いえない事情〜初恋のエリート上司がわたしに執着する理由〜
プロローグ
耳に流れ込んでくる彼の声は、いつ、どんな時だって温かくて柔らかだったのに。
私のくだらない話に打ってくれる短い相槌にさえ、いつも、ちゃんと温度が感じられたのに。
約一ヶ月ぶりの連絡だったにも関わらず、今日のそれはどことなく硬くて、わずかな温度も感じられない。
いつもはビデオ通話なのに今日はそうじゃなかったから、彼が今、どんな表情で私の話を聞いているのかはわからない。
感じる違和感と得体の知れない不安にじわじわと侵食されながらも、沈黙を恐れた私がひたすらどうでもいいおしゃべりを繰り広げていた時、だった。
「── うめ。ごめん。大切にしたい人がいるんだ。だから、別れてほしい」
一瞬の隙をついて、一気に滑り込んできた言葉たち。それらにはやっぱり温度がなくて、私の口と思考はいとも容易く停止する。
「……え?」
言葉の意味が、まったく理解できなかった。いや、もしかしたらそれは、理解したくなくて、ただ脳が勝手に受け入れることを拒否しているだけなのかもしれなかった。
「ゴールデンウィークも、そっちには行けない。ごめん」
「……うそ、でしょ……?うそだよね?……はは。ねぇ、エープリルフールは1ヶ月も前に終わったよ?もう、やめてよ、立夏先輩……」
ようやく絞り出した私の声は、おもしろいくらいに震えていた。先輩がそれに気づいていないはずはない。先輩が京都の大学に行ってしまってから、距離が離れている分どんなに声や表情を取り繕ったって、いつでもすぐに私の変化に気づいてくれた先輩は今日、はじめて少しだけ温度が感じられる声音で言った。
「……うそじゃない。うそじゃないんだよ、うめ」
「もう、私のことは好きじゃなくなっちゃった……?」
「……今までありがとう、楽しかった」
「ちょ、ちょっと待って……!」
「── さよなら」
最後に落とされた短い言葉のあと、プツリと接続が切れた。耳に当てたままの端末が、急速に体温を奪っていく。
耳元から冷たい不通音が聞こえた瞬間、開け放した窓から、驚くほど鮮やかな五月の風が吹き込んできた。
頭が真っ白になり、思考が完全に停止した部屋の中で、なぜか風の匂いだけがやけに鮮明だった。
窓の外の木々が陽の光を浴びて、新緑のみずみずしい香りと、どこか甘い初夏の匂いを放っている。
世界はこんなにも生命力にあふれ、眩しいほどに晴れ渡っているというのに、私の視界だけが急速に色を失っていく。湿り気のない、カラリと晴れた初夏の空気がカーテンを揺らすたび、私の心はどこまでも暗い底へと沈み込んでいき、ただただその匂いの中に、一人取り残されていた。
──私にいろいろな〝はじめて〟をもたらしてくれた人との、突然の別れ。
それは、 私が高校三年生、先輩が大学二年生の、五月のことだった。
私のくだらない話に打ってくれる短い相槌にさえ、いつも、ちゃんと温度が感じられたのに。
約一ヶ月ぶりの連絡だったにも関わらず、今日のそれはどことなく硬くて、わずかな温度も感じられない。
いつもはビデオ通話なのに今日はそうじゃなかったから、彼が今、どんな表情で私の話を聞いているのかはわからない。
感じる違和感と得体の知れない不安にじわじわと侵食されながらも、沈黙を恐れた私がひたすらどうでもいいおしゃべりを繰り広げていた時、だった。
「── うめ。ごめん。大切にしたい人がいるんだ。だから、別れてほしい」
一瞬の隙をついて、一気に滑り込んできた言葉たち。それらにはやっぱり温度がなくて、私の口と思考はいとも容易く停止する。
「……え?」
言葉の意味が、まったく理解できなかった。いや、もしかしたらそれは、理解したくなくて、ただ脳が勝手に受け入れることを拒否しているだけなのかもしれなかった。
「ゴールデンウィークも、そっちには行けない。ごめん」
「……うそ、でしょ……?うそだよね?……はは。ねぇ、エープリルフールは1ヶ月も前に終わったよ?もう、やめてよ、立夏先輩……」
ようやく絞り出した私の声は、おもしろいくらいに震えていた。先輩がそれに気づいていないはずはない。先輩が京都の大学に行ってしまってから、距離が離れている分どんなに声や表情を取り繕ったって、いつでもすぐに私の変化に気づいてくれた先輩は今日、はじめて少しだけ温度が感じられる声音で言った。
「……うそじゃない。うそじゃないんだよ、うめ」
「もう、私のことは好きじゃなくなっちゃった……?」
「……今までありがとう、楽しかった」
「ちょ、ちょっと待って……!」
「── さよなら」
最後に落とされた短い言葉のあと、プツリと接続が切れた。耳に当てたままの端末が、急速に体温を奪っていく。
耳元から冷たい不通音が聞こえた瞬間、開け放した窓から、驚くほど鮮やかな五月の風が吹き込んできた。
頭が真っ白になり、思考が完全に停止した部屋の中で、なぜか風の匂いだけがやけに鮮明だった。
窓の外の木々が陽の光を浴びて、新緑のみずみずしい香りと、どこか甘い初夏の匂いを放っている。
世界はこんなにも生命力にあふれ、眩しいほどに晴れ渡っているというのに、私の視界だけが急速に色を失っていく。湿り気のない、カラリと晴れた初夏の空気がカーテンを揺らすたび、私の心はどこまでも暗い底へと沈み込んでいき、ただただその匂いの中に、一人取り残されていた。
──私にいろいろな〝はじめて〟をもたらしてくれた人との、突然の別れ。
それは、 私が高校三年生、先輩が大学二年生の、五月のことだった。
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