ベリーズカフェ15周年記念オリジナル短編『幸せのバタートースト』坂井志緒/著
 最近の私の日課は、自宅と職場の間にあるカフェ「Bosque(ボスケ)」でのモーニングだ。

 ボスケは今年の初めにできた新しいカフェで、営業時間は午前七時から午後二時――つまりモーニングタイムからランチタイムまで。
コーヒーとパンの美味しさに定評があって、ビジネス街であるこのエリアでは、朝活の場所として人気がある。

 肩に付かない長さのボブヘアを耳にかけ、香り高い厚切りトーストにバターを塗り、かじる。芳醇な味わいが口いっぱいに広がって、シンプルなバタートーストなのに満足度が高い。

 私はそっと目を閉じて、このバタートーストを味わうことに集中する。

 ああ、幸せ……! ここの食パン、どうしてこんなに美味しいの。

 さて、このあたりでコーヒーを……と目を開ける。すると、ついさっきまで誰もいなかったはずの向かいの椅子に、見知った男がさも当然のような顔で座っていた。

「おはようございます。(あき)()さん」

()(その)さん……。またあなたですか」

 色白の整った顔立ち。見るからに仕立てのいいチャコールグレーのスーツ。きっちりセットされた黒髪。笑顔や所作には育ちのよさが全面に滲み出ている。

 そんな彼は、京都を本部に置くホテルグループの御曹司だ。この近くにあるラグジュアリーホテル、シャトー・ジャルダンのマネージャーを務めている。二ヶ月前に仕事で彼のホテルのバンケットルームを使わせてもらったのだが、先月偶然この店で顔を合わせて以来、会うたびにこうして構ってくるようになってしまった。

「相変わらずつれないなぁ。いつになったら(つかさ)って呼んでくれるんです?」
「呼びませんよ」

「僕には名前で呼ばせているのに?」

「別に、下の名前で呼べって言ったわけじゃないんですけど」

 初めてこの店で会った時、彼は大きな声で私を「(もり)(かわ)社長!」と呼んだ。たしかに私の役職は社長だけれど、プライベートの時間にまでそう呼ばれるのは好きではなくて、「仕事中ではないので、役職をつけず、名前で呼んでほしい」と頼んだのだが、まさか下の名前で呼ばれるとは思ってもみなかった。

 そしてその時のやり取りで悟った。この人、絶対にプレイボーイだ……と。

 感心するほどの清潔感。育ちのよさを感じさせる立ち居振る舞い。それでいて、厚かましくならない程度の図々しさがある。色気を滲ませているのに、驚くほどいやらしくない。なんというか……女と距離を縮める術を知り尽くしている。そんな感じがした。

 それ以来、彼とは週に二、三回この店で一緒にトーストをかじる仲になってしまった。別に、約束なんてしていない。ただ私が先にこの店に来て、あとから来た彼が勝手に相席してくるだけ。またいつお世話になるかわからないホテルのマネージャーなので、無碍にはできない。

「ねぇ、明菜さん」

 私がトーストをかじり終えた頃、彼がコーヒー片手にこちらをじっと見つめてきた。

「なんですか?」

「ネイル、新しくなりましたね。綺麗なグリーンで新緑の季節にぴったりだ」

「……よく気づきましたね」

 さすがはプレイボーイというべきか。彼は私がネイルを変えたことにすぐに気づく。

「よくお似合いです。お召しの柄物のワンピースともマッチしていますね。〝スリステ〟の新作ですか?」

「ええ。誕生石シリーズの、来月のデザインなんです」

「なるほど。五月はエメラルドでしたね」

「はい。……では、私はこれで」

 コーヒーを飲み干し、立ち上がる。時刻は八時半になろうとしている。そろそろ会社に向かわなければならない。

「いってらっしゃい」

 彼はいつも、笑顔でそう言って私を送り出す。

「いってきます」

 私は反射的にこう返してしまう。そのたびに、なんだか彼の術中にはまっているような気分になる。彼はなかなか「失礼します」と他人行儀に言わせてはくれないのだ。

 食器を載せたトレーを返却台へ運んで、ボスケを出る。ちらりと店に視線をやると、窓越しに彼と目が合った。彼は笑みを浮かべ、カップを軽く上げる。

 羽織っているジャケットが暑く感じるのは、四月下旬らしからぬ気温のせい。断じて彼――御園司のせいではない。
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