
私、宇多(うだ)美鈴(みすず)。もうすぐ中学二年生になります。
このまま引き取り先が見つからなければ、天涯孤独の身になってしまう。
「仕方ない。本家に引き取ってもらうか」
一人のおじさんがポツリと呟く。
「本家?」
​聞き慣れない響きに、思わず小さく声が漏れた。
大人達の視線が一斉に私へと集まり、気まずそうに泳ぐ。
​「ああ……お前のご先祖様の直系だよ」
「でも、あそこは……ちょっと風変わりだろう?本当に大丈夫なのか?」
「変人に任せて良いのか……」
​親戚の大人達が顔を見合わせ、眉をひそめる。
父も母も、生前はその本家という場所の話をほとんどしなかった。ただ一度だけ、お父さんが酔っ払った時に「あそこは住む世界が違うからな〜」と苦笑いしていたのを覚えている。
​「背に腹は代えられないだろ。施設に入れるよりはマシだ」
​おじさんが意を決したようにポケットから古いスマホを取り出し、画面を操作し始めた。呼び出し音が狭い室内に小さく響く。
数回のコールの後、相手が出たようだった。
​「……あ、もしもし。突然申し訳ありません。実は……」
​おじさんが事情を説明する間、周囲の大人達はどこかホッとしたような、それでいて厄介払いができたような顔で息を吐いていた。
✳✳✳
そんなことがあった数日後。
親戚の一人が地図に書いてくれた通りに歩いて約五百段の石段を登りきった私の目の前には、とても大きな鳥居が立っていた。
鳥居の奥には、緑豊かな鎮守(ちんじゅ)の森と、古風でありながらどこか気品を感じさせる立派な楼門(ろうもん)
「あのー、すみませーん」
緊張して小声になりながらも声を出すが、近くに人はいないのか誰も来ない。
……留守なのかな?
こんな山の上にあるんだから、誰か一人くらい居ると思っていた。
楼門の前まで歩いて、もう一度声を張る。
「すみませーん!」
「よく来たな」
「うわっ!」
​背後から突然かけられた声に飛び上がり、思わず振り返る。
そこには、竹箒を手にした男性が立っていた。四十代くらいだろうか。使い古した着物姿で、目元や鼻筋のあたりが、どこかお父さんに似ている気がする。
「びっくりさせてすまんね。この神社の宮司をやっている、景近(かげちか)だ。君の父親の兄にあたる」
「え、お父さん兄弟いたんですか!?」
「ああ。ずっと疎遠にしていてすまなかったな。よろしく頼むよ」
​「あ……はい!宇多美鈴です。よろしくお願いします!」
​私がペコリとおじぎをすると、景近さんは私の大きなボストンバッグをひょいと片手で持ち上げ、楼門の奥へと歩き出した。
​足を踏み入れると、そこは外の世界とはまるで空気が違っていた。
広大な境内の奥には、歴史を感じさせる重厚な本殿と、それに繋がる立派な母屋が構えられている。
庭の中央には大きな桜の木があり、ちらちらと薄桃色の花びらを散らせていた。
✳✳✳
案内された静かな居間で、私は伯父さんと低い座卓を挟んで対面して座っていた。
あたたかい緑茶の湯気が立ち上る湯呑みを、恐る恐る口にする。
「君と会ったのは、君がまだ赤ん坊の頃だったからな。覚えていなくても無理はない。それに、君のお父さんにも、色々あってほぼ絶縁状態だった―――」
​伯父さんがどこか遠い目をして言いかけた、その時だった。
​「なんや、父ちゃん。お客さんでも来てるん?」
​ガラガラと引き戸の開く音とともに、少しだらしなさの残る男の子の声が玄関の方から聞こえてきた。パタパタと威勢のいい足音が近づき、居間の引き戸が思い切り勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、私と同じくらいの年齢に見える男の子だった。
少し着崩した制服姿に、耳にかかるくらいの明るい茶髪。整った目鼻立ちをした、どこからどう見ても垢抜けたイケメン男子だった。
「遅いわ、保名(やすな)!」
「父ちゃんがはよ帰って来い言うから、カラオケ行かれへんかったんやでー?」
​次の瞬間、男の子のつむじめがけ、伯父さんが逆手に持った金箔押しの扇子を縦一文字に振り下ろした。
ドゴッと凄い音がした。
痛そう……。
「痛ってぇ……」
​「コイツは我が家の跡取り息子で私の息子、宇多保名だ。見ての通りチャランポランだが、これでも一応この家の者だ」
咳払いをしてから紹介してくれる。
「いやはや、誰に似たのやら」
​頭を押さえてブツブツと文句を言う保名くんと、ため息をつく伯父さん。
保名くんは痛そうに頭を押さえながら、面倒くさそうに私の方へ視線を向けた。
その瞬間、彼の赤色の瞳が丸く見開かれる。
​「……え、待って。もしかして、この子が……?」
「今日からうちに住むことになった美鈴さんだ。お前と同い年で、いとこにあたる。仲良くしろよ」
​伯父さんがそう言うと、保名くんはしげしげと私の顔を覗き込んできた。少しパーマのついた茶髪から、ふわりと爽やかな柑橘系の香りが漂ってくる。
あまりの顔の良さと距離の近さに、私は思わず背中を丸めて座布団の上で後退りしてしまった。
​「ふーん……美鈴ちゃん。……なんや、めっちゃ緊張してるやん」
「そ、そりゃあ……いきなりこんな立派なお屋敷に来て、緊張しないわけないです……」
​細々とした私の声を聞いて、保名くんは少し雑な動作で私の前にドカリとあぐらをかいて座り込む。
​「まぁ、気ぃ遣わんでええよ。父ちゃんは堅物やし、この家は無駄に広くてボロいけど……変な奴は俺くらいやから」
(変な奴は自分かい!)
​思わず心の中で突っ込んでしまう。
​「美鈴ちゃん、荷物は後で保名に部屋へ運ばせる。今日は少し休むといい」
​「あ、ありがとうございます……!荷物は自分で運びます!」
​慌てて立ち上がろうとすると、保名くんが「ええって、それくらい。ちょっとは格好つけさせてぇや」と言いながら、私の大きなボストンバッグをひょいっと持ち上げた。軽々と肩に担ぐ姿は、意外と男らしい。
​「部屋案内したるからついてきて」
​「う、うん……ありがと」
​広くて迷子になりそうな廊下を、保名くんの後ろについて歩く。
​「ここが美鈴ちゃんの部屋。日当たりはええから」
​引き戸を開けると、畳の匂いが心地よい六畳ほどの和室だった。大きな窓からは、庭のあの大きな桜の木が見える。
​「うわぁ……すごい、綺麗」
「俺の部屋は隣やからなんかあったら言ってや。あとこれ」
そう言って、保名くんは机に置かれていたブレスレットを手に取り、私に手渡した。
オーロラ色の石が連なったブレスレットは、角度を変えるたびにキラキラと色を変える。
「うわぁ……綺麗。これ、保名くんの?」
​「ちゃうよ、美鈴ちゃんの。歓迎のしるし……と言いたいとこやけど、半分は『お守り』やな。最近上手く霊力込めれたんよー」
保名はそう言ってニッと笑うと、机の上の荷物を置き、部屋の入り口に立って私を振り返った。
​「霊力……?」
聞き慣れない単語に首を傾げる。
「あれ、知らんかった?ああ、そっか。伯父さん、美鈴ちゃんには何も教えてへんかったんか。宇多家は代々この山と神社を守りながら『見えへんもの』を祓う仕事をしとる家系なんよ」
「見えない……もの……?」
​「まあ、霊とか妖の類やね。で、この山は霊山言うて、どんな強い妖怪でも入られへん結界みたいな役割しとるんよ。そのブレスレットは、霊山の石ころに霊力をちょっとばかし流し込んで作った、いわば『魔除け』みたいなもん。肌身離さず着けときな」
あまりにファンタジーすぎる単語の連続に、私の思考は完全にフリーズした。
​「嘘でしょ……?妖怪なんて、漫画の中の話じゃ……」
​「まあ、普通はそう思うわな」
​保名くんは苦笑いしながら、ひょいと人差し指を立てた。
すると彼の指先からぽっと小さな青白い火の玉が灯り、ゆらゆらと揺れ始める。
​「うわっ、火!?火事になるよ!」
​慌てる私をよそに、保名くんが息をふっと吹きかけると、火の玉は桜の花びらに姿を変え、そのままハラハラと床に落ちて消えてしまった。
「これで理解した?」
「はい.....」
いくら非現実なことを言われても、実際この目で見たのだから、現実だろう。
「この家の説明も済んだし、明日から修行始めんで。手加減せんから覚悟せぇよ」
「修行? 私、祓い屋になるためにここに来たわけじゃ……!」
「そんな言うても逃がさんわ!おもろいなぁ」
不条理すぎる展開に私が唖然(あぜん)としていると、​保名くんはお腹を抱えて大爆笑した。
​「宇多の血を引いとる以上、多かれ少なかれ『寄られやすい』体質なんよ。自分の身を守るくらい術は覚えておいて損はないで」
​「自分の身を守る、くらいなら……」
​「よし、決まり! 明日からビシバシいくからな!」
「ちょっと待って、明日からって……私、転校の手続きとか中学の準備もあるんだけど!?」
​私が悲鳴混じりに抗議すると、保名くんは廊下で足を止め、ひらひらと手を振った。
​「そんなん父ちゃんがうまいことやってくれてるって。美鈴ちゃんは腹くくって、明日から俺の弟子第一号として励むこと!」
「弟子って勝手に決めないでよ!」
​去っていく彼の背中に声を張ったものの、保名くんは「おやすみー」と飄々(ひょうひょう)とした声を残して、隣の部屋へと消えてしまった。

拝啓、天国のお父さん、お母さん。
私、とんでもないところに来ちゃったかもしれないです……!
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