光のそばで 〜及川蒼真が見た景色〜
第1話 目が合っただけ
西の空に残っていた光が、ゆっくりと薄れていく時間だった。
病院の窓から見える街にも、少しずつ夜の色が混じり始めている。
及川蒼真。
外科レジデント一年目として大学病院に戻ってきた彼は、その時間、院内コンビニにいた。
大学を卒業し、研修医としてこの病院に入ったのが四年前。
最初に回ったのが、10A病棟だった。
そこで新人看護師として働いていたのが、綾瀬美月だ。
真面目で、
仕事に妥協がなくて、
新人のくせに妙に隙がない。
そのくせ、全部自分で抱え込もうとする。
研修医だった及川と、新人看護師だった綾瀬。
立場は違っても、分からないことだらけの一年目を同じ病棟で過ごした。
気づけば、互いに遠慮なくものを言えるようになっていた。
あれから四年。
及川が外科医として少しずつ経験を積んできたように、綾瀬も看護師として成長した。
今では10A病棟でも頼られる存在になっているらしい。
相変わらず、可愛げはあまりないけれど。
現在、及川は下部消化管班を回っている。
夕方の慌ただしさが一段落したとはいえ、今日の仕事が終わったわけではない。
とりあえず腹に何か入れておこうと、おにぎりとサラダチキンを手に取ったところで、棚の前に立つ見覚えのある姿を見つけた。
「あ、綾瀬」
綾瀬が顔を上げる。
「及川くん」
病棟ではないからか、呼び方は昔からのものだった。
綾瀬はゼリー飲料を何本か手に取っている。
「休憩?」
「はい。後輩に頼まれた分も買いに来ました」
「相変わらず面倒見いいな」
「ついでですから」
及川が綾瀬を見ると、やや警戒した声で綾瀬が言う。
「何ですか」
「いや、ちょうどよかったと思って」
「嫌な予感しかしません」
「今度の飲み会の件」
綾瀬の表情が、わずかに変わった。
「……その話なら断りましたけど」
「なんでだよ。参加しようよ」
「行きません」
即答だった。
及川は苦笑する。
そもそも、その飲み会は中川が持ってきた話だった。
今、及川は下部消化管班。
中川は上部消化管班。
班は違うが、同じ外科レジデントとして医局で顔を合わせることは多い。
その中川が、最近10Aの若手看護師を気に入ったらしい。
調子のいい中川は、あっという間に「今度みんなで飲もうよ」という流れを作った。
研修医時代に10Aを回っていた及川にも声がかかった。
そして先日、若手看護師から聞いた。
――綾瀬さんも誘ったんですけど、来ないって言われました。
それで今、及川はこうして本人を捕まえている。
「後輩に誘われたんだから、参加してあげなよ」
「なんで及川くんに言われなきゃいけないの」
「中川がいるから」
「……あの調子よさそうな先生ですよね」
「そう」
及川は即答した。
「悪いやつじゃないけどさ。仕事もまあまあできるし、真面目なところもあるけど、あるけどだよ?」
「でも?」
「調子いいヤツだし」
綾瀬は少しだけ眉を寄せた。
「まあ、確かに……」
「可愛い後輩たちが、妙に乗せられても困るだろ」
「それは……まあ、少し心配ですけど」
「だろ?」
「でも、私が行かなくてもいいような……」
綾瀬は一度言葉を止め、及川を見る。
「というか、もっともらしいことを言ってるだけでは?」
「それもあるけどさ。いいじゃん」
及川は軽く笑った。
そして、研修医の頃から何度も口にしてきた言葉を続ける。
「巻き込まれておけって」
新人時代。
必要以上に周囲と距離を取り、何でも一人でやろうとしていた綾瀬に、及川は事あるごとにそう言っていた。
飲み会でも、
病棟の集まりでも、
同期や先輩との雑談でも。
面倒だからと一歩引こうとする綾瀬を見つけるたびに、無理やり輪の中へ押し戻した。
四年経っても、その役割はあまり変わらないらしい。
「そういうところが昔から強引なんですよ」
「昔からって認めたな」
「認めていません」
「研修医の頃からの仲だろ」
綾瀬は少しだけ黙った。
それから、小さく息を吐く。
「……後輩の様子を見るだけですからね」
「よし、決まり」
病院の窓から見える街にも、少しずつ夜の色が混じり始めている。
及川蒼真。
外科レジデント一年目として大学病院に戻ってきた彼は、その時間、院内コンビニにいた。
大学を卒業し、研修医としてこの病院に入ったのが四年前。
最初に回ったのが、10A病棟だった。
そこで新人看護師として働いていたのが、綾瀬美月だ。
真面目で、
仕事に妥協がなくて、
新人のくせに妙に隙がない。
そのくせ、全部自分で抱え込もうとする。
研修医だった及川と、新人看護師だった綾瀬。
立場は違っても、分からないことだらけの一年目を同じ病棟で過ごした。
気づけば、互いに遠慮なくものを言えるようになっていた。
あれから四年。
及川が外科医として少しずつ経験を積んできたように、綾瀬も看護師として成長した。
今では10A病棟でも頼られる存在になっているらしい。
相変わらず、可愛げはあまりないけれど。
現在、及川は下部消化管班を回っている。
夕方の慌ただしさが一段落したとはいえ、今日の仕事が終わったわけではない。
とりあえず腹に何か入れておこうと、おにぎりとサラダチキンを手に取ったところで、棚の前に立つ見覚えのある姿を見つけた。
「あ、綾瀬」
綾瀬が顔を上げる。
「及川くん」
病棟ではないからか、呼び方は昔からのものだった。
綾瀬はゼリー飲料を何本か手に取っている。
「休憩?」
「はい。後輩に頼まれた分も買いに来ました」
「相変わらず面倒見いいな」
「ついでですから」
及川が綾瀬を見ると、やや警戒した声で綾瀬が言う。
「何ですか」
「いや、ちょうどよかったと思って」
「嫌な予感しかしません」
「今度の飲み会の件」
綾瀬の表情が、わずかに変わった。
「……その話なら断りましたけど」
「なんでだよ。参加しようよ」
「行きません」
即答だった。
及川は苦笑する。
そもそも、その飲み会は中川が持ってきた話だった。
今、及川は下部消化管班。
中川は上部消化管班。
班は違うが、同じ外科レジデントとして医局で顔を合わせることは多い。
その中川が、最近10Aの若手看護師を気に入ったらしい。
調子のいい中川は、あっという間に「今度みんなで飲もうよ」という流れを作った。
研修医時代に10Aを回っていた及川にも声がかかった。
そして先日、若手看護師から聞いた。
――綾瀬さんも誘ったんですけど、来ないって言われました。
それで今、及川はこうして本人を捕まえている。
「後輩に誘われたんだから、参加してあげなよ」
「なんで及川くんに言われなきゃいけないの」
「中川がいるから」
「……あの調子よさそうな先生ですよね」
「そう」
及川は即答した。
「悪いやつじゃないけどさ。仕事もまあまあできるし、真面目なところもあるけど、あるけどだよ?」
「でも?」
「調子いいヤツだし」
綾瀬は少しだけ眉を寄せた。
「まあ、確かに……」
「可愛い後輩たちが、妙に乗せられても困るだろ」
「それは……まあ、少し心配ですけど」
「だろ?」
「でも、私が行かなくてもいいような……」
綾瀬は一度言葉を止め、及川を見る。
「というか、もっともらしいことを言ってるだけでは?」
「それもあるけどさ。いいじゃん」
及川は軽く笑った。
そして、研修医の頃から何度も口にしてきた言葉を続ける。
「巻き込まれておけって」
新人時代。
必要以上に周囲と距離を取り、何でも一人でやろうとしていた綾瀬に、及川は事あるごとにそう言っていた。
飲み会でも、
病棟の集まりでも、
同期や先輩との雑談でも。
面倒だからと一歩引こうとする綾瀬を見つけるたびに、無理やり輪の中へ押し戻した。
四年経っても、その役割はあまり変わらないらしい。
「そういうところが昔から強引なんですよ」
「昔からって認めたな」
「認めていません」
「研修医の頃からの仲だろ」
綾瀬は少しだけ黙った。
それから、小さく息を吐く。
「……後輩の様子を見るだけですからね」
「よし、決まり」